Neko

夢の汽車に乗って 2011年05月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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街に灯りが燈り始める頃
帰りを急ぐ人の波に
呑みこまれそうになりながら
ボクは立ちすくんでいた


帰る部屋はあるけど
帰る場所が無い
そんな気持ちがボクの足を止めていた


君からもらったメール
携帯の履歴
君と笑顔の写真は捨てられたとしても
君との想い出はきっと捨てられないだろう




君と過ごした十二個の季節
大切のボクの宝物だった
なのに君の優しさに甘えてばかりで
君の涙に気付けなかった


バカだねって自分を責めて
嘲笑いを繰り返す
暮れた街の灯りが想い出の欠片達を照らす


今も残る後悔や
つまらない意地
ボクの胸に残る痛みは捨てられたとしても
君との想い出はきっと捨てられないだろう




想い出がもしも捨てられるものなら
何も無かった事にしてもう一度君を愛したい

想い出がもしもやり直せるものなら
初めて出会った日に戻ってもう一度君を愛したい

想い出がもしも捨てられるものなら
君の知らないボクになってもう一度君を愛したい


想い出がもしも捨てられるものなら
想い出がもしも捨てられるものなら




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故郷の空の下

ショートストーリー

『故郷の空の下』

【 夢の樹舎 】にアップしました


上記、タイトルをクリックすると
夢の樹舎本文にジャンプします

(【 夢の樹舎 】をクリックすると
  夢の樹舎にジャンプ出来ます)



遠く離れた故郷の事を
少しでも思い出すきっかけになれたら。。。



*他、Poetry、夢乃家日和に各1編づつ追加しました



明日また会いたい

「明日また会えるかな?」って
言いかけた言葉を飲み込んで
「また、今度な」って
繕ったボクの笑顔は引きつっていたかな?

本当の事を打ち明けたら君はなんて言うだろう?

真剣に言えば言う程
君には
とっておきのジョークに聴こえるだろうか?




もっと早く会えていたら
君との事も違っていたかな?
それともやっぱり
友達のままで、こうして作り笑顔をしているだろうか?

本当の事を打ち明けても君を驚かすだけだね

それならやっぱりボクは
全部ジョークにして
君を笑わせるピエロのままでいるよ




「本当は、本当はね」って
言いかけた言葉を飲み込んで
結局はまた
本当の事なんて言えなかったよ 君の前では

恋人未満のポジションがボクに切なくのしかかる

明日また会いたいよ
本当はね
約束なんていらないけど 無くて良いから



今度は誰にふられたのかな?

