Neko

夢の汽車に乗って 2008年04月

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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飛び石連休

ゴールデンウイーク
世間では11連休の人もいるのだとか

全く羨ましい話ではあるが
でも、もし私が11連休だと
逆に時間を持て余しちゃうかな

やりたい事は無い訳ではないんだけど
うちの奴は仕事だし
娘らは普段通り学校があるから
また、うちの奴に
「無駄な連休だ」って
言われるのがオチでしょう(苦笑)

それにしても
月曜日出社して
火曜日は休み
また、水曜、木曜と出社したら
金曜日からは5連休

こんな風に
会社に出たり休んだりだと
仕事をしても
なかなか仕事用のエンジンは
フルスロットルには成りづらいですね

まぁ、言い訳ですが(苦笑)

でも、30日は月末
休む訳にはいかないんだよね?


そんな中
昨日辺りから
ようやく帯広市内でも
チラチラと桜が咲き始めました

開花宣言が出ているのかどうかは
分かりませんが
咲き始めると早いですよね

ピークは今週末辺りかな

例年だと
桜の開花はゴールデンウイークが明けてからなので
今年は随分早いです

昨日配布された無料の地元情報誌に
イベントガイドが載っていたのですが・・・

帯広の桜祭りの予定は5月11日

十勝でも有名な桜の名所のひとつ
音更のすずらん公園の夜桜のライトアップは
5月8日から、確か11日までとなっていました

例年なら桜も身頃な時期なんですが
今年はどう考えても
その頃にはもう散っているでしょう

特に夜桜のライトアップなんか
桜の散った後に葉だけライトアップをしてもね?

どうするんでしょ???

急遽予定を早めるのかなぁ?
それとも開き直って予定通りしちゃうのかな?
或いは中止?

因みに、町内会の観桜会も5月11日

まっ、これはね
桜が咲いてても咲いてなくても
ジンギスカンを食べれて
酒が飲めたらそれで良いって人ばかり集まるんだから
どっちでも良いのだろうけどね(笑)
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誰かに届け!

「さっきから何を考えてる? 悩み事?」

「別に・・・」

「そう? なら良いけど」

「どうって事無いよ」

「何が?」

「大した事じゃないんだ」

「だから、何を悩んでるのさ?」

「悩み? 悩んでる訳じゃないさ。 ただ・・・ちょっとね・・・」

「ちょっと?」

「あぁ、考え事・・・」

「で?」

「大した事じゃないよ」

「何だよ、話しちゃえよ。 楽になるぜ」

「おいおい、取り調べか?」

「あぁそうだよ。 お前の心の中をな」

「おせっかいな奴だな」

「そうさ。 今頃分かったのかい?
 もう何十年も付き合ってるってのに」

「そうだな? 考えたら長いよな」

「長いね?」

「長いか?」

「長いさ。 だってお前は俺だもの」



何か悩み事とか心配事が起きたら
自分の心にだけ閉まっておかないで誰かに話せば良い

小さなうちに話すのがコツさ
例え、その相手が自分自身でも構わない

口に出して言う事が大切なんだ
心から吐き出す事が何より大事な事なんだ


一度、心から解放された言葉は
無限の風に乗って君のその手を離れていく

そうしたら
少しは楽になるよ・・・

ダヤンのおしごと

決して
カバンに入って遊んでいるんじゃないよ

カバンに隠れて
姉ちゃん達が悪い事をしないか
見張っているんだ!


okiniiri-1.jpg



あっ!
姉ちゃん、こそこそ何やってるの?

お父さん、大丈夫だよ
ボクがちゃんと目を光らせてるから!


okiniiri-3.jpg



お母さん
お風呂のお湯はまだ大丈夫だよ
ボクがちゃんと見てるから!


okiniiri-5.jpg



今日もいっぱい働いて疲れたにゃあ?


