Neko

夢の汽車に乗って 2012年06月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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ニュースソース

ずっと携帯を見ていた長女が突然騒ぎ出した

「嘘ぉ~~~!? え~ マジ?」

「何だよ、いきなり。 何がどうしたって?」

「ねぇ、**ってホント?」

「何が?」

「いや、今携帯を見てたらこんな話題が載っていてさ。
 信じられない・・・でも、そうなのかなぁ~」

「で? そのニュースソースって何?」

「この書き込みなんだけどさ」

そう言って
長女は携帯に表示されている書き込みを私に見せた



ブログの書き込みだとか掲示板だとか
今ではツイッターが多いのかも知れないけど
ネットの世界では毎日、毎日様々な情報が飛び交っている


そして、それを読んだ人間の口コミが
また、別なルートで流れて
そしてそのうちには
情報だけがどんどん独り歩きを始め
また次の読者を求めてネットの海を拡がっていく

やがて、世の中は嘘か本当か分からない情報で溢れていく


問題はそのニュースの出所なのだが
読んでいる方はそんな事よりも
ニュースの中身に既に心は踊ってしまっている

しかも
そのニュースは途中で色々な着せ替えをさせられて
尻尾やヒレまで付けられて
数時間のうちには
最初の形など影も形も無くなってしまっていたとしても
誰にもその事は分からない



「お前さ。 その書き込みってオリジナル?」

「えっ? なんで?」

「なんでじゃないでしょ?
 それって誰かの書き込みでしょ?
 その人だって
 誰かの書き込みを見て書いているんじゃないの?」

「ん~ どうなんだろ?」

「どうしてそれが本当の事だと思う?」

「だって、書いているから」

「じゃ、ネットで書かれている事は全部真実かい?」

「分からないけど・・・」

「そんな分からないものにいちいち一喜一憂してる訳?」

「だって、すごいニュースだよ」

「でも、それは本当の事だって言えるの?」

「・・・」

「別に新聞やテレビのニュースが
 必ず真実だけを書いている訳じゃないとは思うよ。
 事実が確認できていない内に
 ニュースとして流される事だってあるだろうし
 記者の勘違いや誤解だってあるかも知れない。
 ニュースキャスターの言い方ひとつで
 視聴者への伝わり方が変わる事だってある。
 でも、それらはテレビ局や新聞社の看板の元で
 責任を持ってニュースとして発表されている訳だろ?
 だから
 間違っていたら後で謝罪して訂正される事もあるしさ。
 だから
 見ている方も信頼が出来るんだよ。
 でも、その書き込みは誰が責任を持ってると思う?」

「書いている人じゃないの?」

「そんなさ。 ネット上で匿名で書いている人が
 自分の書いた事に責任を持つと思う?
 なら、どうして本名で書かないの?」

「だからそれは
 誰かに炎上させられたら困るからじゃないの?」

「仮に炎上させられたとしたって
 それが事実なら誰が文句を言ったって貫けば良いじゃん?
 でも、そんな気概じゃないよね?
 匿名だから
 面白可笑しく取り上げてるって事も多いんじゃない?
 お父さんだって、自分でブログも書いているし
 他人の話だって読むけど
 それはその中の話だと思って読んでいるよ。
 もちろん、気になった事柄があれば自分で調べるけどね」

「調べるってウィキペディアじゃないの?」

「もちろん、それも読むけど
 あれって結構曖昧な事もあるからね。
 他の記事も検索をして、いくつも読んだり調べたりして
 それで総合的に判断はしているつもりだよ」



良くも悪くも口コミの力って凄いと思う

ただ、怖いのは事実が確認されないうちに
話だけがどんどん一人歩きを始める事だ

そして、多くの若者が
(今は若者だけじゃないかも知れないが?)
それらを事実としてすぐに信じてしまう事だ
 

アラブの春もひとつのツイッターから拡がったと言う

それだけの力があるものを
誰もが簡単に使えると言う危うさ

ひとつの言葉に乗じた時の勢いを止める術は
ただ時間の経過しか無い

仮に、冷静な誰かが待ったをかけたとしても
数百万の勢いの前では波に消されて流されてしまうだけだ

実際
何かの反対運動や逆に推進運動を扇動する道具としても
ツイッターや掲示板は使われているんだとか


誰もが簡単に情報を”発信”出来ると言う時代
それだけに”言葉”を読み解く力も相応に求められている




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人間は気持ちで動く生き物なんだから
同じ事を言われるのでも言い方ひとつなんだよね


