Neko

夢の汽車に乗って 2013年05月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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船乗りの唄

海と空の交わる所
その向こうに何があるかなんて
誰かに聞けば済む話だとしても
男は自分の目で見ないと気が済まないんだね

帰る港があるから
安心して船を出せるんだなんて
そんな心にも無い言葉を並べて
男は宛ての無い大海原に船を出して行く


男は自分勝手だね
男はいつも子供みたいだね

愛よりも 家族よりも 平穏な日々よりも
どうしようもない夢の方が大事なんだね

例え 夢が破れて
もしも何処かでのたれ死んでも
男はきっと天国には行かないんだろうね



船乗りの女房になんか
お前は決してなるんじゃないと
死んだ母親が言っていたけれど
女は気が付いたら船乗りの女房になっていた

母親がそうだったように
女は子供を背負って網を繕いながら
今日も港が見える西の窓を開けて
女は男がいつか帰って来るのを待っていた


男はワガママだよね
男はいつもバカみたいだね

愛よりも 家族よりも 平穏な日々よりも
役に立たないロマンとやらが大事なんだね

例え 夢の途中で
もしも何処かでのたれ死んでも
男はきっと笑って往くんだろうね



男は船乗りだから
陸の上では生きていけない

愛よりも 家族よりも 平穏な日々よりも
嵐の海を選んで船を出して行くんだね

例え 夢と一緒に
もしも何処かでのたれ死んでも
男はきっと後悔なんてしないんだろうね



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名言や格言を辿ってみると
”人生”は実に様々なモノに例えられています


中でも多いのは
「道」とか「山」「坂」とか「旅」ですが
他にも
「学校」とか「一杯のスプーン」だったり
辿れば辿るほど色々な例えに出会えます


そんな中で見つけた言葉です

アプローチは全く同じなのですが
続く言葉が違うものがありました

両方共
同じ発想なのでしょうが
続く言葉が違うと言うのは
考え方(個性)の違いなのか
あるいは
一方の考え方に対するアンチテーゼなのか?
インスパイアーされたものなのか?
リスペクトなのか?

どちらの言葉が先だったかは
実は定かではありませんが

いずれにしても
面白いと思ったので
紹介させていただきます



Life is like an onion.
You peel off layer after layer
and then you find there is nothing in it.

人生はタマネギに似ている。
一枚一枚皮をむいていくと
中には何もないことに気付く。

*ジェームズ・G・ハネカー
 (James Gibbons Huneker 1860-1921)
 アメリカのエッセイスト、音楽批評家


これは多分
生きる事に意味が無いとか
死んだら何も残らないとか
そう言う事ではなくて

タマネギの皮一枚が一年なのか
あるいは、”何かをする”と言う事なのか
それはともかく
皮をむいた後の結果よりも
皮をむくと言う
その過程こそが生きると言う事

そう言う事なのでしょう



Life is like an onion.
You peel it off one layer at a time,
and sometimes you weep.

人生はタマネギのみたいなもの。
一枚一枚皮をむいていき
そして時に涙ぐむ。

*カール・サンドバーグ
 (Carl Sandburg 1878-1967)
 アメリカの詩人で、作家、編集者


これもまた
人生そのものですね

タマネギの皮の一枚、一枚が生きてきた証

つまり、そこには想い出が存在するのです


でも
私ならこれに付け加えて

”だが、出来あがった料理は
 食べたみんなに幸福な笑顔をもたらす”

そんな言葉を続けたいです

英語表記は書けませんが(笑)


