Neko

夢の汽車に乗って 2014年10月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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秤にかける

ワイドショーの恰好のネタと言えば
先ず思い浮かぶのは
芸能人の浮気騒動だとか
二股騒動なんかがありますね

もっとも昔は浮気とか二股と言えば
悪いのは決まって男なんて言われてましたが
最近は必ずしもそうじゃないみたいですね

ここにも男女浮気機会均等法の影響が?

いやいや、雇用機会均等法でしたっけ?(笑)

ともあれ
何から何まで男女同権の世の中のようです


それにしても
以前、「浮気は文化だ」
なんて豪語した俳優もいましたが

何ともまぁ~

男としては羨ましい限りで・・・あっ、いやいや!

私に限っては決してそのような!

でも、ちょっとだけ羨ま・・・いやいや!

けっ、決して・・・そのような?(笑)


までも

よ~~~っく考えてみたら

いや、考えなくたって
私なんかは
いわゆる「イケメン」ちゃいますから
二股なんかはかけたくてもかけられません

余計な心配はする必要も無いかな?(笑)


ともあれ

男女間の二股はともかく
”秤にかける”ってことは
人生の間にはいくつもありますね


例えば

「自分の夢と現実の生活」


叶えたい夢、目指したい夢があったとしても
それを本当に叶えられるのは
きっと
才能と時の運を併せ持った一握りの人だけなんでしょう

多くの場合は
現実の生活を優先させ
或いは、現実の生活に追われる中で
それをむしろ言い訳にして
自ら秤から分銅を下ろしてしまいます


ただ

それが自分自身の決断だとしたら
そのこと自体は恰好悪いことだとは思わないし
誰から責められるなんて所以もありません

本気の夢を捨てるというのは
男としては勇気のいる決断だと思います


逆に

自分の身の丈や才能や限界も自分で認められずに
ただ、自分の夢だけに拘って現実を見ようとはしない

叶うかどうかも分からない夢を
大よそ不可能な夢を
いつまでも未練がましく追い続けて生きている

もし、そんな人が身の回りにいたら

「バカな奴だ」と嘲笑いながらも
心の何処かでは
「羨ましい奴だ」と思っている

そして

秤から
分銅を下ろしてしまったことを後悔する

そんな自分が何処かにいるんだよね


果たして

どっちの生き方が正解なんでしょうか?


いや、きっと正解なんて無いんでしょう



秤に載せるのも自分
秤から下ろすのも自分

どっちを選んでも
後々、後悔はするかも知れないし
どっちを選んでも
自分を納得させることが出来たなら
どんな結果になっても
後悔はしないで済むのかも知れない

でも

少なくとも
それを周りのせいにして
自分を正当化することだけは止めにしたいよね

うん、そうだね
それはそう思う

それは?

うん、それは・・・

そっか

でもね!

ん?

いや、なんでもないよ



答えの出ない禅問答のような独り事を繰り返しながら
今夜も秤と脇に置いた分銅を見比べている


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杖言葉

いわゆる
「座右の銘」という言い方もしますが

生きる上で寄り処にしたり
迷った時に振り返る言葉

それを『杖言葉』と言います


『杖言葉』という言葉は
松原泰道氏が著書や説法の中で
良く用いていた言葉です

(松原泰道氏は臨済宗の元僧侶
 2009年没、享年101歳)



”旅に例えられる人生
 人生が旅のようなものだとしたら
 何か杖となるものが必要で
 その‘杖’の役割をするのが‘言葉’である”

        松原泰道



このような話の中で
氏がしばしば引用をしていたのが

”扶けては断橋の水を過ぎ
 伴っては無月の村に帰る”

と、いう禅の言葉で

これは

”橋が落ちていても
 杖が一本あれば
 浅い深いを探りながら渡ることができる

 闇夜であっても
 杖をついていると田んぼにも落ちずに
 我が家に帰ることが出来る”

と、いう意味です



一年の中には晴れの日ばかりでなく
雨や風の日があります

中には
激しい台風や猛吹雪の日もあります


当たり前のことですが

私達の一生も
好ましい日ばかり続くのではなく
避けて通れない悲しみや苦しみの日もあります


誰も見ていない時にこそ
その人となりが現れます

「まぁ、良いや。ちょっとぐらい・・・」


悩んだり迷ったり
人生は
その繰り返しと言っても過言ではありません


時には心ならずも
望まぬ過ちを犯してしまうかも知れません


何かにつまづいた時は
それまで頑張って張り続けていた気持ちが
折れそうになったりします



そんな時に

自分を律する言葉
自分を戒める言葉
自分の標とする言葉
自分を動かす言葉
自分を労わる言葉
自分を励ます言葉・・・etc

それが心の杖になるのでしょう



心の杖を持ちましょう

宗教の教えのような
或いは
哲学者が問うような
難しい言葉である必要はありません

マンガの中にだって
歌謡曲の中にだって
映画の中にだって
心に響く言葉は出てきます

平易な言葉にも
心を揺らす言葉ってあります

いや

むしろ、状況が重なったりすると
シンプルな言葉の方が
心を揺さぶったりするものです


これからの人生
まだまだ
色々な出来事が待っているのでしょうが

その都度、その都度
必要な杖を持ち替えながら
旅を続けていけば良いのです



自由

大空を優雅に飛ぶ鳥と

大海原を悠々と泳ぐ魚と

大地を気ままに走る獣と


一番自由なのは

いったい”ダレ”だろう?




獣は空を見て

鳥を羨ましく思っているのだろうか?


鳥は海を見て

魚を羨ましく思っているのだろうか?


魚は陸を見て

動物を羨ましく思っているのだろうか?