分かるよ
君がボクの所に来るなんて
そんな時くらいだものね

いつもより
明るく振る舞う君が切ないね

好きなだけ
ここで泣けば良いのに

そうさ、悲しい時は
ガマンしなくても良いんだよ

堪えた涙は
悲しみを軽くしてはくれないし


ねぇ、空だって泣くんだよ
あんなに青い空だって
雲に貯めた涙が堪え切れなくて

ねぇ、空だって泣くんだよ
もし独りになって泣くくらいなら
好きなだけここで泣けば良いのに



こんな時に限ってボクは

気の利いた
ジョークのひとつも言えないなんて
本当に自分が嫌になるよ

いつもなら
余計な事までしゃべり過ぎるのに

そんな時でも君は
笑顔で付き合ってくれたよね

今度はボクの番だよ
無理して自分をごまかさないで

笑顔の奥に
涙を隠しておかないで


ねぇ、君の悲しみなら
ボクが少し持ってあげる
君の心が少しでも軽くなるように

ねぇ、空だって泣くんだよ
泣いて気持ちが晴れたなら
青い空にはきっと虹がかかるはず



ねぇ、空だって泣くんだよ
あんなに青い空だって
雲に貯めた涙が堪え切れなくて

ねぇ、空だって泣くんだよ
もし独りになって泣くくらいなら
好きなだけここで泣いて良いんだよ




楽しかろうと苦しかろうと
人間の生など知ってか知らずか
時はいつも淡々とその歩みを刻み続ける

人間の一生にとっては
時はただの傍観者に過ぎない



幸せだとか不幸だとか
それは時が決める訳では無い

人間がただそう思うだけだ
人間がただそう感じているだけだ


時が何かを解決してくれる事も無い

人間がただ自分の心と
時間をかけて折り合いをつけていくのだ



時は流れると言うけど

その人間の一生を見た時
時は流れていくだけのものではない事に気が付く


むしろ、時は流れない

それは積み重なっていくものなのだ


額の皺に
心の襞に
記憶の一片づつを織り込みながら
時は明日へと積み重なっていくのだ



重いモノ

捨てられるモノって
ただそれだけのモノだよ

軽いんだ

だから簡単に捨てられる


でも

どうして捨てなきゃならないモノって
結構重いんだよね

捨てられないモノはもっと重い


それだけ想いが詰まってるって事かな



夢乃咲道のホームページ

”夢の樹舎” 内

「ショートストーリー」のコーナーに

『 君 の 花 』 を新たに掲載しました


  *上記、タイトルをクリックすると
    本文にジャンプします


お読み頂ければ嬉しいです


  *上記 ”夢の樹舎” をクリックすると
   夢乃咲道のホームページにジャンプします




                   夢乃咲道







奇跡の確率

物理的に不可能な事象は別として
人間が出来る事や
成す事に於いては
この世には初めから100%と言う事は無いし
逆に諦めてさえしまわなければ
最初から0%と言う確率もありません


では
何%の確率で起こった状況を奇跡と言うのでしょうか?

1%?
0.1%?
0.01%?
或いは
0.001%?


確率を計算するには
おそらくは様々なデータを元に
統計学的な数字を根拠として求めるのでしょう

それは、
元来が根っからの文系人間である私には
知る由も無いのですが


しかし
そこから導かれた数字と言うのは
単なる計算の結果でしかありません

あくまで統計学的な確率なのです

それを奇跡と呼ぶには
あまりに無機質的過ぎます


「火事場のくそ力」と言う言葉が有ります

人間は時として
本来持っている力以上の能力を発揮する事が有ります

為し得る確率が限り無く「0」に近い状況の中で
人が起こした行動の結果
その事が成った時
人々は知らずと感動を覚えるものです

そして、それを”奇跡”と呼びます


しかし
何の努力も知恵も無くして
奇跡は起こりません

決して諦めない信念こそが
奇跡を起こすのです

或いは
何かへの強い思い
誰かへの強い想い
そしてそれに向う幾多の執念

それが奇跡を生むのです

それは
どんな計算も入り込む余地も無い程に
人間臭い努力の結果なのです


奇跡の確率を計算する事は
結局は無意味な事なのでしょう

人間の力は時として計算を超える物なのですから



カリスマ天国!?

何年くらい前からでしょうか?

TVや雑誌を観ると
毎度のように何らかのカリスマが登場しています


カリスマシェフ
カリスマ美容師(ホントは何って言うんだっけ?)
カリスマスタイリスト
カリスマパティシエ
カリスマモデル
カリスマブロガー
カリスマクリエイター

果ては
カリスマホストに
カリスマ店員だのカリスマ読者モデル?

挙句には
カリスマ主婦って何者?


etc、etc・・・


そもそも
カリスマって、そんなにたくさんいるものなの???


改めて辞書を紐解くと

『カリスマ:ギリシャ語で”神の賜物”の意。
      超自然的、超人間的な力を持つ者。
      天与の非日常的な力、この資質を持つ者』

と、有ります


カリスマ何とかって呼ばれる人って
ホントにそんな凄い人なの?

少し有名になったり、話題になると
すぐにマスコミは”カリスマ何とか”と持ち上げます

この風潮ってどうなの?


確かに
「カリスマシェフの店」って言った方が
お客さんも入るんだろうし
「カリスマモデル」って言った方が
ファッション雑誌も売れるんでしょう

テレビなんかも
そう言う冠を付けた人を出した方が
視聴率も良いのかも知れません

客の側だって
何も無いよりは
「カリスマ」って付いた方が
飛びつきやすいでしょうしね


でも、それだけの為に
「カリスマ」って冠を付けられて
当の本人達はどう思ってるんでしょう?

