Neko

夢の汽車に乗って

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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真実の一面

何処かのマンガの主人公の決め台詞じゃないけど

「真実は一つだ!」

そう、確かに
それぞれの事象については
真実はそれぞれひとつづつしかない。


しかしながらここでやっかいなのは
その真実とやらが
必ずしも人にとっては
好ましくないものもあるということだろう。

真実は何も良いことばかりではない。

理不尽な真実だとか
知らない方が良かった真実なんていうのもある。

いや、むしろ知りたくなかった真実と言うべきか。


正義を振りかざして突き付けた真実が人を苦しめる事もある。


もし
真実が人間を苦しめるだけのものだとするなら
いっそ真実は
迷宮の中にあった方が良いのかも知れない。


それも、真実の一面なんだろう。


親の目で

過去最高のメダル獲得に沸いた
オリンピックも閉幕し
選手団が無事に帰国をしましたね。


今回のオリンピックで目に付いたのは
意外と兄弟・姉妹で出場している選手が多かった事です。

「いつも、こんなに多かったっけ?」

等と思いテレビ観戦をしていた訳ですが。


他人の子でさえ
日本人選手だと思えば
我が事のように一喜一憂しながら
テレビの前に腕を振って応援をしてしまいます。

ましてや、それが我が子なら
それはどんな感情なのでしょうね。

一番はやはり

「無事に終わってくれ」

「ケガだけはしないでくれよ」

で、次が

「頑張れ!」

親の思いって、多分そこに尽きるのかも知れません。
出場している我が子が一人だったらね。


我が子がオリンピックに出場する。
それは親にとっても誇らしい事です。

まして、兄弟・姉妹が揃ってオリンピックに出るなんて
我が家では有り得ない事ですから
尚更、凄いなと感心をしてしまいます。

しかし、競技が終わると<結果>が付いてきます。

兄弟・姉妹の片方がメダリストになり
もう片方が予選敗退だったとしたら・・・?

いや、そもそも
兄弟・姉妹の片方がオリンピックに出場し
同じ競技者であるもう片方は
観戦席から応援なんて事もあったでしょう。

実際、
今回も四姉妹で一人だけ選ばれなかった姉妹もいたそうですし
八年前、四年前の高木姉妹だって当時はそうでした。

その時の親の心境って如何ばかりかとつい思ってしまいます。

嬉しさも有り、何処か切なさもあったりするんでしょうね。
親の気持ちはきっと複雑です。

それでも、親にとっては
みんな誇らしい子供達には違いないんでしょうけどね。


ついつい、
そんな親の目で観戦をしていたオリンピックでした。


我が家の<姉妹>の場合は
姉は体育会系で妹は文化系の部活だったので
そんな思いはしなくて済んだのですが
と、いうか
<トンビは鷹を産まない>の言葉通りでして
まぁ~日々是平穏みたいな?(笑)


ともあれ
次を目指して競技を続行する選手。
今回で競技を退く選手。
それはそれぞれでしょうが
先ずはゆっくり休んでください。

皆さん、お疲れ様でした。
たくさんの感動をありがとう!


同じくらい生まれ持った才能があり
同じように一緒に闘ってくれる仲間がいて
同じくらい応援をしてくれる家族がいて
同じようにサポートをしてくれるコーチやスタッフがいて
同じだけ努力を惜しまずにしたとしても
ひとつの大会ではそれぞれに違う順序がついてしまう


僅か0.01秒が金メダルと銀メダルを分け
僅か1cmの距離がメダリストと4位に分ける


「勝敗は時の運」と言う

何年にも渡る努力の結果が運で左右をされるものなら
そこで出来る差は余りにも無情と言わざるを得ない


勝利の女神はどうやって勝者と敗者を分けるのだろう?

喜びの銅メダルもあれば
悔恨の銀メダルもある

その世界を美しいと見るのか?
或いは残酷な闘いだと見るのか?


