Neko

夢の汽車に乗って 2015年11月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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足跡

歩いてきた道は
どんな道も、どんな足跡も
それは全て自分の人生です

その途中の足跡が
例え気に入らなくても
例え後悔でしかなかったとしても
そこだけちぎって捨てる事は出来ないし
何よりそれは
今の自分を否定する事になります



自分が歩いて来た道の中で
望んで付けた足跡
図らずも付いてしまった足跡

覚えているのはどっちが多いでしょう?

本当は付けたかったのに
付けられなかった足跡もあったよね



捨てる事は確かに出来はしないけど
だからと言って
無理をして忘れる事も無いし
無理をして覚えている必要もありません

時間が解決してくれる事もあれば
解決してくれない事だってあります

でもそれは人生の最期の時まで
宿題として持っていたら良いんです

今は前だけ見つめれば良い

囚われ過ぎないのであれば
時々、後ろを振り返ったって良い

立ち止まって空を見上げる日があっても良い

これからどんな足跡を付けて行くにしても
それがあるがままの自分の足跡なら
それで良いんだよね、きっと



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嘘つき ~詩~

雨降り夜空に
ぼんやり浮かぶ街灯

滲んで見えたのはあの日の幻


その瞬間が
ただ楽しかったら良かった

将来のことなんてどうでもね


あいつも僕も
そして君も男も女もなかったね

変わらないものだけ信じていたんだ


いつかこんな日が
来ることだけが怖かったんだ

僕達は今でも何も変わらないのに


君と誰かが
僕の知らない男と女になってしまうこと

聞かされた夜
心と裏腹にとっさに出た言葉「おめでとう」


君を守る男には
僕は最後までなれなかったね

「幸せになれよ」なんて心にもない嘘をついた




ウェディングドレス
君は祝福と歓声の中で笑う

あの頃、僕やあいつに見せてた笑顔で


あいつはとうとう来なかった
君の笑顔が時々だけど

曇ったように見えたのはそれだったかな


記念写真の僕は
きっと泣きそうな笑顔してる

これでもせいいっぱい頑張ったつもりだけど


あいつもきっと今頃
何処かで祝ってくれてるはずさ

ただ素直にそう言えないだけで解るよね?


君と誰かが
僕の知らない男と女になってしまうこと

聞かされた夜
心と裏腹にとっさに出た言葉「おめでとう」


いつまでも変わらずにいよう
そう誓ったよね あの頃

「友達で良かった」なんてまだ自分を騙そうとしてる




アルバムの中で僕達は今も笑ってる
変わらないものだけを信じていた頃

どんなに時が流れても時代が変わっても
僕達はいつまでも変わらないと信じていたね

「友達で良かった」なんてまだ自分に嘘をついてる




そして、冬

昔、愛する人と一緒だった頃は
この季節は大好きでした

どんなに空気がシバレていても
いや、シバレていればいる程
握り合った手は温かでした



独りぼっちだった頃は
この季節は大嫌いでした

どんなに厚いコートを着ても
手袋を穿いても
ポケットの中の手は冷たいままでした



子供が出来てからは又
この季節が好きになりました

「わぁ、キレイ!」って喜ぶ顔
例え、その後で何かをねだられたとしても
そんな事にも幸せを感じます



この季節は誰かの笑顔と一緒にいたい季節です

そうじゃなきゃ凍えてしまいます



誰かと歩いた街
誰かと観た風景
誰かと過ごした時間

いつかそれが
想い出になってしまったとしても

想い出があるだけで
心は仄かに温まります

その仄かさが
何より暖かく感じるのもこの季節です



シンデレラが家路を急ぐ

時刻は23時59分

さぁ、カウントダウンが始まるよ


急がなきゃ!


そして、シンデレラが家に駆けこんだその時
時計の針が丁度24時を指した

いつもの姿に戻ったシンデレラは思う

「明日なんて来なきゃ良いのに」




真面目に働いている夜勤の人達を除けば
こんな時間から活動を始めるのは
ドラキュラと妄想族くらいなものかもね


妄想の良いところは
自分の思うがままになるところ

何をするのも何が起こるのも
それは自分が描いたストーリー

自分に都合の悪いことなんか起こるはずもない

そして

何より自由だ




シンデレラが落としていった硝子の靴

王子は娘を探せと命令するが
見つかるはずもない

何故なら

硝子の靴にサイズがピッタリだったら
普通の人間なら靴擦れで歩けたもんじゃない

つまり娘は人間ではないことになる


魔法?

これまた性質の悪い冗談だ

何でも魔法で片付けるなんて
趣味の悪いやり方だと思わないかい?

