Neko

夢の汽車に乗って 2015年04月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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時計の針が明日になる前に
君を連れて遠くに行きたい

神様さえも知らない街へ

たとえ、ふたりぼっちでも
たとえ、暗闇しかない街だとしても

今日が永遠なら

叶わない願いだと
そう、君も僕も解っている




君の指が触れるその瞬間
トキメク心と裏腹に僕は

不安になって君を強く抱き締める

もしも、君がいなくなったら
もしも、僕だけ残されてしまったら

今日が永遠なら

そんな想いなどきっと
そう、しなくて良いんだろう




祝福されない愛だからこそ
こんなにも一瞬が愛おしくなるのか

どんな嘘さえ蜜の味がする

いつか、別れることも
いつか、互いに傷付け合うことも

今日が永遠なら

無くて済むんだろう
そう、今日が永遠だったなら




君の唇「好き」という言葉
抱き寄せて僕は想いを閉じ込める

それでも時計の針は止まらない

けれど、ねぇこんなにも
けれど、溢れる想いはどうしよう

今日が永遠なら

望んでも叶わない
そう、君も僕も解っている



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奇跡の確率

物理的に不可能な事象は別として
人間が出来ることや成すことにおいては
この世には
初めから可能性が100%ということはないし
逆に最初から可能性は0%ということもありません。


では
何%の確率で起こった事象を奇跡というのでしょうか?

1%?
0.1%?
0.01%?

或いは
0.000001%?


確率を計算するには
おそらくは様々なデータを元に
統計学的な数字を根拠として求めるのでしょう。

それは、
元来が根っからの文系人間である私には知る由もないのですが。


しかし、そこから導かれた数字というのは
単なる計算の結果でしかありません。

あくまで統計学的な確率なのです。

それを奇跡と呼ぶには
あまりに無機質的過ぎます。


例えば、ジャンボ宝くじで1等に当選する確率は
1000万分の1だそうです。

何億とかという当選金額も
私にしたら天文学的な数字ですが
当選確率も
これまた砂浜で一粒だけ色の違う砂を探すような
そんな途方もない確率に思えます。

その意味では
宝くじで1等に当選する確率。
これも確かに奇跡的とはいえるのかもしれませんが
あくまで<奇跡的>であって
奇跡というには何かが違います。


では、その<何か>って何でしょう?


『火事場のくそ力』という言葉があります。

人間は時として
本来持っている力以上の能力を発揮することがあります。

為し得る確率が限り無く「0」に近い極限状況の中で
人が起こした行動の結果、その<こと>が成った時
人々は知らずと感動を覚えるものです。

そして、それを<奇跡>と呼びます。


しかし
何の努力も知恵もなくして奇跡は起こりません。

加えていうなら
決して諦めない信念こそが奇跡を起こすのです。

何かへの強い思い、誰かへの強い想い
そしてそれに向かう強い執念。

それが奇跡を生むのです。

それは
どんな計算も入り込む余地も無い程に
人間臭い行動の結果なのです。


奇跡の確率を計算するなどということは
結局は無意味なことなのでしょう。

人間の力は時として計算をも超える物なのですから。



サクラ

待ち焦がれていた桜前線なんですが
今年の桜前線はちょっとせっかち?

いや、嬉しいから良いんですけどね。

でも、普段よりあまりに早過ぎると
逆に何か不安になったりしてつい疑心暗鬼に。

「騙されてないか?
 <奴>はホントに本物か?
 『桜前線でーす♪』なんて優しい顔をして
 俺らを喜ばせておいて
 で、いざとなったら仮面を脱ぎ捨てて
 『バァー! 俺だよ、俺! 冬将軍様さ!
  桜吹雪じゃなくてモノホン吹雪きをくらえー!』
 なんてことは・・・ないよね?」


幸せ過ぎると不安になる・・・悲しき小心者の私?


