Neko

夢の汽車に乗って 2016年10月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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土日も部活がある為に
ほぼ1日も休み無く学校に通っている次女。

(学校に行く=勉強をする
 では無いところが果たして誰に似たのか?
 その事は今、ここでは触れないでおこう。
 墓穴を掘る恐れが・・・あっ、いやいや!)


土日も休みが無い事が解りきっているのに
連夜の夜更かし三昧。

(高校2年生の夜更かし=受験勉強
 では無いところも果たして誰に似たのか?
 もちろん、ここでは触れないでおく。
 墓穴・・・おっと、どっこい!)


日曜日も朝から部活に出掛け
夕方に帰宅したものの
前夜の夜更かしのせい?
帰宅しおやつで腹を満たしたと思ったら
当然のようにストーブ前で生き倒れた次女。

ところが我が家では
ストーブ前の特等席は猫の縄張り。

倒れ込んだ(?)次女に押しのけられるように
寝場所を奪われた猫の次の行動。

それがこの写真だ!

20161030nekotomusume-330.jpg

見方によっては
飼い主に甘えて
上に乗って寝ているようにも見えるが?

で、私は彼(猫)に訊いてみた。


私「もしかして、甘えて一緒に寝ているのかい?」

猫「ニャ? オイラの寝場所が奪われたからニャ。
  オイラの力じゃこんなデカいのはどけられないニャ」

私「とか言っちゃって。
  ホントは娘に甘えてたんだろ?」

猫「そんニャ訳にゃいニャ!
  にゃんならお腹の上で
  ピョンピョンとジャンプをしてやろうか?」

私「い、いや。そこまでしちゃダメだよ」

猫「にゃらここで寝るニャ」


そう言うと猫は又、次女のお腹の上で満足そうに寝た。

私にはどう見ても
甘えているようにしか見えないのだが・・・


猫「ニャ?」

私「いやいや、何も」



長女から次女へと受け継がれた伝統?
娘らと猫によるストーブ前の寝場所の争奪戦。
それを我が家ではこう呼んでいる。

人間VS猫によるストーブ前争奪異種格闘技戦。

負けられない闘いがここにもあった。



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深夜

家人も寝静まった深夜




天井からぶら下げたペンダントライトが
私の座るダイニングテーブルを照らしている


その白熱灯の下で
私の叩くパソコンのキーの音だけが
遠慮がちに夜の静寂を破っている





ふとキーを叩くのを止める




聴こえる音は何も無い





・・・・・・・・





まさに



シーン・・・や









シーンや・・・しーんや・・・深夜だけに?



心の鍵を外してみよう



心を縛るモノが大人としての理性なら

心を操るモノが社会人としての詭弁なら

例えば

心を曇らせるモノが家庭人としての惰性でも

心を揺らすモノが人としての欲望だとしても



鍵を持っているのは確かに自分なのだという事

忘れてはいないか?


鍵は掛けたり外したりする為にある

それは掛ける必要と、外す必要があるから

その事すらも忘れてはいないか?



身体はここにしか居れないとしても

心には自由な羽が生えている

それに気付く事に臆病になってはいないか?

正直になる事に臆病になってはいないか?


空想は非現実だと諦めてはいないか?

妄想は非日常だと戒めてはいないか?

幻想は非世界だと自嘲してはいないか?



こんなに心は自由なのに


夢を実現しようとする時は
そこに在る現実と対峙をしなければならない

その時

果たして
現実は夢を後押しする味方になってくれるのか?

はたまた
現実は夢の前に大きな壁となって立ちはだかるのか?



実現出来たことも出来なかったこともある

それが現実

そうであるなら
現実はいつも結果でしかないことになる

結果でしかないけど
それを次の糧に出来るのも現実があればこそなんだろう



実現出来ることも出来ないこともある

それも現実

そうであるなら
現実は未来にも存在することになる

実現させようとする未来も
その時には現実になっているんだろうから



今、ここに在る現実に幸せを感じている人
今、ここに在る現実を不幸だと嘆いている人

幸せだと感じている人は何を実現出来たのだろう?
不幸だと嘆いている人は何を実現出来なかったのだろう?

それは夢?
それは希望?
それは何かの計画?
それは願い事?
それは期待していた事?