タマネギは甘くもあり、ほろ苦くもあり
まさに人生そのもののようです

タマネギの皮をむいていけば
芯は段々と小さくなってしまいますが
そのむいた皮が
美味しい料理を彩ります


何より

美味しい料理は
食べた人を幸福にする事が出来ますね



3割打者

野球で”3割打者”と言うと
それは一流打者の代名詞です


でも
良く言われる事ではあるけれど
そんな一流打者と呼ばれる人でさえ
大概は10回の内
3回しか打てていないのです

つまり10回の内
7回くらいは
三振だったり凡打だったりする訳です


それでも
3割打てば一流打者と言われます


因みに
あの”イチロー”でさえ
4割は打った事はありません

それでも
140試合以上に出場して
コンスタントに3割以上打つと言うのは
やはり
相当に凄い事なんだって言っても良いでしょう




人間の悪いところは
良かった事よりも
悪かった事の方を数えてしまう事です


悪かった処を反省するのは
もちろん、大事な事です

でも、そればかりに囚われていたら
せっかくの良い処も萎んでしまいます


元より
10割なんて出来なくて当たり前なんです

歴史上のどんな偉人だって
完璧主義者はいたかも知れませんが
完璧だった人はいなかったはずです

(私が思うに
 ”完璧主義者”たらんとする事自体
 既に、完璧じゃないって証拠のようなものです)

でも、だからって
それで、その人の偉業が色褪せる事はありません


何より
神様だって完璧では無いんです

だから完璧な人間を作れなかったんです

もっとも
善と悪が同居している人間こそが
完璧な人間だと言うのなら話は変わりますけどね


まぁ、その辺の話については
又、いつかの機会にと言う事で




ともあれ
今、出来ない事がたくさんあるからって
何も嘆く必要もありません

大事な処は”そこ”じゃないんです

出来ないという事を自分で理解していたら
後は、それをどうするかは考えたら良いんです

人間はそうやって進歩をして来たんですから


悪い処ばかりを数えるよりは
良い処を活かす事

その方が遥かに前向きですよね



物事には始まりと終わりがある

始まりがあれば終わりは必ずやって来る

そして
終わりがあるから
また、新しい始まりがある


鶏と卵の話ではないけれど
出口の無い禅問答でもないけれど

人生とは
いつも、そう言うモノだ





男と言う動物は安定が苦手な生き物だ

ひとつのゴールに辿り着いたら
休む間もなく
また
新しいスタートラインを探してしまう


男と言う種のDNAがそうさせるのか?

男の狩猟本能がそれを求めてしまうのか?

それは
男自身、分かってはいない


ただ
常に何か”次の始まり”を探して生きていく


時々
心迷ったように
平坦で穏やかな日常に憧れたりもする

だが
3日目にはもう飽きてしまう


”4日目の朝も
 平坦で穏やかな日を迎えられた事を
 そんなつまらない事を
 感謝出来る男がいるとしたら
 その男は牙をもがれた飼い犬だ”

そんな言葉で嘯(うそぶ)いてみる





何かがあれば良いんだろう
とりあえず、気持ちを向かわせる何かが

その先の事までは考えてはいない

先の事なんか誰にも解らないのだし
解らない事を考えたって仕方が無い

例え

その先に何も無くたって
それをムダだとは思わない

また
次の始まりを探せば良いだけの事だ

”人生にムダな事なんて何も無い”

そんな誰かの言葉を呟きながら生きる





それが男にとって生きていくと言う事なら
自分の人生のだもの
物事の始まりと終わりくらいは
自分で見届けておきたいと思うのだ



生き方

泥だらけになって

時には這いつくばって

それでも

ひたすら前に向かって進もうともがいている



その姿は無様で格好悪いけど


でも

格好悪いくらいの一生懸命さって

本当はすごく格好良い事なんだよね




見た目を気にして

汚れる事を恐れている奴らと比べたら

断然、格好良いよ




本当にそう思うな

なかなか出来る事じゃないよね



桜色の雨

春色の空を遮るのは
君がついた溜め息なのか?

それとも君の流した涙だろうか?



幸せそうな笑い声
賑やかな街のざわめき

かき消すように春の雨が降る



君がいればそれで良かった

ありふれた言葉で言えば
僕は君をずっと愛していた



君と過ごす平凡な毎日も
僕にとってはかけがえのない毎日で

一緒に泣いたり笑ったり
そんな事さえも
愛おしい日々だったと思う



もう取り戻せない日々



行き先も見ずに買った二人分の切符
ポケットに入れたままにしておいたから

いつの間にか皺くちゃになっていて

気が付いたら
行き先も読めなくなっていた



二人

何処に行こうとしていたんだろう?