ともあれ
桜前線も津軽海峡を早々に渡りきり
先日は函館・松前そして続いて札幌と
例年より十日以上も早く桜の開花宣言が出されました。

多分、私の住む十勝でも来週には桜が咲くでしょう。

それはそれで個人的には嬉しいのですが
元来、北海道では桜が咲くのは
早くても四月末からGWにかけて。

地域によってはGW明けなんて年も珍しくはありません。

そこで困っているのは
各地の桜祭り実行委員会だそうです。

大概は桜の咲く時期に合わせて開催しているので
その多くは四月末からGW前後です。

でも、今の状況だと
今年は桜が散ってから桜祭り・・・
なんてことになりかねない様子です。

実行委員会の皆様、ご心中お察しいたします。

何も手助けにはなってあげられませんが。


そんなニュースを観ていた時のこと。

次女が私に訊きました。

「ねぇ、<さくら>って言えばさ~
 売り手と一緒になってお客さんを騙してる人とか
 偽のお客さんの事を良くサクラって言うけど
 どうしてサクラなの?
 あんなにキレイな花なのに」

おぉ~ 次女よ!
高校生になった途端に質問が賢くなったんじゃね?
大丈夫か? 熱は無いか? 知恵熱とか・・・

(って、おいおい)

いや、すまん・・・つい。


「ん、そうだなぁ~
 そう言われるとどうしてだろう?」

私は上手く答えられませんでした。

「じゃ、調べておくよ」



そこで調べてみました。←えらい!

みなさんはご存知でしたか?


<サクラ>とは
桜の花がパッと咲いて、さっと散ることから
その場面の盛り上げ役のことを言います。

「偽客」と書いて<サクラ>と読ませるのは
露天商などが用いた当て字が一般に広まったもので
つまり隠語の一種です。

もともとは
江戸時代に桜の花見は無料で見られたことから
芝居小屋でタダ見をさせてもらった客が
芝居の見せ場で役者に掛声を掛けるなどで盛り上げること。
それを行う人のことをサクラと言ったのが始まりなんだとか。

これが明治時代に入って
露天商や的屋などの売り子とつるんで客の中に紛れ込み
冷やかしたり率先して商品を買ったり
わざと高値で買ったりするような仕込み客のことを
隠語でサクラと呼ぶようになったのだそうです。


普段は何気なく使っている言葉でも
意味を問われると返事に困る言葉って
あんがいあるものですよね。

そんな話の続きは何れまた別の機会にでも。


今は素直に本物の<さくら>を心待ちにしておきます。

本物の人間の女性でぇ~
でもって美人のさくらちゃ~ん♪

はよ、来てやぁ~♪ 待っとるでぇ~~~♪

うぇるかぁ~む、大歓迎よん♪

あいらぶゆぅ~らぶゆぅ~ぶゆぅ~♪

むふっ♪ ヘ(__ヘ)☆\(ーー;)コラコラ!


せっかく今夜は
けっこう頑張って真面目に書いていたのにねぇ~
桜だけに繕った人格がオチるのも早かったようで・・・



忙中閑有・・・それとも現実逃避?
いやいや、単にネタに困った時の一人しりとり?(笑)

ってな訳で、しれっとね
さてさて、何から始めようかなぁ~

良し!

じゃ、季節柄「さくら」から言ってみよう!

言っておきますが
本州以南の皆様にとっては
もう既に終わった<出来事>かもしれませんが
北海道はまさにこれからが春の幕開け
桜の季節到来なのです

と、いうことで


「さくら」

「らじお」

「おしり」

おっと、いきなりそこに行く?
まぁ、良いけど

「りか」

「かき」

「きせつ」

「つみき」

「きくらげ」

「げいしゃ」

これって『しゃ』じゃなくて『や』だよね?
そこんとこ、ルールをハッキリしようよ

良し、『や』ね? じゃ・・・

「やきゅう」

「うつぼ」

「ぼき」

「きぼう」

「うき」

あー、それって『浮き』?
それとも『雨期』?

(どっちでも好きに)

なるほど。じゃあ・・・

「きんたろう」

「うし」

「しき」

「きんき」←魚

「きびき」←忌引き

えー!? また『き』かよ~と一人でボヤく

き、き・・・?

「キカイダー」←by 石ノ森章太郎(知ってる?)