ちょっとした語尾の違いや言い方の違いで
受け止める側の気持ちはどっちにでも転ぶものなのに

直情型の人間には
その辺の機微を知らない人が多い

と、言うより
そこに考えが及ばない?

言われる側の相手の気持ちを考えるより先に
その一言が引き起こす事態の事なんぞ考えもせずに
感情的な言葉が一直線に口をついてしまう?

そうなんだろうな
まぁ、それが直情型たる所以なのだろうけど


思った事をストレートに吐き出すのは
時と場合によっては
相手に訴える強い力になるけど

多くの場合は
相手を不快にさせたり
ただ、相手を意固地にさせるだけだ



例えば
相手に何かを頼まれた時でも尖った言い方で

「やってよね!」

と、頭ごなしに言われると
言われた方はつい<カチン!>ときて

「なんでだよ!」

って思ってしまうけど


例えば

「やってもらえない?」

そう言われたら

「あぁ、良いよ」

こんな風に
けっこう、素直に応えてしまうものだ

例え、本心では面倒だと思っていたとしても
普通の人ならこう言われたら断れないよね



こんな事は
日常にはいくらでも転がっている

いくらでも転がってはいるけど
だからって
それをないがしろにして良いと言う事にはならない

自分の感情だけで相手に対していると
いつかしっぺ返しが戻って来る



”親しい仲だから”

”いつもの事だから”

”当たり前だから”

そんな事に慣れ過ぎて
相手に対する感謝や思いやりが無くなってしまったら
どんなに親しい相手だって
どんなに優しい相手だって
いつか愛想を尽かしてしまうだろう

ましてや
世の中には当たり前の事なんて本当は何も無い

もし、あなたが相手に何かをやって欲しい時
それを「やって当たり前」だと考えているなら
それは自分本位の傲慢さでしかない

逆に言えば
どんな面倒な頼み事でも
言い方ひとつで
もし足せるなら、そこに笑顔をひとつ加えるだけで
相手に気持ち良く受け入れてもらえる事も多いのだ



思うに

一番恐いのは
相手の気持ちの変化に気がつかないまま時が流れていて
何か起きた時にはもう
”時、既に遅し”となってしまっている事なのだけど

直情型人間にこんな話をいくら言っても
多分
こちらが何を言っているのか意味が分からないんだろうな



・・・と、いつも溜め息をついている
気ぃ遣いしぃの小市民Y氏であった


えっ? 『宣戦布告』じゃないのかですって?

それが出来るくらいならこんな事は書きません!?(笑)



向かい風

風はいつも追い風ばかりじゃない

横風もあれば向い風もある

むしろ
向い風の方が多いかも知れない


だからって
向い風を嘆いてばかりいても何も始まらない


向い風が強いほど
鳥はその力を浮力にして空高く舞い上がる

向い風が強いほど
草木は自分をしなやかにして身を伸ばす

向い風が強いほど
人は地面を強く踏み締めて歩こうとする


向い風は生きる為の知恵を授けてくれる





『大丈夫だよ』川嶋あい


顔についている目が見ているものは
そこにある光景でしかないよね

例えば、泣いている人の心の内を
ホントは何処まで分かってあげられるだろう?

顔についている目で見ているものが
繰り返すだけの平凡な毎日だとしても
そこにいる人にとってはきっと平凡なだけじゃないだろう
ホントの事は誰も顔には出さないものだし

顔についている目は前を向いているけど
心の目はちゃんと前を向いているかな?



顔についている目で見えているものが
いつも正しいとは限らないよね

色だって、形だって、模様だって
ホントに見えている通りのモノなんだろうか?