okiniiri-6.jpg



ボク、偉いでしょ?
寝る時はちゃんと自分の毛布は
自分で持っていくよ(=`^´=)エッヘン


okiniiri-4.jpg



あれっ?
ちっちゃい姉ちゃんは未だ寝ないの?
なら、ボクもここで良いや♪


okiniiri-2.jpg




*旧ジオログで掲載したダヤンの写真を再アップしました

春の水色の空

春の空が好きだ


くすんだ針葉樹の緑と
ようやく蕾をつけた広葉樹の落とす影

そんな地上から見上げる薄水色の空が好きだ


夏のギラついた碧では無く
秋の物憂げな蒼でも無く
冬の沈んだ藍でも無い


霞みの景色の中で
薄水色の空を白い雲が優しく流れる
風はいつか陽射しに溶けていく


それは決して鮮やかでは無く
派手さも無く
きらめく訳でもないけれど
静かにそこに有るその風景が心を休ませてくれる

放物線

空に向かって投げつけた君の想い出
僕にはもう必要無いモノさ
忘れた方が良いに決まってる
僕の為にも
何より、君の為にも


空に向かって投げつけた君の想い出
僕にはもう必要無いモノさ
美しい想い出になんてしない方が良い
僕の為にも
多分、君の為にも


空に向かって投げつけた君の想い出


「空の果てまで飛んで行け!」
と願ったのに・・・
振り上げた拳を待つより早く
想いは虚しくも空を切り

そしてそれは放物線を描いて落ちてきた


加速を付けて落ちてきて
跳ね返って
そして
僕の心の奥の一番深いトコロに突き刺さった・・・

ともだち

普段、離れた街で暮らしていると
忙しさにかまけたりして
お互い、そう思い出す事もない

でも、ふとした時に頭に浮かんでくる


楽しい事ばかりではなかった
ケンカをした事もあった
でも、浮かんでくるのはいつも笑顔だ


慣れた街を離れて生活が変り
お互いに家族が出来て
大事なモノの順序も変った

疎遠にもなった事もあった

でも、ふと思い出すのは気になっているから


思い出したようにメールが来る
思い出したようにメールをする
ただ、それだけなのに温かい


「親友なのか?」と問われたら
「腐れ縁さ」と笑って答える

「例え、腐れても決してちぎれる事は無いのだ」と


思う事がある

もし今
この世にタイムマシンが存在するとしたなら
唯一、そう呼べるモノがあるとするなら
それを人は「ともだち」と呼ぶのではないだろうか

「元気か?」

その一言で一瞬にして過去へ跳んで行ける

分岐点

人生には幾つもの分岐点が有る


時に
ひとつは僕を誘惑し
又、ひとつは僕を拒もうとする

時に
ひとつは僕の名を呼び
又、ひとつは僕が呼んでも答えない

時に
ひとつは明日の夢を語り
又、ひとつは堅実な明日を語る

時に
ひとつは哲学者が導き
又、ひとつは厭世詩人が導く

時に
ひとつはいにしえよりの荒れた道で
又、ひとつは道無き道

時に
ひとつは
 「こちらを進むのが運命」だと言い
又、ひとつは
 「いやいや、こちらこそが歩むべき宿命だ」と言う

時に
ひとつは僕を急かし
又、ひとつは僕に焦るなと言う


幾つかの分岐点を越えては
又、分岐点に出会う

人生はその繰り返し
例え、後悔はしても戻る事は出来ない

だが、刹那になる事も無い

諦めてしまわなければ
その内
又、分岐点に辿り着くだろう

右にするか?
左にするか?
正解は無い

だが、道は幾つも有るのだ
Unidentified Mysterous Animal

略してUMA
日本語に訳すと「謎の未確認生物(動物とも言う)」

モノの本に拠ると
 ”存在の可能性が有るとされていながら
  生物学的に確認されていない未知の生物(動物)”

代表的な例を挙げれば
ロッキー山脈一帯で目撃例の多い「ビッグフット」
ネス湖の「ネッシー」
日本では「つちのこ」が広く知られる処であろうか


WS000020.jpg



因みに
想像上の動物
例えば、河童・天狗・龍等はUMAには該当しない



2008年4月某日

北海道十勝国の片隅にひっそりと建つ夢乃家
毎日のブログネタにも困るほど
ノーテンキなくらい平和なその家に
事件は突然起こった・・・

次女「お父さん、ダヤンが何処にもいないよ!」
父 「そんな事はないだろ。
    大方、畳の部屋か二階で寝ているよ」
長女「みんな探したんだよ! でも、いないんだ!」
父 「本当にちゃんと探したのか?」
次女「探したよ!」
長女「どうしよう! ダヤンが・・・」
父 「大丈夫だって、その内、ひょいと出てくるよ」
長女「もし、出て来なかったら? お父さんのせいだよ!」

