Neko

夢の汽車に乗って 2018年02月
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プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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親の目で

過去最高のメダル獲得に沸いた
オリンピックも閉幕し
選手団が無事に帰国をしましたね。


今回のオリンピックで目に付いたのは
意外と兄弟・姉妹で出場している選手が多かった事です。

「いつも、こんなに多かったっけ?」

等と思いテレビ観戦をしていた訳ですが。


他人の子でさえ
日本人選手だと思えば
我が事のように一喜一憂しながら
テレビの前に腕を振って応援をしてしまいます。

ましてや、それが我が子なら
それはどんな感情なのでしょうね。

一番はやはり

「無事に終わってくれ」

「ケガだけはしないでくれよ」

で、次が

「頑張れ!」

親の思いって、多分そこに尽きるのかも知れません。
出場している我が子が一人だったらね。


我が子がオリンピックに出場する。
それは親にとっても誇らしい事です。

まして、兄弟・姉妹が揃ってオリンピックに出るなんて
我が家では有り得ない事ですから
尚更、凄いなと感心をしてしまいます。

しかし、競技が終わると<結果>が付いてきます。

兄弟・姉妹の片方がメダリストになり
もう片方が予選敗退だったとしたら・・・?

いや、そもそも
兄弟・姉妹の片方がオリンピックに出場し
同じ競技者であるもう片方は
観戦席から応援なんて事もあったでしょう。

実際、
今回も四姉妹で一人だけ選ばれなかった姉妹もいたそうですし
八年前、四年前の高木姉妹だって当時はそうでした。

その時の親の心境って如何ばかりかとつい思ってしまいます。

嬉しさも有り、何処か切なさもあったりするんでしょうね。
親の気持ちはきっと複雑です。

それでも、親にとっては
みんな誇らしい子供達には違いないんでしょうけどね。


ついつい、
そんな親の目で観戦をしていたオリンピックでした。


我が家の<姉妹>の場合は
姉は体育会系で妹は文化系の部活だったので
そんな思いはしなくて済んだのですが
と、いうか
<トンビは鷹を産まない>の言葉通りでして
まぁ~日々是平穏みたいな?(笑)


ともあれ
次を目指して競技を続行する選手。
今回で競技を退く選手。
それはそれぞれでしょうが
先ずはゆっくり休んでください。

皆さん、お疲れ様でした。
たくさんの感動をありがとう!


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同じくらい生まれ持った才能があり
同じように一緒に闘ってくれる仲間がいて
同じくらい応援をしてくれる家族がいて
同じようにサポートをしてくれるコーチやスタッフがいて
同じだけ努力を惜しまずにしたとしても
ひとつの大会ではそれぞれに違う順序がついてしまう


僅か0.01秒が金メダルと銀メダルを分け
僅か1cmの距離がメダリストと4位に分ける


「勝敗は時の運」と言う

何年にも渡る努力の結果が運で左右をされるものなら
そこで出来る差は余りにも無情と言わざるを得ない


勝利の女神はどうやって勝者と敗者を分けるのだろう?

喜びの銅メダルもあれば
悔恨の銀メダルもある

その世界を美しいと見るのか?
或いは残酷な闘いだと見るのか?


