Neko

夢の汽車に乗って 2016年08月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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そうなんだよね

確かに
感じる時間の早い、遅いはあるにしても
流れている時間の一日は同じ二十四時間なんだ

どんなに急いだって
どれだけノンビリしたって
それは同じ・・・ホントはね

同じなんだけど
人はつい急ぎ過ぎてしまうものだよね

そして

その感じる時間の早い、遅いって
人にとってはとても重大だったりする




ゆっくりと過ぎて欲しい時間に限って早いし
早く過ぎて欲しい時間に限ってやたらと遅い

誰もが経験していることだよね?

でも、思うんだ

それは

<幸せな時ほど時間を大切にしなさい
 不幸な時にこそじっくりと自分を見つめなさい>

もしかしたら
そういうことなんじゃないのかな




私が考えた
<一日の時間を延ばす唯一の方法>

それは夜更かしをすること

夜中の一時まで起きていたら
一日は二十五時間になるし
二時まで起きていたら
一日は二十六時間になる

ねぇ、そう思わない?

睡眠時間を削ってでも夜更かしをする価値はあるよ

他人には勧めないけどね




昔々、人間がまだ
電気どころか火すら持っていなかった頃
一日は日の出とともに始まり
日の入りとともに終わりました

人間がまだ自然とともに生きていた時代の話です

この頃は時間というの概念も
もしかしたら
自由という概念すら持っていなかったのかもしれません

ただ自然に身を任せて在るがままに生きる

縛るものは何もなかったのですから


いわゆる文明を手に入れて以来
いつからか人間は
日の出や日の入りに関係なく
それぞれが何かの都合に合わせて
一日を始め一日を終えるようになりました

そして
みんなが共通の時間を持つようになると
今度は時間に縛られるようになりました

その頃からでしょうか

人間の概念に自由という発想が加わりました
個の自由が
時間によって制約を受けるようになったからです


得たもの失ったもの
果たして人間にとってどちらが大きかったのでしょう?

どれが正解かはともあれ
考えると幾つかの答えに出会えます

でも

その結論はまだ出さないでおきましょう

少なくとも新しい一日が私を待ってくれているうちは


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8月25日

今日は我が家にとっては特別な日です。


「どんな日か?」ですって?



そう、実はこんな日なんです。

   

*タイトルをクリックすると夢の樹舎の本文が開きます。

         ↓

      <愛縁喜縁> 






この時の長女は今日23歳になりました。

そして同じ日。
亡母の25回目の命日です。



そっかぁー もう、そんなになるんだね。。。



故に夢

夢は時として
遥か心の深淵に潜む記憶を呼び覚まし
現実よりも鮮明なものにする

夢は時として
今ここに在る現実すらをも曖昧なものにする



夢は時として希望を与え
夢は時として心の嗚咽を揺り起す

夢は時として眠りを誘い
夢は時として目覚めを拒む



時の流れに抗い得るもの 



辿り着くことの出来ない蜃気楼のように
追い着くことの出来ない陽炎のように
夢は人が触れることを許さない



或いは
醒めても続く惑いのうねり


現(うつつ)の中に見る幻




夢は夢

故に夢・・・



未来日記

北海道の学校は夏休みと冬休みの長さが一緒なので
本州からしたら夏休みは早く終わります。

と、いうことで次女の夏休みも今日が最終日。

案の定、今回も最終日の徹夜は必至の様子。
いや、必死の様子?(笑)

まぁ、夏休み、冬休みの最終日の徹夜は
我が家では長女から続く伝統みたいなもので(笑)
今更、驚きもしませんが
この時期になると思い出す事があります。

やっぱり、ネタの主は次女なんですけどね。


今から七~八年前、次女が小五だった年の夏休み。


いつもは夏冬問わず休み最終日に
ジタバタして焦りまくって
取りあえず(?)終わらせていた宿題の山。

さすがに五年生になって少しは大人になったか?
その年の夏休みに入ると次女は堂々と宣言をした。

「私、今回は一週間で宿題を全部終わらせるから!」

ほぉ、それは見ものじゃないか。
とくと見せてもらおうか!


