Neko

夢の汽車に乗って 2011年02月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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テンプレート

愛し方にも
それぞれが感じる幸せにも
決まったテンプレートがある訳じゃない

どれが良いとか悪いとか
他人が決める事でもない


マニュアルは、そう
もしかしたらあるかも知れないけど
それは
心構えの事であって
形を決めるものじゃない

いや、そもそも
愛や幸せに形を求める方がどうかしている


愛や幸せって形が無いものだから
時々、収まりがつかなくなって
崩れてしまう事もある

だからって
無理にテンプレートに合わせてみたって
それを愛とか幸せって呼べるだろうか?


誰かの愛で作ったテンプレートや
誰かの幸せで作ったテンプレートが
自分の愛や幸せには成り得ない事

知っているよね?



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もし・・・

もし、心がスポンジで出来ていたら
どんな悩みや悲しみも吸収してしまえるだろうか?

そして、やがては
何事も無かったかのように
平然とした顔で生きて行けるだろうか?




もし、心が鏡で出来ていたら
どんな悩みも悲しみも跳ね返してしまえるだろうか?

何もかもを
受け止める事もせずに
知らない振りをして生きて行けるだろうか?




もし、心がふたつ在ったとしたら
どんな悩みや悲しみも半分にしてしまえるだろうか?

もしも何か
重た過ぎる荷物を背負っても
半分なら少し笑うくらいの余裕は出来るだろうか?







もし・・・


人生に「もし」は無い


目の前に横たわる”モノ”に
「もし」と言ったところで
それが消えてしまう事は無い


でも

その「もし」が希望だとするなら
それが在る事で
人はそこを乗り越える力に出来るかも知れない




キャンバス

心の中のキャンバスは
無限に思えるくらい広いけど
現実の中で
自分が描けるものはと言えば
小さなキャンバスの
ホンの片隅があれば済む程度


そんなものです


心の中では簡単に出来る事が
どうして
現実の中では思うように出来ないのでしょうか?


「そりゃ、当たり前だよ。
 現実なんてね、そんな甘いもんじゃない。
 夢を見るような訳にはいかないものさ」

「でも、心の中に描けないものが
 現実に描ける訳がないよね?」

「そりゃ、まぁね」

「だったら、
 例え、心の中ででも描き続けていれば
 いつかは現実にする事が出来るって事だよね?」

「あぁ、”いつか”な」

「うん、確かに簡単な事じゃない。
 それはボクもそう思うよ。
 でも、
 例え、完成するのが”いつか”だったとしても
 可能性が僅かでもあるんだったら
 諦める事は無いよね」



そうやって

ひと筆、ひと筆
描き足していけたら
いつか
キャンバスいっぱいの絵になるでしょうか?


「うん、上手いか下手かは別だけど(笑)
 でも、きっと大きな絵になるよ!」




思うんだけど・・・


こいつらを見ていると

”飼ってもらってる”

だとか

ましてや

”飼われている”

なんて事は

絶対、思ってないんだろうなって思う


2hiki.jpg



『居てやってんだよぉ』 by Dayan (右)

『どうでも良いけど、眠い・・・』 by Luck (左)





そう言えば今日は猫の日です

2月22日・・・ ニャンニャンニャン(=^o^=)




青春



”青春とは人生のある期間を言うのではなく
 心の様相を言うのだ”

