Neko

夢の汽車に乗って 2011年04月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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風景

花吹雪

しとしとと降る五月雨

風にそよぐ木立の緑

白い雲

街を行き交う人

木漏れ日

落ち葉の舗道

一番星

初雪の舞

イルミネーション

巡り行く四つの季節




例えばいつか観た海の色

例えば誰かと観た夜景

例えば独りで見上げた空の青




朝霞

笑顔のピースサイン

道端の花

公園のベンチ

雨上がりの虹

自転車を漕いで走った川沿いの道

駅前広場

いつもは何気なく通り過ぎる店の前

ビルの谷間に見た夕焼け




悲しい時

楽しい時

苦しい時

辛い時

嬉しい時

切ない時

たったひとつの風景が
そんな心の有りようで
まるで違って見える事がある



記憶の中で見えていた色
今、見えている色

時に鮮やかに
時に朧気に



風景と言うのは
心が見せる自分自身の鏡なのかも知れない




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今日は4月28日

428・・・よつば


と、言う事で

春でもありますし
今日は四つ葉のクローバーの話です


ん?

誰ですか?

「安直だぁ~!」

なんて言ってる人は?


まぁ、確かに
最近はネタに困って・・・

いやいや!

人間はね~ 素直が一番なんですよ!(笑)




”四つ葉のクローバーを見つけた人には幸運が訪れる”


そんな言葉を信じてか
昔は原っぱに行くと必ずと言って良いくらい
四つ葉のクローバー探しをしてました

そんな私の純情時代(?)

その割に
私はほとんど見付けられなかったんですけどね



滅多に見つからないのが
見つかるから幸運なんだって言いますが

所変われば
逆に
滅多に無いのが見つかるのは不吉な予兆だなんて
そんな事を言う人もいます


これは
ひとつには「宗教観」だったり
或いは
「民族性」だったりするのかも知れませんが

ポジティブ思考で考えるなら
ここはやはり
”幸運”なんだって思うのが良いんでしょうね





ついでと言ってはなんですが
四つ葉のクローバーにまつわる話を幾つか・・・


”四つ葉のクローバーは幸運の象徴”

この言い伝えはヨーロッパでは古くからあったようです


四つ葉のクローバーは十字架を表していて
それが”幸運をもたらす”事の所以になったそうです


三つ葉のクローバーは
キリストの三位一体(父なる神・キリスト・精霊)で
守護の意味がありました

そして
稀少性のある四つ葉のクローバーには
悪霊を退けてくれるパワーがあると信じられていたのです


イヴは失楽園の折
四つ葉のクローバーを持って
エデンの園を出たとも云われています


また
四葉のクローバーは4Hを表すと言われています

つまり

希望(hope)
幸福(happiness)
愛情(heart)
健康(health)

です


ちなみに
五つ葉は金銭上の幸運
六つ葉は地位・名声の幸運
七つ葉は最大の幸運を意味します



余談ですが

今までに発見された中で
一番数が多いのは何枚葉だったかご存じですか?


世界一多くの葉を持つと認定されたクローバーは
2002年に
岩手県花巻市矢沢のクローバー研究者小原繁男氏の
鉢植え中に発生した18枚葉のもので
これはギネスブックにも登録されているそうです

しかし
その後、小原氏は2009年5月3日に
33枚のクローバーを発見し
ギネス認定に向け更新申請の準備を行っていたところ
1週間後の5月10日には
56枚のクローバーを発見したとの事


こうなってくると
いったい幾つの葉を持つクローバーが存在するのか
想像も出来ません


多葉クローバーは近年希少度を下げていると言われ
四つ葉をつけるクローバーが群生していたり
1つの株すべてが多葉という
クローバーの株が発見される事が増えているようで
その原因として
農薬や雑排水による土壌汚染が上げられるんだそうです

また
原子力発電所の周辺で多く見られるとも言われています

突然変異と言う事なんでしょうかね

今回の震災に端を発した原発事故を思うと
単なる突然変異では済まされないのですが・・・


こうなると
果たして四つ葉のクローバーって
本当に幸運の象徴となるのかは
はなはだ疑問に思えてきます

そうじゃなくたって
四つ葉のクローバーがたくさん群生していたら
何だか有り難味もないですよね


でも、もし

四つ葉のクローバーが
本当に幸運をもたらすものであるなら

東日本の被災地が
溢れる程の四つ葉のクローバーで
おおわれて欲しいと思います


428-clo-s.jpg

さぁ、四つ葉のクローバー君達!