遠いあの夏
あの街の片隅で二人は出会った

そこは春がくると
桜の名所になると知ったのはずっと後の事



そして
一度だけ君と迎えた桜の季節


ただ、キレイだと
ただ、永遠を願い
桜の舞う道を二人並んで歩いた


どんなに季節が変わっても
変わらないものもあると

信じていたよね



降り出した雨を避けようと
駆け込んだ樹の下は見覚えのある風景を映した

懐かしく思うのは
それが永遠じゃない証拠なのかも知れないと
苦笑いしながら呟いた


そして今

又、桜の季節



金曜日は1泊の予定で札幌出張です。

なので、準備をしようと
鞄を出してきた途端・・・



全く、もう!

こいつらときたら (^-^;



もしかして

夜、ホテルで鞄を開けたら
出てくるのは着替えではなくて・・・???


2013-05-16-1-small_photo.jpg


2013-05-16-2-small.jpg




タイミング

物事で一番大事なのはタイミングです


それを縁と言ってみたり
時には
運命と呼ぶのかも知れませんが
決断とか出会いは
全てタイミングによって
その結果が左右されるのだと思います


人生の様々な分岐点において
綱渡りのような選択や決断を重ねて来たとしても
結果としての”今”が良ければ
それは
タイミングに恵まれたと感謝をすべきでしょう


逆に何をやっても後手を踏んだり
良い結果にならなかったのなら
それはタイミングが悪かったと言う事なのです

俗に「間が悪い」と言う類はこれです



林檎の木の下で
闇雲に林檎が落ちてくるのを待っていても
悪戯に時が流れるだけで
いつか疲れ果ててしまいます


タイミングも悪かったり合わなかったりすれば
どんな決断も出会いも金言も輝く事はありません

しかも
一度逃したタイミングは
残念ながら再び巡って来る事は無いでしょう



それではどうしたら
そのタイミングを上手く掴む事が出来るのでしょう?


機を見るに敏と言われるような
勘が働く人ならともかく
普通の人にとってはそう簡単な事では無いですよね

何度も失敗をして経験を重ねていけば
或いは
いつか分かる時が来るのかも知れませんが
所詮は人間の行う事です

それとて完璧では無いでしょう



いつも運が悪いと嘆く前に
もう一度
自分自身を知るところから始めたいものです

それが結局は
タイミングを上手く掴む為の一番の早道だと思います


相手を知るには先ず己から・・・

ん?

違いますか?(笑)


ともあれ
備えだけはいつもしておきましょう

一度逃したタイミングは再び巡っては来ないけれど
次のタイミングに備える事は
きっと出来るはずなのですから



名言

私の場合は名言というよりは
むしろ迷言の方が得意なのですが
世の中には
『なるほど~』
と、唸る名言が昔から数多くあります


その地域に昔から伝わる諺だったり
映画や小説の中で主人公が吐く台詞だったり
或いは、詩の一説だったり
歴史的な偉人の言葉だったり
知識人の言葉だったり
それは様々です


先生、親、友人 etc・・・

もしかしたら
自分だけが持っている
身近な人の名言や教えと言うものも
きっとあるかも知れませんね


ユダヤの古い諺に

”人間は口はひとつなのに
 耳がふたつあるのはどうしてだろう?
 それは、自分が話す倍は
 他人の話を聞かなければならないからだ”

と、言うのが有ります

ならば
目がふたつ有るのも
真実を良く見極めなさいと言う事でしょうか?


