Neko

夢の汽車に乗って エッセイ

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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シワスイッチ

いやいや、別に
スイッチをポンと押すと
身体中、顔中がシワシワになるスイッチ
なんて、そんなホラーな話ではありませんよ

もちろんね

第一、私はホラーは苦手です
なんせ、高所恐怖症ですから?


そんな話はともあれ
世の中は今年もついに師走に突入です


そもそも
いったい誰がこの時期を師走なんて言い始めたんでしょうね

「盆暮れ」なんて言葉があるように
確かに、お坊さんは暮れも大忙しなんでしょう

なので

江戸時代辺り(適当ですが)
年の瀬にお坊さんが街中を忙しそうに
バタバタ、ドタバタと走っていたのを
誰かが見て衝撃を受けて叫んだんでしょう

「あっ、これって坊走じゃね」

それを他の誰かが又聞きをして

「おいおい、知ってるかい?
 みんなで暴走しなきゃなんないみたいだぜ」

それを聞いた他の誰かが勘違いをして

「江戸の街で暴走なんてとんでもねぇ!」
「いやいや、走っていたのは坊さんで」
「坊さん? すわ、門徒一揆か?」
「いやいや、問題ないっき」←苦しいダジャレ?
「問題ないことはないだろ?」
「ワイワイ」
「ガヤガヤ」
「すったもんだ」
「何じゃらホイだら」

そこへやってきた知ったかぶりのご隠居さん

「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。
 これは唐の国の名物で、師走と言うのじゃ」
「しわす? そりゃ、何ですかい?」
「普段は滅多に走ったりしない坊さんでも
 この時期には忙しくてあっちこっちに走るってことさ」
「そういや、おいらもいつもこの時期は
 金策に走り回るわな~そういう事かい?」
「まぁ、そんなもんじゃろ」←けっこう適当なご隠居さん


まぁ、そんなこんなで
めでたく日本に「師走」って言葉が定着をしたようです

(一番、適当なのはお前だろ?)←影の声

へっ? そ、そんな訳ないし!


さてさて、それもともかく
いったい、誰が「師走」のスイッチを押すんでしょうね?

「12月になったぞ~
 さぁ、みんな走れよ~! それ、ポン!」

とか?

で、それって誰?

というか、それはきっと他の誰でもなくて
各自が自分で自分のスイッチを押すんでしょう

他の月であれば
少しくらい遣り残した仕事があっても
それは翌日(翌月)やれば何とかなります

でも、年末は別ですよね

お尻が決まっているというか
ゴールが決まっているというか
仕事納めになると強制的に遮断機が下りるというか

つまり、普段の月締めはゴールへの一里塚みたいなもので
そこを過ぎたら次の一里塚まで走って
そこを更に過ぎたらその次の一里塚まで・・・

マラソンで言えば10km地点とか20km地点みたいなものです

で、年末の仕事納めが
否が応にもゴールという訳です

してみると12月は最後の直線
ラストスパートです

そりゃ、誰もがスイッチを押されなくても
必死に走るというものです

えっ?

「それじゃ、3月の年度末はどうなんだ?」

ですって?

そ、それはですね~

年末を年度末に書き換えて
同じ事を書いてごまかします! エッヘン!

(おいおい!)



今年、良い事がたくさんあった人は
その調子で新年も突っ走れるように

今年、良い事なんてまるでなかった人も
年が変われば潮目も変わることを期待して

まぁ~極めて平々凡々だった人は
それが一番の幸せなんだと自分に言い聞かせて

良い年明けを迎える為に
みんなで頑張ってラストスパートしましょ!


今年も残り僅かです

シワスイッチオン、ポン!


ネタ

PCの電源を入れた。

「さぁて、今夜は何を書こうか」


PCを立ち上げて30分。

珈琲が美味しい。


PCを立ち上げてやや1時間。

3本目の煙草に火を点けてみた。


PCを立ち上げて1時間半と少し。

ちょっと飽きてきた。


PCを立ち上げて2時間が経過。

気晴らしか?
眠気覚ましか?