ほどなく一週間が過ぎようとしていた。


「どう? 本当に宿題は終わるのかい?」

訊く私に次女はドヤ顔で答えた。

「自由課題以外は全部終わったよ」

「えっ? マジ???
 算数や国語のプリントも?」

「丸付けよろしく!」

「社会や理科も?」

「丸付けよろしく!」


普段は思いっきり腰が重いけど
やれば出来るのは私譲り?

お父さんは今
モーレツに感動しています!


「あっ・・・そ、それは良いけど・・・
 で、読書感想文は?」

次女は自由課題の次に読書感想文が苦手。

「ねぇ、何を読んだら良いの?」

いつもは先ず、そこから始まるのだが。


「読書感想文も終わったよ」

「えっ? マジ???」

(驚くと何故かリアクションがワンパターンになる私)

「姉ちゃんが良い方法を教えてくれたんだ」

姉ちゃんが?
何故かその言葉に一抹の不安を覚えた私は
チラッと長女を見た。

「えっ? 何?」

「お前、次女に何て教えたんだ?」

「別にぃ~」

「別にじゃないだろ? こら、白状しろ!」

「白状って。みんなやってることだよ」

「何だよ?」

「あのね。文庫本の場合は裏表紙にあらすじがあるよね?
 先ず、そこを読んでから次は後書を読むとね
 本の内容はほとんど解るから」

「あのなぁ~ お前、後でしばく!
 おい、次女! さっさと書き直せ!
 そんなんダメだろが!」

「いやだよ。もう書いちゃったもん」

「お前らなぁ~」


お父さんは今
モーレツに感動したことをモーレツに後悔しています。


私は嫌な予感のまま
おそるおそる次の質問をした。

「まぁ良い。
 じゃ、残ってるのは日記と自由課題だけなんだな?」

「日記? 終わったよ」

平然と答える次女。

「えっ?
 だってお前。日記なんてまだ書ける訳ないだろ?
 まだ二週間以上休みは残ってるんだぞ」

「書けるよ」

「お前なぁ~ 嘘はいかんのだぞ」

「嘘じゃないよ。チョー完璧な未来日記だもん。
 オホホー」

おどける次女 VS 呆れる私。

「何が未来日記だよ。何がオホホーだよ。
 ただのテレビの観すぎじゃん。
 てかさ、なんで今から日記が全部書けるんだよ?」

「だってさ。
 十三日と十四日は北見のおばあちゃんの家に行くんでしょ?」

「あぁ、お父さんも休みだしな」

「従兄弟たちもみんな集まるよね?」

「そうだな」

「夜はみんなで焼き肉でしょ?」

「多分な」

「終わったらおばあちゃん家の前で花火をするよね?」

「一応、買ってあるけど」

「十五日は旭川にお墓参りに行くんだよね?」

「あぁ、もちろん。お盆だしな」

「他に予定はある?
 何処かにキャンプに行くとか
 旅行に連れて行ってくれるとかさ」

「いや、そ、それは・・・」

「でしょ?
 そしたら予定は全部解ってるんだもん。
 今から日記に書いたって同じでしょ?」

「うぐっ(思わず絶句)
 いや、まて!
 だけど、それはいかんだろ?」

「もし、何か別な予定が入ったら書き直すよ。
 どうせ、鉛筆で書いてるしぃ~」

「ま、まぁ・・・そうだな・・・」


期待と私へのプレッシャーを全開に
<何処かに連れて行け>光線でアピールする次女。
だが、そんなことに負ける私ではない!

未来日記だぁ~?
よし、その通りにしてやろうじゃないか!


しかし、あの年。
勝利を掴んだのは次女でした。

結局、行きたくもないキャンプに行くはめになった我が家。

「だからキャンプなんか嫌だったんだよなぁ~」

テントの中でやぶ蚊に刺された痕に爪で十字を作っては
眠れない夜を過ごした私を尻目に
寝袋に包まれて満足げに寝ていた次女。

今の小生意気な口達者ぶりは
思えばあの頃から育まれたものだったのだろうか?