   詩人:サミュエル・ウルマン
        「青春の詩」序文より




『青春』

”青い”と言う言葉は
しばしば”未熟さ”の代名詞として用いられる

”未熟”と言うと
あまり良い意味には使われないが
しかし
それは可能性を秘めていると言う事でもある

そして
未熟さ故の純粋さも又
本当はとても尊い物なのだ

それが
趣味でも、習い事でも、勉強でも
もちろん、それが仕事だとしても
そして、生き方や
例えば
人を愛すると言う事においても

損得や打算を抜きに
純粋に打ち込めると言う事
純粋に成し得ようとする事
純粋に物事にのめり込む事でさえも

それらの行動を以って
それが”青春”だとするなら
過去にだけではなくて
今も
そして未来にも”青春”は存在をする

そんな心の持ち方を
大切にする気持ちがひとつ有るだけで
年齢には関係なく
人生には必ず未来が拓けていくのだと思う




春よ恋

粉雪の降り始めた季節に
あなたと出会った

寒さに凍えながら
二人で温め育てた蕾

春になったら咲くだろうか

春よ恋  はやく恋



日めくりを一枚めくるたびに
思い出が増えていく

暖かな陽射しが
蕾を膨らませるように

あなたの優しさが沁みてくる

春よ恋  はやく恋



陽だまりで遊ぶ小鳥達を
嬉しそうに見ていたね

そんなあなたをボクは
見てるのが好きだった

雪解け水も温む頃

春よ恋  はやく恋 



いつか桜の季節になったら
二人で出掛けよう

薄水の空に舞う
桜の花弁を追いかけて

風になれたら素敵だね

春よ恋  はやく恋







暦の上では

節分が我が家でもしめやかに執り行われ
(チョコ撒きがでしたが、何か?(笑))
立春も過ぎて
あれから早、2週間

暦の上ではもう春なんだとか


で・・・
それは何処の国の話なんでしょ?


今日は珍しく暖かかったけど
それでも未だ
週間天気予報を見ても
氷点下の日が続く我が十勝国には
「そんなの関係ねぇ?!」
って感じですが・・・

ん・・・?
もう古いですか?

かなり?(笑)


ともあれ
東京でも雪が降ったくらいですから
ましてやここは北海道

しかも
まだ2月なんですから
そりゃ、どう考えても真冬です


昼間はそれでも
0℃近くまで気温も上がると
何だか陽射しも暖かく感じて
「あぁ、もう春は近いかなぁ?」
なんて思ってしまいますが
夜になると
それは気の迷いだった事を痛感します

「やっぱ、冬は冬眠したいよなぁ?」
と、
いつも冬になると
冬眠をする熊が羨ましく思う熊体形の私です


「あぁ?あ・・・」と
いつものため息ひとつ

北国の春は
まだまだ、ずぅ?????っと先のようです

半分ボヤキながら
昔懐かしい歌が口をついていました




       By YOU TUBE
    

    君が涙ポツンと落とした日 街では
    もう春のセーターが店先に並んでた
    街はまだ冬の名残り 風は冷たい
    君が窓開けて僕を呼べば
    やっぱり振り向いてしまう
    君の涙が雪に変わって 僕の肩に落ちた

      ?中略?

    暦の上ではもう春なのに
    まだまだ寒い日が続く

          風 「暦の上では」
            詩:伊勢 正三



もしもあなたに

もしもあなたに
言葉をひとつ届けられるとしたら
どんな言葉を届けよう

気の利いた言葉
あなたを笑顔にする魔法の言葉とか
届けられたら良いのだけど

あなたを前にすると
言葉はいつもため息に変わってしまう
何も言えなくて



もしもあなたに
言葉をひとつ届けられるとしたら
どんな言葉を届けよう

どんな言葉でも
きっと自分を飾る事は出来ない
だけど、そうしたくもない

あれこれ悩んでも
ありふれた言葉しか浮かばないけど
何処にでもある言葉だけど



もしもあなたに
言葉をひとつ届けられるとしたら
どんな言葉を届けよう


ありふれた言葉だけど
心いっぱいの気持ちを込めて 今

”愛しています”