でも考えてみれば
オリンピックの10位は世界で10番目という事だ

単純に考えてもこれは素晴らしい結果だ

仮に予選で敗退したとしても
ほとんどの人はその舞台にすら上がれない事を考えたら
その場に名前を刻んだだけで誇りに思って良い


選手それぞれに色々な背景があり
様々なドラマを抱えて勝負に挑んでいる

国を超え民族を超えて
垣間見えるその全てが観た者に感動を与える

「やっぱり世界は美しい」のだと


猫星・犬星

遥か太古の昔
人間の祖先はふたつの星から地球にやって来ました

ふとつの星は犬星と言いました
そして、もうひとつの星は猫星です


一緒に連れて来られた動物は
それぞれ故郷の星の名前を付けられて
それからずっと人間と共に生きてきました

犬は人間の忠実な友として
そして家族として
人間に笑顔と勇気を与え続けてきました

それは人間にとっては希望でした


猫は人間に知恵を授け
闇夜から人間を守り
いつも少し離れたところから
隣人として人間を見守ってきました

それは人間にとっては安心と言えました


狼が満月に向かって吠えるのも
月の遥か向こうに在る故郷を懐かしんでいるのです

猫が時々、宙をじっと見ているのも
時々、目覚める太古の記憶がそうさせているのです

その姿を見て
宇宙や霊と交信をしていると言う人もいますが
実はそれは半分当たっているのです


人間は概ね
犬好きと猫好きに大別されます

猫が嫌いだから犬が好きなのではなく
犬が好きなのです

犬が嫌いだから猫が好きなのではなく
猫が好きなのです

時として、そうでは無い人や
どちらも好きな人
どちらも嫌いな人がいますが
それは、生まれた後の経験やトラウマ
或いは
いつかの時代の中に起きた原因によって
そうなったのであって
本来、人間は犬や猫が好きなのです

それは理屈ではありません

しいて言うなら
人間のDNAに刻み込まれている太古の記憶が
意識をする、しないに関わらず
親しみや愛情となって表れているのです

それこそがつまりは
人間の故郷が猫星と犬星だった由縁なのです


そして幾つもの時代の中で
知識や記憶を次の世代へと伝えて来ました

人間も
そして、犬や猫も
親から子へ、そしてまた子へと・・・


<冬来たりなば春遠からじ>
なんて言います

そうでも思わなきゃ
北国の過酷な冬は乗り越えられません

ましてや
昔は今と違って家の断熱性能も
暖房器具の性能も低かったでしょうから
今とは比べものにはならないくらい
冬を生きるという事は過酷な事だったのでしょう

なので昔の人は
冬が来る度に
自分に言い聞かせるように呟いていたのでしょうね

<冬来たりなば春遠からじ>

なんてね



そうして迎えたン十回目の冬も
やっと二月までたどり着きました

暦を山に例えるなら
そう、峠を越えて麓に下り始めた頃

七合目くらいまではもう下ったくらいかな

もちろん

いくら「節分が終わった」「立春を過ぎた」とはいっても
まだまだ、それはあくまで暦の上での話

寒さは今がまさに盛りではあります
これからも真冬日は何日もあるでしょう

実際、ここ数日だけを見ても
大規模な寒波が日本列島を覆っていて
各地で大雪を降らせています

まだまだ油断は禁物というところでしょう



しかし、二月です

例え、それが暦の上だろうが何だろうが
現実として二月になっているのです

やれ「シバレるなぁ-」とか「雪かきが大変だ」とか
私なんぞも毎日のようにボヤいていますが
それでも
二月に入ると寒い中でも何故かホッとしたりします

何故なら

「来月はもう三月だ!」

そう思う事が出来るから



北国人にとって三月という言葉の響きは格別です

もちろん、北海道なんかでは
五月の連休を過ぎても雪が降るなんて事は
そう珍しい事ではありません

なので

三月になったからといって
「春だ、春だ」と浮かれてばかりいる訳ではありません

でも、三月です

気は持ちようなんて言いますが
三月という言葉を聞いただけで
北国人の気持ちは明るくなれるのです

単純ですか?

