Neko

夢の汽車に乗って 2013年07月
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プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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ダイヤリー

遠い記憶の中で
君が微笑んでいる

花柄のワンピースは
二十歳のプレゼント


結んだ黄色のリボン
麦わらの帽子

かざした風景の向こうで
夏の風がそよいでいた




セピア色の写真
記憶が坂道を上る

カテドラル 異国の空
ポプラ並木と石畳の舗道


君の好きな風景
僕が好きだった街

天窓のある部屋でいつも
夢を語り合った時間




しわだらけの指で
たどるあの日のページ

滲んだ青いインク
表紙の褪せたダイヤリー


途切れたページの
そのから先に君はいない

さよならさえ言えなくて
見送る事も出来なかった




僕の想い出の中で
君は永遠を手に入れた

僕の時計はあの日で止まり
君のいない永遠に迷い込んだ


もしもケンカをして別れたなら
そう、その方が良かった

他の誰かと恋した瞬間に
君を忘れられただろうから




朧に浮かぶ月に誘われ
僕は部屋の窓を開けた

レースのカーテンが
フワリと微かに揺れる


夜風に紛れた君への想いが
また溢れ出す前に

ダイヤリー 静かに閉じて
心の一番奥に仕舞い込む



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予告編

人生は筋書きの無いドラマなんだとか

って、事は

つまり

まだまだ結末は分からないって事だね


それはまだ頑張る意味があるって事だよ





事実は小説より奇なりって言うよね

って、事は

つまり

現実の方が小説より面白いって事だね


そりゃそうだよ 主人公は自分なんだもの





人生はハッピーエンドな話ばかりじゃない

そう、そこに

つまり

だからこそたくさんのドラマが生まれる


泣くも笑うも それが生きるって事なんだよ







もしも

人生が1編のドラマだとしても
明日はこうなるだとか
明後日には何が起こるだとか
そんな予告編はいらない

明日の事は知らなくても良い


大事な事は

そう、それはつまり
今、この時を生きているって言うその事だからね


あっ、でも

考えようによっては
今日そのものが明日の予告編みたいなものかな?

今日は明日にちゃんと繋がっているのだから


そうだとするなら

今日、どれだけ頑張ったかで
予告編より面白い本編になるかどうかが

そう、決まるんだね



背伸び

小さい頃は

もっと前が見たくて背伸びをしていた



10代の頃は

早く大人になりたくて背伸びをしていた



恋をするようになって

見栄と言う名の背伸びをしていた



社会人になってからは

周りに負けたくなくて背伸びをしていた



子供が出来てからは

良い親になろうとして背伸びをしていた



もっと大人になってからは

自分を繕うように背伸びをしていた





五十歳を過ぎて

背伸びを止めたら地に足が付いた



もう背伸びはしない



諦めたからじゃない

かと言って

今の自分に満足しているからでもない

もちろん

目標が無くなったからでもない

向上心を失くした訳でもない



まだまだ未熟な自分

でも

それで良いんだと思えるようになったから



手紙の勧め

パソコンにしろ携帯(スマホ)にしろ
メールとかブログのコメントなどは
何かしら毎日書いていますが
考えたら
手紙って久しく書いていません

いったいいつから?

思い起こしても・・・

記憶の階段を辿っても
記憶の引き出しを片っ端から開けてみても

記憶に無いくらい・・・?

いやいや
まだ全部の記憶が飛んじゃってるほど
ボケてはいませんのでご安心を!?

ともかく

それくらい書いていないって事ですかね



用件ならメールでも十分伝わるけど
より気持ちを相手に伝えたいなら
やはりメールよりは手紙でしょうか?


「想いを綴る」と言います


相手の顔を思い浮かべながら
一文字、一文字書いていく

キーボードで打てば単なる一文字ですが
直筆の場合は
一角、、一角を紙に流す時間

そこに想いが込められていきます



実は私もそのタイプなのですが

大きな身体に似合わず
小さな文字を書く人っていますよね

もっとも、私の場合は
元来、字が下手なので
大きく書くと上手く書けません

なので、ごまかす為に
段々と書く文字が小さくなっていきました


今では米粒にだって三文字くらいは書けます!