冷たい水をグイッと一息で飲み干した。


PCを立ち上げて2時間と37分と8秒。

PCの電源を切った。








「おいおい、それだけ?」

何が?

「何がって・・・
 ほら、いつもはある事ない事を書いてんじゃん?
 今夜はどうすんだよ?」

まぁ・・・
そんな夜もあるって事さ。

「そんなんで良いのか?」

だって、ネタがないと書けないんだもの。
おとなしく寝た方がマシじゃない?

「おっ、上手い事を言うじゃん。
 それだよ、それ!」

へっ?

「へっじゃないって。
 ネタなんて何処にでも転がってるなんてさ。
 お前、いつも豪語してんじゃん?」

そんな事、言ったっけ?

「あぁ、いつも自信満々にね」

でもさ。
どんなに頭をひねったって
出ない時は出ないんだよ。
仕方ないよ。

「仕方ないで済んだら警察はいらんわ」

何それ?

「オホン、ともかくだ。
 何か書くまで絶対に寝かせんぞ!」

じゃ、何かネタを提供してよ。

「ネタ? 俺に?」

あぁ、お前にだ。

「俺は・・・それ、専門外」

なんだよそれ?

「そういや、逆にさ」

うん?

「ネタってそもそもどう言う意味だか解る?」

ネタ?
まぁ・・・話題とかさ。
話のテーマとか、そんなんじゃないの?
お笑いなんかではネタって良く言うよね?

「そうだね。
 おー、だから、ネタなのかな?
 話を練ってオチまでのストーリーを作る。
 そのストーリーがネタだろ?
 つまり、練ったから来てるとか?」

話を練ったからネタ?
ちょっと無理があるんじゃない?

「そっか、良いヒラメキだと思ったんだけどな」

正解は<種>を逆さにした言葉らしいよ。
業界用語的なかどうかは知らないけどさ。

「何だよ、知ってんのかよ?
 それってギンザをザギンみたいな?」

まぁ。
種みたいなひとつの言葉を膨らませて
それで話を作って行く。
お笑いの場合はオチまでの展開って言うかさ。

「なるほど。
 さすがに説得力があるね」

お前に言われても嬉しくはないけどね。

「までも
 何となく話のヒントになったんじゃない?」

そう?

「そうだよ。
 ほら、こうして何だかんだと
 もうだいぶ書けたぜ」

おー、ホントだ!

「だろ? 俺に感謝しろよ」

でもさ。

「おいおい、スルーか?」

困った時は見方を変えてみるって大切かもね。
ひとつの言葉に縛られているとさ
それしか見えなくなるけど
同じ言葉でも見方をちょっと変えただけで
違った答えって出て来るもんだよね。

「やっぱり俺に感謝だろ?」

誰に?