でも、それくらい嬉しいんです
南国人には分からないだろうなぁー

北海道では三月に咲く花なんてそうは見ません

せいぜい
ふきのとうが少しだけ顔を見せるくらいです

桃の節句だからって
その辺で桃の花が咲いている訳でもありません

桜どころか梅だって咲いていません

三月も末になって
少し温かい日が続けば
気の早い水仙が少しだけ春を教えてくれるかもしれません

そんなくらいなものです

でも、例え花は咲いていなくたって
三月は確実に北国人にも春を感じさせてくれます

何といっても
太陽が優しくなってくれるからです

同じ太陽のはずなのに
冬には感じられなかった日差しの温もりも
三月くらいになると感じられるようになるのです

実感としてね

二月に入ってしまえば
その三月はもう<来月>なのです



初雪だとか、北風の冷たさだとか
或いは、道草を覆う霜を見ると北国人は冬の到来を知ります

これから始まる長い冬

地域によっては半年と言っても過言ではない北国の冬

その時
自分に言い聞かせるように呟く独り言

「春来たりなば春遠からじ」

呪文のように何度も何度も呟いて
冬を越える覚悟を決めるのです

そして、ようやくこの時期に来て思うのです

「あぁ、やっとここまで来たか」

ここまで来たら春まではもう少し

その「もう少し」が
例え、二ヶ月後だとしても
ここまで来たらどうって事はありません

ありません・・・が

せめて一日でも短い事を願っていたりします


スイスの思想家であり法学者であった
かの「幸福論」の著者カール・ヒルティの言葉

「寝床につく時に
 翌朝起きる事を楽しみにしている人は幸福である」




そうであるならば・・・


”明日の朝は夜更かしをした事を
 又、後悔するんだろうなぁー”

と、思いながら
今夜もまたパソコンに向かっている私って・・・?


いや、でも

明日、誰かが
私の書いた文章を読んでくれるかも知れないって事を
書き手として
楽しみに出来ると言う点では

やっぱり、幸福と言えるのかな?



夜更かしをして文章を書く事と
翌朝の後悔を秤にかけるのは天秤座が故?


でも
どちらが重たいかなんて
それは初めから分かっている


だから今夜も秤の皿に又ひとつ分銅を乗せてみた


もしかしたら
明日の朝は
夜更かしを後悔しないかも知れないじゃない?



例え
後悔をしたとしても
それでもまた明日の夜になれば
性懲りもなく
パソコンに向かっているに決まってる


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人間は思い込みの動物だなんて言う人がいます。
なるほど、確かにそうかもしれません。

例えば、一度間違って覚えた言葉は
直そうたって、そう簡単には治りません。
何故なら、その人にとってはそれが真実なのだから。




八「熊さん、この間<あきばはら>に行って来たんだってな?」

熊「あきばはら? なんだいそりゃ?」

八「あきばはらだよ、あ・き・ば・は・ら。
  ほら、女中茶屋で萌えーとか御宅の聖地とか言うじゃん?
  熊さんも好きだねー。行って来たんだろ?」

熊「八っつあん、それを言うなら<あきはばら>だよ」

八「へっ? おいら、そう言ってなかったかい?」

熊「<あきばはら>って言ってたさ」

八「なんだい、同じじゃないかい。
  あっ、判った!
  そう言って、熊さん恥ずかしいもんだから
  話をはぐらかそうって魂胆だな?」

熊「何も恥ずかしい事なんかしてないよ」

八「良いんだって。何も恥ずかしがる事なんてないさ。
  熊さんも立派な成人男子だもんさ。
  いやね、おいらもさ実はこの前ね、むふ、むふふ」

熊「なんだい、気持ち悪いな。
  それより仕事はこの頃どうなんだい?」

八「おいおい、熊さん、そりゃないよ。
  仕事の話なんか良いから
  おいらの話をもっと掘り下げておくれよ」

熊「又、始まったよ。
  八っつあんの話したがりが。
  良いよ、じゃ聞いてやるから話してごらんよ。
  何だって、何処に行って何をしてきたって?」

八「いや、そう改まられると何だか話しづらいわさ。
  もうちょっと、こうさ。なんかさりげなく聞くとかさ」

熊「なんだい、面倒な奴だねぇ~
  でも、言っておくけど自慢話なら聞いてやんないよ」

八「へっへっへ。いやね。この前、行ってきたんだよ」

熊「何処に?」

八「あきばはら」

熊「だから、あきはばらだって」

八「そう、そのあきばはらだって」

熊「はいはい。で? 何がどうしたって?」

八「行ってきたんだよ」

熊「だから、何処にさ?」

八「だから、あきばはらだって」

熊「それは何度も聞いたよ。
  あきはばらの何処かって訊いてんだよ」

八「むふふ」

熊「なんだい、気持ち悪い奴っちゃな」

八「むふっ。いや、思い出しただけでねコレがさ。むふふ」

熊「・・・」

八「いやいや、おいら初めてだったのに
  めんこい女中さんがね『お帰りなさい、ご主人様』てなんてね。
  で、玉子掛けご飯を頼んだらさ。
  これがアレだ。『ご主人様。美味しくなるおまじないです』
  なんてね。いやいや、あはは。むふふ。
  アレ? 熊さん、どうしたい?」