・・・いや、すいません

嘘です(笑)


まぁ、私の事はともかく



パソコンで打った文字にしろ
直筆の文字にしろ
読めば同じ一文字です

でも、文字って
その人の人となりだとか
性格、クセが表れていますよね


例えば・・・

丸っこい文字

マンガ文字みたいに可愛い文字

原稿用紙のマス目なら
はみ出してしまいそうなくらい
武骨なゴツイ文字

右肩下がりの文字


文字を見たら、相手が分かります

その文字のクセを見ると
相手の事を思い出して
つい懐かしさもこみ上げてくるものです



来た手紙の文字が昔と変わっていなかったら

「あぁ
 こいつ、相変わらず元気でやってるんだなぁ~」

って、嬉しくなるし

逆に、筆圧が弱くなってでもいたら

「どうしたんだろう?」

と、心配になったりします



そう言えば昔の歌に

”涙で文字が滲んでいたら わかってください”

と、言うのがありましたよね

これなんかは
メールの絵文字や顔文字で
《泣き顔》を入れるのとは
全然伝わり方が違うんじゃないでしょうか

もし
私が昔の彼女から
そんな涙で滲んだ手紙でも貰ったものなら
きっと
何もかも投げ出して
すぐにでも飛んで行くでしょう

そんな気持ちになりません?

本当に?
自信、あります?(笑)



私も普段はこうして
パソコンで文章を書いていますので
パソコンで打つ文字を
否定するつもりは全くありません

メールでだって
ブログでだって
伝わる想いはたくさんあります

(おいおい、矛盾してないか?(笑))

でも
文字を見て相手を気遣うなんて事では
直筆には敵いません


パソコンだとせいぜい

「***・・・」

とあれば
この《・・・》の意味を考えるくらいです

(私もメールの時
 相手に”何か”を感じてもらいたい時は
 良く言葉の語尾に《・・・》を遣います)

後は、余程相手の性格を知っていない限りは
書いている通りにしか受け止められないでしょう



みなさんは
手紙とか葉書ってどのくらい書いていますか?

たまにはメールじゃなくて
親しい人に手紙でも書いてみてはいかがでしょう

旅先からなら
絵葉書なんて言うのも良いかも知れません


もっとも

「お前、急にどうした?
 何かあったのか?」

なんて
余計な心配をさせちゃうかも知れないですけどね




<後書>

最近は直筆だと怖いと言う人も多いようです

想いを込める=怨念が宿っている?

確かにドライな感覚を好む現代人には
直筆の文字と言うのは重たいのかも知れません

(何となく感覚ではそれも解ります)

メールの文字だと誰が打っても同じ字体だし
何より気軽で良いのでしょう

遊び感覚で絵文字や顔文字を使えば
何となく気持ちも通じるような気になれます

好きでも無い異性に
ハートマークなんかを気軽に使うと
勘違いされる事もあるでしょうけどね?

(男は単純だから十中八九は勘違いをします)

場合によっては
写メなんかの方が相手受けするでしょう

でも、所詮メールはツールです

その意味では手紙もツールと言えばそうですが
何でも簡単に済ませられる時代だからこそ
敢えて
手間をかけてみるという事も必要な気がします

その手間の中に大切なモノがある

きっとね



みなさん、暑い夏も盛りのこの頃

いかがお過ごしですか?


熱波で溶けてはいませんか?

冷たいモノばかり飲んじゃ喰っちゃで
お腹を壊してはいませんか?


なんて・・・

まるで母親のようなこの気遣い

ありがたいでしょ?(笑)


出来る事なら

みなさんに
北海道から私のような爽やかな風を送って
涼しませてあげたいところですか

(はい、ここスルーで)

なんせ
北海道もこの頃は
以前までの
「亜寒帯」から「温帯」に格上げされたみたいで

残念ながら

みなさんのご期待には添えそうもありません


かえって

選挙速報でも観ていた方が涼しくなれたりして?


原発の問題

東北復興問題

沖縄の問題

憲法改正問題

TPP問題

消費税や年金の問題 etc・・・


問題は山積みなのに

政治家はいつも
自分の選挙の事しか頭に無いようで
官僚は自分達の既得権にしか興味も無い?


自分の老後、子供達の未来

考えただけで背筋が寒くなります


毎年夏に選挙をしてくれたら
エアコンなんて必要無くなるかもね


あっ?

これって究極のエコ?


