Neko

夢の汽車に乗って 2016年09月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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秤にかける

ワイドショーの恰好のネタと言えば
先ず思い浮かぶのは
芸能人の浮気騒動だとか
二股騒動なんかがありますね

もっとも昔は浮気とか二股と言えば
悪いのは決まって男なんて言われてましたが
最近は必ずしもそうじゃないみたいですね

ここにも男女浮気機会均等法の影響が?

いやいや、雇用機会均等法でしたっけ?(笑)

ともあれ
何から何まで男女同権の世の中のようです


それにしても
以前、「浮気は文化だ」
なんて豪語した俳優もいましたが

何ともまぁ~

男としては羨ましい限りで・・・あっ、いやいや!

私に限っては決してそのような!

でも、ちょっとだけ羨ま・・・いやいや!

けっ、決して・・・そのような?(笑)


までも

よ~~~っく考えてみたら

いや、考えなくたって
私なんかは
いわゆる「イケメン」ちゃいますから
二股なんかはかけたくてもかけられません

余計な心配はする必要も無いかな?(笑)


ともあれ

男女間の二股はともかく
”秤にかける”ってことは
人生の間にはいくつもありますね


例えば

「自分の夢と現実の生活」


叶えたい夢、目指したい夢があったとしても
それを本当に叶えられるのは
きっと
才能と時の運を併せ持った一握りの人だけなんでしょう

多くの場合は
現実の生活を優先させ
或いは、現実の生活に追われる中で
それをむしろ言い訳にして
自ら秤から分銅を下ろしてしまいます


ただ

それが自分自身の決断だとしたら
そのこと自体は恰好悪いことだとは思わないし
誰から責められるなんて所以もありません

本気の夢を捨てるというのは
男としては勇気のいる決断だと思います


逆に

自分の身の丈や才能や限界も自分で認められずに
ただ、自分の夢だけに拘って現実を見ようとはしない

叶うかどうかも分からない夢を
大よそ不可能な夢を
いつまでも未練がましく追い続けて生きている

もし、そんな人が身の回りにいたら

「バカな奴だ」と嘲笑いながらも
心の何処かでは
「羨ましい奴だ」と思っている

そして

秤から
分銅を下ろしてしまったことを後悔する

そんな自分が何処かにいるんだよね


果たして

どっちの生き方が正解なんでしょうか?


いや、きっと正解なんて無いんでしょう



秤に載せるのも自分
秤から下ろすのも自分

どっちを選んでも
後々、後悔はするかも知れないし
どっちを選んでも
自分を納得させることが出来たなら
どんな結果になっても
後悔はしないで済むのかも知れない

でも

少なくとも
それを周りのせいにして
自分を正当化することだけは止めにしたいよね

うん、そうだね
それはそう思う

それは?

うん、それは・・・

そっか

でもね!

ん?

いや、なんでもないよ



答えの出ない禅問答のような独り事を繰り返しながら
今夜も秤と脇に置いた分銅を見比べている


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道端に散らばっている無数の小石


拾えばそこに縁が生まれ

素通りをしたらただの小石のままで終わる


拾うならどれにする?

それとも躓かないよう避けて通り過ぎるのか?


選ぶとするなら直感か?

それとも経験か?



「さて・・・」



拾うも捨てるも

その全てが人生の<綾>になる


「なんだ、また思い出しているのかい?」

いや、ちょっとね・・・

「もういい加減に赦されても良いんじゃないか?
 二十年も前の後悔なんてさ」

そんなつもりじゃないけど。

「けど?
 そんな引き出しの奥の奥に仕舞い込んだ
 錆だらけの後悔を今更引っ張り出してきて
 それでどうするつもりなんだい?」

錆だらけって、そんな言い方をしなくても。

「そうじゃないか。違うかい?」

・・・

「だろ? 思い出して又、後悔をしてさ。
 それで何か変わるのかい?」

そう、何も変わらないさ。
でも、想い出ってそういうもんだよ。
それを懐かしんで何が悪い?