熊「お前さんに呆れてんだよ。
  良いネ、呑気で倖せな奴だわ」

八「なんだい。そういう熊さんだって行ってきたんだろ?
  なら『ご主人様。フーフーします』
  とかってやってもらったんだろ?
  良いんだよ、隠さなくたってさ」

熊「やってないよ」

八「またまたぁー。絶対やってるって」

熊「やってないよ」

八「なんだい、水くせぇじゃねぇかい?
  おいらと熊さんの仲だ。
  恥ずかしがる事なんてねぇって。
  あっ、おかみさんにも内緒にしておくからさ」

熊「だから、女中茶屋なんか行ってないよ」

八「へっ? じゃ、何処に行ってきたんだい?」

熊「明神様だよ。ご隠居さんが寝込んでるだろ?
  日頃は何かと世話になってるからさ。
  うちの奴が、明神様にお参りをしてこいってさ」

八「で、帰ってきたのかい?」

熊「あぁ。帰ってきたよ」

八「それだけ?」

熊「あぁ」

八「せっかく、あきばはらまで行って?」

熊「あぁ」

八「ないだい、もったいないねぇー
  あきばはらまで行って? それだけ?」

熊「どうでも良いけど。八っつあんさ。
  その<あきばはら>っての何とかならないのかい?」

八「へっ? 何が?」

熊「いいかい? <あきばはら>じゃなくて<あきはばら>
  せっかく女中茶屋に通ったって
  <あきばはら>なんて言ったら笑われちまうぜ」

八「なんか聞いてりゃ、さっきから面倒な奴だね。
  <あきばはら>は<あきばはら>だろ?
  なんで、そこに食いつくかね?
  食いつくなら女中茶屋の玉子掛けご飯だよ。
  『おまじなーい』なんて言われた日にゃ
  寿司やすき焼きなんか、もう目じゃないね」

熊「やれやれ。
  まるで、『お医者さんでも草津の湯でも』だね。
  付ける薬はないよ」

八「おいおい、なんだい。ひとを病人みたいに。
  おいらは至って健康男子だよ。
  それよか、熊さんの方こそアレだな。
  ムッツリなんとかってさ。
  女中茶屋なんか行ったら一発で本性があわらになるって奴だわ」

熊「お前さんと一緒にするんじゃないよ。
  ってか、<あわら>ってなんだい?
  もしかして、<あらわ>って言いたかったのかい?」

八「へっ? おいら、そう言ってなかったかい?」

熊「<あらわ>を<あわら>って言ってたじゃないか?」

八「なんだい、同じじゃないかい。
  あっ、判った!
  そう言って、熊さん恥ずかしいもんだから
  話をはぐらかそうって魂胆だな?」

熊「何も恥ずかしい事なんかしてないよ・・・
  て・・・ん? なんかデジャブってないかい?」

八「誰がデブだって?」

熊「いやいや、デジャブだよ、デジャブ」

八「シャブシャブ?
  あっ、そういや今度あきばはらに
  女中牛鍋屋が出来たとかエスエヌエスに載ってたっけ。
  そうだ、早速行って来なきゃ!」

熊「エスエヌエスってなんだい?」

八「なんだ、知らないのかい? 熊さん、遅れてるねー
  エスエヌエスってな、今度出来た<からわ版>の事だよ。
  色んな町の情報が載っててさ、
  読んだら皆して<良いね>って言うのが流行ってるんだぜ」