チヤホヤもされるだろうし
たくさんのメディアに取り上げられる訳だから
やっぱり嬉しいんでしょうかね?


売らんかなで
取り上げるマスコミの力が大きいだけで
本当はどうなんでしょう?

カリスマ何とかって呼ばれる人達って
そんなにすごい人達ばかりなんでしょうか?


人間国宝の人が全て
人格も含めて
何に於いても素晴らしいとは思わないけど

少なくとも
何十年もの間、己の芸を磨き、技を磨き
その道の第一線で活躍をしてきているのだですから
その人をもって”カリスマ”と呼ぶのなら
未だ
私の狭い見識でも理解の範疇ではあるのだけれど
少しマスコミに取り上げられて人気が出ただけで
誰にでもすぐに
”カリスマ”って付けるのはどうなの?


何だか
”カリスマ”のバーゲンセールみたいじゃない?


片やでは

ちょっとイケメンっぽい子が話題になると
”何とか王子”もあっちこっちで大安売り!?


カリスマにせよ、王子にせよ
こんなにたくさんいる国って他にあるんでしょうか?

それとも
こんなにカリスマや王子が多い日本って
本当はとても物凄い国だったのかな?


でも

カリスマや王子が
そんなにたくさん何処にでもいたら
何だか有難みも無い気もするんですけどねぇ~

いくら話題作りにしても
気前が良いのにも程がある気がするのですが・・・

と、言うか
ネーミングがあまりに安直過ぎやしません?


『じゃ、王子がダメなら
 何とか皇太子とか何とかプリンスとか
 何とか若様とか何とか若大将なら良いってのかい?』

いや、だからぁ~
そう言う問題じゃ無いんですってば!


週刊誌やワイドショーの見出しに”乗る”のも
いい加減、程々にしません?

カリスマや王子の大安売りに食傷気味なのは
私だけでしょうか?


だってね

実際の話
本物の”カリスマ”や”王子”だったら
そんな呼ばれ方は本意では無いと思うんですよね

例えば
人間国宝の陶芸家の方に
若い子が「カリスマ陶芸家」なんて言ったら
たぶん
塩をまかれて怒られちゃうと思うんですよね

「バカにしてるのか!」ってね


そう思いません?


これって

私の単なるヒガミ根性、妬み根性なのかなぁ~


それとも

こんな目くじらを立てずに
そう言うのも一介のブームなんだからって
波風を立てないのが大人なんでしょうかね?




スイスの思想家であり
法学者でもあった
かの「幸福論」の著者
カール・ヒルティの言葉によれば

「寝床につく時に
 翌朝起きる事を楽しみにしている人は幸福である」


なら・・・

明日の朝は夜更かしをした事を
又、後悔するんだろうなと思いながら
眠たい目をこすりながらブログを書いている私って・・・


明日
誰かが私のブログを
目にしてくれるであろう事を楽しみにしている
と、言う点では
やっぱり、幸福と言えるのかな?


ブログを書く事と
翌朝の後悔を秤にかけるのは天秤座故の所業

だから
今夜もブログの皿に又ひとつ分銅を乗せてみた

もしかしたら
明日の朝は
夜更かしを後悔しないかも知れないじゃない?


どっちにしても
そんな事は朝起きてからの話なんだけどね(笑)



非生産的行為

いつもやる度に
『これは何て、非生産的行為なんだ!』
と思う物がある


一つは冬の雪かきである

家を建てて14~5年になるが
北国、北海道に住んでいて
冬も屋根の雪下ろしはした事がない

それで家が潰れた事もない

もっとも
三角屋根なので雪はすぐに落ちてしまうのだが


確かに
一度に大雪が降れば
人の出入りや
車の出し入れには困る事はあるかも知れないが
ここ十勝では
そんな事は年に2~3度も有れば多い方だ

例え、大雪になったって
人くらいは出入り出来るし
駐車場だって
4WDの勢いに任せて踏み固めたら
1台や2台くらいは停められる


何が”非生産的行為”かと言えば

どれだけ雪が降ったとしても
春になれば
何事も無かったかのように
雪は自然と溶けるのにする「雪かき」だ



もう一つは庭の雑草取りだ

確かに雑草が鬱蒼と生い茂っていると見栄えは悪い

いくら私が
「我が家は在りのままの自然の姿を愛するので
 例え雑草と言えども
 無用な駆除は主義に反するのである」
等と、
いくらワイルドガーデンである事を主張しようが