古~い!
と、自分で自分に突っ込んでみる

キカイダー?
『ー』は『あ』で良いの?
って誰に聞いてるんだか

あ・・・あ・・・

「あき」

あき? あー、また『き』?
もう無いべ~
『き』??? うーん

き、き・・・き・・・

「きかんしゃ」

今時、こんな言葉を言う奴は歳が分かるな(笑)
もとい! き、き・・・

「きす」♪

思わず一人で照れてしまうかわゆい私

もとい! き・・ き・・・

そうだ!

「きたみ」(北海道東部の市)

あっ、地名は禁止?
なんてルールを自分で作る

えー!? ダメ~?

き、き・・ き・・・
「きむら」、「きた」、「きとう」・・・

ダメだ、名前しか出てこん!

き、き、き・・・ き・・・・・・・

き・・

「きばせん」!!

どうだ参ったか~!


あっ・・・・・・・・・(泣)




ちなみに
我が家ではまだ娘らが小さかった頃は
長距離ドライブの時には必ずと言って良いくらい
「しりとり」をやっていました

「しりとり」って結構性格がでますよね

大人の私としては
「しりとり」なんて真剣にやる気にもなりません

(と、言いながら結構熱くなる私(笑))

なので
早く終わらせたい時は
意地悪く
語尾が『る』で終わる言葉ばかりを探します

(大人げない!)

これが七~八回くらい続くと
『る』で始まる言葉って
なかなか出てこないはずです

まして
相手は子供ですから(笑)

(性格悪い?)

もっとも
「る」で終わる言葉を探すのに
こっちも結構必死になるんですけどね


ところが娘らが大きくなって知恵がついてくると
いつの間にか立場が逆転したりして

「お父さん、今日は二文字目しりとりね!」
「お父さん、今日は頭文字しりとりにする?」

こいつら、な、何を言い出すんだ?(汗)

「いや、お父さん運転中だからさ。
 運転に集中出来ないのはちょっと・・・」

「あっ、出来ないんだ?」
「お父さん、頭が固いからね♪」
「じゃ、向こうに着いたらアイスね!」
「やったー、買ってくれるの?」

くっそー、てめえらなぁ~
人の弱みに付け込みやがって!

お父さんは君達の成長を嬉しく思うよ(泣)



妄想族が行く!

想像と空想を区別するのは意外と難しいのですが
一般的な解釈をすれば

【 想像 】
・実際には経験していない事柄などを推し量ること。
 又、現実には存在しない事柄を心の中に思い描くこと。
 イマジネーション。

【 空想 】
・現実にはあり得ないような事柄を想像すること。
 その時点では実現されていないことに対し、
 頭の中で実現している場面を想像すること。
 ファンタジー。


ん~ 難しいですね。
どちらも頭の中で思い描くことではありますが
空想の方が想像よりも現実感が無いのかもしれません。


では、妄想はどうでしょうか?

【 妄想 】
・根拠もなくあれこれと想像すること。

辞書を紐解くとそう書かれていますが
同列では
『誇大妄想』『被害妄想』といった
かなりネガティブなことが強調されて書かれています。

想像ということでは同じなのに
妄想については
『非現実的』だとか『いかがわしい考え』だとか
『病的』『偏執的』等々
少なくとも辞書の編纂者には
妄想に対する好意は微塵も感じられないのです。

そのせいでしょうか?

多くの人には受け入れられずに
時には『オタク』だとか『変態』だとか
無用なレッテルを貼られバッシングを受けたりもします。

「妄想? やだー、いやらしい!」
「妄想? ただの変態じゃないの?」


もし
想像と空想と妄想の関係を式で表すなら
その関係は
想像>空想>妄想と表すことができるでしょう

空想は想像の中の一部であり
妄想は更に空想の範疇の一部という訳です。

その<想い>を順序立てて解説するなら
始めは穏やかな想像に始まります。
その後、その想いは空を駆けるが如く
自由に時すら超えて
やがて妄想へと想いは深みを増していく・・・

と、こんな感じでしょうか?

でも、それらの境目は誰が決められるのでしょうか?
誰が判断できるのでしょう?