「それは魔法だ」

って、言えば何でも出来るなんて
あまりにも想像力が欠落していないかい?




妄想って言うと訝しげに人は決めつけるよね

「どうせ、いやらしい事を考えているんでしょ?」

「あいつは現実から逃げているだけの
 ただの気持ちの悪い妄想狂だ」

なんてね


良いさ
言いたい奴には言わせておくよ

そう言う奴に限って
その実態は現実を見る事の出来ない奴さ

きっと、想像力も欠如しているはずだからね




娘の所にも王子の使いがやって来た
使いはみすぼらしい身なりの娘を見るなり言った

「あー、この娘も違ったか」

すがるように娘は言った

「硝子の靴があるんですよね?
 私にもぜひ履かせてください」

使いはもう一人の使いと顔を見合わせた
そして娘に向かってこう言った

「100件行ったら100件の家がそう言うんだ。
 みんな『娘がシンデレラ姫だ』ってね。
 でも、あんな靴に合う娘なんて
 そもそもいるはずがないんだ。
 あんたも話には聞いているんだろう?
 硝子の靴なんて履ける娘はいないのさ」

「どうして確かめもしないで決めつけるんですか?
 もし、私にピッタリだったらどうします?」

「ピッタリだったら?
 もしそうなら、あんたは魔法使い・・・
 いや、魔女だ
 ひっ捕らえて即座に死刑にするさ」

「そんな!」

娘は絶句した




もし、妄想に対して色眼鏡で見る事なく
誰もが受け入れられるなら
今より世界は良いものになるとは思わないかい?

少なくとも
自分と違う人を受け入れられるようになれる

そういう事が何より大事なんだ

想像力が働くということは
考える事が出来るということなんだ

つまり

自分の事はもちろん
相手の事だって考えてあげる事が出来るって意味でね

不幸なのは
植えつけられた先入観だけで
世界を決めつけているという事

その価値観以外は認められないという事




お伽噺の中のシンデレラは
王子様と末永く幸せに暮らしたんだそうな

でも、現実はどうなんだろう?

舞踏会の夜
王子と親しげに踊るシンデレラを見て
どれだけの娘達が嫉妬をした事だろう?

家には意地悪な継母や義姉達が
手ぐすねを引いて待っている

王子が王様になった途端に
妾を囲って酒池肉林とかしていない?

現実はどうあれ
物語の中では永遠の王子とプリンセス

でも、どう思う?

愛は永遠かい?
永遠に変わらないのかい?

波風ひとつ立たない平穏な日々は
幸せな毎日なのかい?

人は慣れる

いつか、その平穏が退屈に変わるんじゃないか?


それでもシンデレラは夢を見続けるに違いない




誰もがハッピーエンドを願いながら
多くの人はそうはなれないでいる

「所詮はお伽噺さ」

そうなんだけどね

でも、ハッピーエンドを想像出来る人って
やっぱり幸せな人なんだよ

幸せの基準は人によって違うけど
ようは自分がどう感じられるのか?
大事なのはそこなんだよね

自分が幸せだと感じられるならそれで良い

自分が幸せだと感じる事で
本当の幸せを呼び込める

幸せを感じられない人のところに
幸せはやっては来ないんだよ

妄想?

それだってもちろんだよ

想像は発明の母だというけど
妄想こそは幸せの母なのさ



肯定

相手の言葉に対して
何でも否定から返事をする人と
肯定から返事をする人っているよね?


「でも」

「そうだね」


後に続く言葉が同じだとして
どっちが相手に受け入れられるかな?

答えはそう、みんな判っているよね





相手の言葉に対して
何でも否定から返事をする人は
会話なんて望んではいないのかもしれない


「違うよ」

「馬鹿じゃない」


否定は否定しか生まないどころか
会話をそこで切ってしまう力がある

それで良いの? 判ってるはずなのにね





相手の言葉に対して
何でも肯定をすべきだとは思ってない
違う事はちゃんと違うと言って良いんだ


「判るよ」

「そこだよね」


いったん肯定をする事で会話は続く
そうしたら次の問題点も見えてくるんだ

相手の言葉を聞く耳だけは持っていたいよね



11月に入って早10日以上が過ぎました。

この時期を
「晩秋」と言うべきなのか?
「初冬」と言うべきなのか?
いつも私は悩みます。


確かに
天気予報を聞けば
北海道の何処そこでは雪が降ったとか
峠では何cmの積雪があったと言っています。

確かに
私の住む街でも先日
雪らしきモノが舞っているのを見ました。

ただ、それは降っていると言うよりは
強い風に飛ばされて舞っている。
そう言った方が正しかったんだと
今でも信じていますが。

単に認めたくないだけ?