なるほどね~

さすが、政治家様に官僚様

これが狙いだったのね?


そこまでは気が付かなかったわ~

なのに失礼、無礼の数々

お許しいただけるかしら?


って・・・

まさか、本気にしてないよね???


先にも色々な問題を上げましたが

一番の問題は
その問題に対して
ほとんど影響されない人達が議論をして
物事を決めているという事です

例えば

年金問題ひとつを取っても
議論している政治家や官僚なんかは
自分の老後の心配なんかしていないでしょ?

消費税然り

消費税が何%になったところで
それで
自分の生活が困窮してしまうなんて人が
議論をしていませんよね?

原発にしたって
東北の復興にしたってそうだと思います

自分達の生活に関わる事なら
もっと真剣に、もっとスピーディに話は進むはず

現に議員定数削減の話は
アッと言う間に先延ばしでしたよね


昨今、教育問題に於いても
道徳教育の事が取り上げられているけど

政治家とか官僚
ついでに言えば電力会社のお偉いさん達こそ
昔、習った道徳の教科書を
今一度
読み直してみた方が良いんじゃありません?


あー、そんなもの
とっくの昔に何処かに棄てちゃいましたか?


暑い夏の夜に
こんな話ばかりを書いていたら
ますますヒートアップしちゃいそうです(笑)


そうですね~

それじゃ

お盆には未だ少し早いですが

稲川 淳二さんの怪談噺でも
YOU TUBEで見てクールダウンしますか?(笑)


えっ?

余計に眠れなくなる?

でももし
気絶でも出来たら朝までグッスリですよ

もっとも

朝までで済むなら良いけど?(おいおい(笑))


ともあれ

夏は未だ盛り

良く食べて良く寝て水分補給も十分にして
元気で夏を乗り切っていきましょ!


暑中お見舞い申し上げます




思考が停止する日

以前

『地球が静止する日』と言うSF映画がありましたが






今夜の私は






『思考が停止する日』のようです・・・






こんな日は

いくら無理をして言葉を捻り出しても


その言葉達は

ただ

自己嫌悪の海に流れ着いて

助けすら呼べずに溺れてしまうでしょう






こんな日は

ゆっくりと音楽でも聴きながら

言葉の神様が降りてくるのを

おとなしく待っていましょうか




それとも


睡眠薬代わりに

濃いたっぷりのコーヒーでも飲んで


さっさと寝てしまいましょうか・・・



良く言えばパロディ

或いは、ある種のオマージュ?


しょうもない話と言えば
返す言葉もありませんが(笑)


何ででしょうね~

年に一度くらい
この手の話が
天空より私の脳内に舞い降りて来ます


私に  ≪書け!≫  と・・・


「えー? マジっすか?」

私は答えます


が、しかし

次から次と言葉が下りてくるだけで
その返事はありません


だから
これは私が書いた物語ではありません・・・?



神は私に何をさせたいのでしょうか?(笑)



と、言う事で


今、泣きたいあなた!

今、モーレツに感動したいあなた!

あなた達は決してこれを読んではいけません



今、とってもヒマなあなた!

今、心に余裕があって
  多少の事なら笑って許せるあなた!

これはあなた達の為に書かれた物語です(笑)


      ↓

「そうだったのか!」 ~とある童話のその後の話?~




Oh,My Amido !

ここ十勝も暑い日が続いています

まぁ~

連日、猛暑日やら灼熱日(?)の
東北以南の皆様からしたら
北海道の30℃なんか
鼻で笑う程度なんでしょうが

なんせそこは暑さに弱い北海道仕様の身体

北海道人にとっての30℃は
東北以南の方が感じる35℃相当と思って下さい

北海道人にとってはそんな感じなのです

相当暑いです(笑)


確かに

いくら昼間は30℃になっても
朝晩の気温は大概20℃を下回ります

寝苦しい夜なんて
年に数日あるか無いかですから

そりゃね~
本州、四国、九州、沖縄の方々からしたら

「おんどりゃ、何寝惚けた事を言うとんねん!」

ってなとこかも知れません

それは私を始め
北海道人はみんな自覚しているのです・・・多分

でも暑いものは暑い!


でしょ?

解ります???


が、しかし!?