でも考えてみれば
オリンピックの10位は世界で10番目という事だ

単純に考えてもこれは素晴らしい結果だ

仮に予選で敗退したとしても
ほとんどの人はその舞台にすら上がれない事を考えたら
その場に名前を刻んだだけで誇りに思って良い


選手それぞれに色々な背景があり
様々なドラマを抱えて勝負に挑んでいる

国を超え民族を超えて
垣間見えるその全てが観た者に感動を与える

「やっぱり世界は美しい」のだと


猫星・犬星

遥か太古の昔
人間の祖先はふたつの星から地球にやって来ました

ふとつの星は犬星と言いました
そして、もうひとつの星は猫星です


一緒に連れて来られた動物は
それぞれ故郷の星の名前を付けられて
それからずっと人間と共に生きてきました

犬は人間の忠実な友として
そして家族として
人間に笑顔と勇気を与え続けてきました

それは人間にとっては希望でした


猫は人間に知恵を授け
闇夜から人間を守り
いつも少し離れたところから
隣人として人間を見守ってきました

それは人間にとっては安心と言えました


狼が満月に向かって吠えるのも
月の遥か向こうに在る故郷を懐かしんでいるのです

猫が時々、宙をじっと見ているのも
時々、目覚める太古の記憶がそうさせているのです

その姿を見て
宇宙や霊と交信をしていると言う人もいますが
実はそれは半分当たっているのです


人間は概ね
犬好きと猫好きに大別されます

猫が嫌いだから犬が好きなのではなく
犬が好きなのです

犬が嫌いだから猫が好きなのではなく
猫が好きなのです

時として、そうでは無い人や
どちらも好きな人
どちらも嫌いな人がいますが
それは、生まれた後の経験やトラウマ
或いは
いつかの時代の中に起きた原因によって
そうなったのであって
本来、人間は犬や猫が好きなのです

それは理屈ではありません

しいて言うなら
人間のDNAに刻み込まれている太古の記憶が
意識をする、しないに関わらず
親しみや愛情となって表れているのです

それこそがつまりは
人間の故郷が猫星と犬星だった由縁なのです


そして幾つもの時代の中で
知識や記憶を次の世代へと伝えて来ました

人間も
そして、犬や猫も
親から子へ、そしてまた子へと・・・


<冬来たりなば春遠からじ>
なんて言います

そうでも思わなきゃ
北国の過酷な冬は乗り越えられません

ましてや
昔は今と違って家の断熱性能も
暖房器具の性能も低かったでしょうから
今とは比べものにはならないくらい
冬を生きるという事は過酷な事だったのでしょう

なので昔の人は
冬が来る度に
自分に言い聞かせるように呟いていたのでしょうね

<冬来たりなば春遠からじ>

なんてね



そうして迎えたン十回目の冬も
やっと二月までたどり着きました

暦を山に例えるなら
そう、峠を越えて麓に下り始めた頃

七合目くらいまではもう下ったくらいかな

もちろん

いくら「節分が終わった」「立春を過ぎた」とはいっても
まだまだ、それはあくまで暦の上での話

寒さは今がまさに盛りではあります
これからも真冬日は何日もあるでしょう

実際、ここ数日だけを見ても
大規模な寒波が日本列島を覆っていて
各地で大雪を降らせています

まだまだ油断は禁物というところでしょう



しかし、二月です

例え、それが暦の上だろうが何だろうが
現実として二月になっているのです

やれ「シバレるなぁ-」とか「雪かきが大変だ」とか
私なんぞも毎日のようにボヤいていますが
それでも
二月に入ると寒い中でも何故かホッとしたりします

何故なら

「来月はもう三月だ!」

そう思う事が出来るから



北国人にとって三月という言葉の響きは格別です

もちろん、北海道なんかでは
五月の連休を過ぎても雪が降るなんて事は
そう珍しい事ではありません

なので

三月になったからといって
「春だ、春だ」と浮かれてばかりいる訳ではありません

でも、三月です

気は持ちようなんて言いますが
三月という言葉を聞いただけで
北国人の気持ちは明るくなれるのです

単純ですか?

でも、それくらい嬉しいんです
南国人には分からないだろうなぁー

北海道では三月に咲く花なんてそうは見ません

せいぜい
ふきのとうが少しだけ顔を見せるくらいです

桃の節句だからって
その辺で桃の花が咲いている訳でもありません

桜どころか梅だって咲いていません

三月も末になって
少し温かい日が続けば
気の早い水仙が少しだけ春を教えてくれるかもしれません

そんなくらいなものです

でも、例え花は咲いていなくたって
三月は確実に北国人にも春を感じさせてくれます

何といっても
太陽が優しくなってくれるからです

同じ太陽のはずなのに
冬には感じられなかった日差しの温もりも
三月くらいになると感じられるようになるのです

実感としてね

二月に入ってしまえば
その三月はもう<来月>なのです



初雪だとか、北風の冷たさだとか
或いは、道草を覆う霜を見ると北国人は冬の到来を知ります

これから始まる長い冬

地域によっては半年と言っても過言ではない北国の冬

その時
自分に言い聞かせるように呟く独り言

「春来たりなば春遠からじ」

呪文のように何度も何度も呟いて
冬を越える覚悟を決めるのです

そして、ようやくこの時期に来て思うのです

「あぁ、やっとここまで来たか」

ここまで来たら春まではもう少し

その「もう少し」が
例え、二ヶ月後だとしても
ここまで来たらどうって事はありません

ありません・・・が

せめて一日でも短い事を願っていたりします



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