そして

それは実現出来た、出来なかったの問題なんだろうか?

もし、そうだとしたら二人は何が違うのだろう?
もし、そうじゃないのだとしたら何が違うのだろう?


”今、目の前に事実として現れている事柄や状態”

それを現実だと定義をするなら
良いにせよ悪いにせよ
それは単なる結果だという事になる

肝心な事は

結果ではあるが
それはあくまで現段階でのという事だ


人生は山在り谷在りだという

それはまるで位相グラフの曲線のように
或いは折れ線グラフのようなものかもしれないけど

いずれにしても

上り下りを繰り返しながら
やがてのゴールに続いていく

上がり下がりの大きさや
点の間隔の広い狭いはあるんだろうけど
その長短こそが人生の機微

プラスがあればマイナスもあるが
足して引いてトントンならまずまずの人生だ

そう思って現実を受け入れて
その上で目的に向かって努力を重ねられる人だけが
想いをいつかの現実に変える事が出来るのかもしれない

それが実現させるという事

そんな気がする


ありがとう

「ありがとう」

そう素直に言える人は
それだけで素敵な人です。


人は一人で生まれて来た訳では無いし
一人で生きて来られた訳でもありません。

多くの人に囲まれ
多くの人との関わりの中で今に至っています。


「するのが当たり前」
「してくれて当然」
「言わなくたって分かってくれている」
「いちいち言ってられない」


特に親しい間柄になればなるほど
”儀礼廃止”と言う訳ではありませんが
そんな空気感の中で
何となくスルーしちゃう事ってあります。


でも
人が人に何かをするのに
本当は”当たり前”なんて無いのです。


気持ちは言葉で伝えなければ
相手の心には届きません。


ちょっとした一言があるだけで
人は温かくなれるのです。

ありふれた言葉でも
その一言で人は笑顔になれるのです。


たった五文字のありふれた言葉は
人を優しくしてくれます。


気遣い
そして、思いやり。

それに応える気持ちが
「ありがとう」の言葉で表せられるなら
こんな簡単な事は無いはずなのに
それが難しいと言うのは
心に余裕が無いからでしょうか?

それとも
ただ、相手に甘えているだけなのでしょうか?


もっと素直になれたら良いのに・・・

(多分に自戒の念を込めて)


無くて七癖なんて言いますが
独り言なんてのも
そんな中のひとつでしょうか


ブツブツと
何を言っているのか判らないような独り言

そうかと思えば
思わず「今、話しかけられた?」って思うくらいに
ハッキリとした
最早、呟きとは思えないレベルの独り言

そんなのもありますね


自分では言ってるつもりがない独り言とか
心の中で思ってる事が
超素直に口をつく独り言なんてのもあったりします

中には
独り言のように見せて
実は相手に対して
面と向かっては言えない事を言ってるとか
そんな事もあるのかもしれません


良く、独り言が多い人は
精神的に病んでいるみたいにネガティブに捉えられがちですが
本当にそうなんでしょうか?

スポーツ選手の中には
プレイに入る時におまじないのように独り言を呟く人がいます

「自分は出来る!」って言い聞かせているんでしょうかね?
それとも、自分を落ち着かせようとしているんでしょうか?

いずれにしても
これは決してネガティブな行為ではないですね


自分を安心させる為だとか
周囲にアピールをしているとかなら
独り言でもまだ健全な方かもしれません

考え事に集中するあまり無意識に出る独り言なら
これも、まぁ良くある話ではあります


一方で

孤独感を感じている?
自己主張の強い表れ?
無意識に助けを求めている?
ストレス発散?

この辺にくると少し危険な匂いもしてきます


独り言をしてる最中に突然笑い出す
ん~ これは間違いなく危険な兆候でしょう

内容が意味不明な独り言
これも危険水域に入っていそうですね

それが更にエスカレートをして

攻撃的な独り言になったり
殺伐とした独り言だったりすると・・・

はっきり言わせてもらえば

「あなたは病んでいます!」


因みに私は独り言はほぼ言った事がありません

そりゃ
ふいに足のつま先を机の角にぶつけた時なんか
思わず「イテッ!」とか叫んだ事はあります

でもこれは独り言と言うよりは悲鳴ですからね
これは数には数えないで下さいませ


遙か昔の独身時代とかも
恋愛ドラマに良くありがちな
主人公と恋人のすれ違い場面をテレビで観ながら
「何でだよ? 何でそこで意地を張るんだよ?」
とか
「あー、ダメだって!」
とか画面に向かって言ってました

