Neko

夢の汽車に乗って 2012年03月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


カレンダー

02 | 2012/03 | 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

最近の記事


カテゴリー


最近のコメント


フォト・ポエム


クリックお願いします。


月別アーカイブ


あの時の春は優しい風が吹いていましたね
 
君と僕 少し照れながら
 
並んで歩いた桜の道は
 
妙に眩しくて とても嬉しくて
 
時々触れ会う君の手に
 
僕は心をときめかせていました
 
 
 
 
あの時の君は切り過ぎた髪を随分気にしてましたね
 
そんな君に 僕は気の利いた
 
言葉のひとつも言えなくて
 
ただ桜がキレイだとか
 
空がどうとか他愛も無い話ばかりで
 
そんな僕を見て君はクスッと笑いました
 
 
 
 
あの時の僕がもしももっと大人だったなら
 
二回目の春も 三回目の春も
 
同じように君とこの道を
 
一緒に歩いていたでしょうか
 
幼すぎた二人の恋は桜の花のように
 
淡い色のままでそっと散っていきました
 
 
 
 
あの時の春は優しい風が吹いていましたね
 
ヒラヒラと舞う桜の花びらは
 
薄水色の空に良く映えて
 
懐かしい日々を美しく彩っています
 
切ない想い出は初めての恋
 
今もこの道の何処かにあの時の二人がいる気がして



 
ふと思い出した君の
 
はにかんだ笑顔に目を細めながら
 
あの時の風の中を僕は一人で歩いています
 
懐かしい想い出は桜色の恋でした
 
 
あの時の春は優しい風が吹いていましたね


sakura012-200.jpg






スポンサーサイト

年度末

バタバタ! ドタドタ!
 
スタコラセッセ!
 
やいのやいの! 何だかんだ!
 
ワイワイ! ガヤガヤ!
 
スタタタ・・・ドテッ!?
 
 
毎年の事ながら
年度末ってどうしてこうも忙しいんでしょ?
 
 
 
私がもしも孫悟空なら
髪の毛を数本抜いてフッと息を吹きかけて
何人もの私を総動員したいくらいだし
 
それが無理なら
 
せめて、ドラえもんのコピーロボットで
私の分身を作って仕事をさせたいわ
 
私の代わりに・・・って、おいおい(笑)
 
 
 
年末の事は「師も走る」って言うけど
 
それじゃいったい
 
年度末って誰が走るんでしょうね?
 
 
年末よりも忙しいんだから
「師」よりも偉い人?
 
「師」より普段は落ち着いている人かな?
 
 
それって誰?
 
 
ん~
 
少なくとも私では無いかな(笑)
 
 
 
ともあれ
 
年度末の締めまで今日も入れて後2日
 
 
忙しい人も
そうでない人も
それなりの人も
 
頑張って行きましょ! (* ̄0 ̄)/ オゥッ!!





コツ

誰かと話をしている時に
 
話の中にこちらの名前を入れて話をされると
 
何だか、嬉しいですよね
 
 
初めての人でもグッと親しみを感じます
 
 
相手が異性なら”勘違い”もしてしまいそうですが(笑)
 
 
でも
 
相手と親しくなるコツって
 
そんなちょっとしたところにあるんでしょうね




大人

「アイシテル」
 
 
昔は気軽に言えたそんな言葉が
 
今は言えなくなった
 
たった五文字の重さを知った時から
 
 
 
昔はもっと気軽に言えたよね?
 
 
口から出まかせのように
 
「アイシテル」の大安売りをしてたよね?
 
 
 
ふられたって平気な振りして
 
友達にもジョークのついでに話せたよ
 
 
 
 
 
「夢は何?」
 
 
昔はいくつもスラスラ言えたのに
 
今は考え込んでしまうね
 
失くした数を数えてばかりで
 
 
 
昔はもっとたくさん言えたよね?
 
 
想像だけはいつも逞しくて
 
根拠の無い自信に溢れていた
 
 
夢はいつも空想の中で無限だった
 
現実の事なんか知った話じゃ無かったしね
 
 
 
 
 
大人になる為に纏った詭弁は
 
いつも心の奥でチクチクと針のように刺していた
 
 
それに気付かない振りをしていたら
 
心の痛みなんて
 
いつの間にか本当に忘れてしまえたよ
 
 
 
 
 
大人になる事で失った自由は
 
あまりに大きくて
 
でも、それに気付かなくて
 
 
それと引き換えに手に入れた
 
常識と言う名の詭弁は
 
自分の本音を隠す為に使う言葉になったね
 
 
 
 
 
「自由は誰のもの?」
 
 
若者だけのものじゃなくて
 
大人だって本当は持っていたいんだ
 
 
 
自由はワガママな言葉じゃなくて
 
自分を主張する為の言葉なのに
 
自分で手枷、足枷をして
 
不自由さを大人の勲章にしていないかい?
 
 
 
 
 
大人になって失くしたものもあるけど
 
それ以上に得たものだってたくさんあるよね
 
大人になって知った事もたくさんあるし
 
今だから分かる事もある
 
 
本当に大事なモノも何かを知っている
 
 
それなら何だって
 
若い頃よりは上手くやれるはずだよ
 
 
それが本当の大人だって事
 
 
そうは思わないかい?