顔についている目で見えているものは
光の当たり方ひとつで変わってしまうって事
ホントはそんな曖昧なものなんだって事
キミは分かっているだろうか?

顔についている目は前を向いているけど
心の目はちゃんと前を向いているかな?



夢って

夢って

自然に無くなってしまうものじゃないんだ


諦めてしまうから無くなってしまう

他の誰でも無い

それはそう 自分のせいなんだよね




夢って

自然に擦り減ってしまうものじゃないんだ


それだけに固執するから擦り減ってしまう

拘るのは大事

だけどそう それだけに捉われてはいけないんだよ




夢って

自然に生えてくるのを待っていてもダメなんだ


自分で種を蒔いて育てないとね

それにはまず

自分自身をきちんと知る事なんだと思うな




夢って

どんな風に形にするのが理想なんだろう?


自分の夢をいくつも想像するけど

大事な事は

形なんかじゃなくて、きっと想いなんだよね




夢って

持ってるだけで幸せな気分になれるけど


だけど、もし持っているだけなら

それはただの空想と同じ

躊躇っているその一歩をまずは踏み出してごらん



愛はいつも

愛が在るべき場所を失くした時に
人は気がつくものなのでしょう
それがどれだけ大切なものだったのかを

後悔をいくら隠したとしても
どれだけ強がったフリをしてごまかしても
無かったものにはならない事も
その時、人は初めて知るのでしょう

愛はいつも愛の顔をしている訳じゃなく
幸せの下にいつも不安や悲しみを身にまとっている



やり直す事は出来ない訳じゃない
ただ、やり直したとしても
それで全く同じ処に戻れる訳じゃない

人の気持ちが変わるように
愛もいつかその顔を変えてしまうものだから
そこに戻る事が幸せなのか?
むしろ戻れない事の方が幸せなのか?

愛はいつも愛の顔をしている訳じゃなく
笑顔の下にいつも迷いや葛藤を合わせ持っている



愛が在るべき場所を失くした時に
人は気がつくものなのでしょう
それがどれだけ大切なものだったのかを

行き場を失くした愛は
空の星にもなれず、地上の花にさえなれずに
風に舞う枯れ葉さえただ羨ましく見ていた
そして気付いた、独りでは生きられない事を

愛はいつも愛の顔をしている訳じゃなく
道化師のようにいつも素顔や本音を胸に隠している



愛はいつも愛の顔をしている訳じゃなく
揺れるように漂う小さな木舟の危うさで

愛はいつも愛の顔をしている訳じゃなく
愛はいつも在るべき場所を探し続けている




へそのにほひ

良く十人十色なんて申します

人も色んな人がいて
そして、色んな趣味嗜好があります


特に嗜好

これはまさに千差万別、千種万様です

他人様に自慢出来る類いのものから
ちょっと他人様に話すのは憚れるものまで
そりゃあ、様々なのでございます

中でも匂いの好みなんてぇのは
どう足掻いたって頑張ってみたって
他人様に理解なんぞされようもないでしょうね


「男の汗の匂いにキュンとするわ♪」
なんて、男の汗にフェロモンを感じる御婦人もいれば
「男の汗なんて気持ち悪い!」
そんな風に
バッサリ切り捨てる御婦人もいらっしゃるでしょう

猛烈に臭いのが分かっているのに
敢えて、自分の脱いだ靴下を
自分で嗅いで確かめたくなる勇気有る御仁もいれば
鼻を摘みながら
亭主の靴下なんぞ棒切れで洗濯機に放り投げる・・・
あっ、いや
放り入れる御婦人も多いんじゃないでしょうか?

良く見る光景でございます

あっ、いやいや

見ると言っても例えば・・・で、ございますよ

決して、決して!
(ここ強調いたしますが)
実在のY家の事ではありません、たぶん・・?


後、匂いと言えば何でしょうね

小指で穿くった鼻糞を
捨てる前につい匂いを嗅いでみたくなるだとか

いやいや、食べてしまうのは法律違反ですよ、絶対!?