「だから俺様にだよ」

自分でそんな事を言えるかい。
独り言なのに。

「おいおい、それを言っちゃ・・・」

良いんだよ。
これもネタだから。


責任転嫁論

得られなかったら
「縁が無かった」と思えば良い

逃してしまっても
「縁が有れば又、手に入る」と思えば良い

そうしたら
自分の責任にしなくて済む

そうしたら
自分を責める事もせずに済む

例え

その縁が今生で叶わなくとも
それは来世かもしれないし
もしかしたら再来世かもしれない

それでも叶わなかったとしても
あくまでも「縁が無かった」だけである

しかし

万が一でもそれが叶えば縁は運命になる

但し

確かめる術は無いのだけれど

いや、むしろ

確かめる術が無いからこそ
自分を救う事が出来るのだ


十一月

いよいよ十一月です


一年をひとつの物語に例えるなら
さしずめ
十一月と言うのは
一年の大団円に向けて
これから事態は急展開を迎える頃

と、でもなるのでしょうが

北海道人にとっての十一月は
冬への急展開を怖れて
出来るなら変な刺激はせずに
なるべくそっとしておきたい季節でもあります



霜月という名が表すように
この頃から
だんだんと朝晩の冷え込みが厳しくなります

やがて
氷点下の朝も珍しくなくなってくると
路上の乾いた枯れ葉を
シベリア下ろしの北風が押しのけて
風花のベールを身に纏った
冬将軍の軍団が今年もやって来ます

ホント

毎年、毎年、冬将軍ご一行様は律儀なんだよね

決まってこの時期になるとやって来るんだから
誰も頼んじゃいないのにね



春には春の綱引きがあるように
秋には秋の綱引きがあります

秋が勝ったかと思えば
次は冬が負けじと秋を打ち負かします

再び秋が意地を見せて
押し寄せてくる冬を押し戻します

一進一退の攻防を幾度か繰り返して
季節は移ろっていきます

確実に冬へと



冬への覚悟を決める頃

それが北海道人にとっての十一月でもあります

「冬来りなば春遠からじ」

冬が来なければ春も来ません
冬の厳しさがあるからこそ
春があんなにも愛おしいのです

えっ?

今から来年のことを言うと鬼が笑いますか?

良いじゃないですか

あの厳つい鬼が笑うなんて愉快です


厳しいシバレの中では
寒さに自然と肩を窄めるようになり
歩く足にも無用な力が入ってしまいます

必然と
話すことさえも億劫になったりします

口を開けると
ここぞとばかりに冷たい空気が入り込むしね

そんな中だと
笑い飛ばせはしないかも知れませんが
鬼にあやかって一緒に笑いましょう

そしたら少しは温かくなるでしょう、きっと


冬将軍に対抗出来るのは
案外と鬼なのかも知れません

優しい鬼なら
頼めば金棒を振り回して
冬将軍を追っ払ってくれる・・・かも?



まぁ、それはともかく

どうせ開いてしまう冬の扉なら
潔く、思いっきりこっちから明け放ちましょうか

潔く・・・

潔く?


ん~

やっぱり、冬への覚悟を決めるのは
来月になってからにしようかなぁ~

したいなぁ~

そうしたいなぁ~


出来るなら・・・ね


埋めたい

いきなり<埋めたい>と言うと
「なんて物騒な!」と言われるかもしれません。

もちろん、
私は人なんか殺してはいませんし
アダルト雑誌なんかも
家人に内緒で隠し持ってはいませんから
他人の目から逃れる為に<証拠品>を埋めたいだなんて
言おうとしている訳ではありません。


そう、私は清廉潔白純情無垢・・・
とは良い歳をしてさすがに言えませんが(笑)

ともあれ
今夜は<埋めたい>と言う話です。



隙間を埋めたい。

マス目を埋めたい。

空白を埋めたい。

余白を埋めたい。


そんな事ってありませんでしたか?


教科書の余白に
つい気が付いたらマンガとか
意味不明の
同じ模様を何度も描いていたとか。

クロスワードパズルが目の前にあれば
やらずにはいられないとか。

目地があると
とりあえず何かを詰めて埋めたくなるとか。


まぁ~

学生時代の数学の試験の解答欄は・・・
埋めたいのに埋められない
やっかいなモノでしたが(笑)


<空いている場所を埋めたい>

それは人間の本能なんでしょうか?

それとも、
私に限ったある種のフェチ行為?


確かに私の場合、
アンケート回答用紙等の空白欄を目にした時
心が疼きます。

で、

そこが該当無しの欄だとしたら
最初は該当無しを表すのに斜線を引きます。

ふと、何かを思い
次に反対の斜線を描いてみます。

そこまでいくと、
次は当然のように縦線と横線を入れます。

点が交差をするところに二重円を描きます。

で、

出来た様々な形のマスを
今度は交互にベタ塗りをしていきます。

すると、どうでしょう!

キレイな幾何学模様がそこに現れるのです。

一個出来たら、
次は更に複雑な<図形>に進化させていきます。


ただし・・・

恥ずかしくてそれはもう
提出不可能なアンケート用紙になってしまいますが(笑)


余談ですが。

教科書と言えば出て来る偉人の顔に
メガネやヒゲを描いたり
傷跡や絆創膏を付けたりしてませんでした?