我が家は日中の暑い最中にも
窓を開ける事が出来ないでいます

何故なら

我が家の冒険心逞しいネコ達が
ことごとく、家中の網戸を撃破!?

網戸の数だけ脱走を繰り返していて(笑)

とうとう
もう我が家には
無事な網戸は皆無になってしまったのです


我が家のネコ達は
箱入り息子然と育てていたので
普段から無断外出はさせてはいません

その反動なのか
永遠の反抗期なのか

はたまた
それがネコなのか(笑)

とにかく外に出たがります

外でスズメがチュンチュンさえずっていては
窓にくぎ付けになっています

庭でチョウチョがヒラヒラ舞っていては
窓にへばり付いています

実際に逃亡したらと言うと
奴らは慣れない外に臆病になって
家の周りでうずくまっているだけなのですが

「なら、出るなよ!」

もちろん、聞くはずも無いんですけどね




最終手段として考えた結果
窓を開けたい時は

≪ネコを風呂場に閉じ込める大作戦≫(笑)

(注)もちろん
   風呂には水は張ってませんので
   御安心を!


だってね
網戸をいくら修理したところで
奴らの事です

すぐに又
挑戦的な行動に出るに決まっています

これじゃ、いつまで経っても
ネコ達とイタチごっこ・・・
いや、ネコだからネコごっこ?

(何のこっちゃ?)

網戸の修理代だってバカになりませんからね

ましてや
何度も網戸を修理する予算もありません

でも
いつかは網戸を直さなければ
我が家には
永遠に平和な夏はやって来ないでしょう


私はネコ達を横目で睨み付けながら
つい叫んでしまいます

「オー、マイ アミード!
 ナントカシテクレーノ、モーヤメーテ!」

すんません

前世が自称イタリア人なので
つい叫ぶ時はイタリア語が自然に・・・

(おいおい)

ともあれ!

これ以上
暑くならない事を願うのみですが
なんせ夏はこれからが本番なんですよね~


ちなみに我が家
扇風機は何故か2台もあるのですが
エアコンなる文明の利器は存在しておりません

何故って?

それが「The 北海道の家」だからです!

<(`^´)>エッヘン ←最早、単なる開き直り?(笑)






時代の狭間で

グレープ(さだまさし)の歌った「無縁坂」の一説

”運が良いとか悪いとか 人は時々口にするけど”


そう、確かにそう言う事ってあると思う



もちろん
他人の何十倍、何百倍も努力をして
成功をした人に対し
ただ
「運が良かったね」
と、ひと言で片付ける事は出来ないし

一片の努力さえ何もしなかった人が
ただ
「運が悪かった」
と嘆くのを
同情したりは出来ない


しかし

それでも確かに
努力だけではどうにもならない事もある

そこに”時の運”が加わって
初めて為し得る事も多いのだ


歴史を紐解いてみても
画家・音楽家・研究者等
その人が生きていた時代には
全く評価がされなかった例は多い


生まれた時代
生きた時代の中で
その時流に乗れるかどうかと言う事も
努力とはまた別なところにある
成功への大きな要因なのだろう



何十年周期で繰り返される時代の波は
バイオリズムのグラフのように
+と-を上がり下りする


日本列島改造論で日本中が湧いた
高度経済成長期が一段落した後に
私の世代は社会人になった

団塊の世代よりは凡そ10年下になる


古き良き時代は知らないが
基本的な思考回路は
古き時代の末裔なのである

だから
私達の下の世代である
新人類の考え方も
自分の中では良しと出来なかった

さりとて
上の世代の考え方にも
100%は成れなかったのだけど


身体は新人類でも
心は旧人類のようなものだったのだ


唯一の良い点は
流行や時代の最新技術
或いは
生き方や思考形態については
新旧両方を許容出来ると言う点だったと思う


時代のうねりの中で
生きていく為に身に着けた知恵

それが無ければ
とっくに時代の狭間に消えていただろう



良き時代の恩恵を大して受けなかった割には
その後に来た
時代の逆風を一番まともに受けて来たのも
又、私の世代だった気がする


楽観も出来ず
繁栄を享受する事もなく
諦める事も出来ず
逸れる事もなく
ひたすら歩き続ける事しか出来なかった


だから

時として
歳の割には達観したモノの言い方をする


”どうにかなるさ”

”何とかなるべ”


自分にそう言い聞かせながら我が道を行く

そうやって
昨日も歩いて来たし
明日も又歩いて行くのだ




歩こうよ

一人で歩くには
この道はあまりに長過ぎて

時々、迷いそうになる
つまづきそうになる

花が咲いていても
川が流れていても
青い空に虹がかかっていても

ボク一人だけじゃ
誰にも伝えられないこの想い

だから
手を繋いで歩こうよ
独りで歩くときっと俯いてしまうから




どんなにボクが
キミの事を想ってるか知ってるかい?