飼い猫や飼い犬の肉球を恍惚の表情で嗅いでしまうとか

これはまぁ、殿方に多いのかも知れませんが
アソコ付近を指でボリボリ掻いた後で
匂いをクンクン嗅いで健康状態を? 確かめる? とか?


そうかと思えば
他人の不幸は蜜の味とばかりに
何処から仕入れて来たのか
下世話な噂話の匂いは嗅ぎ逃がさないってのも
こんなのはきっと或る種の御婦人には多いんでしょうね

まぁ、この類いは趣味嗜好と言うよりは
むしろ、単なる悪趣味なのかもしれませんが


中には
「俺にはそんな変態みたいな趣味はねぇ!」
なんて言う御仁もいらっしゃるようですが
果たしてそうなのでしょうか?

意外とそんな人に限って
納豆が大好きだったり
くさやの干物が大好物だったりするものです

納豆はともかく
(これは私も好きですからね)
くさやの干物なんざ、私にしたら
三日続けて履いた靴下の匂いの方が
未だガマンが出来るってもんです

まぁ、確かに靴下は食べられませんがね

それにね、あーた

変態なんて申しますが
その”変態さん”が何方かに迷惑をかけていますか?

いないでしょ?

だって、自分だけの嗜好的世界なんですから

嗜好品
つまりタバコやお酒が好きって言うのと
何が違いが有るって言うんですかい?

ないでしょ?

そもそもが健康な変態と陰湿な変質者を
一緒に論じてもらっちゃっちゃー
そりゃね、迷惑千万っちゅうもんです!?

までも
その論理で言えば
くさやの干物を食べたって
他人様には迷惑はかけていない訳ですから
これは痛み分けと言う処ですかね?

ただ

お互いに匂いを自分だけで好む分には良いのですが
相手に押し付けたら
下手すりゃ、これは脅迫罪か傷害罪ものです

映画や音楽の録画・録音と同じで
個人で楽しむだけにしておくのが吉なんでしょうな


個人で楽しむと言っても

折しも
世の中には脱法ハーブなんて物騒なものが
蔓延しているようでございますが
ハーブってのは
あくまで香りを楽しむもので
吸って心を宇宙まで飛ばしちゃうものではございません

自分だけが
宇宙でも何処へでも飛んで行くのは自由勝手ですが
他人様を巻き添えにしちゃ断じていけません

そんなのからみたら

何の匂いが好きだと言ったり
何の匂いで幸せを感じたところで
そりゃ、まぁ他愛も無い所作でございます




   かいでみる

   へそのにほひに

   いやされて

   こよひひとりで

   えつにいたれり


  【夢乃的珍説万葉集】より

     《詠み人知らず》

    ・・・って、知ってるけど?




納得

自分を納得させるって難しい

自分についた嘘はすぐにバレてしまうから



自分に正直でいるって難しい

ワガママになる自分をきっと知っているから




ダメだった事、失敗した事を

周りのせいにして自分を慰めたって

それは違うって事も本当は知っているんだ




一人、一人

みんな違うんだからと言い聞かせても

何処かで納得出来ていない自分がいる


それはそうだよね


そもそも、他人と比べるって事は

自分を縛りつけているのと同じ事なんだから


他人と比べる事に

意味を見つけようとするのはただ安心したいから


大事な事は

自分自身が納得出来るかどうかなのにね



もし
 
幸福の予定と
不幸の予定が決められているとしたら
やっぱり
後に幸福が待っている方が
どんな不幸をも耐えられるだろうな
 
 
でも
 
順番が逆だったら
 
不幸の前の幸福を果たして幸福と思えるだろうか?
 