メロディ

食事の支度をしながら
キミはいつも歌っていたね

適当に即興で歌っていたのか
歌う度に歌詞が違ってたけど
メロディはいつも同じだった

「それ、何の歌?」

そう訊くボクに
キミは笑うだけで答えてくれなかったね

掃除機をかけながら
洗濯物を丁寧にたたみながら
車の助手席で
窓の外を流れる景色を見ながら
いつもキミは同じメロディを口ずさんでいた

何処かで聴いた事があるような無いような
でも
不思議と懐かしい気持ちになったよ

何だか
ボクまで優しくなれるような
そんな温かな懐かしさを感じていたんだ

いつの間にかボクも
そのメロディを
知らない内に口ずさむようになっていた



もう10年になるだろうか

あれからボクは
鼻歌も歌わない人と結婚をして
先月3歳になったばかりの娘もいる


「ねぇ、パパ?
 その歌、何て言う歌なの?」

娘にそう訊かれて気がついた

ボクは未だにあのメロディを口ずさんでいる

「あぁ、これ?
 何だっけなぁ? ずいぶん、”昔の歌”なんだけど
 何の歌だか忘れちゃったよ」

「そうなの?
 なら、ママに訊いてみたら?」

「いや、きっとママも知らない歌だよ」



そして
もうひとつ気がついた事がある

あのメロディを口ずさんでいる時
ボクはとても穏やかな気持ちになっていた事に

ともすれば
”現実”の中では
ちょっとしたケンカもあるし
ガマンをしたり
思うようにならない事もある

それは仕方の無い事だと思いながらも
心の何処かで
そんな自分が嫌になっていたりする

「なんかもう、どうでも良いかなぁ?」

そんな時
独り言のように口をつくメロディ

今でも
ずいぶん、キミに助けられていたんだね

10年前の後悔がまた蘇る



もし、あの時
ボクがもう少し大人だったら
キミを失くさないで済んだだろうか?

もし、あの時
ボクがキミの気持ちのほんの一欠片でも
思いやってあげる事が出来ていたら
キミを悲しませないで済んだだろうか?

若気の至りだったと何度も自分に弁解をした

それを若さのせいにして
ボクは自分と向き合ってこなかった

でも
それじゃダメなんだよね?

何年も経ってしまったけど
それに気がつかせてくれたのもキミだったよ

それからボクは
少しづつだけど変われたような気がする


あの時
キミの口ずさんだメロディに懐かしさを感じたのも
こうして今でも穏やかな気持ちになれるのも

きっと

あのメロディが
キミそのものだったからなのかも知れないね


ありがとう

ボクの一番好きだったメロディ



月下美人

蒼い月明かりの下
素肌と素肌を擦り合わせ
一夜の花を咲かせましょう

月下美人の花言葉
そのまま私の心です


出会った時がただ
早いか遅いかだけで何故
人目を憚る(はばかる)恋と言われるのでしょう

貴方を愛するこの気持ち
私の真(まこと)と決めました


儚い夢でも
見られるのなら幸せです
貴方の腕の中
ゆらり揺られて夢を見る
例え、一夜で散る夢でも
例えば、明日は咲けなくても




もしも誰かに訊かれたら
行きずりの恋だと言うのでしょうか
それともただの遊びでしょうか

貴方の肩越し 窓の外
誘う(いざなう)月は十三夜


月下美人の咲く夜に
出会った愛は報われないと
知っていました 初めから

それでも愛が欲しかった
嘘でも夢でも欠片でも


見果てぬ夢なら
醒めずに済むでしょうか
望めぬ愛なら
終わる哀しみも無いのでしょうか
例え、一夜で散る夢でも
それでも、見たい夢もある




立春を過ぎたとは言え
北海道はまだまだ真冬日が続いています

おりしも
オホーツク沿岸には流氷が来ていて
そして
札幌を始め各地では冬祭りの真っ最中

”まだ”と言うよりも
今がまさにシバレのピークです


こんな季節は朝起きが辛い

決して
早起きな訳ではないし

何より

確かに
夜更かしをする自分が悪いのではあるが・・・



布団に入って目覚ましをセット

『そろそろ寝るか。
 さて、今夜はどんな夢をみようか』

と、思った瞬間・・・秒殺で爆睡

『ムニャムニャ・・・』

しかし
それがどんな夢かを記憶をする間もなく

朝、決まって定時に鳴る
律儀な目覚ましのベルに現実に引き戻される

眠たさと後悔

『あぁ、もう朝?
 眠い・・・ あぁ・・・でも、起きなきゃ・・・』

そう思いながら
5分後に再び鳴るであろう
目覚ましの律儀さに託して目を閉じる

きっちり5分

私の目覚ましはなんて律儀な奴なんだろう

まぁ、律儀なのは良い
ズボラな目覚ましじゃ困るんだから

でも
少しくらいは融通をつけてくれても良いんじゃないか?