汚名を返上するなら今だよ!

たくさんの幸運を連れておいで!


名言

私の場合は名言というよりは
むしろ迷言の方が得意なのですが
世の中には
『なるほど~』
と、唸る名言が昔から数多くあります


その地域に昔から伝わる諺だったり
映画や小説の中で主人公が吐く台詞だったり
或いは、詩の一説だったり
歴史的偉人の言葉だったり
知識人の言葉だったり
それは様々です


先生、親、友人 etc・・・

もしかしたら
自分だけが持っている
身近な人の名言や教えと言うのもあるかも知れませんね


ユダヤの古い諺に

”人間は口はひとつなのに
 耳がふたつ有るのはどうしてだろう?
 それは、自分が話す倍は
 人の話を聞かなければならないからだ”

と、言うのが有ります

ならば
目が二つ有るのも
真実を良く見極めなさいと言う事でしょうか?


自分の目で真実を見極め
他人の言葉には真摯に耳で受け止める

そして
誰かにそれを伝える事が出来たなら
もう少しは違った社会に
なっていけるのかも知れません


出会ったひとつの言葉によって
生き方や
或いは
人生そのものが変わるなんて言う事もあるでしょう

山奥に篭っている世捨て人でも無い限り
人は必ず何処かで
何人もの人と関わって生きているものです

中には
好きな人もいれば嫌いな人もいるでしょう

受け入れられるものも
受け入れられないものもあるでしょう

それでも
人は人を必要として生きています

人に必要とされて生きていくのです

自分が気がつかないだけで
知らない内に
誰かの役にたっている
そんな事もあるかも知れません


人が人と関わって生きる為の潤滑油は
人間としての心と
そこで使う言葉です

心も言葉も学ぶところから始まります

心のこもったひと言は
人を活かし、人を成長させます

その意味では
諺や格言は決して古いだけの言葉ではありませんね






”運が良いとか悪いとか
  人は時々 口にするけど
 そう言う事って確かにあると
  あなたを見ててそう思う”