「懐かしむだけなら悪くはないさ。
 じゃ、訊くけど
 思い出しているのは楽しかった事かい?
 幸せだった時の事かい?」

・・・

「違うよね?
 <あの時>の後悔ばかりだろ?」

だって、しょうがないじゃないか。
本当に後悔しているんだ。

「それは解るけどさ。
 ん~、きつい言い方だけどね。
 拘っているのは君だけだと思うよ。
 そんな昔の事を今でも後悔している良い人。
 いや、優しい人って言われた方が良いのかい?
 それとも・・・」

もう良い!
解ったよ、解った!
どうせ俺は女々しい男さ。
それで良いよ。

「いや、解ってないね。
 いいかい? 考えてもみなよ。
 そんな二十年も前の事を
 今でも悔やんでいられるっていう事はね。
 逆に言えばこの二十年間は
 あの時の後悔以上の後悔はしていないって事だよね?
 それって本当はものすごく幸せな事なんじゃないか?
 大事なのは今だし
 それ以上に大事なのはこれからの事だろ?
 もう自分を赦しちゃえよ」

赦すって・・・どうやって?

「だって、結果はともかくさ。
 あの時はあの時で真剣だったんだろ?
 嘘は無かったんだろ?
 なら、別に無理をして忘れなくても良いんだ。
 ただね、あの時の自分の事を認めてあげたら良いんだよ。
 それが赦すって事だと思うな」







だんだんと夜が長くなってくると
その長さに乗じて
私の中の色んな私が勝手に昔語りを始めだす。

「そういや、そんな事もあったな」

微かな胸の痛みを懐かしく擦る・・・そんな秋の夜。


波長


「いやぁ~ 昨日の合コンで知り合った子とさ。
 妙に気が合っちゃって
 その後でカラオケでやたら盛り上がったよ」


「何だか、今度来た課長とはウマが合わないんだよな」


「別にあいつの事は嫌いでも何でもないから
 悪口で言う訳じゃないけど
 何か、あいつとは波長がズレてる気がするんだよね」


言い方はいくつかありますが
色んな場面で
波長の合う、合わないという事が起こります。

古い話で恐縮ですが
かつての松田聖子流に言えば「ビビッときた」だとか
逆に、良く言われる「生理的に無理」だとかいうのも
やはり波長の合う、合わないという事なんでしょう。


もちろん
人間は電波を発する訳ではないし
超音波やテレパシーで会話をしている訳でもありません。

なのに、相性が合う、合わないという事を
「波長」という言葉で表したりします。

会話をしてそれに気が付く場合もあれば
話さなくても
何となく合う、合わないを感じる事があります。


それでは
相手の何を感じ取って
波長が合う、合わないという話しになるのでしょう?


過去の経験からの判断?

そういう事もあるでしょうね。


敢えて曖昧な言い方をすれば
勘や嗅覚といった自己防衛本能でしょうか?

いわゆる
動物としての本能=察知能力。

多分、そういう事なんでしょう。


小さな子供や動物にはやたら懐かれるという人がいますが
それも、そう理解すれば頷けます。

子供(特に赤ちゃん)や動物には
自分が生き残る為に本能的に
相手が敵か味方かを嗅ぎ分ける能力があるそうですからね。


まぁ、もしかしたら
本当に人間は
機械も感知出来ないくらいの
人間同士にしか感じ取れないような
或る種の<電波>を発しているのかもしれません。

そう思った事ってありませんか?

私なんかは学生の頃から良く実験していました。

授業中の先生に対しての
「俺に当てるな」オーラとか
好きな女の子に対しての
「こっち向いて」オーラとかね。

まぁ・・・もちろん、効き目はゼロでしたけど。

いや、実験に失敗は付きものです。

それにめげてるようじゃ
まだまだ甘いよね?

って、話がそれてますか?


