Neko

夢の汽車に乗って 2015年10月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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「いやぁ~ 惜しかったなぁ~
  もうちょっとだったのに」


そんな悔しい思いをした覚えって
きっと誰もが一度や二度では無いでしょう


1点差で負けたサッカーの試合

マッチポイントを先に取りながら
逆転されて負けたテニスの試合

0.1秒差で負けた100m走


スポーツに限らず
勉強でも仕事でもそうだと思うのですが

一度なら”惜しかった”でも良いでしょう


でも
実際の点差は僅かかも知れないけど

もし
10回戦って1度も勝てないとしたなら
その”僅かな差”は
実は天と地ほども差が有ると考えるべきでしょう


問題は
その事をどう受け止められるかです


惜しかったと自分を慰めて終わるのか?

或いは
悔しさをバネに自分を叱咤激励するのか?

そこが分かれ目になります


そこを真摯に受け止めて
更に努力をすれば
もしかしたら
次は逆の立場に立つ事も出来るかも知れません

但し

相手が今より
何の努力もしなかったらの話では有りますが・・・



試験のように
自分が100点を取れば
少なくとも自分より上はいない
と、いうような事は実社会では稀です

殆どの場合
そこには明らかな勝ちと負けが有ります

優劣が付くのです

しかも
努力が必ずしも成果に表れない事も多いのが現実です

でも

何の努力もしないで成果が出る事も
又、稀なのです


良くも悪くも自分を知った上で
謙虚に努力を続ける事が大事なのです

結果がすべてではないというのは
きっと、そういう事なんでしょう


そうすれば結果はともかく
少なくとも
それで自分自身に納得は出来るのですから



自分に足りないモノは多分それなんだろうな・・・




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Answer

さりげなく話を逸らして
僕は昨日観たテレビの話を繰り返す

気のない相槌の落としどころを探して
君は紙ナプキンでテーブルを何度も拭いていた

そんなことを何回繰り返していただろう?
これで最後と思いながら

答えを出したかったのは君
僕は答えなくて済む答えを探していた




最後の答えは既に決まっていた
僕はそれに気づかないふりをしていたかった

言葉よりも雄弁な大きな溜め息を武器に
君はテーブルで頬杖をついて僕の顔を見ていた

さりげなく立つと君は冷めたコーヒーを入れ直した
飲んだらこれでおしまいの合図

答えを求めていたのは君
僕は答えなくて済む答えを探していた




ふたつにひとつの答えを求められて
それでも僕はまだ三つ目の答えを探している

「月が綺麗ですね」I love youをそう訳した
漱石のように君ならGood-byeをどう訳すだろう?

窓の外に見える月を見ながら考えていた
五年後の僕達の姿を

答えを待っていたのは君
僕は答えなくて済む答えを探していた




雲に隠れそうな月が僕に答えを急かしている
「ありがとう」って君が言う前に

答えを探していたのは僕
だけどやっぱり見たいと思った十年後の君の笑顔も

君を愛してる



埋めたい

隙間を埋めたい

マス目を埋めたい

空白を埋めたい

余白を埋めたい


そんなことってありませんでしたか?


教科書の余白に
つい気が付いたらマンガとか
意味不明の
同じ模様を何度も描いていたとか

クロスワードパズルが目の前にあれば
やらずにはいられないとか

目地があると
とりあえず何かを詰めて埋めたくなるとか


まぁ~
学生時代の試験の空欄は・・・
埋めたいのに埋められない
やっかいなモノでしたが(笑)


<空いている場所を埋めたい>

それは人間の本能なんでしょうか?

それとも
私に限ったある種のフェチ行為?


確かに私の場合

あまり重要ではない(?)
アンケート回答用紙の空白欄を目にした時

心が疼きます



そこが該当無しの欄だとしたら
最初は該当無しを表すのに斜線を引きます

ふと、何かを思い
次に反対の斜線を描いてみます

そこまでいくと
次は当然のように縦線と横線を入れます

点が交差をするところに二重円を描きます

で、出来たマスを
今度は交互にベタ塗りをしていきます

すると、どうでしょう!

キレイな幾何学模様がそこに現れるのです

一個出来たら
次は更に複雑な<図形>に進化させていきます


ただし

恥ずかしくてそれはもう
提出不可能なアンケート用紙になってしまいますが


余談ですが

教科書と言えば出て来る偉人の顔に
メガネやヒゲを描いたり
傷跡(?)や絆創膏を付けたりしてませんでした?

あれ、何ででしょ?

誰かの顔が出て来ると
必ず何かを書き足したくなります・・・よね?


ちなみに私は
教科書の隅にパラパラマンガを描いて遊んでました

よほど授業中はヒマだったんでしょうかね?