たぶん、誰もが

「ここまでは想像でここからが空想。
 ここから先にいくと妄想になるな」

なんていちいち考えたりはしないでしょう。

むしろ妄想族は思う訳です。

<想像と空想そして妄想の間を
 自由に行ったり来たりするのが
 妄想族の妄想族たる所以なのだ!>

・・・と。

つまり

何物にも捉われない自由な発想が出来るのも
それが真の妄想族なればこそなのです。


で、皆さんは妄想族をどう思ってらっしゃるでしょう?


以前、私は

『健康な男は須らく変態である。
 しかし、変態ではあるが殆どの男は変質者ではない』

と、書きました。

今、同じことを思っています。

「健康な人間は須らく妄想族である。
 しかし、殆どの妄想族は
 病的ではなく、ましてや偏執的な訳でもない。
 ただ、他人より発想力が秀でているに過ぎない」


まぁ、敢えて言ってしまえば
その秀でた発想力が人類発展に役立っているかと言えば
殆どの場合
自己完結で終わっていることが多いので
あまり偉そうなことは言えないのですが。

なので、ここは謙虚に
「発想力が秀でている」という言葉じゃなくて
「発想力が豊か」程度に訂正しておきましょうか。


歴史を紐解くと
普通の人が発想し得ないことを発想し行動した人が
発明家や芸術家等
多岐の分野に於いて偉人として歴史に名を残しています。

中には発想や言動が時代の先を行き過ぎていて
その時代には評価されなかった人もいましたが
時代が追いついた後にはちゃんと評価をされています。

言わば、我が妄想族界のレジェンド達です。


なんて、話を大きくし過ぎましたが?
日本妄想族連合会総裁の私としては
歴史には名を残すだとか
そんな大それたことは考えてもいませんが
誰か一人の心の中にでも
何か一つの言葉、フレーズなんかを残せたら
それで妄想族冥利だと思っています。

もちろん、その発想の殆どは
自己満足からの自己完結で終わっているのかもしれませんが
それでもめげずに
妄想族は今夜も妄想の世界を自由に闊歩するのです。

それが妄想族の妄想族たる成すべき所作なれば!

さぁ、いざ今宵も行かん!
遥かなる妄想の世界へ!




何度も同じ夢を繰り返し見ることってありませんか?

短い間に何度もだったり数年の間に何度かだったり
周期的に或いは不定期にと
パターンはそれぞれかもしれませんが


私が見る夢は次のような夢です

スーツを着ているので仕事中のことです
多分、昼に弁当でも買いに行ったのでしょう

スーパーで買い物を済ませ
(何故かいつもスーパーです)
車を停めたはずの場所に行くと車が無いのです

私は焦ります

『あれっ? 場所を間違えたか?』

私は車を停めたはずの場所の近くを走り回ります

でも、車は何処にも見当たりません

『会社の車なのにヤバいよ!
 あれ?
 そう言えば重要書類は積んでたっけ?
 お客さんの個人情報は大丈夫か?
 いや、確か・・・
 そう! 何も積んでないはずだ!
 けど、車が無くなったなんてそれが知れたらヤバいぞ!
 どうしよう、どうしよう!』

そんなことを思いながら
パニックになって駐車場中を探し回ります

『そうだ! ここじゃなかったかもしれない!
 確か、地下にも駐車場が有ったよな』

スーパーの中に戻り
入り口を入って右手に行くと
眼下に広大な地下駐車場が見えます

でも、降りていく階段が見当たりません

『何処だ?』

そこでまた走ってスーパーを出ると
何故かそこが地下駐車場です

(明らかに地下です。
 天井が有って照明も付いています)

私は必死に車を探します

地下駐車場はガラガラに空いていて
数台しか停まっていません

なのに
何処にも私の車は無いのです

私は焦りながら今度は階段を駆け上がります

(何故か上に行く階段は有るのです)

『そうだ、ただの勘違いだ!
 駐車場に行ったら車はちゃんと有って
 「なぁ~んだ」ってなるに違いない』

期待? 希望?