それはともかく。

デジタル全盛の現代においても
アナログ的な感覚というのは
人間においては依然として大きな幅を占めています。

「好き・嫌い」だとか
「合う・合わない」というのは
数値では絶対表せないアナログの感覚です。

逆に言えば
ここの波長のチューニングさえ上手く出来たら
どんな人とでも
多分、上手く付き合っていけるという事なんでしょう。


男「どう?」

女「えっ? あっ、イヤ・・・」

男「これはどう?」

その場所を指でつっついて男は訊いた。

女「イヤ・・・ダメよ」

男「ホントは好きなんだろ?」

女「そんなこと・・・」

男「良いだろ?」

女「イヤ・・・」

男「好きだって言ってたじゃん?」

女「でも・・・今日はそんな気分じゃないの・・・」

男「ほらっ、見てごらん。こんなだよ」

男はおもむろに開くとそれを女の目の前に近づけた。

女「あっ、ダメよ・・・」

男「ほら、もっと正直になれよ。
  俺がしてやるからさ」

ニヤニヤしながら
男はグイグイとそれを女の目の前に近づけた。

女「ちょ、ちょっと止めて」

女は脇に置いていたハンドバッグで胸を隠すように屈んだ。

男「もんじゃダメか?」

女「だから、ダメ・・・もんじゃ」

男「良いだろ? こうして、あーして。
  で、ベチョベチョになったところをペロッってさ」

女「ダメよ。今日はイヤ」

男「どうしても?」

女「ごめんね・・・」

男「俺がこんなに頼んでも?」

女「うん・・・気分じゃないの」

男「じゃあ、何が良い?」

女「豚玉のお好み焼きにしよ。今日はもんじゃはイヤ!」





カップルがお好み焼き屋でメニューを見ながら
「もんじゃが良い」とか「お好み焼きが良い」とか
あーだ、こーだ言って戯れているの図でした。

お後がよろしいようで・・・m(_ _)m



って、最初からそんな事だろうと踏んでました?

いやいや、さすが私の事を良く判ってらっしゃる。

   パチパチパチ・・・



それじゃ、こんなのは?



女「いっぱいこすって、たくさん出してくださいね」

男「あっはい、頑張ります! でも、大丈夫かな?」

女「大丈夫ですよ。みんなここで出してますから」

男「ここでこすっても良いんですか?」

女「どうぞ。何なら見ていてあげましょうか?」

男「ホントですか? 何か恥ずかしいけど・・・
  じゃ、頑張ろうかなぁ~」

女「たくさん出ますように」

男「良いんですか? ホントに出しちゃいますよ!」

女「どうぞ。遠慮なさらずに」

男「よし! 出すぞぉ~~~!」




宝くじ売り場で
スクラッチクジを買ったお客さんと店員さんの会話。



どう?

さすがに、これは判らなかったでしょ?


ドヤ? ←ドヤ顔満開



ってか・・・ちょっと待てよ

何かさ、これって
ただ私の欲求不満を日本中に暴露してるだけか?


自分で書いておいて
今更言うのも何だけど・・・誰得?(笑)


作るということ

色々と四苦八苦をして
やっと出来たと思ったけど
何処かシックリとこないところがある


ここを直して
あそこを直して・・・?

何とか体裁は整えたものの
やはり何処かまだシックリこない


それはそうだよね

体裁を整えたというのは
ただ形を整えただけなんだ

シックリ来なかった原因を解決した訳ではない

いくら形を整えたからって
それで納得が出来ないことは
自分が一番良く分かっている



そんな時はどうしたら良いと思う?


そんな時は
一度全部壊してしまうんだ


そうだね
それも方法のひとつ

出来れば
最初に考えたことも含めて全部真っ更にして
もう一度初めからやってみたら良い

それが案外、一番の早道だったりする


もうひとつの方法は
最初に思い描いていた形に囚われないで
修正をしながら納得出来るまでやり続けること

ジグソーパズルのピースのように
当てはめる場所が決まっているものなんてない

やる度に形が変わることだってある

でも
それで良いんだと自分で思いきること

それが出来れば良い


間違えた形から
時には思いもかけない発想が生まれることだってある



何についても、どんなことにでも
”作る”方法はいろいろある
それぞれのやり方があって良い

正解なんて
ずっと後にならなきゃ
いや
もしかしたら一生判らないのかも知れないけど
自分が納得出来るならそれで良いんだよ、きっと



今だからそう思えるんだろう


若い頃って世界も狭くて


ひとつを知れば
それですべてを解ったつもりになっていたし


何かひとつがダメなら

それで全てがダメだってほど落ち込みもした

根拠の無い自信を振りかざして
生意気に生きていたけど

でも、これだけは言える

例え

どんな狭い世界にしか生きてなかったにせよ
その時はその時なりに真剣に生きていた


真剣だったからこそ
後悔もたくさん残してしまったんだろうと思う

真剣になればなるほど
ぶつかるモノだって増えるものだしね


「今ならもっと上手くやれるのに」



それは

世界がもっと広いことを知っている
今だから言える言葉なんだよね


でも

若い頃ってそれで良いんだと思う

上手く立ち回ることを考えるよりも
真剣に生きていくことの方が価値がある


それも今だから言えることなんだけどね


寝言

他人の寝言ほど笑えるものはありません


「えー♪ これ全部食べて良いのぉ~?」

何の夢を見ているのか一目瞭然です
太らないように気を付けてね


「あぁ~ん、それはダメェ♪」

何だか妄想が膨らみますが
いったい何の夢を見ているんでしょ?