まぁ、そこは否定はしませんが。


朝、外に出た途端に
口から白い煙が吐き出されて
寝惚け眼がシャキっと覚める朝の割合は
確実に増えています。


晴れたら放射冷却で空気は冷え込んで
曇ったら日差しがないので当然のごとく寒くって
結局、これからの時期は
何をどうしたって寒い訳ですが
だからと言って
今が冬なんだと認める気持ちはありません。

単に認めたくないだけ?

だから、そこは否定しませんってば!


いっそね。
ドカッと雪が降ってしまって
周りの景色が真っ白になってしまったら
「あぁ、冬か」ってね
それはそれで覚悟が出来ちゃうんですよね。

ただ

心がその域に到達するまでが
毎年の繰り返しではあるのですが
ジタバタと抵抗を続けるのです。

自分でも十二分に判ってますよ。
そんな態度が
駄々っ子と同じレベルだって事くらいは。

でもね。

だって
そう簡単に認めたくないじゃないですか。

一度でも認めちゃったら
冬の奴は図に乗って
来年の3月か4月くらいまで
ここに居座ってしまうに決まっています。

それがいくら毎年の事だとしたって
それがいくら北国人の運命だとしたって
少しは抵抗をしたいじゃありませんか。

出来るなら
来年の4月まで駄々をこねていたいんです。
叶うならね。


これ又、毎年この時期に思うのですが。

「あー、冬眠したいなぁー
 でもって、目が覚めたら春って良くない?」

北国人の夢です。


そうやって先延ばしにしている冬の覚悟。

今年はいつしなきゃならなくなるんだろ?


ウインタースポーツ大好き人間にとっては
冬は待ち焦がれた季節なんでしょうが
北国人のみんなが冬が好きな訳ではないし
北国人のみんながみんな
「心頭滅却すれば雪もまた暖かし」
なんて、悟っている訳でもありません。

ましてや
何年、何十年住んでいたって
冬に慣れる事はありません。

冬はシバレるし雪は冷たいし
吹雪けば私なんぞは
積もった雪で雪だるまになるし?


そうね。
毎年が初めて迎える冬・・・みたいな?
そんな冬の始まりの頃が一番憂鬱です。

つまり、この時期。


冬への覚悟って
早い話、諦めなんですよね。

諦めて冬をじっと耐えるのです。

「冬来たりなば春遠からじ」

そんな言葉を
呪文のように繰り返し唱えて自分を慰めながらね。



こだわり

ブログにしろ
詩や短編、エッセイ 等々

拙いながらも言葉を綴っていると
必然的に言葉に対する”こだわり”が生まれます


誰に習った訳でも無いし
誰に師事した訳でもありません

そのほとんどが我流です
いや、我流が故になのかも知れないのですが

”こだわり”

すなわちそれこそが
私の”個性”なんだと思っています


もちろん

今までに数え切れない歌を聴き
数え切れないくらいの小説も読んできました
たくさんの映画も観たし
絵画や色々な風景にも触れてきました

その中で自然に
誰かの影響を受けて来たであろう事も否定はしません


「真似る」が転じて「真似ぶ」
そして「学ぶ」となったとは良く言われています

その意味では
私も自然のうちに
誰かに学んでいたのかも知れないのですから


しかし、
物書きは所詮は「裸の王様」です

「唯我独尊」と思う事が”命”なのですし
そこでの”こだわり”こそが
自分の言葉の存在理由に成り得る部分だと思います

だから
自分なりの”こだわり”には
とことんこだわっていきたいと思うのです

もちろんそれは
人に押し付けるものではありませんし
そのつもりもありません



私が良く使う言葉で言うと
例えば・・・

「悲しい」と「哀しい」
「思い出」と「想い出」

皆さんなら、どう使い分けているでしょう?


私の場合は
「情景を表現する言葉」
と、
「心象を表現する言葉」
で、使い分けをしています


つまり、私の中では

「悲しい」とか「思い出」は客観的な情景であり

「哀しい」とか「想い出」は内面的な心象風景なのです



「そんなのは当たり前だよ」

「そんな事はいちいち考えないよ」

「どうでも良いじゃん」

そう言う言葉を受けたとしても
「確かにごもっとも」と言わざるを得ません


辞書で確認をした訳でもないし
学者先生に言わせたら
これでもかと言うくらいの
薀蓄(うんちく)を叩き込まれる事でしょう


しかし
「一般的には・・・」
とか、それは私にとっては問題では無いのです

自分自身の”言葉”に対する”こだわり”
それこそが大事なのです


「なら、わざわざブログなんぞで言わなくたって
 自分でそう思ってればそれで良いじゃん?」

確かに・・・

いや、だからこそ”こだわり”を伝えたいのです


言葉や文章に限らず
普段の生活の中に於いても
或いは仕事に対しても
自分なりの”こだわり”を持つ事って
必要だと思いませんか?