ダヤンがいなくなった事まで
私のせいにされてはたまらない

私は半信半疑で
まず、畳の部屋に行ってみた
(我が家では和室をこう呼んでいる)
カーテンの陰、出窓・・・
うん、確かにいないようだ

それからダイニングに回って
洗面所を覗いてみた

いない
風呂場の戸もちゃんと閉まっている

それから私は
二階に上がってみた

私の寝室、娘の部屋、うちの奴の寝室

父 「ダヤ?ン!」

部屋は物音ひとつしない
私の鼓動だけが静けさの中で脈を打っていた

すると突然
階下から娘の叫び声がした

長女「いたー! お父さんいたよ!」

私は急いで階段を駆け下りた


そこで私が見たモノは・・・


P1010438.jpg



ダヤン「にぁ?に?」


でっ、出たぁ?!?

日曜日に遊びに来た
おばあちゃんにもらったおやつ代を握り締めて
近所のコンビニに買い物に行って来た娘2人

いつもはケンカばかりでも
こう言う時ばかりは仲が良いらしい(^-^;

で、次女が今回
いつくか買って来た中のひとつがこれ


kyoro-1.jpg



「チョコボール」

私も小さい時に良く買って食べました

チョコもさる事ながら
チョコボールと言えば
やっぱり、「金のエンゼル」「銀のエンゼル」ですよね?

金が出れば1個でキョロちゃんのおもちゃ缶が当たり
銀だと確か5個でおもちゃ缶でしたよね

もっとも、私の場合は
どれだけ買ったのかは記憶も定かではありませんが
金どころか銀すら見た事もありませんでした

欲しかったなぁ? おもちゃ缶(笑)

パッケージを見ると
発売してからもう40年なんですね
思わず変なところでしみじみとf(^-^;

そう言えば
長女が小さかった頃
1度だけ銀のエンゼルが出た事があり
家族で狂喜乱舞しましたが
それで「キョロ運(?)」を使い果たしたのか(笑)
2個目の銀にはとうとう会えず仕舞いで・・・

あの銀のエンゼルは何処に行ったのでしょうか?

と、言うか
金を1個出す確率と銀を5個出す確率って
どっちがどうなの?
って思いません?

銀を5個なんて不可能に近いですよね?(苦笑)


そんな事をふと思い出しながら
ダイニングでコーヒーを飲んでいると・・・


次女「あっ、出た・・・」
長女「何がさ?」
次女「これ・・・」
長女「えーっ! マジ? ちょっと見せて・・・」

長女「お父さん! 大変! ○美(次女の名)、出したよ!」

駆けて来た長女につられて
次女も駆け寄って来ました

父 「出たとか、出したとかって何?」
長女「これっ! これっ!」

一瞬、我が目を疑いました

父 「何ぃ?? マジで?」
長女「○美、マジで凄くない?」
父 「えー? ホントに? ・・・初めて見た・・・」

まじまじとそれを見つめる私

次女は長女と私の驚きを他所に
まだ事の重大さが飲み込めていない様子

次女「凄いの?」
父 「あのなぁ? 凄いってよか奇跡じゃん!」


狂喜乱舞の父と娘2人


じゃ?ん!!!!!


kin-angel.jpg



しかも当たるのが「40周年記念の黄金のキョロ缶」ですと!

送ってから発送になるのが3ヵ月後らしいです


それより、
冷静になった今
逆に心配なのは次女がこれで
今年の運を使い切ったんじゃないかと言う事・・・(笑)