心のアルバム

共に学び
 
共に語らい
 
共に笑い
 
共に汗を流し
 
共に励まし合い
 
共に歌い
 
共に育った学び舎
 
 
 
どれだけの想い出が
 
今 君の胸を去来しているのだろう?
 
 
思い出す友の顔は
 
笑顔で溢れているだろうか?
 
 
 
 
 
喜びの涙
 
哀しみの涙
 
悔しさの涙
 
怒りの涙
 
感動の涙
 
自分の為に流した涙
 
友の為に流した涙
 
 
どれだけの涙を
 
君はもう知っているのだろう?
 
 
知った涙の数だけ
 
君は大人になった事だろう
 
 
 
 
 
君の心の中にある
 
想い出のアルバムは
 
いつか
 
君の人生の糧になる
 
 
 
悲しい時
 
辛い時
 
くじけそうになった時
 
 
心の中にあるアルバムを開けば
 
君は独りじゃない事に気付くだろう
 
君は独りじゃなかった事に気付くだろう
 
 
 
埋められたページにある
 
たくさんの笑顔は
 
君に
 
君の本当の姿を思い出させてくれるだろう
 
 
 
そして
 
まだ開かれていない空白のページには
 
君の未来がある
 
 
 
そこに刻んでいく想い出が
 
いつか喜びの笑顔で溢れる事を
 
私は願って止まない
 
 
 
 
 
 
   2012年3月吉日
 
    それぞれの学び舎を巣立った二人の娘達に




兆し

我が家の庭に冬の間積もった雪も
だいぶ山が小さくなってきました

最高気温も
ようやく氷点下の真冬日を脱出出来たのか
少しづつプラスの気温の日が増えて来ました

もちろん
まだ昼間だけの話ではありますが



それにしても

お日様の偉大さを実感出来るのは
やはり冬から春に移るこの時期ですね


お日様が空に見えているだけで
冬も遠慮がちになっているよう思えます

1カ月前なら
どれだけお日様が空で自分を主張していても
冬は知らんぷりして
我が物顔で
冷たい空気をまき散らかしていたんですけどね

でも今は
綱引きで言えば
お日様がかなり優勢になってきました



そして何より

春めいた暖かな空気は
人の身体に新しい季節の力を与えてくれます



そうは言っても
このまま素直に冬将軍様が引き下がるとも思えませんが

結構しつこい性格ですからね

あー 嫌な奴です、本当に


でも
冬があるから春が待ち遠しい訳だし
春が本当に嬉しく思えるのは
それもやはり
ある意味では冬将軍様のお陰なんですから

少しは感謝もしましょうか?

おっと、あんまり図に乗られても困りますがね



これから三寒四温を繰り返して
そしてやがて本当の春に・・・


春を待つ季節が過ぎて
今は少しだけ春の兆しを実感できる季節です



「また雪だね」って
君は窓の外をぼんやり観ていた
僕はそんな君の何を観ていたんだろう?