心の中でそうぼやきながら
ぼんやりと時計の針を見る

『どうする?』

そんな声にはお構いなしに
自分の任務に
ストイックなほど忠実で律儀な目覚ましは
ひたすら「起きろ!」とベルを鳴らし続ける

『分かった、分かった。
 分かったから意地悪は止めてくれ。
 ちゃんと起きるから』

と、目覚ましを油断させて
その隙に

『さよなら、目覚まし君・・・』


また、目覚ましを止める


再び5分

『分かったよ?分かりましたです! はいはい・・・』

いくら律儀な目覚まし君とは言え
これ以上起きなきゃ
さすがに怒ってもう起こしてくれなくなる?

そんな妙な強迫観念にかられて渋々、起き上がる

『今夜こそ早く寝よう。そうだ、そうしよう!』

自分にそう言い聞かせる
呪文のように何度も、何度も


しかし、喉元過ぎれば何とやら!?

夜になると元気になるのだからしょうがない

かくして、夜更かしは今夜も続く

明日の朝になれば
また後悔をするのは分かってはいるのだが
短い一生だと思えば
簡単に寝てしまうのはもったいない


結局、季節や何かには関係なく
年がら年中
後悔と葛藤の朝は続く


”孟浩然”曰く

春眠 暁を覚えず
処処 啼鳥を聞く
夜来 風雨の声
花落つること 知るやいくばく

(夜が明けたことも知らずに眠っていた。
 気が付けば鳥が鳴いている。
 夕べは風雨が強かったので
 花は散ってしまったかも知れない)


春眠ね?

まさしく!

北海道には
まだちょいと早いけど
なんせ私は季節に関係なくって人ですから

さしずめ季節が巡るのに合わせて

春眠暁を覚えず
夏眠暁を覚えず
秋眠暁を覚えず
冬眠暁を覚えず

なぁ?んてね!


ん?

冬眠???

そうだ!

冬眠したいなぁ?


寒くなってきたら冬眠してさ
でもって
目が覚めたら春って良くない?

良いよね??

うん、絶対良いよ!


少しくらい寝過ごしたって
「春眠暁を覚えず」と言えるのだから・・・



先日、JUJUの歌を聴いていたら
娘に「お父さん、若いね」って言われた

バカヤロー!

今頃気が付いたのか?
お父さんはず???っと若いんです!!!


確かに、JUJUだけじゃなくても
最近の歌でも良いなと思うのはたくさんある

毎日の通勤時に
携帯プレイヤーで聴いているのは
昔の歌も入れてあるけど最近の歌の方が多い

じゃ、全部歌えるか?
と、言われたら
最近の歌はきっと歌えないかなぁ?

でも
昔、好きだった歌って
何十年経った今でも
けっこう口ずさめる歌って多いよね



私達の世代にとって
大石吾郎はと言えば役者ではなく
「コッキーポップ」のDJ

『黙っていては友達になれない。
 叫ばなければ消え去ってしまう。
 私たちが生まれてきた時から
 育ててきた何かを伝え合うために
 ちぎれかけた世界の心と心を繋ぎあうために
 私たちの歌が今ここにある』

彼の
そんなナレーションで始まるラジオ番組は
当時中学生だった私を夢中にした


1970年代前半から
1980年にかけての頃だったと思う

「ヤマハ ポピュラーソングコンテスト」

そこに応募された歌が
深夜のラジオから毎夜のように流れていた

「キラ星の如く」
まさにそんな言葉がふさわしいくらいに
多くのミュージシャンがそこから育っていった

今でも活躍をしている人だけでも
中島みゆき、チャゲ&飛鳥、長渕剛、
世良公良、円広志、因幡晃、佐々木幸男・・・

それだけではなく
有名、無名、一発屋に関わらず
たくさんの歌達が想い出に残っている

数年前に
天野滋が亡くなった報に触れて
ショックをうけたN・S・Pの
「さよなら」は
今でも雪が降り始める季節になると口ずさんでしまう

丁度
ギターを弾き始めた頃で
3つのコードで弾けたこの歌はお気に入りの1曲だった

浜田良美の「友達でよかったのに」

『ずっと、ずっと友達でよかったのに
 愛してるなんて言わなかったじゃないか』

当時
片思いまっしぐらの私には最も泣ける歌だった

数年前
オムニバスのCDの中に見つけて
今でも時々聴いているのは
もとまろの「サルビアの花」

今だったら「ストーカーか?」
と、言う内容の歌詞だけど
当時は未だ
ストーカーなんて言葉が無かったから
切ない男心(?)がとても好きだったんだよね?