これは
さだまさしの「無縁坂」の歌詞の一説であるが
私が時々
無意識に口ずさんでいるフレーズでもある


そして、ふと考えてみる・・・

『私の人生ってどうだったんだろう?』


私自身の人生を
未だ過去形にはするつもりもないけど

振り返ると
確かに、決して平坦なものでは無かった

何事も順調とは言えなかったし
今現在も
多分、順調とは程遠い気もする


中学を卒業して
高校からは親元を離れて暮らした

以来、親と暮らした事は無い

大学受験に失敗をして志望校には入れなかったが
浪人をさせてもらえる余裕も無かったので
滑り止めで受かった大学に入学した

それなりに夢もあって
東京で過ごした学生時代

でも
大学を卒業したら北海道に戻って就職をする事
それが親との約束だった

そして
夢を諦めて北海道に戻って就職をした

恋もしたけど
その分、失恋だって幾つもあった

結婚も遅かった

今は亡き母には孫の顔も見せてやれなかった

たくさん、後悔もした

結婚をしてからだって
何も問題が無かった訳では無い

なんとか、その都度
体裁を取り繕いながらここまできた

仕事も何度か変わった

リストラも経験をした


良い事も悪い事もあった
嬉しい事も哀しい事もあった

楽しかった事もたくさんあったけど
辛かった事もそれなりにあった

でも、おそらくは
大なり小なり殆どの人がそうなのだと思う

何かしら
色々なもの(事)を抱えて生きているんだろう

そして、それが人生と言うものに違いない


ただ、
確かに色々な山坂はあったけど

今思えば
それほどの苦労らしい苦労では無かったかも知れない

もちろん
深刻な状況も多々あった訳だけど
その度に”人”に助けられて来たような気がする

直接か間接的にかは別として


つまり
”周りの人”にはいつも恵まれて来たのだ

その意味では
私は運が良かったんだと思う


人生に山と谷は付き物だが
”人”にさえ恵まれたなら
それだけで幸運な人生だと言える


”人”との繋がりがあるから
今の自分がある

だから
自分を決して粗末には出来ないのだ



父親である私を差し置いて
一人でソファを占領してテレビを観ていた長女

『まぁ、部活で疲れているんだろうし
 たまには大目に見てやるけど
 でも、あまり図に乗ると罰が当たるぞ』

トイレに行っている隙に
長女にソファを下剋上された私は
心の中でそう呟いた


「良し、今の内にトイレに行ってこよう。
 あっ、お父さん場所を取らないでね!」

テレビ番組がCMになった時
そう言うと勢いよくソファから飛び降りて
トイレに駆け込もうとした長女

その瞬間

「いてえー!!!」

長女が悲鳴を上げた

「ん? どうした?」

見ると長女はテレビの前に屈み込むと
両手の指で何やら足の親指を押さえていた

「いてて・・・」

どうやら
ソファから降りた瞬間に
座卓テーブルのごつい脚に
足の親指を痛打したらしい

「おいおい、大丈夫か?
 だけどさ~
 お前ね、仮にも高校3年生の女の子なんだから
 『いてー!!!』は無いだろ?
 もっと、女の子らしくだなぁ~」

それを遮って長女が言う

「そんな余裕無いから」

「に、してもだ。
 もうちょっと可愛く言えないのか?
 『キャー』とか『いや~』とかさ」

「そんなの気持ち悪いっしょ」

まっ、確かに

そもそも中学、高校と
バリバリ体育会系の長女に
おしとやかさを求める方が間違ってるってものか?


「姉ちゃん、大丈夫?」

ニコニコしながら次女が長女に近付いてきた

親のひいき目で見ても
どうも、心から心配をしている風でも無い

とすると
日頃の恨みを晴らすチャンスと思ったのか?


「お前、近寄るな!」

殺気を感じたのか長女が次女に身構えた
完璧な応戦体勢である

「何もしないよ」

「そうそう、仮にも姉ちゃんだもんな」

そう言って次女を見ると
次女は両手に持っていたぶ厚いマンガ本を小脇に抱え直して
くるりとテーブルの向こうに引き返して行った

『次女、お前・・・まさか・・・!?』



「そう言えばさ」

次女が言った

「足の親指もぶつけたら痛いけど
 ここもぶつけたら痛いよね?」

そう言って自分の脛(すね)を指差した

「あぁ、そうだな。
 脛は鍛えようが無いって言うからな」

「ここって何って言うんだっけ?
 何とかの泣き所・・・
 あっ、そうそう! 権兵衛?」

思わず『プッ!』と噴き出した私

「あれ? 違ったっけ?」

「姉ちゃんに訊いてみな」

笑いを堪えながら私は言った


「ねぇ、姉ちゃん。
 ここ何て言うんだっけ?」

「何よ? 私、痛いんだから、止めてよ」

長女は未だ屈みこんだまま
足の親指を押さえていた

「ねぇ、ここ何て言うんだっけ?」

と、次女はまた脛を指して訊いた

「お前、さっき言ってたじゃん。
 なら、分かってんじゃん」

「ホント? 合ってた?」

『おいおい、適当に言うなよ』

と、苦笑いの私

「権兵衛の泣き所で良いんだよね?」

「権兵衛??? 誰が?」

きょとんとする長女

「だから、足の脛だよ」

と、次女

「脛? 脛が何で権兵衛なの?」

「だから訊いてるんでしょ?」

「えー? 何か、違うくねぇ?」

「じゃ、何て言うんだっけ?」

と、私

「・・・・痛い」

慌てて、又足の親指を押さえる長女

「ねぇ? まさかとは思うけど?」

「・・・」

「おいおい、マジ知らない訳じゃないよね?
 高校3年生ちゃん?」

「あはは、何か聞いた事はあるんだけど・・・
 でも、権兵衛でも良くない?
 なんか、ごっつい大男って感じするじゃん?
 その大男の弱点なんだから間違って無いっしょ?」