近隣の人は
「あそこの人は不精だ」
くらいにしか思わないだろう

そう思われたって構わないと言う覚悟さえ決められれば
雑草も冬になれば枯れてしまうのだから
草取りなど今しなくたってどうって事はないと言えば無い

なので、これも立派な”非生産的行為”と言えるだろう



そんな事を考えながら庭を眺めていた


庭の草取りを始めると
家の周りもしない訳にはいかなくなり
結局、休みがほぼ1日潰れる

確かに
庭がキレイになると気持ちも良い

だが、
週の途中に雨が降り
その後で晴れたりすると
雑草の成長は目を疑うばかりに早い

結局
又、翌週も草取りをしなければならない事になる

こうなるとイタチごっこだ



それにしても・・・と思う

どうしてこうも
残って欲しい花に限って消えてしまうのに
不要な雑草ばかりが
幅を利かせるように増えていくのだろうか?

いくら抜いてもキリが無い

しかも
雑草と言うのは悪知恵が働くのか
カメレオンの如く
他の花の葉に同化したかのように
大事な花の間に身を隠して生えている

雑草はエイリアンのように始末の悪い敵だ

始めのうちは
私も慎重になって大事な花を傷付けないようにと
雑草をピンポイントで狙って取り除くのだが
やっているうちに
「あっ、やばっ! やっちまった!」
と言う事になり
慌てて辺りを見回す

うちの奴に気付かれたら
また、後門にも敵を作る事になる

私はそっと
ゴミ袋に入れた駆除した雑草の奥の方に
それを押し込める

後門の敵が気付かなけれ私の勝ちだ

だが、気付かれれば・・・


いつしか非生産的行為であるはずの草取りは
二つの敵と私との駆け引き勝負になっている

何れにしても非生産的行為である事に
変わりはないのだが



ともあれ
ようやく春になって
花が咲きだしたと喜んでいたら
もれなく
今年もまた雑草の季節はやってくる


あ~

取るべきか?
取らざるべきか?

ハムレットのように悩みながら
結局、今年も
ゴミ袋を何枚も持って庭に出動をする事になりそうだ

非生産的行為だと分かっていながら・・・



この空を飛べたら

出来る事と出来ない事は判っている

やりたいのにやれないジレンマも
制限と制約の中に有る己の存在意義も
考えても仕方の無い事のひとつとひとつ

そこを求められていないのも判っている

矛盾も受け止めなければならない事のひとつ

甘んじていれば
こんなに楽な事は無い

しかし
居心地は良いが座り心地は悪い

座り心地は悪いのは座り方が悪いからなのか?

それとも、ただ
座り方を知らないだけなのか?

慣れてしまえば
いつか諦めた事も忘れてしまうのか?

割り切ってしまえば
何も考えなくて済むようになれるのか?

生き甲斐と張り合いを秤にかけて
正義感ぶる事も単なる独りよがりに過ぎないのか?

ただ
安定だけを望むなら
穏やかな水面に石を投げてはいけない
と、言う事も判ってはいるつもり



それで良いのか?

それで良いんだ

本当に?

多分・・・

本心?




   By YOU TUBE



  空を飛ぼうなんて 悲しい話を
  いつまで考えているのさ?

  飛べるはずのない空 みんなわかっていて
  今日も走ってゆく 走ってく
  
  ああ 人は昔々
  鳥だったかもしれないね
  こんなにも こんなにも
  空が恋しい

    (詩 <抜粋> :中島みゆき)





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