多分、キミが思うより
ずっとずっと大きいよ

鳥が歌っていても
風が囁いていても
夕焼け空がどんなにキレイでも

キミがここにいなければ
独りぼっちじゃとてもいられない

だから
手を繋いで歩こうよ
独りで歩くと道に迷ってしまうから




だから
手を繋いで歩こうよ
君となら歩いて行きたい どんな道も

だから
手を繋いで歩こうよ
君とだから歩いて行きたい どんな時も








【 作者の言い訳? 】

基本、恋の詩は苦手です

苦手と言うよりは
この歳でってテレもあるし

何より
正統派(?)の恋の詩を書こうとすると
どんな言葉を探して来ても
陳腐になってしまいかねません

(いや、これも十分陳腐ですが(笑))

だから
普段は敢えて書かないようにしているのですが
時々、言葉が勝手に出たがります

1フレーズが勝手に出ちゃうと
後はなし崩しです!?(笑)


まぁ

たまには良いかな



ちなみに

これはあくまでフィクションであり
実在する生活及び、環境とは全く無関係です

むしろ、願望・・・無いモノねだり?(笑)



本能

良くも悪くもですが

人間には
忘れると言う能力と
慣れると言う能力が備わっています


例え、無意識だとしても
忘れると言う作業をする事で心のバランスを保ち
慣れると言う作業で環境に適応しようとします


それは
生きる為の本能と言っても良いのでしょう


ただ

どちらも
人間に備えられた大切な能力なのですが

現実には

忘れて良い事と
忘れてはいけない事があります

慣れても良いものと
慣れてはいけない事があります


そのボーダーラインは誰が決めるのでしょう?


人の心は
普遍的な物差しだけでは測れません

では
本能の赴くままに?

本能の指し示すままに?


案外そうなのかも知れません

防御本能に優れた人と言うのは
自然に「良い事」「いけない事」を
仕分けする能力を備えているのでしょう


逆に
どうしようもない人と言うのは
間違った「本能」を言い訳にして
楽な事、楽しい事しかしようとしない人です

「本能の命ずるままに楽しく生きる!」

でも
それが通用するのは
一生の内でもホンの僅かな時間だけです

心の中で悪魔が囁く”本能”は
それは本能ではなくて
ただの怠惰なのですから


幸か不幸か
人間社会と言うのは
本能を理性で抑え込む事で成り立っています

その中にあって

本当の意味での本能が試されるのは
選択を迫られた時です


「行くか? 行かないか?」

「右か? 左か?」

「取るか? 取らないか?」


自分を信じるのか?
他人に委ねるのか?


思うに
本能と言うのは

自分を信じる力なのかも知れません

だから
自分を磨くと言う事は
すなわち
本能を研ぎ澄ませるという事に違いありません



向日葵と月

向日葵は太陽に恋焦がれていた

いつも眩しいその笑顔
誰もを明るくするその陽気さと
包み込むような温かさ

向日葵にとって
太陽に出会って恋をするのは
それはまさに運命だった


向日葵はいつも太陽を追いかけていた

朝の挨拶

「おはよう。ご機嫌いかが?」

そして

「ねぇ、もっとあなたの笑顔を見せて」


太陽が笑顔を振りまくと
鳥達も木も草もいっせいに振り返る

太陽にとっては
向日葵もそんな中のひとつ


それでも向日葵は嬉しかった

太陽がそこにいてくれるだけで
向日葵には幸せだと思えたから


けれど

そんな向日葵の想いなど
太陽は気づくはずもなく

やがて、夕の帳を下しながら
そして次の町へと・・・


残された闇の中で
向日葵は一人、項垂れたまま時を過ごす

切なさに胸を締め付けられて
それでも
どうしようもないくらい太陽が恋しくて

何度も何度も
未だ暗い東の空に向かって
ただ祈るように太陽を待ち焦がれていた


「そんなに俯いたままだと
 涙が堪えきれなくなるよ。
 ほら、もう顔を上げてごらん。
 例え、太陽はいなくても
 この空には
 こんなにも綺麗な星達が輝いているんだよ」