「あのなぁ~ 確かに大男ではあるけどさ。
 でも、権兵衛って何だよ?」

「ドンベエよりは良くない?」

「何で、カップ麺になんだよ?
 あのさ、”弁慶”って聞いた事無いか?」

「弁慶?」

「そう、”弁慶”」

「それがどうしたの?」

「いや、どうしたのでなくってさ・・・
 あっ、何か・・・頭が痛くなってきたわ・・・」

「お父さん、何処かで頭を打った?」

「あぁ、権兵衛じゃないけど
 そんなお前らに脛をかじられているのかと思ったら
 お父さんは泣きたくなるわ」

「あっ、ほらっ!
 やっぱり、権兵衛で良いじゃん!
 泣き所でしょ?」


おいおい・・・

弁慶さん、こんな娘らで本当にごめんなさい!(泣)




類は類を呼んで仲間が集まる

居心地が悪い訳が無い

何と言ったって
集まっているのは”同類”なんだから


でも、居心地が良過ぎると
今度は逆に不安になったりもする

貧乏性なのか?
それとも、ただの天の邪鬼なのか?

ぬるま湯に浸かっている感じが
妙に心地悪かったりして・・・


「このままじゃダメだよなぁ~」

と、漠然とした自分へのダメ出し


でもね

それで、”類”が集まって
ただ慰め合ってるだけなら

『ぬるま湯に甘んじていてはダメだ!』

って、なるのかも知れないけど
仲間って
それだけじゃないよね?


それに

”類は類を呼んだ”
にしても

あくまで、個人は個人なんだから
それに甘んじるも甘んじないも自分次第

例え、同類だったとしても
集まる事で
お互いに刺激される事だってあるしね


例えば
外に”熱い湯”が有るなら
内の中にくらい
少し”ぬるま湯”が有ったって良いんだと思う

それは悪い事じゃない


そして

時々”冷湯”が有れば
”ぬるま湯”だって熱く感じる事も有る


熱いと感じたら
ちょっとだけ自分に気合を入れてみる

冷たいと感じたら
ちょっとだけ自分を叱咤してみる

それで良いんだよ、きっと



『なう』

ツイッターでは語尾に「なう」をつけて
現在進行形の出来事を伝えます

これは当然
英語の「NOW」から来ている訳ですが
それがいつからか
「なう」と、ひらがなで使う人が増えたようです

「NOW」とか「ナウ」よりは
「なう」の方が可愛いとか柔らかいから
と、言う説もありますが
何だか、「オタク的」な匂いもしますね


それはともかく
一般的な使い方だと

「カラオケボックス なう」

とか

「味噌ラーメン なう」

みたいな感じでしょうか


でも、やたらと使い過ぎると
中には「あれっ?」なんて使い方もあります

例えば

「会議中 なう」

これは「中」と「なう」がダブっている訳です
なので、本来は

「会議 なう」

と、しなければならない訳ですが
まぁ、気持ちは分かります

違和感は残りますが


後、良いんだか悪いんだか
まぁ~ 良いのか?
って、使い方の例としては

「4月 なう」

「今は4月」と言う意味なのでしょうが
1ヶ月間も使い続けられると言う
幅の広い「なう」です

でも、ツイッターの「なう」って
そんな意味だっけ?