多分ですが

何かを書き足すという行為も
或る意味では
空白を埋めたいという行為に等しいのかもしれません


ちなみに

そんな私は洗い物をする時も
洗剤をつい入れ過ぎてしまう傾向があるようです

仕事でも

代理店さんに説明をしている時
つい、あれもこれもと
大してしなくて良い説明までしてしまいます

ここで書く文章でも
つい書き過ぎてしまうんですよね

文章を書くのが好きな私が
唯一苦手なのは俳句や川柳

十七文字で想いの全てを表現するなんて無理です


してみると

この癖はフェチなんかではなくて
これはもう立派に(?)
強迫観念に支配をされている
と、いうことになるんでしょうか?

「埋めたい!」
「埋めなくちゃ!」
「どうしたら埋められる?」
「あっ、ここも埋められるぞ!」

こんな症状を専門用語では
<埋めたいシンドローム>
と、いうそうですが(U・S・O)

私はずっと
<A型>故の生真面目さだと信じて来ました


あー、そろそろ締めに入って
この文章を書き終わらそうとしていたのに

また、うずうず・・・

埋めたい・・・埋めたい・・・

埋めさせてくれーーーーー!


でも、終われない!

埋めたい!

でも、終われない!

埋めたい!

でも、終われない!


何故なら・・・






オチが思いつかなかったから・・・・orz



秋の理由

「秋の理由?
 そんなものはないさ。
 ただ、夏が終わったから秋になっただけだろ?」

そうかな?

「そうさ。それが自然の摂理。つまり季節ってやつさ」

じゃあ、どうして秋はあるんだ?
夏の次は秋って誰が決めたと思う?

「さぁな。なんだよ?
 神様だって言わせたいのかい?」

いや、そんなつもりはないよ。
第一、なんでも神様にしたら話は続かないじゃん?

「そりゃそうだ。
 じゃ、なんでだ?」

クロソイド曲線みたいなものなんじゃない?

「なんだそれ?」

いわゆる緩和曲線ってやつでさ。
道路の設計なんかで良く使われるんだけどね。
直線と円弧を直接接続させると
直線からカーブに入る時に曲率半径の不連続性から
急なハンドル操作とかをしなくちゃならなくなって
運転しづらいから接続部分に緩和曲線を当てて
スムーズにカーブに曲がれるようにするんだよ。
その緩和曲線がクロソイド曲線なんだけど
つまり秋も緩和季節ってやつなんだろうなってね。

「なるほど。
 難しいことはともかく。
 ようは暑い夏からいきなり冬になると
 人間の身体がもたないから
 間に秋を入ることで少しづつ身体を慣らしていける。
 そういうことだろ?」

そう。
春も秋もその意味では夏や冬以上に
人間にとっては重要な季節ってわけ。

「だけどさ。
 それだけの為に秋があるんだとしたら
 秋は可哀想だな」

可哀想? どうして?
重要な役目を果たしているんじゃない?

「確かに、お前の言う通りなんだと思うよ。
 それが人間の為なのか
 はたまた、自然界全体を守る為なのか?
 それは判らないけどね」

うん。

「でも、本当にそれだけなのかな?」

と、言うと?

「秋のイメージってなんだい?」

ん~ 物憂げな季節?
誰もが感傷的になる季節?
秋の夕暮れとか夜が長いこととかさ。
日が暮れるのが早くなると
『あー、もう一日が終わるんだな』とか
何か寂しい気持ちになるし
夜が長いと何でか余計なことを考えすぎたりとかね。
良く、秋は誰もが詩人になるなんて言うけど
それは判る気がするよね。

「そうだな。
 でも、それは秋だからかな?」

そうなんじゃないの?
何だい?
秋に理由は無いって言ったのは君だぜ。
夏が終わったから秋が来た。
それが自然の摂理なんだろ?

「そう、自然の摂理さ。
 じゃ、自然の摂理って何だい?」

自然界を支配している法則?
自然に派生される万物に適用される法則?
宗教的な概念で言うなら
『すべては神の配慮によって起こっている』
昔、辞書で読んだよ。

「じゃ、やっぱり秋も神の配慮によって
 夏と冬の間に置かれているのかな?」

いや、それこそ味気ない結論じゃないか?

「そうだね。俺もそう思うよ」

じゃ、何て言えば良いんだい?

「だから、秋に理由なんか無いんだよ。
 理由を付けているのは人間だけさ。
 いや、秋を楽しんでいると言った方が良いかな」

何だか、判ったような判らんような感じだね。

「そんなもんだよ、真実なんてさ。
 何をどうしたって夏が終わったら秋が来るんだ。
 しかも、秋の後に控えているのは厳しい冬だ。
 なら、夏に火照った頭を冷やして
 深呼吸じゃないけど、ちょっと落ち着いてみるのさ。
 落ち着いて周りを見渡したら
 夏とは又違った風景だって見えてくるだろうし。
 振り返ったり立ち止まったりしてさ。
 そんな風にして時を楽しむんだよ。
 秋のおかげで束の間かもしれないけど
 冬までの時間稼ぎだってできるだろ?」

つまり時間稼ぎに理由はいらないと?

