Neko

夢の汽車に乗って エッセイ

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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ネコヤナギ

そう言えば
いつもこの頃だったっけなぁ~


私が小さい頃。

春先になると母が何処からか
ネコヤナギの枝を切ってきて家で飾っていました。


花瓶に挿していると
ネコヤナギの白い綿ぼうしが少しづつ膨らんで・・・

それを触るのが好きだったっけ。


外は寒くても家の中では
少しだけ春の息吹きを感じられたものです。


春には菜の花を飾って
夏が過ぎた頃にはホオズキ。
そして、十五夜の頃にはススキを飾って。


田舎だったから出来た事かも知れませんが
季節それぞれの風情がいつも家の中にもありました。


考えたらどれも
家の周りにあるものばかりだったんですけどね。


でも今は
勝手に切って来ちゃダメなんだろうなぁ~


第一、菜の花やススキはともかく
ネコヤナギなんて
しばらく見て無いんだって事を思い出しました。


今は花屋さんで買うものなのかな?


庭の林檎の木の芽もまだ堅いけど
せめてそんな小さな風景を眺めながら
春が満喫出来る日を楽しみに待ちましょうか。


若い頃は失敗をするものです。

根拠のない自信は若さの特権でもあるし
頭で考えるより先に行動をするのが若さなら
そこに失敗は付き物です。


若い頃は色々な事に悩みます。

いくら本を読んで知識を貯め込んでも
いかんせん、実際の経験が少ないのですから
判断に迷って当たり前なのです。


若い頃の後悔はたかが知れています。

悔やまれる事が仮にたくさんあったとしても
それ以上に次から次へと新しい事が起きるから
後悔をする暇がないと言った方が正しいのかも知れません。



若い時って失敗をした時も
友達の手前
強がっては見せるけど
それが違う事は自分が一番解ってはいるのです。

でも素直に自分の失敗を認められない。

いや、それよりも
自分の弱いところを友達に見せたくないんです。

しょうもない事に意地を張って
張子の虎のように脆い虚勢で自分を守ろうとする。


今にして思えば
やっぱり若かったんでしょうね。

でも
怖いもの知らずなだけだったかも知れないけど
行動力だけはあったんだよね。

失敗はいつでも取り戻せると思っていた。

だから余計に他人に弱みを見せまいと
意地を張っていたんだと思う。

それも今考えると根拠のない自信だったんだけどね。



若い頃のそんな事を思い出しては
「若気の至りだったなぁー」
と苦笑いをします。

時には自嘲気味にわざとふざけて
「若気の行ったり来たり」
なんて言ったりもします。

どっちにするかあれこれ悩んだり
後悔をしたかと思うと
次の瞬間には
「いや、そうじゃない」
と、自分を弁護してみたり。
で又、次にはやっぱり後悔したりと
だんだん自分の気持ちが解らなくなります。

まさに<行ったり来たり>ですよね。



じゃあ、五十代も終盤の今はどうなんでしょうね。

あの頃の自分を<若気の至り>だなんて
笑い飛ばす事が出来る自分になっているんだろうか?


失敗を恐れ
悩む事から逃げようとし
後悔をする事にも怯えています。

考えてみると<大人>って便利な言葉だね。

慎重に行動が出来るのが大人なのだ。
客観的に冷静に判断できるのが大人なのだ。
バカな事はしないのが大人なのだ。

言い訳をもっともらしく正当化できます。

「大人はね」

何でも解った風な口で言えば
偉そうに聞こえるよね?

そう、口だけなら何とでも言える。



でも、それで良いのかな?
自分に問い掛けてみる。

「枯れる事を大人になるとは言わないだろ?」

残りの時間を気にしたりだとか
今の自分に拘ったりだとか
あの頃の俺が見てたら
きっと腹を抱えて笑ってる。

いや、情けない顔で俯いているかな?