心の中で


以前、単身赴任をしていて
作っていた料理を焦がした時とか
「ありゃ、やっちまったわ」
とか
「食べてしまえば同じじゃん! ドンマイ、俺!」
とか言ってました

もちろん、心の中で


ほらね

私は独り言は言わない人なんですよ


あっ、これは自慢じゃないですよ

ただ、今思えば私も健康的だったんだなぁ~
なんてね

独身時代・・・単身赴任時代・・・ふぅ・・・


最近気が付いたんですが
時々
私、ボソッと独り言を言ってるんですよね


あの頃は良かったなぁ~

独身時代・・・単身赴任時代・・・ふぅ・・・


で・・・私、ようやく気が付いたんです

私ってば独り言は言わない人なんだけど
愚痴は言う人なんだなって


まぁでも
それって独り言じゃないんだから
私はまだまだ健全な方なんでしょうね


あっ、そうだ!
そういや、ブツブツ・・・

あっ、これは健全な愚痴です



ネタ

PCの電源を入れた。

「さぁて、今夜は何を書こうか」


PCを立ち上げて30分。

珈琲が美味しい。


PCを立ち上げてやや1時間。

3本目の煙草に火を点けてみた。


PCを立ち上げて1時間半と少し。

ちょっと飽きてきた。


PCを立ち上げて2時間が経過。

気晴らしか?
眠気覚ましか?

冷たい水をグイッと一息で飲み干した。


PCを立ち上げて2時間と37分と8秒。

PCの電源を切った。








「おいおい、それだけ?」

何が?

「何がって・・・
 ほら、いつもはある事ない事を書いてんじゃん?
 今夜はどうすんだよ?」

まぁ・・・
そんな夜もあるって事さ。

「そんなんで良いのか?」

だって、ネタがないと書けないんだもの。
おとなしく寝た方がマシじゃない?

「おっ、上手い事を言うじゃん。
 それだよ、それ!」

へっ?

「へっじゃないって。
 ネタなんて何処にでも転がってるなんてさ。
 お前、いつも豪語してんじゃん?」

そんな事、言ったっけ?

「あぁ、いつも自信満々にね」

でもさ。
どんなに頭をひねったって
出ない時は出ないんだよ。
仕方ないよ。

「仕方ないで済んだら警察はいらんわ」

何それ?

「オホン、ともかくだ。
 何か書くまで絶対に寝かせんぞ!」

じゃ、何かネタを提供してよ。

「ネタ? 俺に?」

あぁ、お前にだ。

「俺は・・・それ、専門外」

なんだよそれ?

「そういや、逆にさ」

うん?

「ネタってそもそもどう言う意味だか解る?」

ネタ?
まぁ・・・話題とかさ。
話のテーマとか、そんなんじゃないの?
お笑いなんかではネタって良く言うよね?

「そうだね。
 おー、だから、ネタなのかな?
 話を練ってオチまでのストーリーを作る。
 そのストーリーがネタだろ?
 つまり、練ったから来てるとか?」

話を練ったからネタ?
ちょっと無理があるんじゃない?

「そっか、良いヒラメキだと思ったんだけどな」

正解は<種>を逆さにした言葉らしいよ。
業界用語的なかどうかは知らないけどさ。

「何だよ、知ってんのかよ?
 それってギンザをザギンみたいな?」

まぁ。
種みたいなひとつの言葉を膨らませて
それで話を作って行く。
お笑いの場合はオチまでの展開って言うかさ。

「なるほど。
 さすがに説得力があるね」

お前に言われても嬉しくはないけどね。

「までも
 何となく話のヒントになったんじゃない?」

そう?

「そうだよ。
 ほら、こうして何だかんだと
 もうだいぶ書けたぜ」

おー、ホントだ!

「だろ? 俺に感謝しろよ」

でもさ。

「おいおい、スルーか?」

困った時は見方を変えてみるって大切かもね。
ひとつの言葉に縛られているとさ
それしか見えなくなるけど
同じ言葉でも見方をちょっと変えただけで
違った答えって出て来るもんだよね。

「やっぱり俺に感謝だろ?」

誰に?

