Neko

夢の汽車に乗って 2013年02月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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Everybody Loves Somebody

1960年代のディーン・マーチンのヒット曲です
邦題は「誰かが誰かを愛してる」

直訳をすれば
「みんな誰かを愛している」
とでもなるのでしょうか


ラブソングであるこの曲のタイトルとしては
前者の方が直訳よりも遥かに
ロマンチックな感じが出ていると思うのですが
これは邦題を付けた人の
センスに依るところなのかも知れませんね


何故か昔から
時々、ふと口ずさんでいる歌のひとつでもあります

(もちろん、せいぜい最初の1~2フレーズくらいで
 後はハミングになっているのですが)


Everybody loves somebody sometime
Everybody falls in love somehow
Something in your kiss just told me
That sometime is now

Everybody finds somebody someplace
There's no telling where love may appear
Something in my heart keeps saying
My someplace is here


日本語に訳すと
いかにも
二枚目の口説き文句みたいになってしまうのですが
それを差し引いても
タイトルにもなっている冒頭の部分は
素敵なフレーズだと思っています


”Everybody loves somebody sometime”


ラブソングの歌詞としてだけでは無く
普遍的な意味で


”いつか、誰もが誰かを愛する”


そう語りかけているようにも聴こえます


そんな風に誰もが思えたら
きっと地球上の争い事も無くなるんだろうな


”sometime”には「近いうちに」と言う意味もあります


そうなれば良い



地球上の
誰もがありふれた日常を笑って暮らせるように

誰もが普通の中に幸せを感じられるように

ただそれだけの事なのにそれが難しい現実が有ります

世界はひとつなのに
無数に存在をする世界観や価値観

それを認めようとしない
一部の狂信的とさえ思える人間達

時に猛威をふるう大自然の脅威

それらの前では
一人の力はあまりに無力です

だけど

それを乗り越えていくのは
やはり人に対する”愛”なのでしょう


”Everybody loves somebody sometime”







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花嫁が結婚式に
白無垢とか純白のウェディングドレスを着るのは
「あなたの色で染めて欲しい」
と、言うような意味があるんだとか?

昔は良くそう聞いたものですが

まぁ、現代の若い女性が
その辺をどう思っているのか
私には知る由もありません


でも確かに
どんな色に染めるにしても
下地は白色だと染めやすいでしょうね


ところで
白色と言うと何を思い浮かべますか?

まず浮かぶのはやはり季節がら雪でしょうか

それから
コブシ、チューリップ、ユリ等の花の色ですね

他には?

絵具やクレヨンの白色

それからそう
コピー用紙なんかも白色です

豆腐やはんぺんもあります

それから、えーっと・・・白い自動車

家にある家電や家具なんかでも
白色のものはありますね


良く見渡してみると
私達の身の周りには白色のモノはたくさんあります


ところがです!


普段、何の疑問も持たずに
当たり前に見ている白色のモノ

でも
学術的に言えば?
本当の意味で純粋な白と言うのは存在しないんだそうです


どう言う事?


そこで改めて【白の定義】を紐解いてみました


①物体がすべての波長の可視光線を100%乱反射する時
 その物体は白いという。


はぁ???

なんですか?

まぁ、そう言われたら
確かに黒よりは白の方が光を反射をしたら眩しいけど?


②一般の色材は白色光の中の特定波長を吸収し
 残りの波長領域が目に入って色として感じられるのに対し
 白の色材は特定波長を吸収しない為に白色にみえる。


なんだこれ?

もっと、具体的に解りやすく教えてくれないかな?


③白は人間の網膜の3種類の錐体(R・G・B)の全てが
 「対等的、均質的」に強く刺激された場合に感じる色である。


だぁ~かぁ~らぁ~~~

文系の私にも解るように
もっと簡潔に教えてくれ~~~!!!


④ただ、人間の目に白く見えるためだけならば
 赤、緑、青の3つの光を適切な比率での混合によっても実現でき
 カラーTVのブラウン管の白色はそのようにして構成されている。


人間の目に???

じゃあ何かい?
人間が見ている白色って本当の白色じゃないって事か?


⑤100%の反射率を持った「理想的な白色」の物体は実在しない。


これだ、きたよ!

どうせ、文系の私には理解出来ないと思ってるべ?
結局、最初の疑問に戻るんかい?