もし泣いていたとしても
それは少なくとも同情の涙ではないだろう。


年相応の自分にはなりたいと思う。

色々な経験もしてきたし
今だから解る事もたくさんある。

でも、だからって
<大人>を振りかざす大人にはなりたくないよ。


3月とは

2月は逃げると言う。

確かに他の月からみたら2月は日数が少ない。

暦を考えた人も少しでも早く春になって欲しかったんだろう。
でなければ職業はきっとサラリーマンだ。

少ない勤務日数で給料は同じ。

サラリーマンが思う事はみな同じ。



3月は去ると言う。

年度末は何かと忙しい。

今年度の売り上げの総決算だ。
しかも、新年度の予算も作らなければならない。

転勤族にとっては転勤や異動の辞令が下りるのもこの時期。

精神的にも肉体的にも忙しくない訳がない。

従って、暦を考えた人もきっとサラリーマンだ。

でなければ3月生まれの申年。
忙しい時ほどくだらないダジャレを思いついたりするものだ。



「逃げた女房にゃ未練は無いが」

大昔、そんな演歌があったが
逃げた2月にも未練なんぞあろうはずが無い。

なぜなら今日からは3月だ。

「3月は去る? いや、3月は春だね」

そんな本州人を尻目に北国人は思う。

「3月はまだ春とは言えない。
 でも来月には春が来る。そう思えるだけで嬉しくなるよ」

春を待ち焦がれていた北国人にとっては2月と3月の違いは大きい。



「冬と夏の間に春を置きました。
 だから春は少しだけ中途半端なのです」

昔、そんなフォークソングがあった。

それはきっと正しいのだろう。

でも、この中途半端を何よりも待ち望んでいるのは北国人。

四季彩々のこの日本に於いても
北国人ほど四季のそこに喜怒哀楽を見つけられる人はいないだろう。

ただ、本州人からしたら季節も
本当は少しだけ遅くズレているかもしれない。

でも、そこが良い。

北国人は美味しいモノは後に取っておく。
我慢には慣れているしね。

だから「春よ、早く来い!」なんて野暮は言わない。

春を待つこの季節は悪くない。

サラリーマンにとって一番嬉しいのは休みの日ではない。
金曜日の仕事が終わったその夜なのだ。

そんな休みの前の夜にも似た月が3月。
心が浮かれない訳がない。

さぁ、春までもう少し。


退院後の体調も戻り
私の仕事も身体も通常営業に戻ったのですが・・・
いや、そのはずなんですけど何かね~
最近、夜、パソコンに向かうと
途端に妄想するより先に眠気に襲われるんですよね。

確かに仕事はここ何年かで見ても
比べものにならないくらいずっと忙しかったり
私にしては珍しいくらいに
精神的にストレスを感じる事も増えてはいるんですが。

仕事も身体も元に戻ったのに心の体調はまだ不良中?

でも、だからと言って
そんな事くらいで妄想が出来なくなっただなんて
それこそ
妄想族の名折れじゃあ~りませんか!

ねぇ~?

この私が妄想を出来なくなったら
それはもう、そんな奴は<私>ではありません。

ってか、私から妄想を取ったら何が残る?
いや、何も残らないでしょう!

おっと、これって自分で言う事だべか?

思わず自爆・・・いや、自虐?
或る意味、自縛?(笑)


ともあれ

私の心は
今や不健全になり下がってしまったのでしょうか?


思えば今月に入ってからその兆候はありました。

なので、厄払いの為に
今年の節分はいつになく力を入れました。

節分の恵方巻きも食べたし豆撒きもちゃんとしました。

「鬼は外~、福は内~」

ま、まぁ~

神様をおちょくった訳では無いけど
撒いたのはチョコだったから・・・

やっぱ、神様が怒っちゃった???

(決して<似た言葉三段ダジャレ>ではありません!)


実際、13日に入院をしてから今日に至るまで
そんなこんなあんな訳でして
しばらく妄想が出来ていません。

と、言うか出来ないんですよ。

美人の看護師さんを見ても・・・

それは重症・・・って、おいおい!(笑)

もとい!

私の唯一の取り柄であった
<健全な妄想>が出来なくなったなんて!
そこまで私の精神は自堕落になってしまったのでしょうか?


今ほど思い知らされる事はありません。

<健全な妄想は健全な肉体に宿る>

うん、昔の人は良い事を言ったものですね。


えっ?

何か違う?

そ、そうですか?


ん~~~~~

今の私には解りません。

まだ頭がちゃんと回転をしていないようです。


早く、<健全>な妄想が出来るように
自戒して心の体調管理に努める事にします。


時節柄、皆さんにおかれましても
ぜひ、ご自愛をお忘れなきよう・・・かしこ。


路傍の人

<路傍の人>とは
 ”道を歩く人、道端ですれ違う人”