白い雪が隠すものは街の汚れだけじゃない

ちょっとの隙に見逃していた
君の心も隠してしまっていた

黄昏の街が静かに暮れゆき
ふわりふわり 雪がその色を変えていく



「仕方ないよ」って
僕の言い訳を責める事もなく
君はむしろ微笑んだ それは優しさだったのか

それともそれは僕への悲しい諦めだったのか

そうだね 君に嫌われた方が
僕の心も軽くなるだろう

君の温もりが微かに残る部屋を
僕も今出ていく 鍵だけを残して



すれ違いの始まりは
多分 ホンの些細な事だったけど
それに気が付くには 僕はきっと若過ぎた

白い雪がキレイなのはみんな包み隠すから

男と女は哀しいね
別れた後で分かり合えるなんて

立ち止まり空を僕は見上げた
ふわりふわり 雪が空を上っていく



男と女は哀しいね
別れた後で分かり合えるなんて

行き場を失くした君への想い
ふわりふわり 舞う雪のように




どうして生きてくれなかったのかと
父は嘆き天を仰いで拳を握りしめた

どうして逃げて来てくれなかったのと
母はただ自分を責めて泣き崩れた

彼女には彼女なりの理由があったのだろう
「何もそこまで」と他人は言う
でも、事の大きさは誰にも分からない
誰もそれを決めつける事は出来ない、確かに



彼女は独りで行く旅を選んだ
残された者は哀しみうろたえるばかり

「せめて手紙ではなくお前の言葉で
 別れをもしも聴けたら引き止められたのに」

誰にも言えなかった「助けて」の言葉
誰も責める事は出来ないけど
冷たくなったその手を握り
父は、母は、彼女の名前を叫び続けた、ずっと



北国の遅い春もようやく明けて
ぬるみかけた午後の陽だまりで小鳥が遊ぶ

誰かにしてみれば何も変わらない
ありふれた日常 巡る季節を除けば

後悔なんかは誰にでもあるのだし
無理をしてまで頑張らなくて良い
「親より先に逝ってしまうなんて」
遠くを見つめた目で他人事のように哂う、父



やりきれない想いが尚切なくて
自分を責める事でしか現実を受け止められなくて

悔しくて悔しくて、辛くて情けなくて哀しくて
そして何よりも憐れで愛おしくて

もしも躓いてもやり直せば良い
無理をしてまで強がらなくて良い
「逃げる事は卑怯な事じゃないよね?」
涙浮かべながら呟いた言葉に僕は頷く事しか出来なかった



後悔なんかは誰にでもあるのだし
無理をしてまで頑張らなくて良い
ねぇ、だからお願いです
自分から行き場を失くさないでください

ねぇ、だから忘れないで
世界中が敵になったとしても
あなたを愛する人はあなたを永遠に愛し続けます

ねぇ、だから忘れないでください
あなたは決して独りじゃないんだって事を
あなたには帰る場所が在るって事を

ねぇ、だからお願いです
もしも辛くなったら
あなたが愛している人の笑顔を
あなたを愛してくれている人の笑顔を思い出してください

ねぇ、だからお願いです
決して自分から独りにはならないでください







  愛娘を亡くしたN氏とその娘さんに捧ぐ
  そして、全ての子供達に



掛け違えたボタンに気付かずに
そのままでいられたら幸せだったかも知れない

だけど妙な心地悪さに気付いてしまったら
いつまでもそのままではいられない



途中で掛け違えたボタンは
気が付いた時点で掛け直す事は出来るけど

最初から掛け違えていたボタンは
結局は一度全部を外すしかない



掛け違えたボタンを掛け直そうとしたら
解れていた糸が切れてボタンは何処かに落ちた

探しても探しても見つからないのなら
いっそ、全部付け換えてしまえば良い



ボタンに罪は無い
ボタンも罪は感じていないだろう
掛け違えたのは人間なんだから
でも人間は掛け違えた事をボタンの罪にする



掛け違えたボタンに気付かない振りをして
何も無かったような顔をして毎日を暮らす

優しさなんかじゃない ただ、逃げているだけ
そうしたらいつか 掛け違えたボタンも普通になる



掛け違えたボタンが普通になる頃にはきっと
作り笑いも上手くなれるよ 多分ね

そんな選択がある事をボタンは教えてくれた
付け換えられずに済む術をボタンは知っていた



仰げば尊し

3月と言えば・・・雛祭り、入試

それから
浮世の義理を返さなきゃならないホワイトデー?

そりゃ確かに
例え義理でもお情けでも
バレンタインデーにチョコを貰うのは嬉しいんですが
お返しをするのだって大変なんですから

いったい誰だ?

2倍返しだとか3倍返しなんて言い始めたのは?

ぶつぶつ・・・

おっと、これは個人的な話でした(笑)


そして、そう

卒業式のシーズンです



卒業式の定番ソングはと言うと
すぐに思い浮かぶのは

『翼をください』(赤い鳥)

『おもいでのアルバム』

『贈る言葉』(海援隊)

『大地讃頌』(カンタータ「土の歌」第7楽章)

『想い出がいっぱい』(H2O)

『旅立ちの日に』(秩父市影森中学校長:小嶋登)

などでしょうか?


『手紙 ~拝啓十五の君へ~』(アンジェラ・アキ)

『YELL』(いきものがかり)

とか流行ったのは何年前でしたっけね?

すでに何年前の曲だったのか
記憶が定かではなくなっていますが(笑)


今年の流行りは何でしょうね?

レコチョクの人気投票によると

1位『道』(EXILE)
2位『3月9日』(レミオロメン)
3位『旅立ちの日に・・・』(川嶋あい)

なんだそうですが
これを見るとそんなに目新しい歌は無いのかな?



幼稚園、小学校、中学校、高校でも
それぞれ歌われる歌は違うでしょうし
その時代、世代でも
歌われる歌は違います


「卒業式に何を歌った?」

そんな質問の答えによって
年代、年齢が分かってしまったりしますね


私の世代は?

と、言うと
やはりこれでしょうね

『仰げば尊し』

今の若い人はおそらく知らないかも知れませんが


”仰げば尊し わが師の恩・・・”


娘達に言うと

「和菓子の恩って何?」


って、おいおい

時代は変わったものです・・・(苦笑)




”私の先生の想い出”


私の初めての初恋?