解りました

いや、解らないけど解りました
理屈はどうでも良いわ


ともかく
純粋な白色は存在しないけど
私の目は飼い主に似て(?)アホだから
白に似ている色を見て
それが白だと思い込んでいる

そう言う事かい?


おっと、私とした事が!

つい、あまりの自分の無知・無学ぶりに
逆ギレしそうになってしまいましたが(笑)


でも、普段は当たり前に言っている「白色」

これの正体(?)って何なんでしょうね?


例えば、パソコンの場合
こうして白地に文字を打ってみると
文字の部分だけをデータとしてカウントします

多分、これだけ書いても数十キロバイト程度でしょう

ところが
これを印刷してスキャナーに読み込ませると
白地の部分もデータとしてカウントされるので
同じ紙に打った文字でも
今度は何メガバイトと言う大きさになります

同じ白地に打った同じ文章がです

つまり
同じ「白色」でも
データとしてカウントされる白と
データとしては認識されない白があるのです


意味、解ります?

ちゃんと話しに付いて来ていますか?


おっと、そこのあなた!

今、あくびしませんでしたか?(笑)


データの事はともかく

私達が白色と言っている色でも
実際には
青っぽかったり
黄がかっていたり
薄灰色に近い色だったり
所謂、生成り色みたいな色だったりと
様々な色合いがあるのですが
「これは何色?」と訊いたら
ほとんどの人は
「白」だと答えるでしょう


要するに

私達は本当の白色が何たるかを知らないで
似た色を全てひと括りにして
「白色」と思い込んでいると言う事です

と、言うよりは
色に対してそこまで拘っていない?

もちろん
カラーコーディネーターの方は別なんでしょうが

でもまぁ
私みたいな凡人には
そんな事はどうでも良い事で
自分が「白色」と思っていたら
それは「白色」なんです

定義なんていうものは
学者か哲学者にでも任せておけば良いのでしょう

生活をする上では何も困る事はありませんしね


人生の中で「白色」について考える事なんか
ほとんどの人はきっと無いですよね?

私だって他に書くネタがあれば
こんな事は考えません(笑)


それにしても
たかが「白色」
されど「白色」?

調べてみるとけっこう奥が深いんですね~



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【夢の樹舎】

に、ショートストーリーを一遍追加しました。


ん~
ショートストーリーと言うよりは
星新一風ショートショート・・・かな???



 *タイトルをクリックすると本文が開きます

    ↓

  『想い出喪失症』




Identities

「自分は何者なんだろう?」
「自分は何をする為に生まれて来たんだろう?」
「自分はどうして、今ここにいるんだろう?」
「自分は何処に行こうとしているんだろう?」


そんな事を若い時からずっと考えていて
でも、未だにその答えは出ていません。

正解の無い禅問答。

そんな風にも思えますが
それを探す旅が
きっと人生と言うものなんだろうな。


そんな風に思っていました。


でも、どうでしょうか?

仮に、この答えがいつか出たとしても
そこに自分だけしか存在していないとしたら
これほど無意味な答えは無いでしょう。


もしかしたら
自分の存在意義は自分で答えるものではなく
関わって来た人達が思ってくれるものなのかな?

そんな風にも思ったりします。


誰かが笑う。

誰かが喜ぶ。

誰かが元気になる。

誰かが幸せになる。


その何処かに
直接、間接を問わず
もしも自分が少しでも関われたなら
それこそが大きな生きる意味になり得ます。


自分の存在意義。

その答えを探す事が
人生の意味や目的ではなくて
人との関わりを豊かにしていく事こそが
結果
自分の存在を確認する為の
唯一の方法になるのかも知れません。




~ daydream ~

窓から射し込む穏やかな陽射し

忘れかけていた春の匂い


うつろな夢に抱かれて時を遡る


あの日の事 あの日の君

笑顔と涙 見えなかった未来


冷めたティーカップ

温め過ぎた愛

曖昧なアンニュイ

まどろむデイドリーム





君が育てていた鉢植えのサクラソウ

窓辺で小さな蕾をつけていた


センチメントな風に時が揺れる


下手な言い訳 飲み込んだ言葉

胸の痛み 寝返りでごまかして


読みかけの文庫本

FMから流れる

懐かしいメロディ

まどろむデイドリーム



お菓子屋さんやケーキ屋さんの大いなる陰謀は
既に日本中を我がモノとして
世の男性諸氏の心を色々な意味で大揺さぶりする

かの

バレンタインデー

今年も様々な悲劇や喜劇が繰り広げられたでしょうか?