あれ、何ででしょ?

教科書に誰かの顔が出て来ると
必ず何かを書き足したくなります・・・よね?

特に白黒の写真なんか絶好の餌食?(笑)


ちなみに私は
教科書の隅にパラパラマンガも描いて遊んでました。

よほど授業中はヒマだったんでしょうかね?


多分ですが。

何かを書き足すという行為も
或る意味では
空白を埋めたいという行為に等しいのかもしれません。


ちなみに、

そんな私は洗い物をする時も
洗剤をつい入れ過ぎてしまう傾向があるようです。

仕事でも
代理店さんに説明をしている時
つい、あれもこれもと
大してしなくて良い説明までしてしまいます。

ここで書く文章でも
つい書き過ぎてしまうんですよね(自覚済み)

文章を書くのが好きな私が
唯一苦手なのは俳句や川柳です。

十七文字で想いの全てを表現するなんて無理です(笑)


してみると、

この癖はフェチなんかではなくて
これはもう立派に(?)
強迫観念に支配をされている
と、いう事になるんでしょうか?

「埋めたい!」
「埋めなくちゃ!」
「どうしたら埋められる?」
「あっ、ここも埋められるぞ!」

こんな症状を専門用語では
<埋めたいシンドローム>
と、言うそうですが(U・S・O)

私はずっと
<A型>故の生真面目さだと信じて来ました。


あー、そろそろ締めに入って
この文章を書き終わらそうとしていたのに。

また、うずうず・・・

埋めたい・・・埋めたい・・・

埋めさせてくれーーーーー!

終わらせたーい!


でも、終われない!

埋めたい!

でも、終われない!

埋めたい!

でも、終われない!


何故なら・・・






オチが思いつかなかったから・・・・orz


マスオさん

唐突ですが(笑)


結婚をして磯野家に入ったマスオさん。

何年経っても円満なのは
マスオさんが偉いのか?
それともやっぱりサザエさんが偉いのか?

いや、きっと
どちらも偉いんだろうな。

それが証拠に
時折ケンカをする事があっても
ものの10分もしないうちに
悪かった方がちゃんと謝って
すぐに円満に戻っています。

そこへいくと
私なんざ
まだまだ煩悩の方が強くて
マスオさんの域にはほど遠い感じです。


私・・・マスオさん歴、5日目。

どうなる事やら?


信じるということ

他人を信じるのは良い事だけど
だからと言って
全てを鵜呑みにしてはいけない


他人を信じる場合
規範となるのは
自分の出した答えを
自分が信じられるかどうかだ

それができたなら
例え裏切られたってどうって事はない

信じたのはあくまで<自分自身を>なんだから


もっと言うなら

それが信じられないのなら
他人を信じるべきじゃない


つまり
他人を信じると言う事は
自分を信じると言う事なのだ


身の丈

”なるべく小さな幸せと
 なるべく小さな不幸せ

 そんな人生が丁度良いのです”