と、思いながら苦笑したりして

まぁ、突っ込んでも仕方が無いのも
ツイッターではあるんでしょう



さて

我が家ではこの頃
この「なう」が妙な流行り方をしています


長女が夜、部活が終わると
最終バスにも間に合わないので
いつも「お迎えお願いメール」が入るのですが
それは、こんな風です

『練習終わりました なう
 お迎え、お願いします(笑顔の絵文字)』

すると私はこう返します

『了解。 これから向う なう』


メールだけではなくて
日常会話でもそれはあります

夜、テレビを観ていて
CMになると
次女がこう言います

「CMなのでトイレに行って来ます なう」

なんだそれ?
と、思いながら苦笑いの私


まぁ、そのくらいなら
未だ可愛い(?)のですが
時には
温厚な私でも、ついイラッとくる時があります

夜の11時を過ぎてると言うのに
ずっと携帯をいじっていて
一向に風呂に入ろうとしない長女

「おい、長女。
 そろそろ風呂に入れよ」

「ちょっと待って。 なう」

「おいおい、何が『なう』だよ?
 早く入れよ」

「ちょっと待って。 良いところだから なう」

「何が待ってだよ?
 ただ、携帯をいじってるだけじゃん!
 早く入れっての!」

そこへ次女が口を挟みます

「姉ちゃん、早く言う事を聞かないと
 お父さんが怒りだしそうだよ なう」

「あのなぁ~ とっくに怒っとるわい!
 いい加減にせいよ!!!(怒)」

「お父さんの雷 なう」

次女のひと言に、つい笑ってしまう私

ここで笑っちゃ親の威厳も形無しなんですけどね


まぁ
「なう」も使い方の機知によっては
場を和ます効果もあるって事でしょうか

これも時代なのかなぁ~


あっ、そうそう!

そんな我が家ですが
誰も実際にはツイッターをやった事はありません。。。



明日の自分に

今、何をやろうか
これからどうしようか

やるべき事はたくさんあるけど
一度に全部が出来るわけじゃないし
焦ったところで上手くいくわけでもない



今、何をやろうか
この先、何処へ行こうか

行き先よりも今、大事なものは
ただ一歩づつ もう一歩だけ
目の前の道を歩き出す勇気を持つ事



今、何をやろうか
これから何処へ行こうか

溜め息をついてるヒマはないけど
全速力で走らなければならない理由もない
休みながら 歩きながら 先に進めたら良い



夕焼けの空を見ながら今日の自分を考える

何かひとつでもちゃんと出来たかな?
どんな風に歩けたかな?
上手く笑えたかな?
誰かに優しく出来たかな?
自分を褒めてやれるかな?

明日の自分に自慢できるかな?




通り過ぎる季節の風が
春を運んで来る

君は元気かな?

信号待ちの交差点
バスの窓から見える人波
長い髪の後ろ姿
いつも何処かで君を捜してる



待ちくたびれた花の季節を
今年は独りで過ごす

君はどうしてる?

夕暮れに吹く風も
この頃は優しく思うけど
それが逆に辛くなる
優しかった君の匂いがする



河川敷の公園に
もうすぐ今年も桜は咲くだろう

君の好きだった桜の路
僕はまだ独りじゃ歩けない

いっそ嫌いになれたら良かった
いっそ嫌いだと言って欲しかった




君の気持ち 分かってるつもりで
多分、何も分かって無かった

君は泣いたよね?

少しぐらい強引に
君を抱きしめれば良かった
すれ違う優しさに
僕はただの意気地無しになってた



河川敷の公園に
もうすぐ今年も桜の季節が来る

切な色の風に乗って
君の好きだった桜の季節が来る

君は何処で見るんだろう?
落ちていく花びらに今年も涙するのかな?


