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夢の汽車に乗って 2018年12月
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プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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『師走(しわす)』だけに。

と、しょーもないオヤジギャグ的な理由だけで
毎年、この時期に性懲りもなく繰り返し、繰り返し
皆様方に注意喚起をさせていただいているわけですが
良~っく考えてみれば、いや、考えなくとも?
皆様方は皆それぞれ立派な大人の紳士淑女諸氏なれば
私のこのような思いなんぞはまさに釈迦に説法なんでしょう。


反面

「なぁ? 今年も終わりだけど、
 お前は何か遣り残したことはないのかい?」

と、それは私自身への自問自答であると言う意味合いの方が
実は多かったりしていました。


ここ数年、企業なんかでは「PDCAを回す」
と、いうことが盛んに言われています。

つまり

Pは計画のPLAN
Dは実行のDO
Cは評価のCHECK
Aは改善のACTION

これらを繰り返すことで業務を改善していこうということです。

これを個人に置き換えれば
自分自身の行動を見直し、次に何をやるべきかが見えてくる・・・

のかもしれませんが

妄想族の信条は常に
「LIKE A FREE BIRD」ですからねぇ~


確かに、若い頃は今頃になると

「あー、アレやってない! あっ、コレもだ!
 ヤバい、ヤバい! 今年が終わってしまう!」

などと、真面目に悩んでいた時も
あったような、なかったような・・・???


しかし、今となっては悟りの境地とでも言いましょうか?
ちょっとやそっとのことぐらいでは動じなくなりました。

なんせ、今や私の信条は

「なんとかなるべさ」

つまり

「明日出来ることは明日やれば良い。
 明日で良いことは案外、明後日でも何とかなる」

悟りは人間を強くします。
と、お釈迦様も・・・確か・・・言っていた・・・かも?


人間は年を重ねていくに従って経験も重ねていきます。
経験は雄弁です。

「だって、それで今まで出来てきたじゃん!」

ですよねぇ~?


従って、ひとつやふたつの忘れ物を気にするよりは
笑って明日を迎えた方が遥に建設的だし人間的じゃないですか!

ねぇ?

あれっ???

賛同の嵐かと思いきやチラホラ・・・ですか?


オホン!

と、ともあれですよ。


好物や楽しみは後に取って置くタイプの私としては

「今年の忘れ物は来年への手土産だ!」

と、思うことにして
後は心静かに穏やかに新しい年を迎えることとしたいと思います。

ねぇ?

これ、名言だと思いませんか?



さてさて

皆様、今年はどんな一年でしたか?
新しい年はどんな年にしたいですか?


何より笑顔で新しい年を迎えられるのが幸せってやつなんでしょう。

良い幸せをお迎え下さい。

そして、新しい一年が皆様にとっても
より幸多き年となりますよう心よりお祈りを申し上げます。


今年も一年、ありがとうございました。


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と、いうことで
今年も恒例のクリスマスショートストーリーを
私のホームページ『夢の樹舎』に掲載をしました。


    ☆ ホームページはこちら
           ↓

        『夢の樹舎』



皆さんにとって素敵なクリスマスを迎えられますように。。。





もういくつ寝ると

『もういくつ寝ると・・・』

今、皆さんが指折り数えて楽しみにしていることって何でしょう?



歌のタイトルは『お正月』ですが
子供の頃なら今時期は何と言ってもクリスマスでしたね。

ケーキが食べられて、そしてサンタさんからもらえるプレゼント。

私なんかも
クリスマスが近づくと寝る時に毎晩サンタさんにお願いをしていました。

私ってば何て可愛いかったんでしょう!

ねぇ? えっ?

いや、私にだって純情・素朴な少年時代があったんですよ(笑)

因みに、その当時の純情少年の二番目の娘は
何と小学二年生の時にマセた同級生から聞いていて
サンタさんは親だって知っていたくせに
プレゼント欲しさにずっとサンタさんを信じているフリをしていたんです。

彼女が中学二年生のクリスマス時期にその衝撃(笑劇?)の告白をされた時。
生まれて初めて私の目が点になりました(笑)


おっと、話は逸れましたが
それから、もちろん冬休みになるのも指折り待っていましたね。

昔の話ですが
正月と言えば親戚がたくさん集まって従兄弟達に会えるのも楽しみでした。

私は一人っ子で兄弟がいなかったので
たまに従兄弟達に会えるのがホント、嬉しかったんですよね。

えっ? お年玉より?