そこから転じて

”自分とは無関係な人”と言う意味にも使われます



確かに

東京などの大都会に行くと
何処に行っても
何千、何万と言う人の群れとすれ違います


その街をたまたま訪れただけの異邦人にとっては
その全てが路傍の人と言う事になるのです



ネットを観ていても
数えきれない程のサイトやブログが存在し
多くのSNSが存在し
そこに出入りする無数の人達がいます

そのほとんどが

自分にとっては
やはり路傍の人と言う事になるのでしょう



ならば

そこにおける自分は
路傍に転がる
”ただの石ころ”
そんな存在に過ぎないのかも知れません

何も無ければ誰も気に留める事もないような
何処にでも在るただの石ころ



でも
路傍の石ころにだってつまづく事も有ります


その石ころに僅かに含まれる石英が
光に反射をした時

ふと
「何?」と手に取ってみる事も有ります



その瞬間

石ころにも縁が生まれます


ただの石ころだった自分が
人によって活かされる

そんな事だって生まれるかも知れません



その後

その石ころが
何処かにすぐ捨ててしまわれるのか
誰かのポケットにそっと大事にしまわれるのか

それは運命に
委ねるしかないのでは有りますが・・・



ならば
路傍の人とて全くの無関係とは言い切れません

そうであるならば
自分は
路傍に転がるただの石ころだと嘆く事もありません



神様のちょっとした気紛れにしろ悪戯にせよ
出会った事の偶然を
自分が一歩踏み出す事で
必然に変える事が出来るかも知れないのですから



キッカケを活かすも活かさないも自分次第です


つまり

関係、無関係とは
自分が作り出す所業に他ならないのです


初体験

まさか
アラカンのこの歳になっても尚
初体験なんてモノが
この私にあるとは思ってもいませんでした。

人生の有頂天から挫折まで
自慢じゃないけど
大概の事は経験をしてきました。

50歳を前にして
中学生、小学生の子供もいた中での
リストラさえも経験しましたからね。


「いくら何でも今更、初体験なんて無いないべ」


アラカンですよ。
普通はそう思いますよね?

でも、有るもんですね。


てな訳で
今週、初体験して来ました。


行き先は自宅から車で約20分。
2泊3日のお泊まり中に与えられた食事は2回のみ。
拉致監禁?
辱めと優しさの交互責め?


って・・・どんな初体験やねん?


と、まぁ~
勘の良いソコのあなた!
皆まで書かなくても既に感づいているよね?

はい、大正解です!
都合により間違っていても正解!(笑)

何かね。
もっとアレコレ書いて
読み手を違う方向に導こうと思ったんだけど
シャバを離れて情報と隔離された生活をしていたせいか?
はたまた、単に私の思考回路が不調なのか?

いつもならスラスラ出てくるUSO800ターボが
今日はずいぶん不調です。


で・・・素直にならざるを得ず書くならば(笑)


恥ずかしながら私。
この歳で初入院&初手術を体験してきました。

大腸ポリープ内視鏡切除という奴でして。

月曜日午後に入院。
火曜日の午前中に手術。
水曜日午前中に退院。

で、木曜日から仕事に復帰をする訳です。
私ってば日本のサラリーマンの鏡だよね?

でしょ? でしょ?(笑)

まだ、この後も1週間程度は
身体に過度な負荷は掛けられないのと
食事なんかでも多少の制限があるくらいで
それらの節制さえちゃんと出来れば
何とか経過も良く過ごせそうです。

これもひとえに皆様方の応援の賜物かと
感謝を致す次第でございます。

えっ?
そんなの知らなかったから応援もしていない?

まぁ、そこは以心電心、気は心でしょ?(笑)

 (注)以心電心の電はネットの意。
    以心伝心の変換間違いではない


ともあれ、私的には3日ぶりのPCですので
張り切って色々と有る事無い事を書きたいところですが
退院をしてきたばかりの日に
こんな夜更かしをしているのは家人にもはばかられる訳で
今週中くらいは夜中のPCも
少し大人しくしていようかと思っている次第です。

てな訳で(笑)


時の流れ

光陰矢の如しとは良く言ったもので
過ぎた日々は一瞬の瞬きです


それを更に実感させるかのように

1日、1週間、1ヶ月が
歳と共に早くなって来た気がします

そして、もちろん1年も



色々と考える事
想いに耽る時間が多くなったのは
これはある意味
時の流れへのささやかな抵抗?

いや、それとも
これから先にある得体の知れないモノへの畏れ

つまりは焦りなのでしょうか?



若い頃、時間は無限でした


自分が50代になる事など思いもしなかったし
挫折も後悔も全てがいつの日か
希望へと変わるものなのだと信じていました



不思議なもので気持ちだけは
20代の頃と何も変わってはいないのです

あの頃出来た事は
今でも出来るものだと信じて疑ってはいません

確かめた事はありませんが(笑)


これも
ひとつの現実逃避と言う奴なのでしょうか?

ただ
認めたく無いだけなのかも知れません


まぁでも
それを確かめるのは今はまだ止めておきましょう


少しでも
時の流れにブレーキをかけておかなきゃね

せめて自分の心持ちに於いては


そうだよね?