自分のスタイルと言い換えても良いかも知れません

もちろん
それが単なるワガママとか自己中なだけなら
それは又、話は別ですが

ともあれ

生き方も含めて
こだわる事
そこに自分の存在意義があるのだと思うのです



秋の夜更けはタイムマシンを飛ばして
あの頃と言う名の街を訪ねてみよう

大都会東京の片隅
四畳半一間のアパートで
僕は何を夢見ていたのかな?

訊いてみると良いさ
僕が何処かに忘れて来た
あの頃の夢をきっと思い出せるから




秋の夜更けはタイムマシンを飛ばして
あの時と言う名の街を訪ねてみよう

泣いているあの娘を見つけたら
僕はそっと横に立って
何も言わずに肩を抱きしめるんだ

そう、余計な事は
喋り過ぎてはいけないんだと
あの時僕が学んだように そうだね




秋の夜更けはタイムマシンを飛ばして
あれからと言う名の街を訪ねてみよう

もしも、ここへと続くあれからの道が
いくつもの後悔を乗り越えた道なら
今の幸せにそっと「ありがとう」と言おう

巡る季節の中で
過ごしてきたどんな毎日も
振り返ればそれは美しい日々だったと




秋の夜更けはタイムマシンを飛ばして
今夜も僕は地図のない旅に出る

目を閉じると浮かんでくる
たくさんの笑顔とたくさんの涙
今では名前さえ忘れた人もいるけど

僕に関わってくれた
その全ての人達の今が
笑顔で溢れていたら良いなと願うのです




秋の夜更けはタイムマシンを飛ばして
僕が僕であることを思い出す旅に出る



とある成年の主張

今、私は声を大にして言いたい!

そう、確かに男はすべからく変態だ

それは認めよう

だがしかし!

ほとんどの男は
多少の差こそあれ
それはあくまで
健康的な変態であって
決して陰湿な変質者ではない!

健康的な変態と変質者を一緒にするでない!

フェチ=いやらしい=変態だと?

ノンノン!

フェチだって良く言えば拘りだ

拘りのない奴に人生を語れるか?

語れまい?

オタクと言うと
女性はすぐに顔をしかめるが
オタクだって矛先が勉学なら学者だ

ノーベル賞なんかは
みんな数学オタクだったり
物理オタクや医学オタクだったりが
高じて学者になった人が取っているじゃないか?

世間一般の大概の男は
確かにそこまでは極められてはいないが
健康的な変態としてまっとうに生きているのだ

フェチ万歳!
オタク万歳!
妄想族万歳!←どさくさ?


あれっ?

これ、そこの!

何故にそんな目で私を見る?




   オホン!




ここで私は声を大にして言いたい!

そう、男ほど未練たらしい生き物はいない

確かにそこに反論の余地はない

私だって思う

「めめしい」は「男々しい」と書くべきだと
「女々しい」は「おおしい」と読むべきだと

だがしかし!

それこそが男の優しさなのである
情の深さと言っても良いだろう

女のように
あっちからこっち等と
要領良く
切り替えが出来るようには出来ていないのだ

神が女に与えし特殊能力
<どんな痛みをも忘れる事が出来る力>

そんな特殊能力を与えられる事もないまま
神代の昔から
男は狩りにと外に出て働いていたのだ

せっせせっせと

家でチップスを頬張りながら
寝転がってワイドショーを観ている妻や
親父の言う事など
てんで聞かない生意気な小娘達の為にだ

あー、男って健気




そこで私は声を大にして言いたい!

そう、確かに私は妄想族だ

それは自他ともに認めるところではある
自分で言うんだから間違いもない

だがしかし!

私はただ妄想をしている訳ではない

もちのろん
それは被害妄想などではない

誇大妄想狂でも・・・たぶん、ない

<妄想を文字にする事こそが私の使命なのだ!>

と、思ってるところからして
既に妄想かもしれないが?

いやいや!

なんのなんの!←落としといて自分で立ち直るの図

時には妄想の度は過ぎるにしても
時には現実逃避としか見えないにしても

今こそ私は胸を張り声を大にして言おう!

妄想が文化を作ってきたのだ!
妄想が芸術を高めてきたのだ!
妄想が科学を発達させてきたのだ!

えっ?
<想像>の間違いではないのかって?