まぁ・・・もごもご(笑)

小さい頃は誕生日なんかも楽しみに待っていました。

ケーキとプレゼント・・・

ん? 何だか食べることとプレゼントが楽しみだったのかな?

まぁ、子供の頃なんかは皆そんなもんでしょう?(笑)



初めて親元を離れて暮らすようになると帰省するのが楽しみでした。

初めて彼女が出来た時は次のデートの日を指折り数えていました。

子供が出来たって判った時は何度指折り数え直したことでしょうか。



今、皆さんが指折り数えて楽しみに待っていることは何でしょう?

もしかして旅行に行くだとか、誰かのコンサートに行くだとか
好きな作家さんの展示会とか、同窓会で昔の仲間に会うことだとか
そんな何かのイベントかもしれませんね。

時期的にはやはり
息子さんとか娘さんの帰省を楽しみにしているのかもしれませんね。
或いは、年に一、二度しか会えないお孫さんとの再会でしょうか?



『もういくつ寝ると』

そう言いながらその日を指折り数えて待つ。

それは、その時、その時代でいろいろありましたし
その時、その時代でその中身も変わってもいきました。

でも、そんな風に楽しみに待てることがあるって
それはやはり幸せなことなんだと改めて思ったりするのです。



2007年から書き始めた「七夕ストーリー」から遅れること3年。

2010年のクリスマスイブから
毎年「クリスマスストーリー」を掲載して来ました。

つまり、もし今年も掲載をすれば9作目になります。

が、しかし・・・

短編とは言え、ひとつのクリスマスという題材で
設定を代えて物語を書き続けるのはけっこう厳しいものがあります。

もっとも、それを承知で書き始めたことではありますが。


正直、当初はここまで書き続ける予定ではありませんでした。

あくまでも「短編小説(ショートストーリー)」のテーマのひとつ。
私自身、そう思っていました。

誰に頼まれた訳でもなく書き始めたことでもありましたしね。


毎年、10月くらいになると
「今年はどうしようかなぁ-」と思いながら「時間もあるし、まだ良いかな。」
と、なんとなく書くんだか書かないんだかどっちつかずな日々を過ごします。
でも、さすがに11月に入ると
「設定も決まらないし、いくつか書き始めてもどれもピンとこないし」
と、焦り初めて悶々とした日々が続きます。


でも、不思議と11月も末くらいになると私の中に何かが降りてくるんです。
閃きとでも言えば良いのでしょうか。

で、そこから書き始めます。
心の中では「今からで間に合うかな?」などと思いながら。
なんせ、普段は仕事があるので書ける時間は夜の1~2時間くらいです。
しかも「クリスマスストーリー」と謳っているのですから
掲載をするのがクリスマスを過ぎたら意味が無くなってしまいます。


書き始めた時点では途中のいくつかのエピソードは
おぼろげには決まっていますが、終わり方は決まっていません。

書いている内に当初の考えが変わっていくなんてことしょっちゅうです。
書いている内に思ってもいなかった言葉がいくつも出て来ます。
すると当然ですが、話の流れが予定と変わっていきます。

物語に枝葉は膨らんではいきますが
その分、余計に間に合うのか自分でも不安になったりします。

いくら悩んでも次の言葉が出てこない日もありますが
そんな時は思い切って2~3日くらい敢えて何も考えない日を作ります。

で、ふと何かの拍子に言葉が降って来たら又、書き足していきます。


「どうしても言葉が降って来なかったら?」

そうですね。
その時は「仕方がない」と潔く諦めましょうかね。(笑)


目標としては12月の中旬までには
とにかく最後まで書ききるようにしています。

それから読み直しながら少しづつ加筆修正をしていきます。

最後まで迷うのはやはりラストの場面です。

これで良いのか?
書き足すのか?
削るのか?