君の好きだった桜の季節が来る
君が好きだった桜の季節 もうすぐ

君の好きだった桜の季節が来る
嫌いになれるはずもない 今も



出会いと別れ

様々な出会いと別れを繰り返して今に至る


50代も中盤にさしかかってきている今にして思えば
中には
憂鬱な出会い
せいせいした別れも無かった訳ではないが
時に
今でも胸に重くのしかかっている別れもあった


切ない別れ
悲しい別れ
苦しい別れ
辛い別れ


望むと望まないに関わらず
人生の渦に巻き込まれて生きて来た

そして、そこには様々な別れがあった

後悔もした


ただ、救いがひとつだけ有るとしたら
それは

「別れの数は決して出会いの数以上にはならない」

と、言う事だろう


出会いの数だけ別れは有ると言うが
逆に言えば
別れの数は出会いの数よりは
決して多くはならないと言う事なのだ

どんなに悲しく、苦しく、辛い別れを重ねても
少なくとも
それ以上に多くの出会いをしているものなのだ



「人生はとどのつまり、足して引いてトントン」

と、言うけれど

今、生きていると言う事は
その時点では出会いの数の方が多い事になる

そう思えば、
どんな別れがあったとしても
少しは前向きになれるではないか

例え、それが気休めだとしても
そう思えたら、少しは希望が沸いてくる



良く晴れた薄水の空を流れる白い雲は

早送りのようにその姿を変えてゆく




風は唸りを上げて

何度も何度も木立ちの間を駆け抜けていく

右に左に縦横無尽に駆ける様は

風小僧の悪戯よりも激しい




疾風の中をトンビも低く舞う

荒波に立ち向かうサーファーのように

その強い風を楽しんでいるのか?

それとももがいているのか?




大木の陰に

身を潜めるかのように咲いている小さなタンポポは

風に他向かう事もせず

逆らう事も良しとはせずに

ただ在るがままにその花を揺らしている




それも、これも

もうひとつの春の風景



4月2日より
私のブログ「夢の汽車に乗って」の
サーバー(FC2BLOGサーバー)トラブルにより
皆さんからいただいていたコメントが
表示されない状態が続いています

FC2管理者さんでは
現在も復旧の努力をされているようですが
バックアップからの復旧と言う事で
場合によっては
完全に復旧が出来ない場合もあるようです

もう少し様子を見てみようとは思っていますが

せっかくコメントを入れていただいたみなさんには
大変申し訳なく思っています

お詫び申し上げます m(_ _)m



ブログサーバーが完全復旧される事を祈りつつ・・・


            夢乃咲道


春の入り口

春を待つ季節も過ぎて
ようやく陽射しも風も春めいてきた

まだ、昼間の数時間ではあろうが
上着を脱いで歩いてみたくなる


休日の公園では
子供を連れたお母さんや
散歩をする老夫婦も多く見かけるようになってきた

陽当りの良いベンチで休んでいる人もいる

お父さんと来て自転車の練習をしている子もいる

犬を連れて散歩をする人も
冬場よりは増えたような気がする

最近では
犬に服を着せて散歩をしている人も珍しくはないが
その犬が着ている服も
春色の服に模様変えをしているのを見て

思わず自分の服を見た

「俺はまだ冬の格好?」

なんとも複雑な気分になったりして・・・


まだ枯れたままの芝を見ると
小さなタンポポがひとつ咲いていた

公園の花壇では
白と黄色のクロッカスの花が蕾を開きかけている


公園の奥の林の中に入っていくと
聴こえてくる鳥の鳴き声も増えてきたようだ

木の枝の
その芽はまだ硬いけど
確かに少しづつ大きくなってきている

エゾリスも盛んに
木から木へと忙しそうに走り周っている

一匹が木に駆け上ったかと思ったら
あっと言う間に
隣りの木の枝に飛び移った

物凄い速さである

足を止め
下からその様子を見上げていたら何だか楽しくなった


桜の季節まではまだ1ケ月くらいはあるが
北国の春はこれからが本番

1日、1日が希望で膨らんでいく


桜の頃

その時にはライトアップされた桜を眺めながらの
夜の散歩もきっと良いだろうなぁ~



春の入り口を入りかけたこの時期が
もしかしたら1年で一番
明日を待つのが楽しみな時期かもしれないね




未来の想い出

夢や希望を持って生きていけたら
いつか未来も想い出に変わる


想い出はいつも
良い想い出ばかりではないけど
それも又、生きて来た証になっていく




未来を想い出に変える事が出来たら
良い人生だったと思って良い


想い出話しを
笑って話せるようになれたら
悪い想い出も懐かしい想い出に変わる




夢や希望を持って生きていけたら
いつか未来も想い出に変わる


想い出はいつでも
生きる人の心の支えになる
あの日、あの時、そう笑える明日にしたい




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