交わらない線

結婚をする時の祝辞等では
よく夫婦を車の両輪に例えたりする


夫婦が協力をしなければ前には進まないし
カーブも上手く曲がれないのだとか

或いは、線路のレールに例えて
付かず離れずが夫婦の長続きの秘訣だとか・・・


例えとしては肯ける部分も確かにある

でも、本当にそうなのだろうか?
ふと、思う時が有る

交わらない線は
決してお互いを分かり合えるはずが無いのだと

交わらない線は何も結ばない


言葉が交わり気持ちを結ぶ
気持ちが交わり心を結ぶ
心が交わり絆を結ぶ


言葉が交われば
時には口論にもなる

口論になると言う事は
自分を伝えようとする気持ちがぶつかると言う事

例え、どんな口論になったとしても
言葉が通じれば
それは逆に絆を強めるキッカケになる

しかし、言葉が通じないと
それは口論では無くただのケンカでしかない


言葉が通じると言う事は自分を伝える事であり
相手の気持ちを思いやれると言う事

言葉が通じないと言う事は
自分だけを被害者にして
自分の気持ちにだけ固執していると言う事

相手の事など思いやれるはずも無い
後には諦めしか残らないだろう


交わらない線は何も結ばないのだ

せつなさについて

歳を重ねても人が持ち続ける感情は
泣いたり、笑ったり、怒ったりと言う喜怒哀楽

逆に、歳を重ねた時に
いつか忘れてしまっているのは「せつなさ」と言う事の意味

喜怒哀楽は人にぶつける感情であり
自分を表す感情

愛とか憎しみの持つ感情はいつか自分に返る事を待つ
良くも悪くも現実との対峙を求める


「せつなさ」は内なる自分へ込めて
紡ぐ想いの糸


せつなさ・・・

「愛する人へのせつない気持ち」
「亡くした人へのせつない葛藤」
「伝えられないせつない胸の内」
「何も出来ない事へのせつなさ」
「忘れられないせつない想い」


歳を重ねていった時
失くしたモノの大きさに気づく時がある

或る日、社会人として、家庭人として
得たモノ以上に失くしたモノの方が大きい事に気づく
でも、大人になると言うことはそう言う事なんだと
自分に言い訳をしている自分がいる

しがらみ、世間の目を気にして
ただ、それだけを理由にして
自分に言い訳をしている自分がいる

自分の心に正直になる事が
或る時を境に「悪」になっていった
そして、心の奥深くに閉じ込めた心の機微
紡いだ想い
それはいつか忘却の彼方に追いやられ
ただ、喜怒哀楽だけの大人になった


せつない気持ち
それさえ想い出せば良い
心の中の時限爆弾は今も確実に時を刻み続けている・・・

仏のカクラン!?

久しぶりに携帯からのアップです
何故かと言うと…
こちらもこれまた久しぶりにスッカリ風邪引き模様
一昨日辺りから喉がヤバいなと思っていたのですが
喉、咳、鼻水の余分三兄弟
天海祐希(字、合ってますか?)さんのように
キッパリと
「要りません」
と言えないのがA型の悲しい性?
昨夜から本格的に風邪菌導入完了(笑)
未だ、熱はさほどは無いのですが
これが良いのか悪いのか?
熱が38℃以上有れば、大威張りで休むとこですが、37℃じゃ休むに休めず(^-^;)
しかも、このくらいが微妙なダルさを醸しだすんだよね?
ある意味、熱が高いより辛い
でもね?
喉が痛いからって、喉飴を舐めながらさ
それでタバコを吸ってるんだから
ホント、おバカさんだ?σ(^-^;)
パソコンを開け無かったのが心残りでは有りますが(笑)
本日はこれにて…
皆様も風邪など引かぬように自愛下さいませ
今日から上の娘は
青森?函館方面に修学旅行に行っています

我が家で唯一のデジカメを持って・・・

金曜日には帰って来るのですが
それまでダヤンの写真は撮れません

撮れない時に限って
ダヤンはこれ見よがしに可愛いポーズを取ったりして・・・

親バカ入ってます?(^-^;


考えたら
ブログをこちらに移してから
未だダヤンネタを載せていないので
久しぶりにお付き合いを?



ちなみに、こちらの写真は
昨年の10月末
ダヤン(当時3ヶ月)が来てまもなくの頃

ベンジャミンの小さな方の鉢にもスッポリ

hatineko-1.jpg




で、こちらが最近のダヤン(現在9ヶ月)