「義理チョコなんて」

「せめて義理チョコでも」

「面倒だけど仕方ないし」


様々な論争を繰り広げられた義理チョコ狂想曲も
昨今では一段落をしたようで
今では「義理チョコ」と言わずに
日頃の感謝を表すチョコと
その名前を変えて(変えた?)生き残りを図っています

(ここはお菓子会社の頭の良い所?)

それに対して
ここ数年特に勢力を伸ばしているのが
いわゆる
女子が女友達に送ると言う「友チョコ」


我が家の娘らもご多分にもれず
今年も普段は無い女子力を総動員して
友チョコを作る・・・

予定だったのですが

長女は試験の真っ最中で
今回に限ってはそんな余裕もなく
それでも
何個かは買い込んで短大に持って行きました

次女に至っては
猛威を奮っているインフルエンザのお陰で
今週は火曜日から金曜日まで学級閉鎖中

学校には当然行けないので
友達との恒例のチョコの受け渡しも出来ずに
朝からテンションダウン

ところが

仲の良い隣のクラスの友達が
学校帰りにチョコを持って来てくれて
いきなりテンションマックス!?

色んな意味で(?)幸せな奴です


次女はまだ中学1年生なので
それは良いとして
心配なのは短大生の長女

普段は学校からは毎日直帰
土日も何処に遊びに行くでもなく
ただひたすら
毎日、毎晩、二次元男子とのデート・・・?

まぁ、ゲームなんですが


たまに友達とカラオケに行くと言うから訊いてみれば
何の事はない
「アニメおたく」の女友達との親睦会


今年の8月には20歳になると言うのに
未だにリア充の経験はナッシング

(リア充=若者用語。リアルが充実の略。
 そこから、彼氏、彼女がいる事を指す・・・らしい)

と、言うより
三次元男子に興味無し???

テレビを観てもアイドルにハマる訳でも無く
イケメン俳優にハートの目をするでも無く
次女と一緒になって
男の子向けのアニメを真剣に凝視!?


果たして

いったい、いつになったら
長女が心をトキメかせて
好きな男の子の為にチョコを作る日が来るんでしょ?

バレンタインが来る度に
友チョコ作りに精を出す娘らを観ては心配になる親心

何だか、長女を見ていると
彼氏とデートをしている図が想像が出来ないんですよね

十年経っても今と変わっていない気すらします

確信を持って???

あ~、心配だわ
色んな意味で・・・


までも
彼氏が出来たら出来たで
今度は別な心配も出てきちゃうんでしょうけどね


楽しかろうと苦しかろうと
人間の生など知ってか知らずか
時はいつも淡々とその歩みを刻み続ける

人間の一生にとっては
時はただの傍観者に過ぎない



幸せだとか不幸だとか
それは時が決める訳では無い

人間がただそう思うだけだ
人間がただそう感じているだけだ


時が何かを解決してくれる事も無い

人間がただ自分の心と
時間をかけて折り合いをつけていくのだ



時は流れると言うけど

その人間の一生を見た時
時は流れていくだけのものではない事に気が付く


むしろ、時は流れない

それは積み重なっていくものなのだ


額の皺に、心の襞に
記憶の一片づつを織り込みながら
時は明日へと積み重なっていくのだ


憧れの言葉!?

「私の得意科目は『数学』と『理科』です♪」


一生に一度で良いから
人前で言ってみたい憧れの言葉です

が、しかし
我が家の家系には伝統的に「理系人間」は存在しません

したがって?