一気に階段を駆け上がると又、上の駐車場に急ぎます

でも
今度は1台の車も停まってはいないのです

『会社に車なのにどうしよう!
 盗まれた!?
 いや、盗まれたんなら未だマシだ
 誰か犯人がいるんだから
 でも、無くなったなんてどう言えば良いんだ!』


夢なのではっきりとは分かりませんが
おそらく感覚的に言えば15~20分程度でしょうか

いつも
『どうしよう!』
と、思ったところで目が覚めます

そして
夢だったことにホッとするのですが
でも
同じような夢を何度も見るのって何か不安が残ります

そこでネットで色々と調べてみましたが
明解な回答は得られませんでした

ただ
いくつかのサイトで書かれていたことを総合すると
以下のようになります


”同じ夢を何度も見る現象は
 一種の警告であり
 コンプレックスやトラウマなどが
 大きく関わっていると言われています

 心の奥底に
 解決しなければならないコンプレックスが存在するとか
 夢が自分に何か大切なことを
 知らせようとしているのかもしれません

 警告を発しているのに改善が見られないと
 夢は何度も気付かせようとメッセージを送ります

 また強い刺激
 何かトラウマ的な要素を持っている場合が挙げられます

 もし自分が同じ夢を見ているなら
 その夢には大切なメッセージが込められているのです”


「警告」?

何の?

「コンプレックス」?

「トラウマ」?

「メッセージ」?

確かに私は外回りの仕事なので
普段は会社の車を使っています

でも
幸い今の会社では
仕事的にはプレッシャーになるようなことは特に無いですし
仕事上のトラウマも抱えてはいません

仕事中に事故を起こしたとか
危うく盗難に遭いそうになったとかそんなこともありません

仕事をしていれば多少のトラブルには遭遇しますが
長期に渡るようなトラブルは有りませんでしたし
今も未解決のトラブルは抱えてはいません

じゃ「警告」?

それにしては期間が長過ぎます
初めてこの夢を見たのは
確かそう、もう3年くらい前だったと思います

(それから4~5回はこんな夢を見ています)

こんな長い期間の「警告」って
いったい”いつ”を心配したら良いのでしょう?

仕事をしている限りずっと?

そうですね
確かに会社の車で仕事をしている以上
慎重に運転をし
又、不祥事が起きないように
きちんと管理をしなければならないでしょう

でも、だからって
それでこんな夢を何度も見るでしょうか?

逆にこんな夢を何度も見ることが
ストレスになってしまいそうです


私は”何”を恐れているのでしょう?

私は・・・

そうか・・・もしかして・・・?



歪(いびつ)

なぁ、どうして人の心って歪んでしまうんだろう?

<なんだい、やぶからぼうに。>

良く、事件を起こした犯人のニュースを観ていたらさ。
生い立ちがどうとか、育った環境がどうとかね。
或いは、親の愛情を受けないで育ったとかいうけど
やっぱり、そういうことなのかな?

<確かに、その要素は大きいと思うよ。
 愛することの喜び、愛されることの喜び。
 それって、知らないのはもちろんだけど
 どちらかに極端に偏ってもダメなんだよね。>

そうだね。
いくら愛されたいと思っても、自分が愛さないと
それはただのワガママだしね。

<それもそうだし。
 逆に愛することに固執し過ぎてもいけないだろ?>

まぁね。

<でも、本当に心って歪むのかな?>

どういうことだい?

<じゃ、心の形ってどんなだと思う?
 どんな形が正しい心の形なんだい?>

ん~ そう言われると・・・
君はどう思うんだい?

<そうだな。思うに
 そもそも心には『これだ』って形が無いんだよ。>

じゃ、正しい心の形っていうのは無いのかい?
丸とかさ。
良く『人間が丸くなった』とか言うじゃん?
やっぱり尖ってないのが良いってことなんじゃない?

<じゃ、楕円でも良いのかい?
 あれだって角が無くて丸いっちゃ丸いよ。
 でも、正円からしたら歪んでいる部類だけどね。
 角のある四角だってさ安定はしているよ。
 安定した心って意味では
 むしろ丸より正方形や長方形の方がバランスが取れてるだろ?>

ん~
そう言われると自信がなくなるけど・・・

<人の心ってさ。
 別に形じゃないと思うんだ。>

どういうこと?