月は優しく向日葵に語りかける

月はいつも
項垂れた向日葵を優しく照らしていたのだ

でも
項垂れたままの向日葵には月は見えていない

いや
むしろ見ようとすらしていないようだった

その声もただ向日葵を切なくさせるだけだった

「もう止めて! 同情ならたくさん!」

そんな向日葵を見ては月は悲しくなってしまう

「僕にもっと
 君に元気を与えられる温かさがあれば。
 僕にもっと
 君を明るく出来る輝きがあれば」

その想いは向日葵には届かない
それでも月は願う


明るい君の笑顔を僕にも見せてください
僕はそれだけで満足です

僕の願いは君の幸せなんだから



-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-:-



向日葵・・・Sunflowerとも呼ばれるこの花は
太陽を追いかける事からこの名前が付きました

でも実際には

太陽を追いかけるのは
花首の柔らかい若い時だけで
成長をしてからはずっと東を向いていて
その頃にはもう太陽を追いかけないそうです

もしかしたら

いつか向日葵も
夜を優しく照らす月に
気が付く時が来るかもしれませんね




日が代わって
今日は7月7日。

そう、七夕です。

(北海道、東北の一部は1か月後の8月7日ですが)


と、言う事で。

今年も七夕ストーリーを
ホームページ <夢の樹舎> にアップしました。

タイトルは『最後の晩餐』

七夕の夜にどんな”最後の晩餐”が待っていたのでしょう?


ひと時、お付き合いください。。。


 *下のタイトルをクリックすると
   ホームページ本文が開きます。

     ↓

   『最後の晩餐』





女優

『女は生まれながらにして女優である』


こんな言葉を誰が最初に言ったのか?

それは解らないけれど
確かにこれを「名言」のひとつだと言っても
文句をつける男はきっといないでしょう



例えば<嘘>

男は嘘を隠す為に嘘を重ねようとしますが
女性は嘘を真実にする為に嘘を重ねるのだとか

そして
これは以前にも書きましたが

男は嘘がバレそうになると
慌てて口を隠すの対して
女性は泣いているフリをして目を隠します

いくら慌てて口を押えても
目が間抜けに泳いでいたら
そりゃ、嘘なんかすぐにバレてしまいます

しかも

女性に泣いているフリで目を隠されたら
真実(?)を知らぬ男は
ただただオロオロするばかりで

「ねぇ、大丈夫? ごめん、気を悪くした?」

喧嘩の原因が女性の側に有ったとしたって
大根役者と名女優?

これじゃ、端から勝負にはなりません




例えば<笑顔>

実は
若い頃の私なんかもそうだったのですが
男は嫌いな奴は嫌いなんです

例えそれが仕事の同僚だったとしても
嫌いな奴に愛想笑いなんか出来ません

そんな事をしてしまったら
三日間は自己嫌悪しちゃいます

だから
嫌いな同僚とは
必要最低限の
言ってみれば業務連絡程度の事しか話しません

(まぁ、今はだいぶ大人になりましたが)

友達だったら
速攻、近寄らないように自ら遠ざかります

でも

女性は例えどんなに嫌いな相手でも
満面の笑顔で
話を合わせる事が出来ちゃうんですよね

「あれ?
 君、あの子とあんなに仲が良かったっけ?」

「そんな訳無いじゃないですか。
 あんな女、大嫌いですよ」


”社交辞令”
そして
”営業スマイル”

きっと
どんなに優秀な営業マンでも
この点に関しては
女性には敵わないんだろうな

おー、怖っ!




例えば<ネコ>

えっ?

『男と女の話には関係無いんじゃないか?』

ですって?

