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夢の汽車に乗って 幸せとは

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yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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幸せとは

時間という現実は残酷ですよね。

何がといって
多分、多くのみなさんが上げるのは
<時間は決して戻らない>
と、いうことでしょう。

人生は幾つになってもやり直しが出来るとはいうけど
過去に戻ってやり直しが出来る訳ではありません。

気が付いた<その瞬間>から
確かにやり直すことは出来ますが
それは、そこからの修正にすぎなくて
過ぎた時間はやはり戻りはしません。


時間が経つと人間は誰しも老いていきます。


老いは
人間からひとつ、ひとつと出来る事を奪っていきます。


時には人間から考える力さえも奪ってしまいます。

もちろん
どんなに健脚を誇った体力だろうと
どんな美貌さえも時間の前では無力です。

そこに例外はありません。

昔から不死鳥伝説等がありましたが

時の権力者達がこぞって
不老不死を追い求めた気持ちも今なら解るような気がします。



ただ、それが本当の幸せなのかは判りません。


もし、自分一人だけが不老不死を手に入れられたら?

幸せだと喜べるのは
おそらくは最初の数年間だけでしょう。

その後に待っているのは恐ろしいまでの孤独かもしれません。

愛する人が出来る度に
その愛する人の死をただ見ているしか出来ないとしたら?

それを何度も繰り返さなければならないとしたら?

きっと、耐えられませんよね。


そう色々なことを考えていくと
時間が過ぎて行くのは決して残酷なことではない。
そう思えてきます。

時間が止まったり
戻っては悪戯に繰り返すことの方が残酷です。

それじゃ、上手い具合に
幸せな瞬間で時間が止まったり
幸せな時間だけを繰り返してくれるなら?

でも、それもやはり幸せとは呼べないでしょう。

人間にもし、<慣れ>という感覚がなければ
永遠の幸せと呼べるのかもしれませんが
残念ながら人間はそういう風には作られてはいないのです。

幸せな時間はやがて
ただ褪せていくのを待つようになっていくでしょう。


浦島太郎の玉手箱の教訓は

乙姫の言いつけを守らなかったことへの戒めなんでしょうか?


それとも
怠惰に過ごした時間への戒めだったのでしょうか?

でも、私は思いたいのです。

地上に戻った浦島太郎が
普通の人間に戻れるようにとの乙姫の優しさだったのだと。


時間。

つまりそれは
人間が人間である為に受け入れざるを得ないもの。

過ぎて行く時間はむしろ<生>そのもので
その中に幸せも不幸もあるのだとしたら
それは決して残酷なだけではなくて
例えば、成長も老いも人間が人間である証に過ぎないのです。

受け入れざるを得ないものを受け入れる。
そのことを素直に受け入れられる人が幸せな人。
そう言えるのかもしれません。



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