(自慢じゃありませんが
 私の初恋は3回くらいありましたからね(笑))

小学校1年生の担任のO先生

私は一人っ子でもあり
近所の子供達とは良く遊んでいましたが
同級生はいなかったので
小学校に入った途端に
私は独りぼっちになっていたんです

遊んでいる友達の中にも
なかなか入っていけなかったのですが
そんなシャイだった私(当時)に
先生は何かと声をかけてくれて
友達の輪の中に入れてくれました

新任の女性の先生で(当たり前か?)
メガネの奥の瞳が優しい先生でした

この時からかなぁ~

メガネの女性がけっこう好きになったのは



小学校6年生の時の担任I先生

あれは小学校の修学旅行
今でも忘れません

札幌の旅館に着いた初日の夜

夕食を終えた私達はある部屋に集まって
トランプをしたり
ゲームをして遊んでいました

(もちろん、今の携帯ゲーム機ではありません)

そのうち、誰かが言いだして
「ハンカチ落とし(ハンカチ鬼?)」が始まりました

みんな
はしゃいだり、おだったりしながら
遊んでいる時でした

何度か鬼が変わった時
ついに
私の後ろにハンカチが落とされると
私はすかさずハンカチを拾って
輪の周りを回り
次の鬼を探している時に
畳に滑って思いっきり転んでしまいました

その時に
畳を破ってしまったのです

先生に言いに行くと
I先生は大して私を叱らずに

「大丈夫だったか?
 気をつけなくちゃダメだぞ」

そう言うとI先生は
旅館の人のところに謝りに行ってくれました

I先生は普段から優しい先生ではありましたが

”せっかくの修学旅行に
 きまずい想い出は残させたくない”

そんな気遣いがあったのでしょう

後で聞いた話ですが
畳の修繕代は先生が払ってくれていたとの事

改めて、先生に謝りに行くと
頭を撫でてくれながら

「ああ、あれか? いいんだ。気にするな」

そう笑ってくれました

I先生
ありがとうございました

40年近く経った今でも忘れてはいません



中学3年の時の担任で
テニス部の顧問だったT先生

独身の20代後半の先生で
テニス部だった私達は
T先生を兄貴のように慕い
練習の後や練習の無い日曜日になると
みんなで誘いあって
中学の横にある先生の教員住宅に押し掛けました

たくさん有ったレコードを聴かせてもらったり
普段、学校では聞けないような話を
おやつをもらい食べながら聴いていました

学生時代は自身もテニスをやっていたので
練習は厳しかったのですが
練習が終わると
冗談を言ったり本当に優しい先生でした

夏の大会が終わり3年生が引退をし
私達2年生が主力になると
「先生を絶対、全道大会に連れていくぞ!」
それが私達の目標になりました

そして迎えた3年生の夏

中体連の大会を2週間後に控えた
F市の○○杯(個人戦の大会)

その時には
「F地区には**中学有り」と言われるくらい
常勝校になっていた私達は
この大会でも
男子は上位4ペアを独占
女子も上位2ペアを独占

(今で言うソフトテニスは当時ダブルスだけでした)

中体連の団体戦、個人戦も
今年は**中学で決まりだと言われていました

ところが勝負と言うのは
フタを開けてみなければ分かりません

団体戦

私達はフルセットの末
決勝でF市内の中学に負けてしまい
全道大会への切符は逃してしまいました

周りに強いと言われて
慢心があった訳ではないつもりです

(いや、あったのかな・・・?)

悔し泣きする私達を
先生は慰めてくれました

「気にするな。まだ終わった訳じゃない。
 この悔しさは個人戦で晴らせば良いじゃないか」

そして翌日の個人戦

私達の中学からは
男子4ペアと女子3ペア出場し
男子は4ペア、女子も2ペアは上位を独占し
7ペア中5ペアが全道大会に出場しました

(F市郡部の中学だったので
 全員でも7ペアしか部員はいませんでした)

この時、T先生は
私達の全道大会出場を
我が事のように喜んでくれました

ちなみに私のペアは
いつも準優勝ばかりで
一度も優勝は出来ませんでした

(優勝はいつも同じ中学の同級生ペア)

でも
この時の全道大会では
私達のペアが唯一ベスト8まで勝ち残りました

この時も先生は
本当に大はしゃぎで喜んでくれました

全道大会でベスト8まで行けた事より
それが何より嬉しかったんです

T先生
あそこまでやれたのは先生のお陰です

本当にありがとうございました



それから?

高校時代は・・・
数学や英語の文法の先生は恐かったなぁ~

いつも当てられないように
授業中
視線は絶対に先生とは合わせなかったもんな(笑)

ん?

怖かったと言うより
それは
自分が勉強をしていなかったから?(笑)

までも
それも今となっては笑い話です

(おいおい、勝手に笑い話にしてるし)

今でもね

その時の同級生と会うと
そんな話がでます

怖かったのは私だけじゃなかったんだね~

って、ダメじゃん!?(笑)



ともあれ

小学校、中学校、高校
そして、大学と
その中で色々な先生に出会います

「仰げば尊し」を
今の子供達に押し付ける気はさらさらありませんが

1人でもそう思える先生に出会えたら幸せだと思います


やもすれば
今の先生は頼りないだとか
今の先生はみんなサラリーマンだとか揶揄されますが
そんな先生ばかりじゃないですよね


我が家の娘らもそれぞれの学校を卒業して
4月からは新しい学舎での生活が始まります

(学舎・・・この言い方は既に死語?(笑))