自分の目で真実を見極め
他人の言葉には真摯に耳で受け止める

そして
誰かにそれを伝える事が出来たなら
もう少しは違った社会に
なっていけるのかも知れません


出会ったひとつの言葉によって
生き方や
或いは
人生そのものが変わるなんて言う事もあるでしょう

山奥に篭っている世捨て人でも無い限り
人は必ず何処かで
何人もの人と関わって生きているものです

中には
好きな人もいれば嫌いな人もいるでしょう

受け入れられるものもあれば
受け入れられないものもあるでしょう

それでも
人は人を必要として生きています

人に必要とされて生きていくのです

自分が気がつかないだけで
知らない内に
誰かの役に立っている

そんな事だってあるかも知れません


人が人と関わって生きる為の潤滑油は
人間としての心と
そこで使う言葉です

心も言葉も学ぶところから始まります

心のこもったひと言は
人を活かし、人を成長させます

その意味では
諺や格言は決して古いだけの言葉ではありませんね



吾輩はネコである

吾輩はネコである

名前は・・・

飼い主殿は何とかと言ってはいるけど
名前などネコには無用の長物なのだ

ネコはネコ

それ以上でも無いし
もちろん、それ以下でも無い

ネコはただネコさ

野良ネコだろうが家ネコだろうが
血統書付きだろうが雑種だろうが
毛が長かろうが足が短かかろうが
それはただそれだけの事だろ?

大体さ
何で人間って名前を付けたがるんだろうね?

名前を付けたら他と区別が出来るから?

区別?

それって必要なのかい?

人間や動物に名前を付けて
それのみならず
町や国に名前を付けて
挙句の果てに
境界線を引いて縄張りを作ってるよね

だから喧嘩が絶えないんじゃないかい?

偉い人、偉くない人だとかさ
お金持ちだとか貧乏人だとか
権力者だとかさ

そんな風に区別をするから差別が起こるんだ

地球はひとつなんだから
みんな同じ人間で良いじゃない?

きっと、みんな楽になると思うよ
他と比べなくて良いんだから

そりゃね
ネコにだって縄張りはあるさ

でも
だからって変な線なんか引かないよ

喧嘩もたまにはあるけど
いつだって1対1さ

勝ったって負けたって
それでネコが何かになる訳じゃないよ


名前ね

少なくともネコにとっては要らないものだね

第一
名前を呼ばれたからと言って
ネコには返事をする気が無いんだ

そもそも
名前を呼ばれたぐらいじゃ
おいそれとシッポを振って
飼い主殿に駆け寄るなんてしないのさ

あー

ご飯の時間だけは別だけどね

ネコにだって
そりゃ、一宿一飯の恩義って奴は解るから
一応さ、飼い主殿の顔を立てる意味でも
おねだりしたり、スリスリしたりね

すると、これが又、効果てき面って奴?

飼い主殿は喜ぶんだよね

でも、だからって別に
ご飯が鯛の尾頭付きだとか
焼き魚のフルコースになる訳じゃないんだけどさ


飼い主殿が喜ぶって言えば
アレもそうだね

ネコジャラシっての?

棒の先に紐が付いていてさ
その先っちょにフワフワしたモノが付いてる奴

あれは
嬉しくて飛びついているんじゃないんだけどね

あんなのを目の前にブラブラされたらさ
あんただって邪魔くさいだろ?

ネコだって同じさ

だから
必殺ネコパンチを繰り出して仕留めようとするのさ

噛み千切って
何処か飼い主殿に見つからない場所に隠せば
ほら又、ネコにも平穏な日々が訪れるからね

でも・・・

やっかいなのは
その行動が
飼い主殿には可愛く映っているらしいって事さ

そして決まって言うんだ

「やっぱり獲物を見ると本能が疼くんだね」

チッチッ、違うんだよな

飼い主殿はネコを全然解っていないんだよ


確かにね
昔のネコはネズミや雀を捕っていたけど
でも、あれは本能なんかじゃないんだよね

前世の因縁のある奴が
たまたまネズミや雀に生まれ変わっていたからさ

それで、ちょいと虐めてやっただけでね

この前のネズミ野郎なんかさ
前世じゃ嫌な上司だったんだ

2~3回、ちょいちょいって爪を立ててやったら
奴はもう必死で死んだフリをしていたよ

まぁ、可愛そうだから
騙されたフリをして見逃してやったけどね

たまには間違ってネズミを殺しちゃう事もあるけど
あれは事故さ

それが証拠にネコがネズミを食べている姿なんて
あんた、見た事が無いだろ?


大体が
狩りなんてネコの仕事じゃないからね

ましてや
人間に媚びる事なんかじゃ決して無いのさ

ネコの仕事は寝る事

ほらっ、漢字で書くと寝子って言うだろ?

あれっ?

違ったかい?