「そう。理由はいらないけど
 秋を楽しむためにあえてそこに理由を付けるのさ。
 詩人になったり芸術家になったり
 物思いに耽ったり、小説を読んだり歌を聴いたりね。
 普段と違う自分を装ってさ。
 でも、それってテレくさいだろ?
 で、『秋だから』って秋のせいにしてテレを隠すのさ」

テレ? それは君だけだろ?

「あはは、そうかもしれないね。
 でも、たまには
 そんな自分に酔ってみるのも良いんじゃない?
 秋なんだから。
 おや? 何だい? もしかして呆れてる?」

秋だけにって?
それ、オチにしない方が良いと思うよ。
寒くって早く冬になっちゃいそうだから。



と、まぁ~
禅問答よろしくとめどなく話は続くわけですが
理由が有ろうと無かろうとそれでも秋は秋。

季節に名前を付けたのが誰かは判りませんが
それぞれの境目をきちっと決めなかったのが良いですね。

その曖昧さが季節の機微、風情というものです。
それが何か人間らしくて良いなぁ~
なんてね、思う訳です。



忘れ草  ~詩~

一番愛した人 そう今でも言える人
それは君しかいない 僕が愛した人




窓辺の鉢には忘れな草
君が残していった

とっくに枯れたと思ってたのに
春が来る度に又、花を咲かせる


想い出ってやつは時が経てば
薄れていくなんて嘘さ

とっくに忘れたと思ってたのに
胸に残る痛みが今も君を連れて来る


一番愛した人 そう今でも言える人
それは君しかいない 僕が愛した人




忘れようとするから忘れられない
そう言った人がいた

それは多分、正しいんだと思う
忘れようとする時、思い出してるから


君の口癖 例えば、仕草
君が好きだったあの歌

君がいることが当たり前で
それを疑いもしなかった あの日までは


一番愛した人 そう今でも言える人
それは君しかいない 僕が愛した人




あれからいくつかの季節が流れ
君の知らない人と出会った

それが最後の恋かどうかは
今はまだまだ分からないけど


君のことを思い出す時間が
不思議なくらい少なくなったんだ

胸の痛みも懐かしくさえ思えて
いつか君の笑顔も忘れていくんだろう


心の中に咲き始めた 小さな花の蕾
君が想い出になる頃には花を咲かせるだろか


一番愛した人 そう今でも言えるけど
ありがとう、さよなら 僕の愛した人



手紙の勧め

パソコンにしろスマホにしろ
メールとかブログのコメントなどは
何かしら毎日書いていますが
考えたら
手紙って久しく書いていません

いったいいつから?

思い起こしても・・・

記憶の階段を辿っても
記憶の引き出しを片っ端から開けてみても

記憶に無いくらい・・・?

いやいや
まだ全部の記憶が飛んじゃってるほど
ボケてはいませんのでご安心を!?

ともかく

それくらい書いていないって事ですかね


用件ならメールでも十分伝わるけど
より気持ちを相手に伝えたいなら
やはりメールよりは手紙でしょうか?

「想いを綴る」と言います

相手の顔を思い浮かべながら
一文字、一文字書いていく

キーボードで打てば単なる一文字ですが
直筆の場合は
一角、、一角を紙に流す時間

そこに想いが込められていきます


実は私もそのタイプなのですが

大きな身体に似合わず
小さな文字を書く人っていますよね

もっとも、私の場合は
元来、字が下手なので
大きく書くと上手く書けません

なので、ごまかす為に
段々と書く文字が小さくなっていきました


今では米粒にだって三文字くらいは書けます!

・・・いや、すいません。嘘です(笑)


まぁ、私の事はともかく

パソコンで打った文字にしろ
直筆の文字にしろ
読めば同じ一文字です

でも、文字って
その人の人となりだとか
性格、クセが表れていますよね


例えば・・・

丸っこい文字
マンガ文字みたいに可愛い文字

原稿用紙のマス目なら
はみ出してしまいそうなくらい
武骨なゴツイ文字

右肩下がりの文字

文字を見たら、相手が分かります

その文字のクセを見ると
相手の顔を思い出して
つい懐かしさもこみ上げてくるものです


来た手紙の文字が昔と変わっていなかったら

「あぁ、こいつ、相変わらず元気でやってるんだなぁ~」

って、嬉しくなるし
逆に、筆圧が弱くなってでもいたら

「どうしたんだろう?」

と、心配になったりします


そういえば昔の歌に

”涙で文字が滲んでいたら わかってください”

と、いうのがありましたよね

これなんかは
メールの絵文字や顔文字で
《泣き顔》を入れるのとは
全然伝わり方が違うんじゃないでしょうか


もし
私が昔の彼女から
そんな涙で滲んだ手紙でも貰ったものなら
きっと何もかも投げ出して
すぐにでも飛んで行くでしょう

そんな気持ちになりません?