これからどんな先生に巡り会っていくのかな

もうすぐ出会いの春です




約束

約束したよね
もう泣かないと

分かってる
それは分かってる

だけど、今日だけ泣かせてください

愛したあなたのため
愛してくれたあなたのため
愛されたあなたのため

愛を教えてくれたあなたのため




現実は悲しいね
生きるって切ないね

仕方ない
それは仕方がない

だけど、それでも生きる事を選ぶ

運命を恨むよりも
運命を受け止めながら
運命がくれた縁を

私が愛する人に今度は繋ぐため




目を瞑ればあなたが
優しく微笑んでくれる

私が泣いたら
あなたも悲しむでしょうか

慰めの言葉よりも今は叱って欲しい

あなたの大きな手で
私を強く抱きしめて
そして強くなれと

心の中に今も残るあなたの温もり




笑って生きるのが
こんなに苦しいなんて

初めて知った
あなたがいなくなって

だけど、ここに止まってはいられない

振り返る風景が
悲しみに溢れていても
私はもう迷わない

あなたと生きた日々が勇気をくれるから




明日からは笑顔で
私は生きると決めた
あなたと約束したから

それがあなたとの大切な約束だから





今日
カーラジオから流れたこの歌を聴いた時
私は思わず
車を路肩に停めて聴き入ってしまいました

そして
不覚にも涙が流れました




希望や未来にはこれと言う形はありません

思い描くモノも人それぞれです

だから
上手に描ける人もいれば
そうじゃない人もいます

目の前に横たわっている
どうしようもない現実の中で
描きたくても描けない人だっています


今日生きる事にさえ精一杯で
明日の事を考える余裕もない人達にとっては
目に見えない希望や未来なんて
無いのと同じなのかも知れません


でも

もしも
目に見える希望や未来があるとしたら
それは生きる糧になります

そしてそれは
新しい希望や未来を生み出す種になるでしょう


もしも
希望とか未来が
目に見える形で存在をしているとするなら
それは子供達や若者達です

その笑顔を守る為なら
僕達は
どんな苦労も悲しみもきっと乗り越えていける

乗り越えていかなければならないと思う

共に・・・




ここで紹介する歌は
『南相馬ジュニアアンサンブル』が歌う「Pray」です

”あの日”からもうすぐ1年

私達が思う以上に
哀しい事や辛い事もたくさんあったはずです

でも
それを乗り越えて
いや
乗り越えようとしている最中なのかも知れませんが

確かにここには希望も新しい未来もあるんだと
そう感じさせてくれました


この歌を一人でも多くの方に聴いて欲しくて
ここで紹介をさせて頂きます

聴いた事のある方も
もう一度歌詞を噛みしめながら聴いてみてください



『南相馬ジュニアアンサンブル』 ~Pray~






季節の変わり目は色々なモノが動きます


人の動きが多いのも
心が動きやすいのも
物事が動き始めるのも


季節の移りや変わり目と無関係ではない気がします

(昔からある”節分”も
  ちゃんと意味のある事なのですからね)



中でも
特にこの時期は

その動きも一番活発になる”変わり目”です


冬の間
内側に向いていた心持ちも

長くなってきた日に誘われるように
暖かくなってきた陽射しに迎えられるように

徐々に外側へと転じていくでしょう



何かを始めたり
何かを変えたり
何かをやり直したり
何かを更に進めたり


それは

旅に出るとか
冒険をするとか
180度方向を変えるとか

そんな大袈裟な事ではないにしても

小さな変化を起こせさえすれば始まります



タイミングを待っている人がいるとしたら
待っているだけじゃなくて
小さなきっかけを見つけに出ましょう



この時期は
良くも悪くも人の動きも活発になります


袖すり合うも

そんな他生(多少)の縁が多く行き交うこの時期


”重いコート脱いで出かけてみませんか”

そんな歌の文句じゃありませんが
人の動きの中に交じってみるのも
何処かで何かに当たるきっかけにはなるかも知れません


例えそれで

何かにつまづいて転んだとしても
もしかしたら
倒れた視界で見つけられるモノもあるかも知れません


そもそもきっかけなんて
何処に転がってるかも分からないのですから

つまづく事に臆病になる必要はありません



転がり始めたら後は思い切りです

倒れた先に
もし何も見つけられなかったとしたって

それでもまぁ良いじゃありませんか

開き直って
ついでに転寝でもしてみましょう

それぐらいの気持ちでいたいものです


本当に大事な事は
自分の心持ちを前に転じる事なんですから




人生

人生って人が生まれると書きます
 
でも、生まれた事に理由を探してはいけません
 
生まれた事、それ自体が理由の全てなのですから
 
 
 
 
人生って人が生きると書きます
 
つまりは
 
今、生きているこの瞬間こそが人生そのものなのです
 
 
 
 
人生って人と生きるとも読めます
 
元来、人は人と共に生きるように作られているのです
 
だから、足りない所は補い合えるように
 
様々な人が一緒に生きているのです
 
 
 
 
人生って人の生命の事でもあります
 
限りある生命を使い
 
そして、繋げていく事が生命の役割です
 
だから、それを使命と言います





雛祭り

3月3日は全国的に雛祭りです・・・多分
 
いわゆる「桃の節句」
女の子のお祭りですね
 
 
一応、我が家にも
長女が産まれた時に
義父母が買ってくれた
三段飾りの雛人形があるのですが
ここ3~4年ほどは飾ってはいません
 
もちろん、今年も押し入れの中です
 
 
理由はこいつら→ フフフ( =①ω①=) (=^o^=)ナニカイッタ?

hinamaturi-330.jpg
  
ダヤン1匹の時でさえ
写真のような有り様なんですから
これにラックが加わると
雛人形達の命も最早風前の灯!?