<人はそれぞれなんだから人の心だって色々あって良いだろ?
 もちろん、形だってね。>

うん、まぁね。

<問題はさ。
 自分で心の形が解っていないってことなんじゃないかな?
 つまり、三角でも四角でも或いは星形だってね。
 自分の形が解ってさえいれば
 何処が他人に当たれば相手を傷付けてしまうとか解るだろ?>

そうだね。
確かに、それがみんな解っているなら問題は起こらないかもね?

<そこなんだよ。
 気にする人は気にするし気を付ける人は気を付ける。
 でも、気にしない人は相手がどうなろうと気にしない。
 まして、相手を傷付けたのが自分なんだってことさえ思いつかない。>

うん。

<つまり、形が歪になるのが悪いんじゃなくて
 それに気がついていないことが問題なんだよ。
 言ってみれば、心が歪むんじゃなくて
 それを見る見方が歪んでいるんだよ。>

じゃ、どうすれば良いんだい?

<ん~ 難しいけどね。
 やっぱり比較しないことなんだろうな。>

比較?

<あぁ。良く心がフラットな状態とか言うだろ?
 昔習った数学の座標を思い出してみろよ。
 あのX軸が自分の心だとしてさ。
 他人の良いところ、悪いところをY軸に書きこんでみる。
 そうしたらプラスが有ったりマイナスが有ったりするよね?
 それらの点を結んでごらん。
 ほら、デコボコになってやしないかい?>

ああ、そうだね。

<それが歪みだよ。
 でもさ。
 そのプラスとかマイナスって誰が決めた数値だい?
 判断しているのは自分だよね?
 同じことでも他の人が書きこんだら
 きっと、そのデコボコの段差は
 まるで違ったものになっていると思うよ。
 じゃ、正しいのは自分? それとも他の人?>

解らないよ。

<だよね。
 そんな誰にも解らないことを比較するから判断が歪むんだよ。
 他人がどうあれ、自分はこうだってものを
 ちゃんと持ってさえいたら
 正しいものは正しい、悪いものは悪いって言えるよね?
 そうしたら心が歪むなんてことも少しは無くなる気がするよ。>

それでも少しは・・・かい?

<まぁね。絶対的な基準っていうのがあるなら別だけど
 そんなものはないだろ?
 規律だって、それはその属する集団の中での話だし
 正義だって立場が変わればそれぞれの正義があるしさ。
 お互いが主張ばかりをしていたら収まらないよね。
 かといって、人間のキャパを考えたら
 全部を無条件で受け入れるなんて無理だろ?>

でも、それは仕方ないよ。

<そう、仕方ないのさ。
 仕方はないんだけど
 せめて自分の思考や行動の規範だけは
 ちゃんと持っていたいじゃない?
 もし、見る目が歪んだとしても少しでも修正出来るくらいにはね>