本当に?
自信、あります?(笑)


私も普段はこうして
パソコンで文章を書いていますので
パソコンで打つ文字を
否定するつもりは全くありません

メールでだって
ブログでだって
伝わる想いはたくさんあります

(おいおい、矛盾してないか?(笑))

でも
文字を見て相手を気遣うなんて事では
直筆には敵いません


パソコンだとせいぜい

「***・・・」

とあれば
この《・・・》の意味を考えるくらいです

(私もメールの時
 相手に”何か”を感じてもらいたい時は
 良く言葉の語尾に《・・・》を遣います)

後は、余程相手の性格を知っていない限りは
書いている通りにしか受け止められないでしょう


みなさんは
手紙とか葉書ってどのくらい書いていますか?

たまにはメールじゃなくて
親しい人に手紙でも書いてみてはいかがでしょう

旅先からなら
絵葉書なんて言うのも良いかも知れません


もっとも

「お前、急にどうした? 何かあったのか?」

なんて
余計な心配をさせちゃうかも知れないですけどね



<後書>

最近は直筆だと怖いと言う人も多いようです

想いを込める=怨念が宿っている?

確かにドライな感覚を好む現代人には
直筆の文字と言うのは重たいのかも知れません

(何となく感覚ではそれも解ります)

メールの文字だと誰が打っても同じ字体だし
何より気軽で良いのでしょう

遊び感覚で絵文字や顔文字を使えば
何となく気持ちも通じるような気になれます

好きでも無い異性に
ハートマークなんかを気軽に使うと
勘違いされる事もあるでしょうけどね?

(男は単純だから十中八九は勘違いをします)

場合によっては
写メなんかの方が相手受けするでしょう

でも、所詮メールはツールです

その意味では手紙もツールと言えばそうですが
何でも簡単に済ませられる時代だからこそ
敢えて
手間をかけてみるという事も必要な気がします

その手間の中に大切なモノがある

きっとね



今年の秋は短いのでしょうか?


10月も半ばに差し掛かったつい先日。

『例年より○日早く各地で初雪が降りました』

テレビの中で気象予報士は伝えていました。


標高の高い山や峠はもちろん
北海道の北部では
平地でも雪が降ったのだとか。

今日、木曜日。
私の住む十勝でも
予報では最低気温はついに氷点下になるようです。


氷点下・・・嫌な言葉ですね。

氷天下。
いっそ、そう言ってくれた方が
諦めもつくというものです。

「氷天下? あー、判った、判った!
 お前さんの天下だよ。
 もう好きにやってくれ。
 えーい、自棄だ!
 こうなったら
 アイスでも冷えたビールでも持って来いや。
 ストーブ、ガンガン焚いて飲み食いしちゃるわい!」

 *北海道ではストーブを焚く(たく)と言います。
  が、これって何処でもそう?

諦めというよりは開き直り?

でも、そうでも思わなきゃやってられません。


秋が深まり冬将軍の挨拶もありました。
こんな挨拶をしてもらっても
ちっとも嬉しくはありませんがね。



「ちょっと、ちょっと!
 困るよ、あんた。
 勝手に入ってこないでくれる?
 まだ俺の仕事が残ってるんだから」

「なぁに、ホンのちょっと挨拶をしただけさ」

「ちょっと?
 挨拶なら出番が来た時にちゃんとやってくれ。
 今はまだその時じゃないだろ?」

「いや、もうその時だろ?
 ここ何年も暖冬が続いたんだ。
 もう腕がうずうずしてんだよ。
 とにかくもう良いだろ?
 早く道を開けてくれ」

「待てよ! お前は随分無礼なやつだな。
 良いか? モノには順番ってもんがあるんだ。
 学校で習わなかったのか?
 秋が来て、秋が深まってだな。
 人間が十分に心の準備が出来た頃に
 ようやく季節交代になるんだよ」

「人間? お前はいつから人間の手先になったんだ?
 そんなことは知っちゃいないさ。
 俺達が人間に従うんじゃない。
 人間が俺達に従うんだ。
 そうだろ?」

「それは違う!
 従うとか従わないとかじゃない!
 俺達も人間も仲良くしなきゃならないんだ」

「甘い奴だな。
 まぁ、春とか秋はそもそも中途半端な奴だけどな。
 良いか?
 季節の主役は俺と夏だ!
 お前と春は言ってみれば幕間の色物さ。
 お前達は俺達の準備が出来るまでの繋ぎなんだぜ。
 繋ぎなら繋ぎらしく
 おとなしく俺達の言うことを聞いてたら良いんだ。
 それなのに人間どもときたら
 何かとお前らばっかりをチヤホヤしやがってさ。
 フン! 良いから早くどけよ!」

「そんな風だから人間に嫌われるんだ。
 結局は俺達をやっかんでいるだけだろ?
 確かに多くの人間は春を喜び秋を愛する。
 だけどな。
 だからって別にお前らを嫌っている訳じゃない。
 ただ、極端過ぎるのに困っているだけだよ」