とても危なくて
雛人形なんか飾れません
 
(この写真はダヤンが8カ月くらいの頃で
 まだラックが我が家に来ていなかった時です)
 
 
良く
 
雛祭りが終わってからも
いつまでも雛人形を仕舞わないと
女の子は嫁に行き遅れるとか言いますが
雛人形を出さないと娘らはどうなるんでしょ?
 
 
ちなみに
 
この日は「上巳の節句」と言って
3月初めの巳の日に
(田植えの始まりにあたるこの時期に)
田の神を迎える為に
紙で作った人形で体を撫でて穢れを落として
健康や厄災いを払ったとされていて
古くは平安時代にそのルーツは遡るそうです
 
 
と、言う事は???
 
雛人形を出さない = 神を迎えられない
 
神を迎えられない + まして穢れが落ちていない
 
= 神様に縁も貰えなければ嫁の貰い手もいない
 
 
つまり・・・
 
仕舞い忘れたくらいで嫁に行くのが遅れるなら
出さないと、そもそも嫁に行けないのでしょうか?
 
 
まぁ、別に
 
娘らが
嫁になんか行かなくても良いけど(笑)
 
 
(=^・^=)(=´∇`=) ソウダニャー、ベツニネ~
 
 
おいおい、お前らが言うなよ!



3月1日は長女の高校の卒業式でした



仕事を終えて帰宅した私


長女「おかえり」

私 「ただいま。 どうだった?」

長女「何が?」

私 「何がってなぁ~(おいおい)
   今日、お前がお父さんに訊かれる事って
   他に何があったんだよ?」

長女「あー、もしかして、卒業式?」

私 「もしかしなくてもだ! 他に何があるんだよ?」

長女「そうかなぁ~とは思ったんだけどさ。
   でも、いきなりだったから」

私 「相変わらず、鈍いやっちゃな。
   だいたいだな
   『これから卒業式の事を訊きますよ』なんて
   そんな事を言ってから訊くか?」

長女「そうなの?」

私 「で? どうだった?」

長女「別に」

私 「別にって・・・お前さ。
   普通は感激したとかさ。
   友達と別れ難くていつまでも帰れなかったとかさ。
   何かあるだろ?」

長女「でも、友達とは試験が終わったら会うし。
   それに感激って言っても別に」

私 「愛想ないやっちゃな」

長女「あっ、そうだ!」

私 「おっ? どうした?」

長女「私さ。
   今日制服を脱いだら
   もう着る事が無いんだなって思ってたんだ」

私 「うん、うん」

長女「そしたらさ」

私 「うん、そしたら?」

長女「家に帰って来てね」

私 「うん、うん、それで?」

長女「帰って来たら・・・
   気が付いたらジャージに着替えてた。えへへ」

私 「なんだそりゃ?」

長女「いや、制服を脱ぐ時って感慨深くなるかなって。
   でも、知らないうちに着替えてたわ」

私 「おいおい。そこ大事だろ?」

長女「だよね~? もう1回着た方が良いかな?」

私 「全くもう!」

長女「式もさ。 全然泣ける雰囲気じゃなかったんだよね。
   でも、答辞を読んでいた元生徒会長がさ。
   読んでいる最中に
   感極まって読めなくなっちゃった時は
   さすがにちょっとウルウルきたよ」

私 「そうだろ? 卒業式ってそうじゃなきゃさ」

長女「教室で一人、一人卒業証書を受け取る時にね。
   ひと言づつみんなの前で話したんだけど
   そこでも男子の方がみんな泣いてたわ」

次女「草食系男子ってやつ?」

私 「草食系と言うか、今は男子の方が優しいんだろ」

長女「でも、ちゃらい奴はちゃらいよ」

私 「そりゃ、色んな子がいるだろうさ」

長女「まぁ、女子も泣いてる子は泣いてたけどね」

私 「お前も泣けよ。可愛くないやつだなぁ~」

長女「お父さんの娘だからね」

私 「また、そこに行くか?
   そのケンカ、卒業記念に買ってやるぞ」

長女「なんで記念なのさ?」

私 「記念って言えば、写真は?」

長女「写真って?」

私 「卒業式と言えば、普通は学校の前でだな。
   こう(ジェスチャー)卒業証書を胸の前に持って
   記念写真くらい撮るだろ?」

長女「え~? 撮ってないよ」

私 「なんでだよ?お母さんは撮ってくれなかったのか?」

長女「お母さんは泣いてたし」

私 「あー、お父さんも何だか泣きたくなったわ」

次女「お父さん、いつから草食系になったの?
   男子じゃないけど」

私 「そうそう、草食系オヤジってか?
   放っとけ!」
   


今の世の中

女子よりも男子の方が感極まって泣くもんなんですね

女子が強くなったのか?
男子が弱くなったのか?