いや

鳥も魚も獣も

そんな事は

これっぽっちも考えてはいないだろう


生きる本能が

自分を動かしているだけなのだから




誰が羨ましいだとか

誰が可哀想だなんていうのは

卑屈な劣等感や

さもしい優越感を振りかざしている

愚かな人間の業



それはただ

自分で勝手に作った根拠や

価値観に縛られているからに過ぎない



一番自由なのは

誰かの決めた価値観や既成概念に縛られない心なのだ



想秋記  ~詩~

日に焼けた腕の火照りも
秋が深まる頃には冷めてしまうでしょう

風の涼しさが鎮めてくれる
季節が変わった事も教えてくれる

時は流れ 時が流れ
ありふれた日々が私を包む

そんな風に一日が過ぎて
あなたの記憶も薄れていくのかしら




今はもうここにはない
あなたとの毎日だけどそれは嘘じゃなかった

例えばお互いに求めたものが
少しだけ違っていたんだとしても

私なりに あなたなりに
真剣な愛だったと言えるから

なのに目覚めた夢のまどろみの中
あなたの笑顔もいつかほどけていく




夕暮れの空はいつも
寂しさよりも私に優しさを連れてくる

もう忘れろと前を向きなと
私の背中をそっと押してくれる

心の中で 記憶の中で
あなたへの想いが変わっていく

そんな風に時が流れて
芽生えたものを想い出と言うのかしら




時は流れ 時が流れ
ありふれた日々が私を包む

そんな風に過ぎてく日でも
私なりに私らしく生きていけたらそれがいい



人生

人生って人が生まれると書きます

でも、生まれたことに理由を探してはいけません

生まれたこと、それ自体が理由の全てなのですから




人生って人が生きると書きます

つまりは

今、生きているこの瞬間こそが人生そのものなのです




人生って人と生きるとも読めます

元来、人は人と共に生きるように作られているのです

だから、足りない所は補い合えるように

様々な人が一緒に生きているのです




人生って人の生命のことでもあります

限りある生命を使い

そして、未来へと繋げていくことが人の役割です

だから、それを使命と言います



聴くと季節を感じる歌って
四季折々、人それぞれに
きっと、思い浮かべる歌があるでしょうね

その季節になると聴きたくなる歌とか
その歌を聴くと”或る”季節を想い出すとか


季節は毎年繰り返すけど
同じ季節は二度と巡ってはきません

季節は巡っても
過ぎた季節は二度と還ってはきません

そんな事を思いながら
秋の夜は少しだけセンチメンタルになります


そんな季節に似合う歌・・・



言えなかった言葉

そう、あったっけな・・・





山崎まさよし「One more time ,One more chance」












支え合う

人間は弱い生き物です


独りで出来ることなんて
たかが知れています

だから人間は支え合わなければなりません


独りで何でも出来るなんて思い上がりです

独りで生きて行けるなんて
本当に独りになったことの無い人の
根拠の無い強がりです



三年B組金八先生の中の有名な言葉

「『人』と言う字は支え合って出来ています」

そんな台詞がありましたが

もうひとつ
人間の「間」にはどんな意味があるかご存知ですか?


「二点間の隔たり(長さ・距離)」

「タイミング」

「人と人との関係・間柄」

「部屋」

そんなところが思い浮かぶでしょうが
実はもう一つ意味があります


「間の良いことに」

「間が悪かった」

等という言い方をしますが

”間”には
“めぐり合わせ”という意味があるんです


つまり

”めぐり合わせの中で出会った同士が支え合う”

それが「人間」なのです



でも

いくら”支え合う”と言っても
お互いが向かい合わなければ支え合うことは出来ません


”面と向かう”


正面から向かい合わなければ
本当の意味で支え合うことは出来ないということです


それは家族はもちろん
友達同士でも職場でも
それから夫婦の間でもね


”そういう自分はどうなんだろう?”


自問自答の答えを探しながら夜は更けていきます



負けた夜

”負けたくないと意地を張れば張るほど
 人は負けに又、一歩近づいていく”

  虚空の吟遊詩人 夢乃何チャラ語録より抜粋




「勝ちたい」と思う人
「負けたくない」と思う人

同じようにみえて
実はその差は大きい


「負けたくない」と思う人は
その相手に対して負けを意識しているのだ

だから「負けたくない」と思ってしまう


もちろん
普段の鍛錬は言うまでもないが
それだけで勝てるほど勝負事は甘くはない

時の運とか地の利をどう活かせるかとか
その全てを味方に付けなければならない

且つ

どれだけ相手より「勝ちたい」という気持ちが強いのかで
そのほとんどの勝負は決まるものなのだ


それに比べて
「負けたくない」と言うのは
言ってみればただの意地だ




と、冷静に考えれば簡単に解ることでも
いざ自分がその段になると
案外、自分を見失ってしまうものだ

その愚かさ、危うさが
人間の人間たる証拠なのかも知れないが




「負けるもんか! まだまだ負けたくない!」

そう思って何とか九月を乗り切った

だが、どうだ?

時が十月を告げた途端に
心に張り詰めていた糸が切れたかのように
私は負けを認めることになった



十月

北海道ではそろそろ紅葉の季節

もうクールビズではない

風の向きが今までとは明らかに違ってきた
しかも冷たい

朝晩の通勤時にはコートの一枚も羽織りたい頃だ

日本全国、誰もがもう秋だと認めているだろう

いや

北海道人なら
本能的に既に冬の気配すら感じ取っている時節だ

それが証拠に

最低気温は
もう片手にすら満たなくたって来つつある


「今まで何とか頑張ってきたけど
 もう良いかな?
 もう負けても良いよね?
 みんな笑って許してくれるよね?」


そう自分に言い訳をしながら
私はストーブのスイッチを点けた




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