人には
愛することで幸せを感じる人と
愛されることで幸せを感じる人がいます

もし
自分がどっちのタイプなのか解らなければ
ペットを飼ってみると良いでしょう



犬との生活に喜びを感じる人なら
あなたは愛されることで喜びを感じるタイプです

もしくは
愛した分だけ愛されたいタイプです

犬はどんな時でも
忠実にあなたの傍にいてくれます

愛した分だけ
あなたに尽くしてもくれるでしょう

寂しい時も
きっとあなたのことを慰めてくれるでしょう



猫との生活に喜びを感じる人なら
あなたは愛することで喜びを感じるタイプです

もしかしたら
少しだけ自分に酔う傾向がある人かも知れませんね

猫は必ずしも
あなたの傍にはいてくれないかも知れません

どんなに愛しても
振り向いてもくれないかも知れません

それでも何処かで繋がっていること
それが愛なんだとあなたは納得出来るはずです




-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-




人は子供を持って初めて
愛には無償の愛もあるんだということを知ります

人は親になって初めて
どんなに親に愛されていたかを実感として理解します

愛すること
愛されること

求めること
求めないこと

抱きしめること
敢えて突き放すこと

形は違っても普遍なもの
それが愛だと自信を持って言えるようになるのです


ただ
哀しいことですが
今の時代は
求めることばかりで
愛することの喜びを知らない人が増えている気がします

自分だけを愛することしか出来ない人
自分の権利だけを振りかざす人
自分の快楽が何より優先されるべきだと考える人
そんな人が増えている気がします

もちろん
自分を愛することや
自分の正当な権利を主張すること
時には自分の快楽を求めたって
それ自体はちっとも悪いことだとは思いません

しかし
それだけになってはそれは単なるワガママです
ただの自己中です


時折テレビで観る
野性動物の親子愛に感動をしてしまうのは
それが子孫を残そうとする本能からだとしても
純粋な愛がそこにあるからなんでしょうね

厳しさと優しさ
そして、生きる為の強さや逞しさ
そんな普遍的な愛がそこに見えるからなんでしょう

それはもしかして
今、人間が失いけかけているものなのでしょうか?



必要なモノ

人間が生きていく為に単純に必要なモノ

食べ物と水と睡眠と住む所そして生きる為の知恵



人間が人間として生きていく為に必要なモノ

生き甲斐や張りのある生活と他人への思いやり



人間が尊厳を持って生きていく為に必要なモノ

自分への戒めと自分を正す勇気



人間が自立をして生きていく為に必要なモノ

現実を正面から受け止められる力と夢を希望に変える力



人間が自分らしく生きていく為に必要なモノ

守るべき自由と居心地の良い心の在り場所



人間が社会の中で生きていく為に必要なモノ

最大公約数的規範と許容、言い換えるなら少数派への尊敬



人間が豊かに生きる為に必要なモノ

自分へ注ぐ愛と他人の為に育む愛







考えてみると
生きる為に必要なモノはとても多い

それ以上に余計なモノも多い

余計なモノはいつもキレイに見える
余計なモノほど楽しいことも多い

だけど
余計なモノを抱え込み過ぎると
肝心なモノが持てなくなる



”三寒四温”

と、いう言葉を
四月に使っても良いのかどうかは分からないのですが


テレビのニュースでは
日本各地の桜の便りを伝えているこの頃です

しかし
北海道ではまだまだ名残りを惜しむ冬と
春になり切れない春の綱引きが続いています


先週はここ十勝でも十五度を超えた日もありました

そうかと思えば今日は北風が冷たい一日でした


思わず肩を窄めて

「先週の
 あの春めいた陽気は何だったんだろう?」

と、ボヤキが口をつきます

「冬将軍の奴、まだ何処かに隠れていたのか?」

とも思ったりして


名残り雪だとか
風花と言えばキレイに聞こえますが
この時期にはもう見たくも感じたくもありません


雪が降ったかと思えば
すぐに陽射しが降ってくる

そうかと思えばまた・・・

そんな風に
一日の内でさえ何度も
季節が変わるように天気が変わります

北の空はドンヨリと雲が厚く
でも南を見れば青空が拡がっていいます


同じ空に交わる春と冬の色


一度
暖かさを思い出した皮膚には
強く吹く北風は真冬以上に冷たく感じます


春と冬の間を行き来して繰り返す季節の綱引き

遅かれ早かれ
勝つのは春だと分かってはいても
つい春を応援してしまいます


判官贔屓とでも何とでも言えば良い

冬将軍の孤軍奮闘には応援はするまい


三歩進んで二歩下がる

その謙虚さは日本人の美徳では有りますが
一方で散り際の潔さも日本人の美徳です


果たして
問い掛けたこの言葉の意味を冬将軍には判るでしょうか?



タイミング

物事で一番大事なのはタイミングです


それを<縁>と言ってみたり
時には
<運命>と呼ぶのかも知れませんが
決断とか出会いは
全てタイミングによって
その結果が左右されるのだと思います


人生の様々な分岐点において
綱渡りのような選択や決断を重ねて来たとしても
結果としての<今>が良ければ
それは
タイミングに恵まれたと感謝をすべきでしょう


逆に何をやっても後手を踏んだり
良い結果にならなかったのなら
それはタイミングが悪かったということなのです

俗に「間が悪い」という類はこれです



林檎の木の下で
闇雲に林檎が落ちてくるのを待っていても
悪戯に時が流れるだけで
いつか疲れ果ててしまいます


タイミングも悪かったり合わなかったりすれば
どんな決断も出会いも金言も輝くことはありません

しかも
一度逃したタイミングは
残念ながら再び巡って来ることはないでしょう



それではどうしたら
そのタイミングを上手く掴むことが出来るのでしょう?