まぁ、どっちもなんでしょうけどね


それにしても
高校の3年間って何だか早かった気がします

部活の朝練、夜練の送り迎え
大会の送り迎えも何度した事か

特に朝練の時は私も5時起きでしたからね

あの頃は、随分先が長く感じたものですが
過ぎてみたら何だかアッと言う間です


卒業の感慨にふける間もなく
来週は長女の中期日程の試験です

未だ進路の決まらない長女

これからどんな道を歩んで行くんでしょうか


ともあれ、卒業おめでとう!





この時期になるといつも口ずさむ歌があります

久しぶりに聴いてみようかな。。。


  さだまさし 『歳時記(ダイヤリー)』




母の人生はいったい誰の為の人生だったんだろう?


いつも周りに気を配り
自分の事よりもいつも私や親父の事ばかり気にかけていた

私が小さい頃は
親父も公務員で安月給だったので母はいつも働きに出ていた

小さな身体で苦労もたくさんしたはずだ
でも
疲れたとか苦労だとかと言う愚痴は聴いた事が無かった

たぶん
私や親父の為の苦労は苦労とは思ってはいなかったのだろう


そんな母だった



”3月1日のこの日に亡き母親を偲ぶ”

このテーマで書き始めて今年で5回目です

今年の話は
その母が亡くなるまでの私自身の記録です




数年に及ぶ最初の癌治療が完治した時、医者は言った

「これで5年経って再発をしなかったらもう大丈夫ですよ」


その5年まで後半年となった頃、母親の癌は再発をした

そして、再び入退院を幾度か繰り返しながら
また長い闘病生活が続いた



その頃
私は未だ独身で
実家から200kmほど離れた街に住んでいたので
毎週末、仕事を終えると実家に戻っては母親を見舞う

そんな生活を続けていた



1年ほど経った頃だったろうか
いつもの週末のように母親を病室に見舞っていると
親父と私は医者に呼ばれた

「残念ですが、もって後三か月くらいだと思います」


母親の癌が再発をした時から
少しは覚悟をしていたはずだった

でも、医者のその最期宣告は
そんな私の薄っぺらな覚悟を打ち砕くには
十分過ぎるくらいに私を失望のどん底に落とした

母親の死が現実になっていく・・・


三か月と言うのは
覚悟をし直すには短過ぎて
でも、黙って待つには過酷なほど長過ぎる時間だ



夜、独りでアパートの部屋にいると
余計な事ばかりが脳裏を過る

『考えるな! 考えたら”現実”になってしまう!』

現実?

現実なんて
考えたって考えなくたって何も変わりはしない

変わらない事の畏怖

それがどんなに辛い事なのか
その時、初めて分かった気がする



夜中に鳴る電話の呼び出し音に怯える毎日が続いた


”プルルル、プルルル・・・”

高鳴る心臓の鼓動

「もしや!?」

恐る恐るに受話器を取る
そうでは無い事を願いながら

『おお、元気にしてるか?』

「何だよ、脅かすなよ」

『何が? どうかしたか?』

「いや、ごめん。こっちの話だ」

もし、こうしている間にも
親父から電話が入ったら話中で繋がらないな・・・

気もそぞろに話す友人からの夜中の電話

受話器を置いた後の何とも言えない虚脱感
そして、束の間だけホッとした



最期宣告を受けてからはもうひとつ悩みが増えた


三か月

それよりも長生きして欲しいと願う気持ち
それはもちろんあったけど
それより早くなる事も又、否定は出来ない


週末、実家に帰る時
ハンガーに吊ってある喪服を眺めていつも考えていた

なんせ200kmの距離がある
もし、帰省中に万が一
母親が亡くなったとしたら喪服を取りに戻る時間が無い

一人息子として
母親の最後くらいちゃんとして見送らなきゃと言う想い

喪服も着ずに普段着なんて訳にはいかないし
レンタルで借りるにもそれも何か嫌だ

でも
喪服を持って帰省なんかしたら
本当に母親が亡くなってしまうんじゃないか?

どうする? どうしたら良い?

毎回、そんな葛藤をしながらも
結局、母親が亡くなったその日まで
週末の度に車のトランクに喪服を忍ばせて帰省し続けた

万が一に備えて
そして、着ずにまた戻って来られる事を祈りながら


心から母親の奇跡を、回復を願いながら
一方では変に冷静に葬儀になった場合の事まで考えていた

あの時の気持ちって何だったんだろう?

普通はそこまで考えるなんてしないだろう

息子として母親の回復を願う気持ちよりも
妙な使命感の方が強かったんだろうか?