居間でノー天気に鼻歌を歌いながら
宿題を広げている次女を見ては
今年も私はそっと溜息をつくのでした。



もうすぐお盆です。


あなたが
”お盆”と言って思い浮かぶ歌と言えば何でしょう?

北海道民にとっては
もちろん『北海盆唄』は外せませんが(笑)

それはともかく一般的には

『千の風になって』
『精霊流し』 etc・・・

こんなところでしょうか?


私が真っ先に浮かぶのは
クラフトの『僕にまかせてください』です。
(実際にはお盆の歌ではないんですけどね)

この歌を聴くといつも思い出す事があります。



私が結婚をする
ずっとずっと前の事です。


当時付き合っていた女性のお父さんのお墓を
その三年間の中で
一度だけ一緒にお参りに行った事があります。

いつもはお母さんと妹さんと
三人でお墓参りに行っていたのですが
その年に限って彼女は私に行って欲しいと言いました。


良く晴れた暑い日でした。

途中で花を買い
いつものドライブのように車を走らせました。

彼女は心なしか
いつもよりはしゃいでいるようにも見えました。

「こんなに喜んでくれるなら
 また、来年も連れて来ようか」

そう思う反面
未だ見ぬ彼女のお父さんとの”対面”に
妙にドキドキしたり
『なんて手を合わせれば良いんだろう?
 やっぱり、初めまして?』かな?
『そろそろ覚悟を決めなきゃ怒られるかな?』とか
自分なりにそんな事が色々と頭を過っていました。


お墓の駐車場に車を停めると
私は彼女と並んで丘を上って行きました。


青い空に少しだけ浮かんだ白い雲。
蝉の声やらキリギリスの大合唱に急き立てられるように
高まっていく私の緊張感。

それを鎮めてくれたのは
彼女の口ずさむ軽やかな鼻歌でした。

あれは何の歌だったろう?


途中、丘の中ほどにある東屋で水を汲み
それからまた少し歩いて
彼女のお父さんが眠るお墓に着きました。

お墓に水をかけながら
彼女はお父さんに話しかけていました。

『なんか、こう言うのって良いな』

そう思いながら私は彼女の仕草をずっと眺めていました。

二人で一通りお墓の掃除をし
持って来た花を生け換えて
ローソクを灯し線香を焚き
お墓の前に二人で並んでしゃがむと
それからそっと手を合わせました。



言い訳をすれば・・・

あの時
彼女のお父さんのお墓の前でした約束は
あの時の私にとっては嘘偽りの無い気持ちでした。


しかし・・・


結果として
私は大嘘つきになりました。



あれから三十数年が経ちますが
今でもこの時期が来ると
あの時の事を思い出しては
心の奥の奥がチクッと痛むのです。



鈴の音

家族が寝静まった夜半過ぎ。
例によっていつものように
ダイニングで一人、PCに向かっていた時です。


”チリンチリン”


二階の方から微かに鈴の鳴る音が聞こえました。

「あれっ? 誰か、起きて来たのかな?」

そっと耳をそばだてて見ましたが
人が下りてくるような音も気配もしません。

「気のせいかな?」

私は又、PCに向かいました。

「さてと・・・今夜は何を書こうか?」

あれやこれや書いては消してを繰り返していると
又・・・


”チリンチリン”


二階への階段は居間にあります。
私はダイニングを立つと居間に行き階段を見上げました。

でも、そこにはやはり誰も居ませんでした。

「ふぅーむ・・・」

何か気持ち悪い感じではありましたが
そこは霊感も持ち合わせず尚且つ無神論者の私。

「まぁ、良いか」

加えて、かなり脳天気な私。

かまわずにPCに向かっていると又、聞こえてきたのです。


”チリンチリン”


しかも、今度はその鈴の音が
少しづつ階段を下りて来るように聞こえています。

しかし、いくら耳をそばだてても
人が下りてくるような足音とか気配は全くありませんでした。

「いやいや、さっきも何も無かった。
 今度もきっと気のせいだ。そうさ。」


”チリンチリン”