「だから俺様にだよ」

自分でそんな事を言えるかい。
独り言なのに。

「おいおい、それを言っちゃ・・・」

良いんだよ。
これもネタだから。


感受性

感受性が強いとか弱いとか言いますね。

芸術活動をしている作家さんとかなら
感受性が豊かじゃないと務まりません。

閃きとか想像力って
やはり感受性と切り離せないものですからね。


でも、日常生活の場合はどうなんでしょう?
感受性ってそんなに必要なんでしょうか?

感受性が豊かと言うだけなら良いのですが
これが感受性が強いと言う言い方になると
また、違った話にもなります。

私的見解ですが
感受性が豊かと言うのは
受け止める懐の深さとか
そこから発想する想像力の豊かさだと思います。

一方
感受性が強いと言うのは
外からの感覚的な刺激とか感情的な働きかけ
つまり
心が外からの影響に過敏に反応をしてしまう事。

繊細とも言えますが
見方を変えると神経質ともなりかねません。

さらに言うなら
心が敏感過ぎるとストレスになります。

ストレスが
しいては自分を苦しめる事にもなるのです。


例えば
コーヒーカップの茶渋が気になる人もいるし

全然気にならない人もいるでしょう。


気にならない人は無頓着なだけでしょうか?


もしかしたら
全てをありのままに
受け入れられる人なのかも知れません。


例えば
聞いた話やドラマを観ても
もらい泣きをしてしまうと言った
何にでもすぐに感情移入をしてしまう人。

言った本人ですら忘れている一言を
いつまでも気にしている人。

相手の表情でその気持ちを察知できる人。

そんな人は本当に優しい人なんでしょうが
どれだけのストレスをため込んでいるんでしょう?


かえって鈍感な方が
もっと気楽に暮らせるんじゃないでしょうか?

空気を読めない人って嫌われやすいけど
それくらいな人の方が長生きできるのかも知れません。

だからって
そう言う人になりたい訳じゃないし
もし自分がそんな自分なら
自分が一番先に自分を嫌いになるでしょうけどね。


感受性って豊かさは求めても
そこに強さを求めてはいけないものなんでしょう。


週末の土曜日は
旭川で亡父の三回忌の法要を執り行って来ました。


帰り際には亡父母のお墓参りもして来ました。

もう二年なのか?
まだ二年なのか?

母親が亡くなってからは
もう二十五年が経ちました。

これは「もう」と言っても良いのかな?

お墓を掃除しながら
そんな事をふと考えました。


そんな父母からもらった私の生命も
日曜日には五十九回目の誕生日を迎えました。

母親の人生を一年上回った事になります。


「還暦なんて何処の年寄りの事なんだ?」

なんて思っていたのですが
まさか来年には私がその歳になるなんて!

オーマイガッーーーーー!!!

いやいや、それは忘れましょ!

誰が何と言おうと私は永遠の三十歳です!

断じて言える!

精神年齢だけは未来永劫二十歳!?


こらこら!

誰ですか?

そこで納得してるのは?(プンプン!)


10月・・・頃は収穫の秋。

もし
今が私の人生にとっても秋だとするなら
それは収穫の秋・・・になる・・・はず。

ですよね?


こらこら!

ここ、同意するところでしょうが!

今日くらい優しく扱ってくださいよ。
誕生日なんだから(笑)


もとい!


私の人生が後どれくらいかは
残念ながら<神のみぞ知る>というところですが
この秋を長くするのも短くするのも
有意義に過ごすのも無為に過ごすのも
きっと私自身の責任なんでしょう。

不摂生な私が親父の歳まで生きられるかは
自分自身でもはなはだ自信は無いところではありますが
限りある時間を
せめて少しでも自分にとって有意義には出来るはずですね。

人生の曲がり角を何度か曲がってこの10月を迎え
そして、これから幾つの曲がり角を巡って
その先に何があるのか?

私みたいな妄想人じゃなくたって
色々と想像をしてしまうでしょうが
自他共に認める?妄想人たる私なら尚更です。

そして私には明るい未来しか見えていません。

どんなですって?

それは・・・秘密です(笑)



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