「極端だと? それが俺達だ。何が悪い?」

「極端過ぎるのがって言ってるだろ?
 異常な高温、竜巻に台風やゲリラ豪雨。
 お前だってそうさ。
 異常な豪雪とか吹雪きとかね。
 お前らははしゃぎ過ぎると悪ノリをするだろ?
 それが人間にとっては迷惑なんだよ。
 それさえなきゃお前らが良い奴だって
 人間はみんな知ってるさ」

「ま、まぁ・・・確かにはしゃぎ過ぎる時はあるけど。
 でも、俺達だって人間には恩恵だって与えてるぜ」

「あぁ、それはみんな判ってるよ。
 確かに俺達は幕間の繋ぎかもしれないけどさ。
 でも、俺達四人が揃ってこその日本の四季じゃないか。
 こんなところで俺達が揉めてて
 いったい誰が得をするんだい?
 ちゃんと時が来たらお前にバトンタッチをするよ。
 だから、もう少し待ってくれ」



なんて押し問答が繰り返されているであろうこの頃。

個人的には秋にもう少し頑張ってもらって
冬を押し戻してもらいたいんですがね。

だってまだ、冬への心の準備も出来てはいません。

って、言うか・・・

したくないと言った方が正しいかな。

あー、冬か。

来ちゃうんだろうなぁーやっぱ。


暖かなストーブの前で
すっかりくつろいだ格好で寝ている猫を見ては
羨ましいと思うこの頃。

猫になりたい(笑)



もしも
今度生まれ変わる時
神様から
たったひとつだけプレゼントを貰えるとしたら
あなたは何を貰いたいですか?



・ノーベル賞を貰えるくらいに明晰な頭脳

・聴く人を感動させられる歌唱力

・オリンピック代表になれるくらいの運動能力

・ジャニーズに入れるくらいのイケメンな容姿

・スーパーモデルになれるようなスタイルと美貌

・ハリウッド映画から
 オファーがくるくらいの個性的な演技力

・芥川賞を取れるほどの文才

・観たモノを完璧に表現出来る画才

・特許をいくつも取れるほどの発想力

・絶対音感

・会った人を引きつける笑顔と話術力

・誰もが一目を置く行動力

・強力なリーダーシップ

・驚異の生命力(←これってどんなだ?(笑))



「何てこの世は不公平なんだろう?」

そう思うこともしばしばですが

実際
スーパーモデルでありながら
女優もしていて
尚且つ
アスリートとしても一流なんて女性は存在します

ハリウッドスターでありながら政治家になったり

本業は歌手なのに
俳優としても演技派なんて人もざらにいます


「天は二物を与えず」なんて言葉がありますが
実際には
天は同じ人に二物も三物も与えていたりします


「イケメンで歌も上手くてスポーツは万能?
 しかも人に優しくて性格も良い?」

そんな人の話を聞くと、つい

「そんな奴って本当にいるの?
 そいつ、なんか胡散臭いじゃない?
 絶対、陰では変な趣味とかあるに違いないって!」

そう思ってしまいます
もちろん、ヒガミですが・・・何か?(笑)


ヒガミと言えば

全くモテなかった青春時代

「いやぁ~ 昨日ナンパした子
 すっげぇ可愛かったぜ」

と、ナンパ命中率100%を豪語していた奴


「いやぁ、昨日デートしてたら
 別な彼女にバッタリ鉢合わせしちゃってさ。
 いきなり
 女同士で俺の奪い合いが始まって参ったよ。
 しかも、駅前の人通りの多い場所でさ。
 まぁ、もっとも
 彼女はあいつらだけじゃないんだけどさ」

と、さも自分はモテてる自慢をしていた奴


まぁ、大概そんな話は
盛っている場合がほとんどなんでしょうが

仮に、話半分としたって
私なんぞにしたら
羨ましいことには変わりはありません

そんな自慢話を聞く度に

『そんなことばっかりしてたら
 おめぇら、いつか女に刺されて死ぬぞ!』

等と、やっかみつつも

「あいつらみたいな奴がいるから
 こっちにまで女性が回って来ないんだよなぁ~
 なんで、あんな奴ばっかモテるんだろう?
 あいつらなんか
 ちょっと顔が良いかも知れんけど
 性格は最悪なのにさ
 なんで女は見る目が無いんだ?」

なんてボヤいていたのですが

今思うと
何かにつけてボヤくだけで
何も行動してこなかったのですから
そりゃ、モテるはずはありませんよね?


とは言うものの
やっぱり思ってしまいます

「せめて何かひとつくらい
 俺にも分けてくれても良かったのになぁ~
 神様は不公平だ!」


で、最初の話に戻る訳ですが

じゃ、私は何の才能が欲しいんだろう?



”目指せ、印税生活者”として言うなら

「芥川賞を取れるほどの文才
 出来れば村上春樹のようなのなら尚良し」

と、答えるべきなのでしょうが(笑)

なんせ
今度生まれ変わったらという話ですからね


そうですね~

現実的な処で手を打つとすれば

やっぱり

明晰な頭脳を持ちながら
運動神経が抜群で
容姿端麗で
尚且つ
文才もあり
作詞作曲も出来て歌が上手くて
爽やかな笑顔に白い歯が眩しくて
それでいて
独創的な発想力も持ち
いつも挑戦し続ける逞しさも備えていて

え~

後は・・・と

そうそう!