「みちこさん・・・」

ありゃ? 大丈夫ですか?
それはちゃんと奥さんの名前でしょうね?


「ごめんなさい、もうしません!」

いったい何の悪さをしたんでしょ?
そう言ったのが我が子なら尚更気になりますね

そう言ったのが旦那さんなら・・・

そうね
朝起きたら問い詰めてみましょうか?

もちろん、私ならしらばっくれますけどね(笑)


余談ですが
上で書いた事に関連するのかどうかはともかく

寝言で浮気がバレるなんて事もあるそうですから
寝言常習犯の心配のある方は
浮気相手を選ぶ時も
奥さんとか旦那さんと
同じ名前の人を探した方が良さそうですよ


えっ? 私ですか?

もちろん、私に限ってはそんな心配はありません

気合と根性で寝言は言いませんから!?(笑)



中には
妙に滑舌の良い寝言を言う人がいたりして

『こいつ、本当は起きてんじゃないのか?』

なんて、思う寝言もあります

思わず突っ込みたくなりますが
それは止めておいた方が良いんだとか


その理由については良く

「夢を見ている時と言うのは
 あっちの世界(黄泉の国)と
 こっちの世界(現世)の間にいるのだから
 話しかけると戻って来れなくなる」

等と言われたりしますが
実際にはそう言う事ではなくて

寝言を言いやすい状態と言うのは
眠りの浅い時(レム睡眠)で
寝てはいるのですが脳が起きている状態で
特に言語中枢が活動をしている時だそうです

なので
その寝言に受け答えをして<会話>をすると
脳が休まらず疲れが残ってしまうのだとか


脳が興奮状態だったり
何かしらのストレスや過去のトラウマも
寝言の原因になったりするそうですから
寝言を言っている人がいたら
話しかけたりせずに
「疲れているんだろうな」
と、労わってあげる事が大事なようです

ですから
寝言で不審な言動を聴いたからって
問い詰めるなんて事は決して止めましょうね

それで良い事なんて
何ひとつ無いんですから・・・きっと?

ましてや
相手が寝ているのを良い事に
誘導尋問なんて決してしちゃダメですよ!

寝言の自白なんて
何の証拠にもならないんですから

疑わしきは罰せず

これ刑法の基本理念です

解りましたか?(って、誰に言ってる?)


私?

私は一人で寝ているので
寝言聴かれるのノー心配アルよ

ワタシ、ニホンゴワカラナイアルネ
ナンノコトダカ?

ニホンゴ、ムズカシイアルネ



ちなみに

我が家の猫達も寝ている時にたまに
「むにゃむにゃ」と
何やら寝言らしき事を言ったり
「ミャー」と鳴いたりしますが
猫の場合、いつも寝ているので
寝言なのかどうかは良く分かりません

そんな寝ている時に撫でたりすると
目を瞑ったまま
「みゃー」と尻尾をブンブン振ります

これは猫語が解らなくても理解は出来ます

『おめぇ、寝てる時に触るんじゃにゃー
 そっとしといてくれにゃ』

解ってはいるんだけど
つい可愛さ余って触ってしまうんだよね

猫が寝ている時に触ると
横たわったままゴロンとしたり
フニャーと伸びをしたりします

もちろん、たまに怒って

『ミャー!』とマジ鳴きもするんですが
それが又、可愛い(笑)

「なんだよ、触らせてくれたって良いじゃん?」

飼い主に撫でられるのも猫のお仕事だからね

って、違うかな?(笑)


協力

だいぶ以前の事になります。

小学生当時の娘の担任の先生が
学級通信で書いていた言葉を
ふと思い出したので今日はそんな話を。

もしかしたら
単に私が知らなかっただけで
本当は誰もが知っている
有名な「言い回し」なのかも知れませんが
そこは私の無知に免じて
笑って許してもらえればと思う次第です。

以下、その時の学級通信の要約。


 「もうすぐ運動会です。
  練習の中で子供達は
  日ごとにたくましさを増しています。
  最初は出来なかった子供も
  みんなに励まされて頑張って
  段々出来るようになっていくのが嬉しいです。
  何も言わないでも
  友達に声をかけている子も出てきました。
  結果はどうでも良いんです。
  みんなが一生懸命に力を合わせて
  頑張る事が大事なんだと思います。

  『協力』の『協』と言う字は
  『3つの力を足す(+)』と書くんだよ!