熊「そりゃ、瓦版ね?
  なんか、おいらも八っつあんの通訳みたいになってきたね。
  言ってる事が直ぐに分かるようになってきたよ」

八「何を独りでツブツブ言ってんだかね」

熊「はいはい、<あきばはら>でも何処でも行っといで」

八「おうよ。言われるまでもねぇや。
  そうじゃ、早速行ってくら」

熊「で? 何処に行くんだっけ?」

八「あ・き・ば・は・ら! そいじゃなー」

熊「ありゃ、やっぱ『お医者様でも草津の湯でも』だね。
  死んでも治らない」


支え合う

人間は弱い生き物です

独りで出来ることなんて
たかが知れています

だから人間は支え合わなければなりません


独りで何でも出来るなんて思い上がりです

独りで生きて行けるなんて
本当に独りになったことの無い人間の
根拠の無い単なる強がりです


三年B組金八先生の中の有名な言葉

「『人』と言う字は支え合って出来ています」

そんな台詞がありましたが

それでは
人間の「間」にはどんな意味があるかご存知ですか?

もちろん
「人と人との関係・間柄」
つまり、人は人との間(関係の中)で生きていくもの

それが、そもそもなのでしょうが
他方では「間」には

「二点間の隔たり(長さ・距離)」

「タイミング」

「部屋」

そんな意味もあります




実はもう一つ意味があります


「間の良いことに」

「間が悪かった」

良くそんな言い方をしますが

「良くも悪くも巡り合わせの妙」

つまり「間」には
“めぐり合わせ”という意味があるんです


つまり

”めぐり合わせの中で出会った同士が支え合う”

それが「人間」なのです


でも

いくら”支え合う”と言っても
お互いが向かい合わなければ支え合うことは出来ません

お互いが横同士でもたれかかっているだけでは
何かの拍子にすぐにズレてしまいます

”面と向かう”

正面から向かい合わなければ
本当の意味で支え合うことは出来ないということです

それは家族はもちろん
友達同士でも職場においても
それから夫婦の間でもね


”そういう自分はどうなんだろう?”


自問自答の答えを探しながら夜は更けていきます


今年のおみくじ、運勢は「大吉」と出ました!

良くおみくじで大吉を引くと
「後は下がるだけ」等とやっかむ輩がいますが
良いですか?
私が引いたのは<今年のおみくじ>ですからね。

つまり私の今年は須く大吉祭りという事でしょう!

私が自分で言うんですから
これ以上確かな事はないでしょ?

ねっ? ねっ? ねっ?

えっ?

来年・・・もし、凶だったらどうする?

そりゃ、あなた。
「今日は凶。今年はこれから運は上がっていくだけ!」

もちろん、そう言い切りますって。

えっ? それはずるいですって?
じゃ、訊きます。

「あなたは良い占いと悪い占いのどっちを信じますか?」


2018おみくじ-330


<さびしさに何とはなくて来てみれば
 うれし桜の花ざかりかな>

うん、良い句ですね~

なぁ~んとなく行ってみたら酒池肉林の桃源郷だった。

むふ♪

むふふ♪♪♪

いやぁ~ ホントにそんな目に遭って良いのかしら?

むふ、むふふ♪



で、次は・・・何々?



<おもうがままになる運です
 すべて心のままになるでしょう>

おー、マイガッ!

ホントに?
リアリィ?

ワオォォォ~~~!

最高やん♪

これってば、もしかして世界征服もいけちゃうんじゃね?

だってば、これはおみくじ。
すなわち、神様のありがたい御言葉だよね?
つまり、神様のお墨付き・・・むふ♪

したら、酒池肉林の桃源郷なんて
世界各地に支部まで出来ちゃうやん、いやぁ~ん♪

おー、マイガッ~ガオォ~~~!



オホン、おっといかん。
つい、取り乱しちゃいました、私とした事が。

むふ、むふふ♪←にじみ出る妄想癖、今年も健在



いやぁ~新年早々こんなで良いん?
初夢さえ見逃したのに・・・

いやいや、アレだな、これは。

「お前に似合うのは夢なんかじゃない!
 妄想を現実にする<能力>だ!
 それを叶えて進ぜよう!」」

とか?

そういう事だべか?

むふ、むふふ♪



で・・・と。

総論は良~~~っく理解出来ました。

で、各論は・・・と。



<願望>
 心ながく思うてせよ
 叶いましょう

ほらぁ~やっぱりね。
アレ、叶っちゃうんだね~

良し、念じるぞ!

ヤー! ター! トォー! セイッ!