超能力?

透視とか念力とか ←何か不純な匂いがしますけど(笑)


えっ?

なんですか?

欲張り過ぎ・・・ですか?


だってぇ~

今の自分を考えたら
この時代で貰えなかった分も
持ち越しで欲しいと思いませんか?


まぁ、こんなことばから言ってるから
いつも
結局は何も貰えないんでしょうかね~


さて

私みたいなアホの言うことは放っておいて(笑)


あなたなら

『神様からのプレゼント』

何が欲しいですか?



  その1≪金太郎≫



テレビの携帯会社のコマーシャルを観ながら
娘たちが話をしていた。

「ねぇ、なんで桃太郎の彼女がかぐや姫なの?
 浦島太郎の彼女が乙姫だってのは判るけどさ」

「そんなことを言ったてコマーシャルなんだから。
 そういう設定にしたかったんじゃない?」

「でもさ、それじゃ金太郎は?
 金ちゃんの彼女って誰になると思う?」

「えー? 金太郎?
 知らないよ、そんなの」

「これで金ちゃんにだけ
 彼女がいないんじゃ可哀想じゃない?
 桃ちゃんなんかかぐちゃんとラブラブだし
 浦ちゃんが三線を弾きながら乙ちゃんを想って
 浜辺で切々と歌ってるの素敵だったのに
 金ちゃんは唐突に鬼退治に行くんだよ」

「失恋でもして自棄になったんじゃない?」

「えー? 失恋って誰に?
 そんな設定?」

そこに父が話に割って入って来た。

「鬼退治? それって桃太郎だろ?
 金太郎はそんなことはしてないよ。
 確かに、金太郎が大人になってから
 酒呑童子を退治したって話もあるけど
 あれって鬼じゃなかったはずだぞ」

「何の話?」

「いや、金太郎だろ?」

「金太郎だけどテレビの話だよ」

「金太郎が鬼退治に行くのか?」

「うん、でもその鬼って
 以前に桃太郎が退治をした鬼でね。
 でもって、今は友達なんだって」

「なんだそれ?」

「だよね~」

「までもコマーシャルの設定なんだけどね」

「そういや金太郎って熊と相撲を取った以外
 何かしたか知ってる?」

「あー、そういや知らないわ」

「だよね。何をしたんだろ?
 お父さん、知ってる?」

「あぁ、金太郎は大人になった後
 ある武将の家来になって
 坂田金時って名前になってね。
 その武将の四天王と呼ばれるようになってさ。
 で、さっき言ったろ?
 酒呑童子を退治・・・」