まぁ、仕方が無いのですが
私には理系の血は微塵も流れてはいないのです

(ここは断言です(笑))


もちろん、パソコンは使っています

使いこなしているかどうかはともかく
自分でパソコン自体の設定もするし
無線LANや有線LANの設定もするし
内部の部品も取り替えられます

トラブルがあっても大概は自分で対処してきました

エクセルも仕事柄
「四則演算」はもちろん
「LOOK UP関数」「count関数」程度なら
一応、普段から良く使っています

最近はスマホも使っています


コンセントの取り替えとか
テーブルタップの修理や
照明器具本体の付け替えとかも
簡単な事なら自分でやります

テレビや周辺機器なんかの配線も
説明書を読まなくたって自分で出来ます

と、言うか
基本的には説明書は
どうして解らない事があった時に後読みをするくらいで
最初からなんて、まず読みませんけどね


長女の時は中学二年生まで
数学も含めて私が勉強を教えていました

まぁ
長女の時代はバリバリ「ゆとり教育」でしたけどね


でも
あくまでも私は文系人間なのです
しかも根っからの


理系人間は言います

「数学の面白い所はどんなアプローチをしようが
 必ず答えが1つだと言う事さ。
 もちろん、数式によっては複数の答えは存在するけどね。
 でも、”正解”以外の答えは無いんだ。
 その意味で、必ず答えは1つと言って良いのさ。
 その点、国語なんて漢字以外は
 どうとでも答えられるじゃないか?
 正解はひとつじゃないなんて曖昧なものは
 いったいどう対処して良いのか解らない。
 歴史だって、残っている歴史と言うのは
 あれは勝者側から見た一方的なものじゃないか。
 解釈によっても歴史は変わる事がある。
 とてもじゃないけど
 論理的じゃないモノなんて存在して欲しく無いね」


それに対して
私はいつも思っています

あんな数字や記号の羅列の何処が面白いんだろう?
どんな難しい数式が解けたところで
それが何の生活に役に立つんだろう?
四則計算くらい出来れば生活に支障は無いし
第一、人生においては数式で計算出来る事なんて
何もあるはずが無い。
曖昧さが嫌いだって?
その曖昧さこそが人間の証だよ。
曖昧と言うから悪く聴こえるんだ。
色々な人がいて良いし。色々な考えがあって良い。
人生の正解なんて誰にも分からないし
だからこそ、人は希望を持って生きる事が出来るんだ。
論理的なんて枠にはめたら人生はつまらないよ。


でも、思うんですよね

いや、解ってはいるんです
理系人間の言う事にも一理あるなって


考えてみると
理系人間って哲学者に似ているのかも知れません

”真理の探求”

求めるのはその一点ですよね


じゃ、哲学者は理系人間?

いや、文系のはず・・・ですよね?


そう考えると
私が文系人間だなんて言うのも何だか憚られます

特に文系分野の何処を追求して来ただなんて
そんな覚えも無いですし
どんな事に対しても
出来るだけ広く浅くと見て来ただけです

だから
実用的では無い雑学的な知識は多少はありますが
それもせいぜい
クイズ番組を観た時に家族に知識を自慢出来るくらいで
生活するにも
「おばあちゃんの知恵」ほども役には立たないでしょう


でも、せめて
凡人に2~3本の毛が生えた程度にでもなれたら良いな


「得意科目は『数学』と『理科』です♪」

まぁ、50も過ぎて
こんな言葉に憧れているうちは無理でしょうかね(笑)



身の丈

”なるべく小さな幸せと
 なるべく小さな不幸せ

 そんな人生が丁度良いのです”