いや
確かに鈴の音が少しづつ階段を下りて来ています。

「えっ?」


”チリンチリ・・・”


と、その鈴の音は途中で止まったのです。

その瞬間、私は背筋が冷たくなるのを感じました。
マウスに乗せた指には知らず薄らと汗が滲んでいました。

「階段の中程か? どうする? どうする?
 もう一度見に行くか? 行くべきか?」

私は恐る恐る立ち上がるとそっと居間の階段の所に行きました。
そして、階段を見上げたその時!














    <みゃあー>
nekonome-330.jpg




眠れない夜に

眠れない夜

さて、どうしましょうか・・・


そう言えば
眠れない時は羊の数を数えたら良いって言いますよね

アレって本当なんでしょうか?

何だか、真剣に数えていたら
逆に目が冴えそうな気もしますが
昔から言われているってことは
まぁ、それなりに効果もあるんでしょうね

と、いうことで
気になると余計に眠れなくなりそうなので
少し調べてみました

色々なサイトで書かれていることを総合すると
次のようになります


☆「数を数える」と言う行為は
 単純で集中力を必要としない作業です
 このように単純作業を繰り返していると
 いつのまにか飽きてしまい
 そのために眠くなると言われている


なるほどね~

まぁ、当たり前っちゃ当たり前だけど
人間工学的に考察をすると
何か理屈は合っていそうですね

(取りあえず、難しそうな言葉を使ってみた)


「眠れない時に羊を数える」
というのは
もともと欧米の国で始まったそうなのですが
では何故、羊だったのかというと

①「羊」は英語で sheep(シープ)
 「眠る」はsleep(スリープ)です
 「シープ」と「スリープ」
  何か音が似ていますよねぇ~
  ダジャレみたいなもんですが
 「スリープ、スリープ(眠れ、眠れ)」と
  自分に催眠術をかけていく
  そんな所から
  羊を連想するようになったと言われています

② sheep(シープ) を発音する時に
  最初に shee(シー)と息を吸い
  次に poo(プー) と息を吐きます
  こうすると
  自然と呼吸のリズムが整ってリラックスできます
  その為、だんだん眠くなっていくという訳です

③ 羊のイメージは
  ノンビリとしていてモコモコで暖かい
  心が安らぐ等のイメージがあり
  羊を連想するとリラックスできる

  ん~確かに、目が血走っていて
  せかせかした羊って想像出来ませんね

と、まぁ~諸説ありますが
このような理由から
眠れない時に羊を数える習慣が生まれたのだそうです 



眠れない夜

それじゃ私も
静かに目を瞑って羊を数えてみようかなぁ~


羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・
羊が十八匹・・・羊が四十二匹・・・
羊が六十六匹・・・
ひつじが九十七匹、しつじが九十八人
執事が・・・って、おいおい!

どうせならメイドさんの方が?


いかん!

変な妄想をしてたら目が醒めてしまったわ



眠れない夜

もう一度やり直し

羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹・・・
羊が七十三匹、羊が七十四匹・・・
羊が百三十二匹、羊が百五十七匹・・・ドテッ!


ドテッって・・まさか、コケたの?

どんくさい羊もいるんですね~

大丈夫?


ってか
おかげで目ぇ、醒めたべさ

目ぇ・・・メェ・・・羊だけに?



目が覚めちゃダメじゃん

分かった!
私にゃ、羊は合わないんだな、きっと

じゃ、どうしよう?



眠れない夜

仕方が無いので
今度は猫を数えてみる事にした

猫が一匹、猫が二匹・・・ん?


お前らなぁ~

まったりと毛づくろいしてる猫はいるは
丸くなって寝ている猫がいるかと思えば
カリカリ好き勝手にご飯を食べてる猫がいるし
追い駆けっこしている猫もいるし
隣の猫の尻尾にジャレている猫もいるしさぁ~

何で、お前らそんな自由なの?