書いていると思考は全てその状況に入り込んで
周りが冷静に見えなくなってしまいます。

なので、いったんラストまで書いたら又、2~3日放置をします。

次に読み返すと新しい気持ちで見直すことが出来ます。


最終的に20日までを目処に完成させます。
それからホームページに作り足してクリスマスイブの夜を待ちます。

予定通りにことが進めば・・・ですけどね。




さてさて、そこで問題は今年です。

個人的には
せっかく「クリスマスストーリー」と銘打って書き始めたことですから
何とか10作目までは書きたいと思っています。

でも、その前に9作目ですよね。

こんなことを書いているヒマはあったのでしょうか?
これもやはり私得意の現実逃避と言いますか? ←正解です(笑)

さてさて、どうしましょ?

クリスマスイブまで後2週間です。


中学二年の時
テレビ・・・確か某国営放送だったと思うが
初めて吉田拓郎がギターを弾きながら歌っているのを見て
田舎のスポーツ少年だった私は衝撃を受けて
「どうしてもギターが弾きたい!」と一念発起。

正月に街に出たのを機会に初めて楽器店に行きギターを買いました。

とは言え、中学生で買えるモノなんてたかが知れています。
手持ちの現金はお年玉を少しづつ貯めた一万円。

当時、一ヶ月の小遣いが五百円だった私にとっては大金でした。

ところが、いざ楽器店に行ってみると
フォークギターは当時でも一万五千円以上していたので泣く泣く断念して
とりあえず八千円のガットギターを買いました。

(アコースティックギターを当時はフォークギターと呼んでいました。
 ガットギターはいわゆるナイロン弦のクラッシックギターです)

それでも嬉しくて家でずっと弾いていたのを覚えています。
明星の歌本でコードを覚えながら、ただジャラーンとかき鳴らすだけでしたが。


やがて、高校に入った頃はフォークソングの全盛期でした。

(フォークソングは
 ユーミンがデビューをした頃からニューミュージックと呼ばれるようになり
 いつからか今ではJポップに括られていますね)

高校生になると下宿の先輩や同学年の下宿生に刺激を受けて
私は益々ギターにのめり込んで行きました。
アルペジオとかスリーフィンガーなんて弾き方を覚えたのもその頃です。

すると、どうしてもフォークギターが欲しくなります。
それで初めてフォークギターを買いました。
アメリカのメーカーのギターをコピーした国産メーカーのギター。
値段は二万五千円でした。

(これは四十三~四年前の話ですが
 このギターはバンド仲間が今でも大事に所有してくれています、多分)

だんだんと弾けるようになると今後はもう少し良いギターが欲しくなって
それから一年も経たずに次は五万円の国産ギターを買いました。

そして、大学受験を控えた高校三年生の夏休み。
下宿生数名とバンドらしきものを組んでコンサートを開きました。

市民ホールの小ホールでした。

普通、高校生バンドと言えば学校祭がメインステージでしょう。
そこから場合によっては
ライブハウスに出させて貰ったりと言うのが普通でしょうが
何を血迷ったのか?
いや、何も判らないまま、とにかくコンサートがやりたくて
市民ホールの小ホールを貸し切ったんです。

(ホールの方も良く貸してくれたと思います。感謝)

それでも下宿には
市内の女子校を除く公立、私立ほぼ全ての高校に通う下宿生がいて
同級生が出るからと、半ば強制的に?(笑)
みんなして手売りでチケットをさばいて
収容人数が四百人ほどのホールに二百人以上は来てくれたでしょうか。
なんと赤字を出すこともなく、コンサートは大成功。

(と、思って舞い上がっていたのは本人達だけだったかもしれませんが)

もう一度、書きますが・・・

一部後輩もいましたが
この時、私達は受験を控えた高校三年生。
しかも大事な夏休み。

この頃からでしょうか?
私の妄想癖とか現実逃避癖が強くなったのは?

と、しか思えませんでしょ?(笑)

普通はここで終わりです。

「あー、高校最後の夏休みに良い思い出が出来たなぁ-。
 良し、今度は受験勉強を頑張るぞーーー!」

しかし、私達が頑張ったのはフォークソングでした。

(現実逃避、みんなですれば怖くない?(笑))

高校三年の冬。

受験までは二ヶ月を切った頃です。
普通は受験勉強の最後の仕上げに集中をするべき時期です。

その時期に私達は二度目のコンサートを開きました。
同じ市民ホールの小ホールで。

時は十二月二十三日。
クリスマスイブの前日なので「イブイブコンサート」と銘打って。

当然、受験なんて上手くいくはずがありません。
みんなして現実逃避していたんですから?