そんな言葉がある

確かにそうなのかも知れない


つまりは
身の丈に合った生き方と言う事だろう


勝負師のように野望を持ったとしても
その使い方が分からないし

海賊のように
生きるか死ぬかの世界で生きるには
背負っているものが重た過ぎる


結局

人は身の丈に合った生き方しか出来ないのだろう

そこをはみ出そうとするなら
応分のリスクを覚悟しなければならない


そう思いながらも
それを良しとは出来ない自分がいた

かつては・・・


身の丈に合った生き方、人生

若い頃はそれに随分反発もしていた

「そんなもの
 諦めに対するただの言い訳じゃないか!」

「そう言って、逃げを正当化するのかい?」

「背伸びくらいしなきゃ上には行けないさ」


今だって
まだ人生を諦めた訳じゃないけど
でも、50年以上も生きて来て解った事もある

許容出来る幅が若い頃よりは広くなっている

だからこそ
”身の丈”と言う言葉も今なら素直に受け入れられる


身の丈とは
それに甘んじる事ではなく
何かをガマンする事でもなくて
在りのままの自分で
自然に生きると言う事なんだろう


得意と不得意

他人の得意な事と自分の不得意な事を比べて

「あいつはずるい」
だとか
「不公平だ」
とか

人間ってそう言うところで不満を言ってしまいます


他人の得意な事と言うのは
どれだけの努力の結果なのか

そんな事は考えもしません



逆に

自分の得意な事と他人の不得意な事を比べて

「あいつは大した事ない」
だとか
「当然だよ」
なんて

人間ってそう言うところで安心を感じたりします


比べているのは自分だけで
本当は単なる独りよがりなのに

そんな事は考えもしません




得意も不得意も
それは他人の目を気にするから
そう言う発想が生まれます

優越感や劣等感が生まれるのです


でも

気付いていますか?


みんなが不得意なら
それは出来なくて当たり前の事になるし
得意な人ばかりなら
それは出来て当たり前の
普通の事になってしまうのです


優越感は劣等感の裏返しです

でも

劣等感は劣等感でしかないのです




神様だって完璧ではありません

だから
神様にも完璧な人間は作れませんでした

つまりは
完璧じゃないから人間だと言えるのです



人間にはエゴ(自我)や欲望があります
無いモノねだりもします
他人を羨んだり妬んだりもします

でも、一方では
何も無いところから
想像をし、工夫をし文明や文化を作り上げて来ました

完璧じゃないからこそ進化が出来たのです

完璧じゃない事を補う為に知恵を学び
そして、努力をしたのです

つまり

そうやって不得意を得意に変えて来たのです


それは決して劣等感だけでは為し得なかった事です




最初から何でも出来てしまう人間なんて
そうざらにはいません

でも、苦手だと思えば
いつまでも不得意のままです


何かをするのに
他人の目を気にする必要も無いし
最初はいくら不得意な事があっても全然構いません




得意も不得意も
自分を知る事が大切な事で
それを結果にしてはいけないのです

と、そんな事を今一番伝えたい人

それは私自身かな・・・


普通って何だろう?


普通でいるのが良い事?

普通と違うのは悪い事?


普通でいないと不安?

普通でいると安心出来る?


普通って誰がそう決めたの?

普通って誰にとっての普通?


普通って一般常識って事?

普通って多数派って事?


本当にそう思う?

普通って何?




確かに
多数派でいた方が安心は出来るんだろうけど
そこは
自分にとって本当に居心地の良い場所だろうか?


例え
自問自答の答えが『NO』でも
だからって
自分を「おかしい」なんて思う必要は無いよ。


少なくとも
多数派が全て常識人で
少数派は非常識人って自分で決めつけることは無い。

他人に決められることでも無い。


多数派だけが
いつも必ず正しいとは限らないし
少数派の中にだって真実は、正義は有る。


確かに
多数派の意見は
世間の総論には近いかも知れない。

だけど
それだけをして全てを正論としてしまうのは乱暴だ。


学者や評論家が言う正論だって
歴史や統計から分析をしているに過ぎない。

そして、彼らは必ず
『何事にも”例外”は付き物だ』
と、注釈を付ける。


例外を作っておけば
学者も世間の人も安心出来るんだ。

”当てはまらないものは例外”

そう言って済ませられるのだから。

ただ、それだけのこと。



多分

いわゆる”世間の常識”は
社会を円滑にはしているんだろう。

確かに、ひとつの規範ではある。
法を踏み外してはいけないことも誰もが知っている。
自己主張も過ぎればただのワガママだってこともね。


だけど、そのことと
自分が自分の個を大切にすることとは話の次元が違う。

個性は誰にでも有るし
それは他人と違って当たり前。
他人と同じことの方が
むしろおかしいと思うべきなんだ。


常識か非常識かって話では無く
普通か異常かって極論でも無い。


普通でいることに
多数派でいることに
心地の良さを感じられなくたって
それで悲観することでも無い。


普通も例外も世間には良くあるモノだし
ただそれだけのことなんだよ。

何より
幸せは自分の心が感じるものなんだから
そこが何処だろうと他と見比べることも無いよ。



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