 
幸福も不幸も
おそらくは過去の経験と比較して感じるもの
 
 
不幸や悲しみがあれば
その後の毎日がどんなに平凡なものだとしても
きっと幸福な毎日だと感じられる
 
 
もし
 
幸福の後の毎日が
ただ平凡な毎日に戻っただけだとしても
きっと物足りなさを感じてしまうんだろう
 
ましてや
幸福の後に不幸が待っているのが分かったとしたら
それは絶望に等しく思えるはずだ
 
 
幸福は不幸をそれ以上に打ち消せるけど
不幸もまた幸福をそれ以上に打ち消してしまう
 
 
 
やっぱり
明日の事なんて分からない方が良い
 
例え
運命の中では幸・不幸の順番が決まっているとしても
それを知るのは”その時”で遅くない
 
その時が来てしまえば
それが悪い方の”その時”だとしても
案外、開き直って立ち向かえるものだ
 
人間にはそのくらいの強さはきっとあるはずなのだから




海のモズク

今年中学生になった次女の得意技(?)は
単語中の文字を入れ替えて話す事

例えば

「あきはばら」→「あきばはら」


今年中学生になった次女のもう1つの得意技(?)は
言うべき時に違う言葉を言う事

例えば

「いただきます」→「いってきます」


これがワザとふざけて言っているのか?
マジで間違えて言っているのか?

親のひいき目100%で考えると
私には判断が付かない時があります(笑)


なんせ、次女の言い間違いは昔から・・・

あっ、バラしちゃった!?(笑)


でも、小学生の頃ならいざ知らず
さすがに今は中学生ですからねぇ~(汗)


いや、有り得るんだよね・・・奴なら



とある夜
食卓に並んだ「モズク酢」を見て次女が言いました

「これって『海のモズク』でしょ?」


「海のモズク」

この言葉の中には文法的にも
使用法としても書違いは見当たりません


確かに『モズク』は海藻の一種なのですから
それは海のモノです

『海のモズク』で合ってますよね?(笑)


そして、賢明なみなさんなら
既にお気付きだとは思いますが(笑)

これと似た言葉に『海の藻屑(もくず)』があります


これはもちろん

「藻屑とは海藻が細かく砕けた屑。
 船が遭難をしてバラバラになって海に消える事。
 そこから、海に沈んで死ぬ事を言う。
 用法としては【海の藻屑と消える】等」


モズク酢を見て『海の藻屑』をもじって言ったのなら

「ほぉ、それを分かった上でシャレで言ったんだ?」

くだらないとは思いながらも
ある種の感心をしている自分がいます


ただ

前述のように次女には数々の前科があります


ハムレットではありませんが

”To be, or not to be...”

(和訳)「奴は分かった上で言ったのか?
     マジで間違ったのか?
     それが問題だ...」

えっ?

何か和訳が違う?

いや、まぁ~ そんな堅い事は置いて置いて

問題はそこじゃないのですから(笑)


ん~ 親の私にも判断はつきません

いや・・・判断をつけたくないのか?(笑)


ただね

もしかして・・・ですが


それより大きな我が家の問題点は
某短大の
「総合文化学科:日本文化コース」に通っている長女

言ってみれば「国語」を専攻している長女が
これを聞いて何も反応をしなかった事かも知れません


もしかして聞き洩らした?

親としてはそうあってくれたらどんなにホッとする事か


もしかしたら間違いに気付かなかった?

確かに次女のこのひと言は一瞬の事でした
それに気が付いた私が鋭過ぎただけなのかも知れません


「ねぇ、長女?」

「何?」

「あのさ・・・これって何?」

私は食卓のモズク酢を指差しました

「何が? これ? 海の藻屑でしょ?
 今、次女が言ってたじゃん。
 それがどうかしたの?」

「そ、そっちか・・・お前・・・」 orz



NO.2

誰かが言っていました

「スポーツのメダルの中では
 負けて貰うのが銀メダル(二位)なんだよね」

確かに、金メダルは勝って終わります
銅メダル(三位)は三位決定戦に勝つともらえます

でも、銀メダルは決勝戦で負けたらもらえる賞です

銀メダルだって
本当はかなり凄い結果なんですが
そう考えると
何か優勝出来なかった悲哀みたいなものを感じます




以前
「一位と二位の差は?」なんて話を書いた事があります

そりゃ、何か差があったから
そこで一位と二位と差がついたんでしょう

「練習量の差」?
「練習方法の違い」?
「指導者の力」?