大きな方のベンジャミンの鉢からもはみ出しています

hatineko-2.jpg



ダヤン「何? 何が言いたいのさ?」


記憶

忘れていた事をふと何かの拍子に思い出す事がある。


そのキッカケは、ラジオから流れてきた歌だったり、
テレビの中の懐かしい風景だったり、それは様々だけど。

時として・・・思い出が心の扉をこじ開けたかのように突然甦る事がある。
忘れていた事・・・
いや、忘れようとして心の中に封じ込めていた事。


ハイファイセットの歌に
「忘れようと思うから忘れられるはずも無い」と言うフレーズの歌がある。

忘れようとしている時、
人は必ずその事、その人を思い出しているのだ。

だから、忘れられない。

忘れようと思えば思うほど、
望むと望まざるとに関らず
脳はあらゆる限りに力を総動員して記憶を鮮明なものにしようとする。



評論家Aは言う
 「忘れる為に遣う時間は愛した時間の3倍かけてもまだ足りないものだね」

評論家Bは答えた
 「いやいや、人間なんて案外簡単に忘れてしまえる生き物さ」

評論家Aは反論する
 「はたして君はそうかい?
  なら、君の頭の中には都合の良い記憶しか残っていない訳だね?
  それで幸福かい?」

評論家Bは少し考えて答えた
 「悲しい事をいつまでも覚えている事の方が不幸なんじゃないか?」

評論家Aは言う
 「確かに、いつまでも覚えている事が幸福とは思わないよ。
  でもね、簡単に忘れ去る事も良しとは出来ない。
  美しい思い出ばかりでは無いけど、
  それでも、どんな悲しい思い出も苦い思い出も
  自分が歩いてきた道の証しなんだから」



評論家AとBの話はまだまだ続くだろう。

どれが真実か否かは誰にも分からない。

記憶は時として過去からの後悔を運び、時として過去を美化していく。

呵責の過去であれ、都合良くオブラートに包まれた過去であれ
生きている今は、過去に真実は求めまい。
「袖摺りあうもたしょうの縁」

好きな言葉です。
ふと、すれ違っただけの人でも何かしら「縁」があるが故。
人はみんな多かれ少なかれ「縁」で繋がっています。
だから、そういう「縁」を大切にしたいと思っていました。

なので、
ず???っと長い間、何の疑問も持たずに
「袖摺りあうも多少の縁」だと思っていました。
他の人に偉そうに講釈をたれた事も・・・(恥)

知ってました?
ホントは・・・
「袖摺りあうも他生の縁」と言うのだそうです。

つまり、
『全く知らない人とのふとした出来事も、前世からの縁があっての事。
 他生とは、現世とは違う時代の事で前世を指す』のだそうです。

ガ━━(= ̄□ ̄=)━━ン!!

知ったかぶりとまでは言わないまでも
結構、間違った使い方をしている事ってありますよね?

ホントに偶然分かった事なのですが・・・

気をつけたいものです(プチ反省)

暗闇の中で

「歴史上、止まなかった雨は無い」
「明けない夜は無い」
そう、言う人はいるけれど
闇の中で彷徨い続けている人にとっては
そんな言葉はどれほどの気休めになるだろう?


出口の見えない不安

歩く方向さえ見失って
それでも、立ち止まる事が怖いから歩き続ける

入り口はとうに崩れ落ち
先に進む事しか道は無い

不安、焦燥、苛立ち・・・



昔読んだ誰かの本の中にこんな一説が有った


『パンドラの犯した罪の中で一番の罪は
最後に希望を出した事だ。
希望が有るから、人は悩み、苦しみ
それでも、希望を捨てられないのだ。』


パンドラの箱の物語

それは・・・

ギリシャ神話の神々の時代
ゼウスは神々に呼びかけて様々な贈り物をパンドラに与えた

しかし、その贈り物の中に決して開けてはならない「箱」があった


ある時、その箱の中から助けを叫ぶ声が聴こえた

『出してくれ?』
『出せ?!』
『誰か助けてくれ?!』

その声を聞いたパンドラは恐る恐る箱の蓋を開けた

その途端、悪意、憎悪、妬み、偽善、暴力、悲しみ、病気、飢え、狂気・・・
ありとあらゆる様々な災いがこの世に飛び出した

怖くなったパンドラは慌てて蓋を閉めようとした

その時、箱の中からか細い声がした

『私も出して下さい・・・』

パンドラが恐る恐るもう一度蓋を開けると
か弱い小さな光が外に飛び出した

最後に一つ残ったもの、それは「希望」だった・・・・



希望が有るから人は生きていけるし又、生きようとするのだ

しかし、希望が有る事で逆に人は悩み、苦しみ、もがくのだ
明日にすがろうとする

いっそ、希望なんて無かった方が幸福だったと言う人がいる
果たしてそうだろうか?

例え、どんな苦しみの状況にいたとしても
どんな困難の状況にあったとしても
人が諦めない限り「希望」は決して人を見放しはしない

例え、どんな暗闇の中にいても・・・
哲学者になって人生に悩むよりは

詩人になって人生に迷う方が良い



哲学者になって死を語るよりは

詩人になって愛を詠いたい



哲学者になって歴史に残るよりは

詩人になってあなたの心に残りたい



哲学者になって精神論を語るよりは

詩人になって恋に溺れる方が良い



哲学者になって人生を憂うよりは

詩人になって生きる喜びを伝えたい

二面性

二面性
二重人格

そう書くと何だか
「こいつはとんでもない人間か?」
って感じに聞こえますよね?