そんな言葉がある

確かにそうなのかも知れない


つまりは
身の丈に合った生き方と言う事だろう


勝負師のように野望を持ったとしても
その使い方が分からないし

海賊のように
生きるか死ぬかの世界で生きるには
背負っているものが重た過ぎる


結局

人は身の丈に合った生き方しか出来ないのだろう

そこをはみ出そうとするなら
応分のリスクを覚悟しなければならない


そう思いながらも
それを良しとは出来ない自分がいた

かつては・・・


身の丈に合った生き方、人生

若い頃はそれに随分反発もしていた

「そんなもの
 諦めに対するただの言い訳じゃないか!」

「そう言って、逃げを正当化するのかい?」

「背伸びくらいしなきゃ上には行けないさ」


今だって
まだ人生を諦めた訳じゃないけど
でも、50数年生きて来て解った事もある

許容出来る幅が若い頃よりは広くなっている

だからこそ
”身の丈”と言う言葉も今なら素直に受け入れられる


身の丈とは
それに甘んじる事ではなく
何かをガマンする事でもなくて
在りのままの自分で
自然に生きると言う事なんだろう



植物は僅かな光でもあれば
それを求めて葉を拡げようとします


葉が薄く拡がって出来ているのは
少しでも効率良く光を受け止める為

一枚の葉で光を受け止められなければ
更に茎を伸ばして葉を増やします

そうやって僅かな光でも得ようとします


植物は生きる為に必要な事を知っているのです




暦の上では

立春を過ぎる頃には
九州などでは梅が咲き始めるそうですが
北海道で咲いていると言えば
せいぜい雪の花くらいでしょうか

ここ北海道では
春の気配すらまだまだ感じられません


確かに
12月と比べると
日も長くはなって来ました

1月と比べても
真冬日を脱した日も増えてきました

脱したと言っても
最高気温が+0.1度とか
せいぜい+2~3度の事ですけどね

それに
最低気温は未だに-10℃を下回っています


立春も北海道人にとっては暦の上での話です


北風と太陽の寓話がありますが
この時期の太陽がいくら頑張っても
旅人のコートなんぞ脱がせられないでしょう

もっとも
北風が強く吹けば吹くほど
これまた
旅人は余計にコートをしっかりと押さえますから
北風がコートを吹き飛ばす事も出来ません

この勝負は引き分け

まぁ
それじゃ寓話にもならないでしょうが
それが今の北海道です


札幌では雪祭りが始まりました
網走では流氷が戻ったり寄せたりしています
北海道の天気予報の半分は雪マークです


俳句の季語が春に変わっても
北海道の俳人は春を探す事すら出来ずにいます


それでも
例え、暦の上の話だったとしても
「春」の一文字が目につくだけで
北海道人の気持ちは少しだけ明るくなります

暦を一枚めくる度に
春を待つ季節から
春を迎える季節に移っていきます


北海道の春は
陽射しの温かさや咲く春の花より先に
人の心からゆっくりと始まっていくのです






日曜日は日本全国

「せっぷん♪」の日でしたね

(はい、ここはお約束の鉄板オヤジギャグと言う事で
 軽~~~くスルーしといてくださいね(笑))


もちろん

「節分」です

解ってますよ~(笑)


で・・・

みなさんのお宅では
ちゃんと鬼を追い払えましたか?


ダメですよ

「鬼○を追い出した!」

なんてね

(○の中は、舅・姑・夫・嫁など
 みなさんの心に浮かんだ言葉を入れて
 読んでください(笑))


まさか、ホントにやってないですよね?

いくら「鬼」がついても
一応(?)人間なんですから
事件沙汰にならないようにご注意くださいね


って言うか

まさか・・・
あなたが追い出されていないですよね?

大丈夫だったですか?(笑)


えっ?

私・・・ですか?


そりゃ、もちろん!

まぁ・・・何とか(笑)



さてさて
所変われば品変わるなんて言いますが
みなさんのお宅では
節分の「豆」と言うと何を撒きますか?

一般的には
「大豆」を煎ったものを使うんでしょうが
北海道では割と
殻付きの落花生を使うお宅も多いようです

何と言っても後で回収するのが楽ですし
食べるにしても
殻を割って食べる訳ですから清潔ですよね

それに
外に投げた場合
北海道は雪ですからね

大豆みたいに小さい豆だと
発見すら出来ずに
秋に玄関前で成長した大豆を
収穫しなければならないはめになります

(なんて事はないだろうけど)



で、我が家ですが

今年も娘達の強いリクエストにより
すっかり今では我が家恒例になっている?

「アーモンドチョコ」撒きをしました

これは拾うのが楽ですし
食べるにも銀紙を一枚剥せば良いだけですしね

その代わり
放る度に猫が追いかけるので
猫より先に回収をするのが大変でしたが


娘らと猫達による「獲物」争奪戦

観ている者にとっては
これほど笑える死闘はありません(笑)



節分の豆は
年の数だけ食べると言いますが
そこは私も血糖値が気になるお年頃!?(笑)

さすがに年の数は遠慮しました

これが後で
私の福に響かなければ良いのですが・・・


それはともあれ

「チョコだなんて、何て罰当たりな!」

って、言われそうですが

まぁ、一応?
アーモンドも豆ですしね

西洋の家庭では何処もアーモンドを使うそうですよ

(嘘です・・・当たり前だけど(笑))


って、言うか

そもそも、甘いモノが好きな鬼だったら
追い払うどころか
大挙して押し寄せて来ちゃいますか?(笑)