柴田まゆみの「白いページの中に」は
一時期コッキーポップの主題歌にも使われていた歌

主題歌になった歌もたくさんあったけど
僕にはこれが一番

変なタイトルだなって思ったけど
聴いてくうちに好きになったのは
ウイッシュの「御案内」

『今日、お葬式をします
 私の恋が終わったのです』

で、始まる歌だったけど
これもギターで良く弾いていた

そうそう!
「六月の子守唄」も心に響いたっけ


この他にも
明日香の「花ぬすびと」や
歌手は忘れたけど「白いチューリップ」の歌

ベルの「コーヒー一杯のしあわせ」だとか

書いてると
何処まで書いても終わりそうも無いなぁ?

そう言えば
風コーラス団っていたっけ
あみん(岡村孝子)もそうだったよな
そうそう!
「待つわ」ね

小坂明子の「あなた」も流行ったっけ
それに・・・そう!
高木麻早に下成佐登子に
雅夢に小坂恭子もいた

独特の世界を持っていた谷山浩子

八神純子や渡辺真知子は今どうしてる?
とか
ひとつ思い出すと次から次と
洪水のように思い出が溢れて出してくる

確かに
懐かしさもあるんだろうけど
あの頃の歌って
今、聴いてもけっこう新鮮に聴けるんだよね

そして
ほとんどの歌は口ずさめる

(決して、歌が上手いって意味では無い!?)


「YOU TUBE」で探すと
けっこうポプコンの歌って出て来ます

1曲聴きながら
また、次を探して
また、聴いては次を探す

その時
私の心はあの頃に戻っています

切なかった片思い

進路に悩んでいたあの頃

深夜放送を聴きながら勉強・・・
は、大してしてなかったけど
リスナーの投稿に
頷いたり、怒ったり、泣いたり
時にはドキドキしたり

友達とギターを弾いて一緒に歌った曲

自分でも歌を作り始めたのも
あの頃だった


中学から高校にかけてのあの時代

私の青春の第一章はまさに
「コッキーポップ」と共に過ごした時代だった



夢乃家節分事情

ここ数年
我が家の年中行事の様相が変わって来ている


例えば、クリスマス
我が家ではここ数年
クリスマスツリーを飾っていない

もちろん
ツリーが無い訳では無い

自慢じゃないが
長女が生まれた年に
奮発をして
180cmのツリーを買ったのだ

オーナメントも毎年買い足しては
ずっと飾っていた

しかし
或る年の12月初め

私「そろそろツリーを飾らないとなぁ?」
妻「・・・」
娘「ホント? いつ飾るの? 私も手伝う!」
私「じゃ、土曜日にでも飾るか?」
妻「今年は飾りません!」
娘「えっ? なんで?」
妻「飾るのはいつもあんた達が大騒ぎしてやるけど
  片付けるのはいつも私じゃない!
  冗談じゃないわ!」
私「だって、いつも次の日会社から戻ったら
  もう片付け終わってるじゃん。
  それなら、今年は帰ってから俺がやるよ」
妻「嫌です!」
娘「えー! お母さんひどい!!!」

結局
その年から我が家のクリスマスツリーは
物置の奥から出た事は無い

だが
いつまでもそれでは娘達が可哀想だと
その翌年の12月

私「今年はツリーを飾ってやらないとな。
  娘達も大きくなったし
  もう後、何年一緒に
  クリスマスを過ごせるか分からないしさ」
妻「ダメ! ダヤンとラックがいるんだよ。
  ツリーなんて飾ったら
  それこそ全部
  ダヤン達のおもちゃになっちゃうでしょ?
  絶対、壊されちゃうんだからダメ!」

そうは言っても
猫はジャレるのが仕事だし

でも、確かに
そう言われたら反論も出来ない

別に
ダヤンがジャレようと
ラックがツリーに飛びかかろうと
それはそれで可愛いから良いじゃんと言うのは
妻には通用しないのは分かっていたので
その話はそれで終わった

しかし
その理屈で言えば
雛人形も飾れないだろうな・・・

と、心の中でそう思った

その時
妻の「もちろん」と言う声が背中から聞こえてきた

ゲッ!?
読まれてる?