「あっ、せっかくのところ悪いけど。
 そんな真面目な話はいらないから」

「おいおい」

「それよか、金ちゃんの彼女だよね?」

「だね。いったい誰にする気なんだろ?」

「なかなか出てこないね」

「きっと、スタッフも
 誰にしたら良いか困ってんじゃね?」

「あー、あるね。
 最初はすぐ終わらせる予定が
 評判が良くて続編を作っているうちに
 ネタに困ったって感じ?
 あれだね、痩せ馬の先っぽってやつ?」

「そうそう、それ」

「おいおい、それは先っぽじゃなくて
 痩せ馬の先走りだろ?」

「何それ?」

「何の話だよ?」

「だから金太郎の彼女は誰になるかって話」

「そんな話は聞いたことがないぞ」

「だからコマーシャルの設定の話だよ」

「じゃ、熊じゃないの? 違うか?」

娘は呆れた顔で父を見るとこう言った。

「彼女だよ。熊な訳ないじゃん。
 お父さんなら馬とか鹿がお似合いだけど」

意味が解らずきょとんとして父は訊いた。

「何が?」

娘は平然と答えた。

「馬鹿じゃないの?」


*********************************************


   その2≪Siri≫



子供たちの勧めでiPhoneに取り替えた父。

テレビでやっていた
iPhoneのコマーシャルを観ながら父は子供に訊いた。

iPhoneに向かって
『Hey,Siri』
って話しかけている場面だ。


「話しかけたら答えてくれるのか?
 何だかすごいな。」

「Siri?」

「シリってのか?
 それってお父さんのも使えるの?」

「もちろんだよ。やってみたら?」

「でも、日本語で訊いて良いのか?
 俺は英語はちょっとな・・・」

「あはは、日本語で大丈夫だよ」

「そっか。で、どうやるんだ?」

「このアプリを立ち上げて・・・と。
 ほら、話しかけてみて」

「こうか?」

父はiPhoneに向かって日本語で話しかけた。

「おい、けつ! あれっ? けつ! けつ!」


確かにそれは日本語だね。
でも、Siriって<お尻>じゃないから。



涙の理由

なぁ、いったい何だってんだよ?
なんで勝手に出て来るんだよ?
お前に俺の何が判るってんだよ?
それとも何かい?
俺のことなら
お前は何でもお見通しだって言いたいのかい?
じゃ、言ってみろよ!
俺の気持ちを言ってみろよ!
何だい、言えないのかい?
言えないなら・・・勝手なことをすんじゃねぇよ。
良いさ、判りっこない。
誰も俺の気持ちなんて・・・
もう良いだろ?
気が済んだら帰ってくれよ。
お前の顔なんて見たくもないんだ。
だって、お前の顔を見たらさ。
なんでか弱気になっちまうんだ。
俺が、この俺がだぜ。
笑っちゃうよな。
そんなもんとは一生無縁だと思ってた。
なのに、何だよ?
何だってんだよ?
何で勝手に出てきたんだよ?
誰が頼んだよ?
頼んじゃいない、頼んじゃいないんだよ!
勝手なことをすんじゃねぇよ。
なぁ、頼むよ。
頼むからさ。
もうこれ以上は俺に構わないでくれよ。
頼むからさ。
もう引っ込んでくれよ。
なぁ、頼むよ・・・

「気が済んだかい?」

えっ? 何がだよ?

「だからさ。もう気が済んだのかい?」

何だよ、それ?

「俺はお前の心なんか判らないよ。
 判らないから
 お前に気を遣うなんてことも出来ない。
 そんな気もないけどね」

じゃ、放っておいてくれたら良かっただろ?
何も知りもしないくせにさ。

「お前の心なんか判らないんだけどさ。
 でも、感じたんだ」

感じたって・・・何をさ?

「お前の中でだんだん大きくなっていってた
 混沌とした不安定さとかさ。
 バラバラに散らかった色々なモノの欠片。
 その欠片の尖がりが自分で自分で刺し続けていただろ?
 それが哀しみなのか? それとも辛さなのか?
 或いは苦しみなのか?
 それは判らないけどさ。
 感じて俺は反応をしてしまったんだ」

反応したって?
だからって勝手に出てきてさ。
それでどうしようっていうんだい?
お前のおかげで俺の心の中は
ぐしゃぐしゃになってしまってる。
なんで、そんな勝手をするんだよ?

「ぐしゃぐしゃ?
 そうさ、それだよ。
 その為に俺は出てきてやったのさ。
 どうだい?
 お前の胸を刺していたのは何だった?
 哀しかったのかい?
 苦しかったのかい?
 ちゃんと思い出せるかい?
 いや、思い出せなくて良いんだよ。
 良いだろう、もう。
 ぐしゃぐしゃにして流してしまったんだから。
 後のことは時間に頼んでおいたよ。
 『ちゃんと整理をしてやってくれ』ってね。
 あっ、礼には及ばないし
 何も気にしなくても良いよ。
 それが俺の仕事だからね」





人は言葉を口にすることで
想いの丈を吐き出すことが出来る。

だけど
それだけじゃ吐き出せないものもある。
どうしても何をやっても
心の中に残ってしまうものがある。

それを流してくれるのが涙だ。


大人だから? 男だから?

そうやって無理をしてガマンをして
それで何がどうなる?

プライド?

確かにそれは大事だよ。
それで自分を守れるならそれでも良い。

でも
何処かで自分を受け入れられないと
いつまでも何も変わらないんじゃないかな?

別に人前で泣けって言ってるんじゃない。

ただ
吐き出すべきものは吐き出してしまわないと
なかなか次には進めないよね。

もし
涙にそんな役目があるとするなら
時にはそれに甘えてみても良いんじゃないかな?



理由

人を好きになるとか、嫌いになるって

案外、単純なところで決まってしまうのかも知れない

自分が心地良いとか悪いとか

結局はきっと、そんな事なんだろう




相手にとっては些細な事でも

自分にとってはとても重大だって事がある

それを許せるか? 許せないのか?

結局はきっと、そんな事なんだろう




笑うツボが違うとか、泣ける場所が違うとか

それぞれが持っている感性は必ずしも同じではない

その違いを認められるか、認められないのか

結局はきっと、そんな事なんだろう




愛に夢中な時って何でも許せるし

アバタだってエクボに見えるものなんだって言う

愛が落ち着いた時に、それがどう見えるのか

結局はきっと、そんな事なんだろう




1/10の優しさに幸せを感じる人と

1/10の嫌なところが許せない人

1/10の大きさは人によって違うって事

結局はきっと、そんな事なんだろう




最初はなんだって新鮮に見えるものだけど

やっかいな事に人間はいつか”慣れ”てしまう

そして「ありがとう」が「当たり前」になる

問題はきっと、そんな時なんだろう




「あなたは変わったね」あなたはそう言う

いや、変わった事に気が付いていないのは自分なのに

相手にばかり求め過ぎて自分を被害者にする

問題はきっと、そんな時なんだろう




言わなくても相手は分かっているなんて幻想

言わない事が相手にとっては「冷めてる」と見えたり

「自分には無関心なんだ」と思われたりって事がある

問題はきっと、そんな時なんだろう




お互いの自由を尊重するのも、いつも一緒を求めるのも

向いている方向が同じならそれで良いのだけど

どちらかがガマンをしているとしたら・・・

問題はきっと、そんな時なんだろう







人を好きになるのに理由はないし

人を好きになる時に理由は考えない


でも

嫌いになったり別れたりするのには理由がある


それに気づけるかい?