だとしたら
私は冷たい男なのかも知れない



亡くなる前の日
病室に見舞いに行くと
母親が初めて私に腰をさすって欲しいと言った

今までは一度もそんな事は言った事が無かったし
私は私で甲斐甲斐しく看病をする親父を見ていたから
それは親父の役目と言う遠慮があった

いや

この期になっても母親の病気を認めたくない

そんな想いも心の何処かにあった


「ここかい?」

横になった母親の腰を初めてさすった

「あぁ、ありがとうね。気持ちが良いよ」

母親の本当に嬉しそうな笑顔


どうして
もっと早くに腰くらいさすってやらなかったんだろう?

あんなに喜んでくれたのに

きっと
もっと肩を揉むとか腰をさするとかして欲しかったよね?

どうして
変な遠慮なんかしてたんだろう?

親子なのに・・・



そう言えば、こんな事もあった

一時退院をしていた時
母親は肩が凝ると言っていた

その事を親父から聞いていた私は
ある日、ハンディタイプで気軽に使える
低周波式のマッサージ器を土産に帰った

母親はそれを見てとても喜んでくれた

私は得意になって早速母親に使うように勧めた

使い方を教える為に説明書を読んでいた私は
その内容に言葉を失くした

”悪性腫瘍の有る方は使用を控えてください。
 進行を早める場合があります・・・”


「ごめん、母さん。 これダメだ」

「どうしたの?」

「低周波で病気の進行が早くなる事もあるんだって。
 ごめん、こんな物を買って来て・・・」

「良いよ、そんな事。
 だったらお父さんに使って貰えば良いしょ。
 お父さんだって肩、凝ってるんだから。
 ありがとうね」


何かいつも気持ちと裏腹に行動が空回りをしてしまう

『こんなはずじゃなかったのに・・・』


そうだ
あの時だって、本当はマッサージ器なんかじゃなくて
私が肩を揉んでやれば良かったんだ


あの時の私はこう考えていた

『週末しか一緒に居れないから
 いない間に肩が凝ったら使ってもらいたい』


でも、そうじゃない

一緒に居る時に肩を揉んだり腰をさすってやれば良かった
平日はいつも親父が一緒なんだし
居れる時に出来る事をしてやるだけで良かったんだ

それを物に置き換えようなんて思うから
肝心なところで痛い失敗をしてしまう

そして又
逆に余計な気を遣わせてしまう


母親は少なくとも私に物なんて期待をした事は無かっただろう

少しでも一緒に居るとか
私が元気に働く事とか
早く結婚出来れば良いのにとか
そんな普通の事だったに違いない

そうだよね?

なのに
私はいつも期待を裏切り続けていた気がする


そうだ

結婚はおろか
子供が大好きだった母親に
ついに孫の顔も見せてやれなかった

一度も孫を抱かせてやれなかった



私が腰をさすってあげた時の本当に嬉しそうな母親の笑顔

「母さん、ごめんな。
 もっと早くしてあげたら良かったね。
 機会は何度もあったのに・・・
 やってあげなきゃならない場面は何度もあったのに」


あの時にした後悔より大きな後悔は
後にも先にも無かった

人生はやり直せると言うけど
それは生きていればこそ

流れた時が戻る事は決して無いのだ



そして、次の日の昼過ぎ
昏睡状態に陥ったまま
母親は親父と私に看取られて静かに還らぬ人となった

眠っているような安らかな顔をしていた

最期に苦しまなかった事
それはいままで頑張り続けた事への
神様の慈悲だったのかも知れない

いつも自分の事より周りの人の事ばかりを気遣って生きた人



「どうしますか? 葬儀屋さんに頼みますか?」

看護師は申し訳なさそうな表情を滲ませながらも
努めて事務的に親父に言った

「そうですね・・・」

「いえ、連れて帰ります」

私は親父の言葉を遮って言った

「そうですか。分かりました。
 お母様もその方が喜ばれますね」


病院の地下の駐車場

ここから”退院”をする人は
もう二度と病院に戻って治療を受ける事は無い

つまり、もう苦しまなくても良いのだ


私が車を駐車場に入れると
担当の医者と看護師さんが数名
母親をストレッチャーに乗せて待っていた


車の助手席のシートを倒して
看護師さん達の手を借りて
親父と私で助手席に母親を寝かせるように乗せた

医者と看護師さん達が深々と一礼をする中
私は一度頭を下げると静かにアクセルを踏んだ

私と親父と母親、家族最後の片道ドライブ


その日、お盆もとうに過ぎた日の割には
やけにアスファルトを照らす太陽が眩しかったのを
私は今でも覚えている

その眩しさに目を細めて堪えていたのは涙だったのか?

それとも
悔やみきれない大きな後悔の念だったのか?



お母さん

お母さんの人生は誰の為の人生だったんでしょうね


それでも幸せだったとそう信じても良いですか?




あの日から21年目の春がもうすぐ来ます


亡き母親を偲ぶ日に

今年もまた
心の中に桃の花をひと枝、飾ります


momonohana-2012.jpg




{あとがき}

母親の命日8月25日ではなくて
毎年3月1日のこの日に母親を偲んでいる理由については
「桃の花をひと枝、心に飾る」の1回目に書いています

 *タイトルをクリックをすると本文が開きます
        ↓

第1回 『桃の花をひと枝、飾る』 (2008年)







Powered by FC2 Blog