<待人>
 おそけれど来る

えっ? 遅く来るの?
時間にルーズな人・・・なのかな?

ん~誰だべ?
ガッキー? さとみちゃん? 美玲ちゃん?
それとも・・・
架純ちゃんとか、ま、まさかの深キョンとか?

もしかして、すずちゃんとか?
ねぇ、里帆ちゃんだべか?

あー、「おそく」って夜遅くって事?

いやだぁ~ そんな時間に何するのぉ? むふ♪


<相場>
 上昇する 利あり

いやだぁ~ 儲かっちゃうの?
したら今年は宝くじ買っちゃう!!!


<恋愛>
 愛を捧げよ 倖せあり

もぅ~~~♪

カ・ラ・ダが保たない♪♪♪



さすが、大吉よねぇ~
効力が半端ないわぁ~

今からこんな倖せで良いのかしら?

自然とニヤケてしまうワン・・・戌年だけに?

なぁ~んて、今年はダジャレも決まっちゃうワン!

そう、戌年だけに!

なぁ~んて世界はワンダホー♪




さてさて、どうやら
今年も私の妄言は健在のようですが ←自分で言う?
はたして、いつまでこんな調子で乗り切れるやら?

長かった正月休みも月曜日でお終いです。

火曜日からは
又、現実が待っている訳です。

とは言え
まぁ~だからって私の性格がそう簡単に治るはずもなく?

今年もボチボチ・・・いや、ポチポチと歩いていきますか。

戌年だけに?

どうか、少しでも良い<棒>に当たりますように。

<大吉>クン、頼むよ!


謹んで新年のお慶びを申し上げます。

皆様にとりましても
希望に溢れる一年となりますよう心からお祈り申し上げます。

本年も懲りずに?飽きる事なく?
決して、決して、私めを見捨てる事などなきよう
なにとぞ、なにとぞ
変わらぬお付き合いを連と重ねましてお願い申し上げます。


とか

まぁ年初ですので
一応、真面目な言葉をチョイスしてみましたが
こんな言葉使い慣れないものだから
いやぁ~打ち間違い、変換間違いの多かった事!?

何か変くなかったべか?(笑)


さてさて、今年は戌年です。

犬と言えば
例の?
犬も歩けば何とやらなんて言葉がすぐに浮かびます。


「じゃ、出歩かなきゃ棒で叩かれる事もないんだ。
 そっか、じゃあ引き籠もっていれば良いじゃん!」

いやいや、それは違いますよね?


確かに、そもそもの意味は

”犬がふらふら出歩くと
 棒で殴られるような災難に遭ったりする。
 じっとしていれば良いのに
 余計な行動を起こすべきでない”との戒め

の、意味でしたが

現在では、「当たる」という言葉の印象からか
何かをしているうちに思いがけない幸運が<当たる>という
反対の意味で使われていたりもします。


行動を起こすと、
幸運な事でも災難な事でも
何らかの経験をする事が出来ます。

つまり、良くも悪くもですが
じっとしていると
そのような事は出来ないので積極的に行動すべきでなのでしょう。

その結果が吉と出るのか?
或いは、凶と出るのか?

先の事って
気にする人は気にするし
気にしない人は気にしないでしょうね。

転ばぬ先の杖タイプの人もいれば
後悔先に立たずというタイプの人もいます。

果たして、どっちの生き方が良いんでしょうかね?

いや、どっちがどうというのはないのかも知れません。

単に生き方の問題なのですから
他人がどうではなくて
自分がどうなのかですしね。


例えが合っているのかどうかはともかくですが

「してする後悔としないでする後悔。
 どっちの後悔が大きい?」


結果はもちろん結果ではあるけど
それが人生の最終結果かと言えば
まだまだ、それが分かるのはずっと先の事だとするなら
今はそれを考える時ではないのでしょう。


さてさて

今年のあなたは
「歩く犬」になりますか?
それとも
「歩かない犬」になりますか?

そんな問われ方をしたら
多分、多くの人は

「もちろん歩く犬だよ」

そう答えるでしょう。

だって、意地悪な訊き方ですものね。

じゃ、意地悪を分かっていて敢えて訊きましょう。
自分にね。

「お前はどっちの犬になるんだい?」

それはもちろん!




答えの結果は今年の年末に(笑)



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