もちろん、そんな事もあるのかも知れませんが
それより大きいのはひょっとすると

「勝負への執念」
「勝負への拘り」

勝負への向き合い方
負けた時の悔しさをどうバネに出来たか?

つまり、気合いだとか根性だとか
そんな精神論になってしまうのかも知れません




こんな私でもずっと大昔にはテストで
何度も学年で二位を取った事がありました

もっとも、田舎の中学校で
1学年(2クラス)60人中の話だったんですけどね

中学と言えば
その頃、テニスの地区大会でも万年二位ばかりでした

悔しかったなぁ~

いつも同じ相手に負けていたんです

だから
勉強もテニスの練習もかなり懸命にやりました

でも
どちらもついに最後まで一番にはなれませんでした


その代わり
学年で唯一人、大きな街の高校に進学出来ました

もしかして
あの頃が私の人生のピークだったのでしょうか?

それ以来
二番・・・いや、十番以内どころか
百番以内の成績とも無縁になっちゃいました(笑)


二位の話に繋がるかどうかは知りませんが(笑)

今、考えると
私が好きになった子には
一度も付き合ってもらえた事はありませんでした

好きになった子には想われず
想ってはいない子には想われて

いやいや、自慢話じゃありませんよ(笑)


なんかね
私の人生も同じで
一番になれない道ばかりを歩いて来たんじゃないか?

ふと、そんな事を考えたりします


私に才能が無かったのか?
努力が足りなかったのか?
それとも単に要領が悪かったのか?(笑)




「どうして世界二位じゃいけないんですか?」

もうだいぶ以前
そんてバカな事を言った議員さんもいましたが
NO.1を目指さないと
二位どころか入賞すら出来ないのが勝負の世界です

だって
みんな優勝したくて
必死に頑張っているんですから
最初っから二位で良いなんて思っていたら
勝てる試合も勝てっこありません

第一
必死に頑張る意味も無いですよね




でも、それが人生なら?

確かに、どんな世界だろうが一番になるのは凄い事です


でも、それだけが全てじゃないのも
又、それも人生です

どこに幸せを感じられるのか?
何を幸せだと思えるのか?

自分なりの幸せって有って良いんだと思います

それが二番だろうが、二十番だろうが
例え、傍から見てブービー賞だって


えぇ、もちろん負け惜しみなんですけどね(笑)



”天才とは天賦の才能を持つ者の事を言う”

多くの辞書にはこうあります


古今東西、歴史の中にも、そして現代にも
天才と呼ばれている人は色々な分野に存在しています

でも
それらの人達は果たして
「天才」と呼ばれる事を喜んでいるのでしょうか?


いくら天賦の才能を持っているとは言え
才能だけでオリンピックに出て金メダルを獲得したり
ノーベル賞をもらったり
何年も何十年も
ひとつの道の第一線で活躍し続けられるでしょうか?


才能のある人は世の中にいくらでもいます

例えば
プロの歌手よりもカラオケが上手い素人
大して勉強をしなくても東大に入れた人
プロで活躍をしているスポーツ選手はみんなそうでしょう

でも、それだけじゃ天才とは呼ばれません


若くして世の中に認められた人もたくさんいますが
天才と呼ばれながら
一時のブームで消えた人もたくさんいます


一方では
死ぬほどの努力をしている人を見て
(仮にその人が大成功を治めたとしても)
努力の人と称える事はあっても天才とは呼びません


じゃ、天才と呼ばれる人は努力をしていない?

いや、決してそうではないですよね
ただ、私達が知らないだけなんでしょう


そう考えると
天才と呼ばれている人は
そう呼ばれてそれで済まされる事を
きっと喜んではいないんじゃないかな?