父の一周忌を終えてきました。

納骨も済ませ
今まで実家で義母に預けっぱなしだった
亡き母と父の位牌と遺影をこちらに持ち帰りました。


真新しい仏壇に魂を入れてもらい
位牌を収めたので
これからは私がそれらを守ることになります。


一人っ子なので
責任というのはもちろんありますが
それだけではなくて
親の想いを継ぐ・・・
継いだものを後に繋いでいく。

そんな自然の流れみたいなもの
と、言えば良いのでしょうか?

それを私が継ぐ番が来たということです。


とはいえ、少子化の時代です。
普通のことが普通にできるというのが
むしろ難しくなってきている時代です。

ここから先のことは解りませんし
次へと押し付ける訳にもいきません。


御多分にもれず?

我が家も娘が二人なので
嫁げば先方の嫁になります。

なので自分が亡くなった後のことは
自分で考えておかなければなりません。

まだ先のこと?

いや、もうそんな呑気なことは
言ってられないかもしれませんね。

せめて、自分がいつどうなるのか?

それが解っていたら良いのでしょうが・・・

いや、やっぱりそれは
知らないままでいた方が良いかな。


通夜、葬儀、仏壇、お寺さん、お墓 etc

普段はそんなに関わることはないので
知らないことばかりでした。

人、一人が死ぬということは
実は大変なことなのです。

親戚、縁者のことばかりではなく
諸々の名義変更、相続等の手続きとかの
事務手続きもけっこう手間と時間がかかります。

本当は本人に訊けたら良いのですが
いくら自分の親でも元気で生きている内に
「死んだらどうする?」
とはなかなか訊けないですよね。

でも、これってけっこう大事なことなんです。

後々
子供達が悩まないように揉めないようにする為にね。


ともあれ
何となく自分の中では親の死というものに対して
やっと一区切りができた・・・そんなところです。

まだまだ現実は続いていきますけどね。



坂道は洋の東西を問わず
昔から色々な小説や映画などの舞台として
人生の
或いは生き方そのものの象徴として
数多く描かれてきました


私の好きな映画監督である大林宣彦の映画
尾道三部作と呼ばれる
「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」や
小樽が舞台の「はるか、ノスタルジー」は
そこに映し出される坂道が印象的でした



歌においてもそれはしかりで
坂道は人生
つまり生きてきた道
或いは
これから歩むべき道としても歌われてきました

「坂」そのものがタイトルに使われたり
歌詞の中で
何かに比喩されて歌われているものも多いですね


さだまさしが
”母がまだ若い頃、僕の手をひいて
 この坂を上るたびいつも溜め息をついた”
と歌った『無縁坂』

ゴスペラーズが
”この坂を上ったら
 二人どんな景色が見えるだろう”
と歌った『陽のあたる坂道』

”今日も坂は誰かの痛みで紅く染まっている”
そんなフレーズが印象的だった
中島みゆきの『あぶな坂』

タイトルに坂はついてはいないけど
好きな歌でこんなのもありました

『白いページの中に』柴田まゆみ

”振り向けばやすらぎがあって
 見守る瞳があったことを
 サヨナラの中でやっと気づくなんて
 長い長い坂道を 今登ってゆく”



坂道を上り、坂道を下る

そこに現実の生活があれば
感慨に耽るというよりは
それは苦労以外の何物でもないかも知れません

行く道にせよ、帰る道にせよ
上れば必ず下らなければならない
下れば必ず上らなければならないのですから

特に雪国の冬の坂道は厳しいです


しかし
旅人にしてみれば
坂道は来た道であり
これから向かう道です

その坂道の先で
旅人は
何を見ることになるのでしょうか?



今、私の暮らす街は
十勝平野の真ん中辺りにあります

生まれた街は山間の小さな村でしたが
坂道はそれほど多い訳ではありませんでした

私が青春期を過ごした旭川は
川の街と呼ばれていました

なので
坂道のある風景には
昔から一種の憧れみたいなものがありました



坂道も車で走ると
それはただ
過ぎていく一瞬の風景の内の一部でしかありません

しかし
自分の足で歩いてみた時
初めてそこに
人が古より積み重ねた足跡を見ることが出来きます

「誰がどんな想いでこの坂道を歩いたのだろう?」

そんな風に想いを馳せて
坂道を歩いてみるのも良いだろうな

歩き疲れたら途中で休むのも良い

腰をおろした坂道の途中
振り返ったら
眼下に海なんか見えたらそれだけで良い


いつかゆっくりと坂の街を巡ってみたい思う
そんな秋の夜、このひと時




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