  みんなの力を合わせて
  みんなで協力をしながら本番も頑張ろう!!」


「協力」の「協」

なるほどなぁ~と1人感心をしてしまいました。

かつて
「金八先生」の中で武田鉄也が言った有名な台詞。

 「『人』と言う字は支え合って出来ているんだ」

これにも勝る名言ではないか!
と、思ってしまったのは
いささか軽々だったでしょうか。


毛利元就の「三本の矢」の話もしかり。

人間と言うのは
いつの世も
助け合って生きていかなければならないものなのです。


一人の力は弱い。
一人で歩く道は険しい。
一人の言葉は遠くまでは届かない。

だけど
一緒に助け合える人が傍にいたら
きっと人間は頑張れる。


突然襲ってくる人生の苦難。
消える事の無い悩みや尽きる事の無い心配事。

一人で背負うには重過ぎるモノばかりです。

でも
一緒に背負ってくれる人がいたら。
傍で励ましてくれる人がいたら。

きっと頑張れるよね。



”一人の小さな手
 何も出来ないけど
 それでも、
 みんなの手と手を合わせれば
 何かできる 何かできる”

確か、そんな歌も有ったなと
改めて思った次第です。


”地震、雷、火事、親父”

昔は良くこんな言い方をしていました。
いわゆる怖いモノの代表格です。


いつか時代は流れ
怖かった親父も今ではすっかり好好爺になり
むしろ<怖くないモノ>の代名詞になってるんだとか?

ん~ 身に沁みます・・・



までも

”地震、雷、火事、親父”の<親父>自体
本当は<大山嵐(おおやまじ)>
もしくは
<大風(おおやじ)>が転化したものだと言う説もあるので
そもそもの話
ただ単に<元>に戻っただけなのかもしれませんね

そう思えば一親父として
私も少しは気が晴れるというものです

ちょっと弱気ですか?



さて

その<大山嵐(おおやまじ)>とか<大風(おおやじ)>
何の事かというと台風の事なんです

特に本州や九州などでは
昔から大きな台風が甚大な被害をもたらしてきました

でも

今までは大概の台風は
北海道にはほとんど上陸していませんでしたし
北海道に上陸をする頃には温帯低気圧に変わっていたりで
局地的に被害が出る事はありましたが
今回ほど多くの地域で
且つ、甚大な被害を出した事は私の記憶にもありません

今回の台風では私の住む地区でも避難勧告が出ましたが
20年以上住んでいて初めての事でした

幸い、私の地区では事無きを得ましたが
近隣の多くの地区ではかなりの被害がでました

ニュースを見ても
北海道のみならず東北地方など
各地の被害が想像以上に大きかった事が正直ショックでした


被害に遭われた地域の皆様には
心からお見舞いを申し上げます



日本列島を囲む海の高温
ずっと続いている西日本の猛暑
何年か前から梅雨の無かった北海道でも
梅雨のような毎日が続くようになってきただとか
季節の様子も変わってきているような気がします

しかも日本のみならず世界規模でそれは起きています

身勝手な自然の乱開発、耐えない地上の争い事

そんな人間の愚かさに耐えきれずに
地球が悲鳴を上げているんでしょうか?



先だっての熊本の大地震
今回の大型台風
合間を縫うように突風や竜巻の被害もありました

毎年のように大型台風が猛威を奮っています
東日本の大震災の時の大津波の記憶は
5年以上経った今も鮮明に覚えています


今なら差し詰め怖いモノを並べるとすれば
”地震、竜巻、津波、台風”とかってなるんでしょうか?


”地震、雷、火事、親父”

そう言っていた頃は
もしかしたらまだ幸せだったのかもしれません

やはりここは<親父>の復権しかありませんかね?

あっ、言ってみただけですけどね



異常気象が異常気象のままならまだ良いのですが
それが<普通>の事にならない事を祈るばかりです



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