そう思えてしまいます

そもそも
天才と呼ばれる事自体を
その人たちは望んではいないのかも知れません


つまり
「天才」と言う言葉は
決して褒め言葉にはなっていないのです


ましてや
何の努力もしていない者が
努力をして結果を残している人をやっかんで
「あいつは天才だから」なんて言うのは
これほど失礼な言い方は無いのでしょう


どんな”天才”にだって
きっと、それなりの苦悩や
乗り越えて来た試練はあったはずです

それを表に見せないのが
本当のプロであり真の天才なんだと思います


だから、少なくとも
そんな人たちに向って「天才だから」と
一言で済ませるような言い方は控えるべきなんでしょう

もちろん
最上級の称える言葉としてはあっても良いのでしょうが


まぁ、どっちにしても

凡人の私なんかは
ただただ「すごいなぁ~」と
称賛の拍手を送る事しか能がないんですけどね




男と女

先日、友人と話をしていた時の事

友人「いやぁ~ 分からんもんだね」

私 「何が?」

友人「いやね。先月、友達がさ。
   『息子の結婚が秋に決まった』って喜んでいたのさ。
   『先方のご両親も良い夫婦で良かった』ってね」

私 「へぇ、そりゃおめでたい話じゃない」

友人「俺もそう思ったさ。でもね」

私 「でも?」

友人「あぁ。で、先日また偶然会った時にね。
   『日取りはもう決まったのかい?』って訊いたんだ。
   そしたら『ダメになった』って言うんだよ。
   驚いてさ。
   『どうした?』って訊いたらね。
   『嫌になったらしい』って。
   かなりショックだったみたいだよ。
   訊いたら、5年も付き合っていたんだって。
   なら、良い所も悪い所も分かってたはずだよな。
   それで結婚を決めて結納まで済ませたのに
   『嫌になったから止めた』って言われてもね。
   そりゃ、親にしたらショックだと思うわ。
   今時の若い子達ってそんなアッサリしたもんなのかね」

私 「そうだなぁ~ どうなんだろうね。
   でも、考えようだけどさ。
   結納しちゃったからって渋々結婚して
   後で離婚なんてなるよりは良かったんじゃない?」

友人「まぁね。
   幸い、まだ披露宴の招待状は出して無かったみたいだし」

私 「こればかりは本人達の問題だからね。
   親が無理やり結婚させる訳にもいかないんだしさ」

友人「そうなんだけどさ。
   でも、これが万が一、自分の娘の話だと思うとさ。
   同じ親としては何だかね・・・
   今時の子は辛抱が足りないのかなぁ」

私 「いや。逆に辛抱しなきゃならないのが分かってるなら
   結婚を止めて正解さ。
   結婚してからの信望は辛いからなぁ~
   俺が言うんだから間違いないって」

友人「あはは。まっ、そこは俺も同感だけどね(笑)」

私 「まぁ、それはともかく。
   友達の息子さんも結局は縁のある相手じゃなかった。
   それだけの事なんじゃない?
   きっと、いつかは本当の相手に巡り会えるよ」

友人「あぁ、そう願ってるよ」




男と女の事は難しい

本人達にしか分からない事がたくさんある
いや、本人達でさえ分からない事もたくさんあるんだろう


付き合いが長いから上手く行ってるとは限らないし
付き合いが短くたって結婚をする時は結婚をする

結婚をしたい相手が必ずしも相性が良いとは限らないし
逆に相性の良い相手だからって必ず結婚出来る訳でも無い

相手のある事だし
タイミングって事もある

出会ったのが早過ぎたって事もあれば
出会ったのが遅かったなんて事もある

別れてそれで終わる事もあれば
また、何処かで出会う事もある

友達のままで長く付き合えても
結婚をした途端に終わってしまう事もある

積み重ねたものも壊れる時は一瞬だ

ガマンと思いやり
どちらが欠けても長くは続かない

9/10の優しさも
1/10の嫌な所が消してしまう事もあれば
1/10の優しさが
9/10の嫌な所を消してしまう事もある

10の言葉よりもひとつの行動を求めたい時もあれば
10の行動よりもひとつの言葉が欲しい時もある

周りから見たら似合いのカップルだとしても
本人達がそう思っているかどうかは分からない


男と女の事は難しい

愛には「これだ」と言う形がないのだから


ただ、ひとつだけ言えるとしたら
愛は決して自分独りだけでは成立しないと言う事

愛がどんな結末を迎えても
結局は縁だと思うしかないんだろう





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