で、それから2年

今日は節分である

  節分・・・せつぶん・・・

この言葉の響きを聞く度に
頬が赤くなるのは私だけだろうか?

(意味が分からない人は
 気にせずスルーしてくださいませ)


晩御飯を食べていると娘が言った

娘「ねぇ? いつ豆撒きするの?」
私「そうだな、食べ終わったらだな」
妻「・・・」
私「ん? 何?」
妻「・・・豆、買って無い・・・」
私「えっ? マジ???」
娘「嘘? やらないの?」
妻「だって、買ってくるの忘れたもの」

平然と食事を続けながら妻が言った

娘「ひど?い! 豆撒きしないと鬼が来るよ!」
私「豆撒きしなくても鬼は家にいるけどな(ぼそっ)」
娘「えっ?」
私「いや、別に」
娘「でも、縁起物なんでしょ?
  やらないと家が大変な事になるよ!」
妻「さっき、恵方巻きを食べたでしょ?
  恵方巻きが豆撒きかどっちかやれば良いって
  今朝、テレビでやってたよ」
私「そう言う問題か?」
娘「ダメだよ! やらないと」
妻「だって、豆を買ってないんだもの。
  仕方ないっしょ」

こう言う時の妻の開き直りは超一級品である

娘「ひど???い!」
妻「何言ってるのよ!
  部屋の中で豆なんか撒いたら
  ダヤンとラックがジャレ回って
  絶対片付かなくなるんだからダメ!
  それに
  ダヤン達が間違って食べたらどうするのよ?」
娘「私がちゃんと片付けるからしようよ」
妻「そんな事を言って、いつもしないでしょ?」
娘「する!」
妻「しません!」
娘「する!」
妻「しません!」
娘「するの!」
妻「しません!」

こんな時の強情の張り合いは
さすがは血を分けた母娘である


結局
強情勝負は娘の泣き勝ちで
私と妻で近所のスーパーに豆を買いに行く事にした

だが、夜の8時半
スーパーの節分コーナーに既に豆は無く

つまみコーナーにも行ってみたが
落花生はもちろん
でんろく豆やうぐいす豆すら
棚には欠片も残ってはいなかった

私「あっ、これは?」
妻「いくらなんでも柿ピーはないんじゃない?」
私「だよな?
  でも、まさかコーヒー豆って訳にもいかんしな」
妻「当たり前でしょ。バカじゃないの?
  あなた、コーヒー豆を撒いた後で食べる?」

おいおい、いったい誰のせいで
こんな時間に豆を買いに来てるんだ?

そう言おうとしたら
妻は既に10m前方を歩いていた


半分諦めながらも
つまみコーナーからお菓子コーナーへと足を進める

ふと、ひとつの棚の前で足が止まった

1粒づつ包装されている
これなら撒いても汚れないし
猫も簡単には食べられないだろう

何より、確かに豆だ!


私「これにするか?」

家に帰ると待ち構えていた娘達と
早速、豆撒きをした

2階の寝室、子供部屋で撒いてから
階段を降りながら撒く
続いて1階は奥の和室から・・・


「鬼は?外! 福は?内!」

鬼に向かって投げたのは
1粒づつ包装されているアーモンドチョコレートだった





幸せ

幸せが不幸の裏返しだとしたら
不幸を知らないと
人間は幸せにはなれないのだろうか?


不幸が幸せの裏返しだとするなら
幸せを知っているほど
不幸は大きくなってしまうんだろうか?



メーテルリンクの「青い鳥」の物語のように
幸せがごく身近にあるものだとしたら
多くの人は何故それに気付かないのだろう?



欲望は限り無いものだけれど
身近にある
ささやかな幸せを素直に喜ぶ事が出来たら
人間はもっと幸せになれるんだろう


そして
身近にある小さな幸せを恩柔に感じられる人なら
どんな大きな不幸も
些細な波風程度にしか感じないで済むのだろう



長女の初体験!?