まぁ、良いさ


あー、なんだか喋り過ぎたら
又、眠たくなってきたよ

飼い主殿
頼むからしばらくそっとしておいて欲しいな


名前を呼んだって起きてやらないからね








夢の形

あなたが

思い描いている夢は

どんな形をしていますか?



漠然とした夢には

ちゃんとした形はありません



それは



逆に言えば

これから次第で

どんな形にも成り得るって事なんだけど



夢はちゃんと描かないと

本当の形にはならないんだよね




春  ~別風景~

良く晴れた薄水の空を流れる白い雲は

早送りのようにその姿を変えてゆく




風は唸りを上げて

次から次と木立ちの間を駆け抜けていく

右に左に縦横無尽に駆ける様は

風小僧の悪戯よりも激しい




疾風の中をトンビが低く舞う

荒波に立ち向かうサーファーのように

その強い風を楽しんでいるのか?

それとも、もがいているのか?




大木の陰に

身を潜めるように咲いている小さなタンポポは

風に他向かう事もせず

逆らう事も良しとはせずに

ただ在るがままにその花を揺らしている




それも、これも春の風景のひとつ


それぞれがそれぞれで在る為にそこに在る



例えば

例えば


何かに躓(つまづ)くと

自分は悪く無いって
他人のせいにしていない?


仕方ないって自分を慰めていない?


何かに躓いた時って

見えている風景が
変わる瞬間でもあるんだ

それはもしかしたら

本当はすごくラッキーな事で

そこに新しい運命が
待っているかも知れないよ




例えば


何もしないうちに

自分で可能と不可能を
分けてしまっていない?


無理だって自分で決めて付けていない?


出来る事 出来ない事

それはもちろん
誰にだってある事なんだから

出来ないからって

自分を責める必要もないよ

それが出来ないって
確かめられただけでも良いじゃない?




例えば


歩いてみもしないで

自分の歩くべき道を
デコボコだとか文句を言っていない?


歩けないって自分から諦めていない?


早足で歩けなくたって

真っ直ぐに歩けなくたって
気にする事はない

同じ道ばかりを

いつも選んで歩いているだけじゃ

本当に大切なモノは
見つけられないかも知れないよ




「ねぇ、そう思わない?」

そう、自分に問いかけてみた



運命

「本当に運命って意地悪だな」

そう思う時がある


出会った時が早過ぎた?

出会った時が遅過ぎた?

いや、そもそも
出会った事が間違いだった?


繰り返した出会いと別れ


でも
結果はともかく

いつもその時々
真剣に生きてきたよね?


その点では後悔は無いのだけど・・・




心の隙間を狙いすますかのように
運命はしばし悪戯を仕掛ける



幸福

成功をした人の真似をして
同じ成功を手に入れたからと言って

それが必ずしも
自分にとっての幸福だとは限らない


何故なら
幸福の尺度は人それぞれで違うのだから




「何をくだらない事で悩んでるんだ?
 人生で成功したのなら
そんなのどっちでも良いじゃないか」

くだらないかどうかなんて
他人に判断はされたくはない


他人にとってはどうでも良い事でも
本人にとっては
生きるか死ぬかと同じくらいに
大きな問題だって事もあるのだから




世間の常識
人としての生きるべき道

法律で決まっているから
これはやってはいけない

法律に書いていないから
これはやっても許される


はたして
法律だけが生きる規範足り得るのだろうか?




人間としての倫理観は不変かも知れないが
人にとっての価値観は不変ではない

倫理観を大切にする人
価値観を大切にする人


人が幸福になる為に必要なのはどっちだろう?


でもそれは多分

どちらでもあり
どちらでもないだろう


生き方に満足が出来れば
それは幸福な事なのだが
生き方に縛られているとしたら
それは幸福とは言えないのだから



人生における幸福があるとしたら
それはその人の心の中にある満足感なんだろう




何かの本で読んだ言葉

”我々は、自ら幸、不幸をつくって
  これに運命なる名称をつける”


そして
かの、詩人ゲーテはこう言う言葉を言っています

”喜んで行ない
 そして行った事を喜べる人は幸福である”





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