機を見るに敏と言われるような
勘が働く人ならともかく
普通の人にとってはそう簡単なことではないですよね

何度も失敗をして経験を重ねていけば
或いは
いつか分かる時が来るのかも知れませんが
所詮は人間の行うことです

それとて完璧ではないでしょう



いつも運が悪いと嘆く前に
もう一度
自分自身を知るところから始めたいものです

それが結局は
タイミングを上手く掴む為の一番の早道だと思います


相手を知るには先ず己から・・・

ん?

違いますか?(笑)


ともあれ
備えだけはいつもしておきましょう

一度逃したタイミングは
確かに再び巡っては来ないけれど
次のタイミングに備えることは
きっと出来るはずなのですから



sting  ~詩~

もう戻れない
後ろを振り向いても
昨日は記憶の中にしかなくて

立ち止まって
振り返る風景は今
僕の安らぎにはなってはくれない


それなら何処にある?
僕が見たい風景
せめて温もりだけ思い出したいのに

どうしてだろう?
忘れたくないことに限って
みんなみんな僕から離れていくのは




明日を見ようと
背伸びをしてみても
ここにしかない現実を見せるだけ

溜め息の分だけ
幸せが逃げるというなら
僕は息を止めて君を思い出すよ


もう戻れない
後ろを振り向いても
昨日は記憶の中にしかなくて

ちゃんと言えば良かった
「ありがとう」とあの時
言えていたらもっと早く前を向けてたね




もう戻れない
後ろを振り向いても
昨日は記憶の中にしかなくて

けれどそれさえも
時の流れは曖昧に変えるんだね
思い出せば胸を刺す痛みだけ残して



春の扉

3月1日

心の中に桃の枝をひと枝飾りながら
春の扉をノックした


コンコン・・・


「そう慌てなさんな」

答えるもの面倒臭そうに
冬将軍が扉の向こうで返事をした


まだ
そう簡単には帰る気もないらしい


仕方がない
もう少し待ってやろうか



3月15日

春の扉を再びノックした


コンコン・・・


「ちょっと待ってくれよ。
 まだ帰り支度が済んでいないんだ。
 でも、その前にまた、すぐに出かけなきゃ」

南の方から
そろそろ桜の便りも聞こえてきそうな頃
さすがに
奴もようやく
少しは帰る気になってきているようだ

ここまで来たら
もう少しだけ待ってやろうか


えっ!?
でも・・・すぐに出かける???

何?
まだ、仕事(雪降らし)をするつもりなのか?



3月21日

「おーい! もう春分の日だよ」

そう言いながら
また春の扉をノックした


コンコン・・・


「ちょっと待ってくれないか?
 なんだか名残り惜しくてさ」

いやいや、ちっとも(笑)

「なんだよ~ 冷たい奴だな」

あんたに随分と冷やされたからね(笑)

「分かったよ。
 でも、今すぐは無理だぜ。
 子分共を呼び集めなきゃならないんだから」

あー、早くしてくれよな

「そんなに追い出したいのか?」

別にあんたが嫌いな訳じゃないけどね
でも、そろそろ春も出番を待ちきれないでいる頃さ



そして今日

暖かな陽射しに背中を押されて

『いくらなんでももうそろそろかなぁー』

深呼吸をひとつした後で春の扉をノックした


コンコン・・・


「・・・」


返事がない

なんだ?
おいおい、まさか居留守って訳じゃないよな?


でも、どうやらそうではないようだ

そっと耳を澄ますと
賑やかな春達のお喋りが扉の向こうから聴こえてくる


なんだ、帰ったのか?

いつも決まって
秋の終わり頃になると突然現れては
そうかと思えば
何の挨拶もなしに
また突然何処かに帰って行く

変なところで律儀っちゃ律儀なんだけど

まぁ、奴らしいと言えば
そう、奴らしいね



北国の遅い春も待ちかねているだろう

月も変わった


さぁ、春の扉を開けようか!



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