長女17歳(高校2年生)
そろそろお年頃???

・・・なんて話しはともかく

娘の初体験の話なんてのは
親にとっては
(特に父親としては)
聞きたく無い話の「ベスト1」なんですが
耳にしてしまった以上は
詳しく聞きたくなるのが親の人情ってものです

ただ
娘が正直に話してくれるか?

そこが問題なんですが・・・




「で・・・どうだったのよ?」

「何が?」

「お前、初めてだったんだろ?」

「止めてよ、恥ずかしい!」

「いや、だけどさ、気になるじゃん」

「言いたくない!」

「いや、そりゃね
 お前の気持ちも分からない訳では無いけどさ。
 でも、自分の時を考えるとさ
 上手く出来たのか心配になるんだよ」

「大きなお世話だよ、そんなの!
 お父さんだって
 そんな話を
 おじいちゃんやおばあちゃんにわざわざした?」

「まぁ、そりゃね」

「でしょ?」

「まぁね、でも気になるじゃん?」

「そんなのお父さんの勝手だよ」

「いや、そうだけどさ?
 でも、親としての責任って言うかさ」

「知らないよ、そんなの」

「うん、それも分かる。
 分かるんだけどさぁ?
 でも、ちょっとだけでも教えてくれよ。
 初めての時って、どうだったのよ?」

「そりゃ・・・恐かったよ」

「だよなぁ? それで?
 上手く出来たのか?」

「上手くって言うか
 正直・・・ね・・・」

「うん」

「正直、無我夢中で良く分からなかったんだよね。
 10分か15分くらい・・上りつめたんだけどさ。
 そこまでは良かったんだ」

「うん、それで?」

「最初は『足をもっと開け』とか
 『身体を斜めにして』って言われたんだけど
 初めてだったから
 そんなに上手く出来なくてさ」

「まぁ、初めてだしな。
 第一、恐いよな?」

「うん、マジ恐かった」

「までも、慣れれば
 だんだん快感になるんだけどな」

「そうなの?
 上手く出来たら気持ち良いの?」

「あぁ、そりゃ気持ち良いさ。
 で、穴は?
 いきなり穴を開けたんじゃないよな?」

「開けちゃったよ。
 だって、初めてなんだもの、仕方ないじゃん」

「やっぱり、やっちゃったんだ?
 痛く無かったか?」

「ちょっと痛かった・・・
 って、言うか
 なんか恥ずかしくてさ」

「そうだね」

「うん、後は何だか
 訳が分からないうちに
 アッと言う間に終わった感じ」

「そっかぁ?」

「でも、何回かやってたら少し上手くなったよ」

「そんなに何回もやったのか?」

「そりゃ、だって
 やりに行ったんだもの」

「だけど、初めてで何回もったら
 さすがに疲れただろ?」

「全然!
 こう見えても
 普段、テニス部で鍛えてるからね!
 体力だけは自信あるし」

「なるほど、若いって良いなぁ?
 お父さんだったら
 一回やったら、即しばらく休憩が必要かも」

「年寄りは無理をしない方が良いよ」

「こらっ! 誰がお兄さんやねん?」

「そんな事、言ってないし。
 あ? とうとう耳も老化だね!」

「うるさいわい!」

「自分でボケたんじゃん?」

「そうだっけ?」

「それ、もう忘れてたら
 本当にヤバいよ」

「んな訳あるかよ!
 で?
 そしたら、最初にしては結構良かったんだ?」

「うん、楽しかったよ。
 落ちていく感じも嫌いじゃないしさ。
 ジェットコースターとか好きだし。
 でも・・・」

「でも?」

「うん、でもね。
 私、足を開いてかなりビビってたからさ。
 他の人に見られてるのが恥ずかしかったよ」

「他の人って、そんなにたくさんとやったのか?」

「そりゃそうでしょ。
 スキー授業なんだから」




         ((((((^_^;) アハハ、ハハ






【 夢乃解説(弁明?) 】

雪国北海道とは言え、
雪の少ない十勝はスケート王国。
幼稚園から中学校までは
冬の体育と言えばスケート授業で
娘は高校2年生にしてスキー初体験だったのです。




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