やれやれ

数える気にもならんわ
まったくもう!



眠れいない夜

取りあえずアリの行列を数えてみた

・・・

数えてみた・・・

じー・・・・

み、見えない・・・(老眼にゃ無理だわな)



眠れない夜

じゃ、見やすい奴で行ってみよ~


よっしゃ、これなら大丈夫!

と、水槽の魚を数えてみた


どうせならスペクタルな展開にしてみる?

イワシの大群とか・・・って

これ数える気、無いよね?



眠れない夜

やっぱり、アノ手しかないべか?

と、いうことで
本棚から高校時代の数学の教科書を出してきた


表紙をめくって
何々?

えーっと、第一章は?

と・・・


(グゥ~ スピ~ zzZZ・・・・)


人生が二度あれば

五年間の闘病の末に
母が亡くなってもう二十五年が過ぎました。

その後、七十歳を過ぎて父は再婚をしました。
相手は母とは全く正反対の女性で
私は当初反対をし続けていたものの
結局は父の気持ちを尊重して認めざるを得ませんでした。

その父も一昨年の晩秋
数ヶ月の闘病の末に八十二歳で亡くなりました。



先日、実家のあった町に
お盆を前にお墓の掃除をしに行って来ました。

掃除が終わってお墓に手を合わせながら
人生について考えました。

私のではなく父や母の人生について。


考えたら
私は父や母の人生、特に若い頃をよく知りません。

どんな夢を持ち、何がしたかったのか?
そして、それらはどうなったのか?

本当はどんな風に生きたかったのか?


私にとっては
父や母は私が産まれた時から父と母で
知っているのはお見合いで結婚をしたことくらいです。

そして、それぞれの実家の様子と
それぞれ祖父母がどんな人だったかとか
私が子供の頃の断片的な記憶の他は
叔父さん、叔母さん達との会話から垣間見える昔話くらいで
例えば
父と母が付き合い始めた後
どんなところでデートをしていたとか
どんな風に結婚を決めたのかとか
父と母はどんな想いだったのかとか何も知りません。

確かに、そんな細かなところまで
いちいち親に報告はしなかったでしょうし
それに、それはきっと
本人達だけが知っていれば良いことなんでしょう。

それはそれで良いし
そこの詮索をするつもりはありません。


ただ、母がまだ闘病中だった頃に
一度だけ、そんな様子を垣間見る事ができました。

それは全くの偶然だったのですが
その時の事は以前『手帳』という記事に書きました。


 *夢の樹舎に掲載済み(下記、リンク参照)

  『 手帳 』

私の拙い経験からも解りますが
人生には喜びもあれば悲しみもついて回ります。

どんな関係の仲であれ
仲良く過ごす時間もあれば
ちょっとした事でケンカをしてしまう事だってあります。

どんな人の人生にも山や谷は幾つもあって
頑張れば乗り越えられるモノもあれば
中には乗り越えられずに挫折をしてしまう事もあるでしょう。

満足感だったり後悔だったり
それら全部をひっくるめて
「幸せだった」と、人生の最期に笑えたら
それはきっと一番の幸せなんでしょう。

そして、もし・・・

もし、最期の時が来た時。

そんな幸せを分かち合った者に
看取られて逝く事が出来るなら
少しは辛かった事や哀しかった事も
忘れて旅立てるのでしょうか?


父と母の人生は幸せだったんだろうか?

井上陽水の「人生が二度あれば」の歌詞が
頭の中をぐるぐると駆け巡ります。

バカな一人息子の為に生きた半生も
もし、人生が二度あれば
その時は自分の為に生きたいと願っているのでしょうか?

父や母に訊けば訊ける時はあったのに
結局、訊けないでいたのは
答えが解っていたから・・・かな?


大して親孝行ではなかった私の唯一の救いの言葉。

それは

「一番の親不孝は親より先に逝く事だ」

その点においてだけは
どうやら一番の親不孝はしなくて済んだのです。


そして今
同じ問いを自分に投げかけています。

「人生が二度あれば?」



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