いやいや
これぞ女優の本領発揮ってなもんじゃないですか

そう、被りモノの話です

もちろん、『くまモン』とか
そんな話じゃないですけどね

男の前はもちろん
上司の前とか
そうね、男の両親の前では尚更

「こいつ、二重人格か?」

男が女性に対して
初めて恐れおののく瞬間かも知れません


好きな人の前に出た時

恋人同士だったとしたって
二人っきりでいる時と
みんなの前にいる時

そりゃね
男だって態度は変えますよ

でも、女性のそれは
男の比ではありません

しかも
”演技”とはとても思えないほど
ごく自然に演じ分けてしまう

いや

演じると言うよりは
成りきってしまえるんでしょう

人間が息を吸うのと同じくらい
意識などせずにごく”普通”に

まさに
女性は須らく天性の女優なんですね


そう言えば誰かがこう言っていました

『男は成長をして男になるけど
 女は生まれながらにして女である』




結局

男は一生かかっても
女性には敵わないのかも知れません

なんせ

産んでくれた母親が
そもそも女性ですしね



かつて、メイがそうだったように

あんなに愛していたジューンまでもが
突然
何も言わずにボクの前からいなくなった翌日


ボクの心の中にそっと入り込んだジュライさん


今にして思えば

メイは暖かな笑みの中にも
何処か冷たさが同居していたように思う

ジューンは一言でいえば
そう、穏やかな温もりを私に与えてくれた

でも・・・

時々、見せた涙雨は
いったい何を語ろうとしていたんだろう?


ボクはただ
君達には求める事しか
してこなかったように思う

メイには
春の日溜りのような温もりを

そして

ジューンには
梅雨空に垣間見える青空のような心の安らぎ


こんなボクだもの
君達が
去って行ったのも無理の無い事だね


そうやって落ち込んでいたボクを

救ってくれたのは
ジュライさん、あなたです


ジュライさん

こんなボクでも
あなたは愛してくれますか?


ジュライさん

いつまでもボクの傍にいてくれますか?


昔は大好きだったオーガストさんは
今のボクには情熱的過ぎます

ジェニュアリーは逆に冷た過ぎて
ボクは心の芯まで凍えてしまいそうになります


ジュライさん

今ならハッキリと言えます

ボクにはあなたしかしないのです!


ジュライさん

あなたと歩いた向日葵畑
あなたと眺めた天の川

そうそう!
花火大会も一緒に行きましたね?


ジュライさん

今年も又
あなたに出会えた事

どれほど今
ボクの心は躍っているか解りますか?


ジュライさん

夏休みには一緒に海に行きましょうね


ジュライさん

あなたとなら
いつまでも一緒にいたい


ジュライさん

それは叶わぬ願いなのでしょうか?




 To my Dear Ms.JULY

  From The man who loves you



言葉

心の内を言葉にするのは案外難しいものです


人の心は
いつも何処か曖昧で
いつも何かで揺れているものなのですから

しかも
心は常に変わっていきます


「自分の事は自分が一番良く解っている」

良く、そう言いますが
果たして、そうなんでしょうか?

案外
自分の事を一番解っていないのは
自分なのかも知れません


だからなのか?
違う理由があるのか?

どれだけの言葉を並べても
どんな言葉で表しても
心の内は言い尽くせはしないのです

それでももし
言い尽くそうとしたなら
今まで生きて来た人生と同じか
或いは
それ以上の時間が必要になるでしょう

いや

それでも言い尽くせないかも知れません
言葉はそこまで万能では無いのですから





今、誰かに思っている”事”

たった、そんな事すら
果たして、全ての想いを
残さず伝えきる事が出来るでしょうか?


中途半端な言葉は
かえって人に誤解を与えたりします

相手を思いやったはずの言葉が
逆に相手を傷付けてしまったり

或いは
自分が思う以外の
全く反対の思い込みを
相手に与えてしまう事があります

安易な言葉ほど
放たれた途端に
自分の意思を離れて一人歩きを始め易いのです

だからと言って
慎重になり過ぎると
今度は
ますます心の内を伝えるなんて事は
出来なくなってしまいます

そこも言葉の難しいところです




それでも人間は
言葉無くしては何も語れません

何も伝えられません


「目は口ほどにモノを言う」だとか

「行動や態度で示す」とは言っても

それが言葉を超える事はありません


「言葉に尽くせない感動」

確かに
それが何より雄弁な言葉だと言う
そんな場合もあります


しかし


言い尽せないとしても
どんなに難しいとしても

今在る
ありのままの心の内を
言葉として口に出す事が大切な事なのでしょう


それを伝えたい相手が傍にいる限り。。。





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