いやいや!

そんな話は私は聞いてはいない!

ともかくだ!

妄想無くして人類の発展、進化はないのだ!



(ここで万雷の拍手)

読者衆のスタンドオベーションに
立ち上がって両手を振って応える私
鳴り止まぬ拍手の中
右に左に笑顔で何度も何度も手を振り応える私

あー、気持ち良い♪


   か・い・か・ん


だから妄想は止められないのだわ

さっ、スッキリしたところで寝るとしましょ♪



似ている

子は親に似るなんて言います。

そりゃまぁね。
DNAがなんちゃらとかいう話は置いといても
それが親子ってもんです。

ましてや子供は
生まれた時から親を見ている訳ですから
仕草、言葉、態度 etc
どれをとったって似てきて必然でしょう。


親は子供が生まれた時
「自分に似てるよ♪」
なんて嬉しくなるもんです。

が、しかし

子供が大きくなってくるにつれて
何か知らないけど
子供を見ていて腹が立つ事ってありませんか?

それはね

子供が親・・・つまり
あなたに似て来ているからです。

子供って
親を映す鏡でもあるんです。

もし子供を見て
その態度や言葉に腹が立ったとしたら
その時、あなたが見ているのは
自分自身の悪い所です。

たぶん

そう言っても間違いではないでしょう。


子供って不思議なんですが
親の良い所よりも悪い所の方が
何故か似ていってしまうんですよね。

そういう私なんかも
お酒を飲んだたらすぐに真っ赤になる処とか
普段はけっこうアバウトなのに
変な処で真面目さが出ちゃうとか
太りやすい体質だとか
子供としてはもらいたくない処ばかりを
受け継いでしまった気がしています。

中には稀にですが
反面教師的な感じで
親の嫌な所を受け継がない子供もいます。

そして更に稀に?

勉強嫌いの親から勉強好きな子供とか
スポーツが苦手な親から
スポーツが大得意の子供が産まれたりします。

いわゆる

トンビが鷹を産んだってやつです。

でも

これまた不思議なんですが。

そんな良く出来た子供よりは
多少出来は悪くても
自分に似た子供の方が可愛いなんて
案外、親は思ったりするものです。

もちろん

勉強でもスポーツでも
そりゃ出来るに越した事はないですけどね。


えっ?

私の娘達?

そりゃ可愛いですよ。

トンビが鷹を産む事はなく
普通にトンビを産んで
普通のトンビに成長しましたが。

「お前なぁー!」

なんて思う事もしばしばですが。

「いい加減にしろよ!」

なんて口に出ることも時々ですが。

まぁ、自分の昔を考えたら
それも又、致し方ないんでしょう。

なんせ、似ちゃったんですから。


それにしても

これこそがDNAの成せる業なんでしょうか?

寄りによって
苦手な科目まで似る事はないのにと思います。

学校から送られてきた成績表を眺めながら
ふと溜め息をつく私に次女が一言。

「仕方ないよね、お父さんの娘だし」

その言いぐさが私に似ていて
だから余計に腹が立つのです(笑)



例えば、それが秋だとしたら
例えば、それが夕暮れだとしたら

君を想い出すには十分過ぎる風景になる


例えば、それが雨じゃなくても
例えば、それが夜更けじゃなくても

独りでいるそれだけで寂し過ぎる風が吹く


「どうってことないさ」
そんな強がり言って友達に言い訳した

どうってことあるよ
ホントはね ポッカリ空いた穴が大き過ぎるから


切なくて泣いたよ君を想い出した夜
恋しくて泣いたよ君を忘れられない




例えば、最初から独りだったら
例えば、君と出会わなかったとしたら

こんな想いなんかはしなくて良かったのかな?


例えば、それが君じゃなかったら
例えば、それが片想いのままだったなら

幸せな時間もその意味も知らずに過ごしてただろう


アイシテルって言ったのは
僕の方で 君は驚いた顔してた

切れない電話握り締めて
何度も「おやすみ」「じゃあね」繰り返したね


切なくて泣いたよ君を想い出した夜
恋しくて泣いたよ君を忘れられない




例えば、友達のままだったら
例えば、アイシテルなんて言わなかったら

僕達はいつまでも友達のままでいられたのかな?


例えば、君を愛さなければ
例えば、それが他の誰かだったなら

流れた時間は全く違ったものになっていたのかな?


時計の針が刻んだのは
きっと時間だけじゃなかったね

君と過ごした時間なのに
今、僕は映画館でそれを観るただの観客のようで


切なくて泣いたよ君を想い出した夜
恋しくて泣いたよ君を忘れられない




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