みんな第一志望はことごとく全滅でしたが
何とか第二志望とか第三志望には引っかかって
卒業後にはメンバーみんな離ればなれになることになりました。

で、「最後にもう一度コンサートをやろう!」

誰が言い出しっぺだったかは忘れましたが
みんなに依存があるはずはなく
又々、市民ホールの小ホールを貸し切って
卒業式の前日に高校最後のコンサートを開きました。

もしも、たったひとつ自画自賛が出来るとするなら
三回のコンサートのどれも大赤字にならなかったこと・・・かな?


(この辺の詳しい経緯やエピソード、その後のことに関しては
 ホント色々あったので、いつか小説にしたいと構想を温めています。
 もう十年以上温めっぱなしですが・・・
 仕事が定年になって時間が出来たら書きたいと思っています。
 それまでは惚けて記憶が無くならなきゃ良いのですが(笑))



ともあれ、そんなこんなで始まった私の青春。
イコール、私の数々のバンド遍歴、そして楽器遍歴でもあるのですが
いったい、今まででいくらくらい楽器につぎ込んできたでしょうか。

バンドもフォークソングの二人とか三人のユニットもやったし
その後の大学時代、社会人時代と経て
後には五人編成のオールディズバンドなどずっとやっていましたので
その都度、色々と買い足したり、買い換えたりで
いわゆるアコギ、そして後のエレキギターやアンプとか
エレキギターのエフェクターとか周辺機器の類い。

そういやマイクやPAなんかもみんなで買いました。
しかも、社会人になってからはみんな高価な楽器類を買っていました。
そんなこんなを全部合わせたら、おそらくは・・・・内緒(笑)

(旧メンバーのご家族がこれを読んだら家族会議になるかもしれません。
 みんな、それくらいつぎ込んでいましたからね。
 なので、金額は内緒。推定金額も内緒です(笑))



が、しかし。

色々あってバンド活動が休止をして早十数年が経ちました。
アコギならともかく、
家の中でエレキギターをアンプを通して弾くなんて出来ません。

なんせ、今の私はマスオさん(笑)

大音量で「ギュイーイイーーーン!」なんか弾いていたら
義母なんかは卒倒してしまいかねません。

在庫はアコギが二本、エレキギターも二本
加えてギターアンプに周辺機器等があるとかさばって場所を取ります。
とても家には置かせ続けては貰えません。

私の青春そのものでもある楽器群も音楽に興味の無い家人からしたら
ただの場所ドロボーくらいにしか思って貰えないのですから。

そこで中学二年生の時以来の一念発起?(笑)

大学二年生の時(今から四十一年前)に買った
アメリカ製のアコギ(当時の購入金額二十五万円)を一本だけ残して
後は全て楽器店に買い取ってもらいました。

(私を知る当時からの友人にしたら衝撃の告白だよね?(笑))

この一本だけギターを残したところが
いわゆる表題に書いた未練の部分でして。

家人には

「あんたが死んだら棺桶にそのギターを入れてやりたいけど
 今は燃えないモノは入れちゃダメなんだよね。」

と、超リアルな話をいやみたらしくされた訳ですが・・・


が、しかぁーーーし!
そんなことでめげる私ではありません(笑)

実は今、密かに欲しいと思っているアコギがありまして(笑)

今回の処分はその為の下工作と言うか費用捻出の為。

欲しいのはアメリカ製の有名ブランドG社のアコギです。

(つい何ヶ月か前に負債問題がニュースになっていた、あのブランド)

昔から憧れていたのと、最近良いなと思っている二機種があるのですが
高い方は新品だと四十数万円、安い方でも三十万円程度はするのです。

先日、札幌に行った時の楽器店を覗いてきましたが
さすがに新品は大きな悩みになりそうなので
最近は毎晩のようにヤフオクを覗いています(笑)

なんかねぇ~

いつか衝動的に<ポチッ>としてしまいそうです。
そんな時は誰か私を止めて下さいね(笑)

そして、こうも思っています。

仮にいつかバンドが再開出来るようになった時は
又、エレキギターとかアンプは買い揃えれば良いだけです。

ヤフオクで(笑)



さてさて、私の<青春騒動?>はどうなるでしょうか?

ひとつ言えることは

まだまだ青春におさらばなんかするもんか!(オー!)



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