私はお皿

とある夜の事

観たいテレビも無かったので
次女の中学のブラスバンドの
定期演奏会のDVDを観る事にした


オープニングのマーチ曲
コンクールでの演奏曲
J-Popのヒットメドレー etc・・・

次々と演奏をされていく中
DVDを観ていた次女がポツリと言った


「私ってケーキで言えばお皿だよね」

「お皿? お皿はケーキじゃないんじゃない?」

苦笑する私

「そうだよ。せめて、ケーキを囲っているラップとかさ」

フォローのつもりか?
長女が話を被せてきた

それ、全然フォローになってないけどね


「そうだよ。せめてスポンジとかだろ?」

そう言う私に次女は言った

「それはホルンとかユーホニュームだよ。
 因みに、銀紙はパーカッション」

「なんだそれ?」


因みに、次女の担当楽器はバリトンサックス

次女が言うにはこうだ


吹奏楽ではトランペットは花形だし
当然、ソロも多い
しかも、かなり目立つ

トロンボーンもまたしかり

クラリネットやフルートに至っては
どの曲だろうがほぼ必ずメロディパートがある

ポピュラーソングではマイナーな楽器である
ホルンやユーホニュームも
吹奏楽曲では意外とソロがあったりする

次女が銀紙と言うところのパーカッションも
ソロは無いものの
要所要所ではしっかり目立っている

同じサックスでも
ソプラノサックスとかアルトサックス
吹奏楽では一見地味なテナーサックスでさえ
何曲かに一度くらいはソロがある

が、しかし

チューバに代表されるベースパート楽器には
ほぼソロはなく
ただひたすら縁の下の力持ちを続けるだけなのだ

因みに
このベースパートには
チューバを始め、ファゴット、バスクラリネット
そして、次女のバリトンサックスなどが入る


「じゃ、パートを変えてもらえば良いじゃん?」

「一年生でそんな事言える訳ないっしょ。
 それに嫌いじゃないし」

「なら、別に良いじゃん。
 そりゃ、ソロが有った方が楽しいかも知れんが
 でも、唯一のバリトンサックスだったから
 一年生からコンクールにも出られたんじゃん?」

「まぁね。それに別にソロがやりたい訳じゃないし」

「なんだそれ?」

「あのね。ベースパートって楽しいんだよ。
 たまに地獄のような同じ繰り返しで死ぬ時があるけど」

「退屈よりは良いんじゃないの?」

「まぁね。でも、こうして観てると
 しみじみと地味だなぁ~って思ってさ。
 ふと、ケーキが浮かんだんだけど
 『私はお皿か?』って思った」

「なんで、お皿なんだよ?
 立派なスポンジで良いじゃん?」

「でも、お店でも家でもケーキだけで出てくる?
 ちゃんとお皿に載って出てくるじゃん。
 お皿次第でケーキの見栄えが変わるよね?」

「そうだな。イチゴだけじゃケーキとは言わないしね」

「だから、お皿が大事なんだよ」


確かに、その通りだ

CMにもあるけど
エースピッチャーが9人集まったって野球では勝てない

FWがいくら優秀でもディフェンスが弱ければ
サッカーの試合ではきっと勝てないだろう

守る人がいるから責める人は思う存分攻撃が出来る
チームにはそう言う役割分担が必要なんだ


実は次女は
五年生まではテナーサックスをやっていたのだが
六年生の時のコンクール曲が決まった時
ベースパートをしっかりしたいと
先生に頼まれてコンバートをしたのだ

それ以来、中学に上がっても
次女はずっとバリトンサックスを吹いている

部員30数名の中で唯一のバリトンサックス

それはある意味では恵まれているのだ
唯一のポジションを担当出来ると言う事なのだから

人生でそんな経験は滅多には出来ないものだ

大概は、その他大勢とか
せいぜい、何人かの中の一人
そう言う事の方がむしろ遥かに多い


いつか次女が社会人になった時
いつか家庭を持った時
きっと、今の経験が生きて来るんだと思う

どんなに立派なイチゴが載っていても
どんなに生クリームでキレイに飾っても
お皿が貧弱ならケーキは美味しそうには見えない

お皿ってただ食べ物を載せる為だけのものじゃない

そうだね

その気持ちをいつまでも忘れるなよ




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