暦の上では

立春を過ぎる頃には
九州などでは梅が咲き始めるそうですが
北海道で咲いていると言えば
せいぜい雪の花くらいでしょうか

ここ十勝でも
春の気配すらまだまだ感じられません


確かに
12月と比べると日は長くはなって来ました

1月と比べても
昼間の気温は少し上がってきたような気もします

最低気温は未だに-10℃を下回っているんですけどね


立春も北海道人にとってはあくまで暦の上での話です


北風と太陽の寓話がありますが
この時期の太陽がいくら頑張っても
旅人のコートなんぞ脱がせられないでしょう

もっとも
北風が強く吹けば吹くほど
これまた
旅人は余計にコートをしっかりと押さえますから
北風がコートを吹き飛ばす事も出来ません

この勝負は引き分け

まぁ、それじゃ寓話にもならないでしょうが
それが今の北海道です


俳句の季語が春に変わっても
北海道の俳人は春を探す事すら出来ずにいます


それでも
例え、暦の上での話だけだったとしても
「春」の一文字が目につくだけで
北海道人の気持ちは少しだけ明るくなります

暦を一枚めくる度に
春を待つ季節から春を迎える季節に移っていきます


北海道の春は
陽射しの暖かさや咲く春の花より先に
人の心からゆっくりと始まっていくのです


自然の摂理

冬になると動物は皮下脂肪を蓄え
毛を冬仕様に替えて保温効果を高くして
寒く厳しい冬を耐え抜きます。

そんな風に
生きる為の適応力を身に付けた<者>だけが
次の春を迎える事が出来るのです。

それが自然界の掟
すなわち自然の摂理です。


と、思っていました。


でも・・・

広葉樹はと言うと
幹の皮を厚くする訳でも無く
逆に葉を落とし幹も枝も寒風にさらします。

何故?

葉を残した方が寒さから身を守れるはずなのに。



宗教家はこう言います。

「一年を一生に例えるなら冬は死。
 そして春は再生なのです。
 人が生まれ変わる為に死ぬように
 樹木も又、再生する為に死ぬのです。
 転生こそが神の教えなのです」


植物学者は反論します。

「いや、樹木は葉を落としたとて
 決しては死んでいる訳ではありません。
 己を自ら厳しい環境に身を置く事で
 更に幹が太くなる事を樹木は知っているのです」


哲学者は呟きました。

「樹木はそこに在るがゆえに樹木なので
 それ以上でもそれ以下でも無い」


小説家はおもむろに言いました。

「裸の王様にしてもドンキ・ホーテに例えても
 樹木は決して喜ばんだろうな。
 何故なら、死ぬも生きるも
 そんな事は樹木は考えてはおらん。
 在るがままなのだ」


画家はこう言いました。

「でも、見てごらんなさい。
 極限までそぎ落としたシンプルな構図。
 これこそが自然の作り出した
 見事な芸術じゃないですか!」


植物学者はやれやれと言った体で
改めて解説を始めた。

「広葉樹は広い葉によって
 効率良く光を吸収できるが逆に蒸散も多い。
 又、針葉樹の仮導管と違い太い導管を持っています。
 その為、寒い冬には導管液の凍結と融解によって
 導管内に気泡が生じ導管液が送れなくなるので
 これを避ける為に
 ある程度寒い地方に適応した落葉広葉樹は
 秋になると葉を落とし
 水分の消費を抑えて休眠状態で春を待つんですよ」


それらを聞いていた子供が言いました。

「何だかんだと言っても
 動物と違って木は動けないものね。
 その場所で出来る事を考えただけなんだよ、きっと」


植物学者も宗教家も哲学者も
小説家も画家も
みんな唖然として顔を見合わせました。

そして次の瞬間
みんなで大笑いをしました。

子供が訝しげに大人達を見回していると
植物学者は子供に向かって言いました。

「そうだね。
 君の言う事が一番みんな納得出来たみたいだよ」



なるほどね。
私も納得出来たよ。

良く<自然の摂理>って言うけど
自然は難しい理屈を考えている訳では無い。

ただ、自分の置かれた立場で
出来る事をし続けた結果なんだよね。

なるほど。。。


振り子

確かに人の心は変わりやすいものです


時として

それも自分の意思とは裏腹に
全く思いもよらぬ方向に変わってしまう事もあります


例えば

大好きだとか大嫌いだとか
振り子の振れ幅が大きければ大きいほど
気がつけば
いつの間にか真逆に振り切ってしまっているとかね


可愛さ余って憎さ百倍なんて言葉がありますが

好きよりも大好きの方が
嫌いになった時の反動もまた大きいのです


そして同じくらいの確率で

ただの好きよりも大嫌いな相手の方が
いつの間にか大好きになっていたりします


或る種の自己制御不能状態?

それがまぁ
人生の妙と言うか面白いところなんでしょうかね


でも、それは逆に言えば

良くも悪くも
それだけ心に占めている割合が
大きかったと言う事なんでしょう


最初から最後まで好きでも嫌いでも無い
言い換えれば
どうでも良い相手なら
結局はいつまで経っても
心の振り子が振れる事は無いのですから




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