でも、ジキル博士とハイド氏ほどではないにしても
誰もが色んな顔を持っています

それを見せる相手が誰なのか?
相手にはどの部分を見せるのか?

ただ、それだけの違いです
自分で意識をして使い分けをしていないにしても
案外、自然にそう振舞っていたりします


夫婦の間だってそうです
仲の良い夫婦もいれば仮面夫婦もいるでしょう
我が家では有り得ませんが(笑)
いつまでも男と女だったり
それからそう、もちろんお父さんとお母さんだったりとか
中には単なる同居人だって言う人がいるかも知れません
家での顔と外から見た顔が違うって事はどこにでも有る事なのです

ただ
そこの観念が2人共一緒ならば
それはそれで上手くいっている夫婦なんでしょう

でも、どちらか一方でもそれを不満に思っているとしたら・・・

ある人にとってはこの上ない悲劇が
傍から見れば喜劇に見える事も有ります

日常と非日常
非日常と秘日常(笑)

それが有るから、平凡な中にもドラマは生まれるのです

色んな顔を持っている事
それを他人には自慢出来ないのが少し辛いとこではあります(笑)

目的地を決めて歩き出す人
それよりもとりあえずと
まずは歩き出す人


それは人それぞれのタイプで違うのかも知れない


「そこに山が有るから登る」
と言う人がいる

「そこに道が有るから歩くんじゃない
  歩いた跡に道が出来るんだ」
と言う人がいる

どちらも、けだし名言だと思う


俺はどっちのタイプだろう?
ふと自問自答してみる


性格的には
目的地を決めて、準備をしてからじゃないと歩き出せないタイプなんだ

自分でも面倒な性格だと思う事が有る

「良いじゃないか? 人生、そう急いても一体何分到着するのが違う?
 回り道したら、別な道が見えるかも知れないじゃないか?
 別な目的地に寄り道するのも悪くないぜ」

そう言う自分と、そうは出来ない自分がいる・・・



例えば街を歩いた時にすれ違う人

その人の人生を想像してみる
もしかしたら
何本もの小説や映画になるほどの人生だったかも知れない
或いは
平凡な淡々とした人生だったかも知れない

どの人生を辿れば後悔をしなかっただろう?
いや、後悔などした事は無かっただろうか?



無意味な人生など無い
決まったレールも無い
どんな人が歩いても道は出来るもの

平坦だろうと凸凹だろうと山道だろうと
それは他人が心配するべき事じゃない
ただ、自分が歩く事さえ止めなければそれで良い

ただ、そこに人生が有るだけ

それで良いのかも知れないね
昨日があって、今日があって、そして多分明日もある

そんな積み重ねが出来ればそれで良いのかも知れないね

目的や動機
それは後から付いて来ても良いものだと思うようになった

まずは、一歩歩き出す事
それさえ出来れば後は何とかなるよ

What a wonder fool world

幼い頃から勉強勉強で
他人の事などお構いなし
ライバルを押しのけ
知識だけを詰め込んで
良い学校、良い就職先を目指して生きる
官僚になったら
行き先は次官か
代議士かと
その為だけに知恵を働かせ
上り詰めた先に待っていたのは
収賄での逮捕
まぁ? 十分良い思いもしたのだから
良かった人生だと言えるのかな?

What a wonder fool world


積み重ねた歴史の重み
創業者の苦労と
それでも精進を重ねた結果に得た評価、評判
それより大事な損得勘定
偽装は更なる偽装を生み
いつか白日の下に曝されるまで止められない
老舗の菓子舗であれ
上場の製造メーカーであれ
それは同じ
安心と安全を損得勘定に置き換えてしまえば
一瞬で消えてしまう信用
初めて1つ売れた時の嬉しさを
忘れてしまったが
儲かって良い思いもしたのだから
良かった人生だと言えるのかな?

What a wonder fool world


人が人を殺す
親が子を殺す
子が親を殺す
友達を虐める
短絡的に死を選ぶ
面白くないから人を傷付ける
殺す
想像力の欠如は
人との関係をも無機質に変えてしまう
明日生きている己の姿さえも
想像出来ない
親子の絆は
他人の関係よりも脆くなっている
人生とは
人として生まれ
人に活かされ
人として生きる事
でも
自分さえ良かったら
それで
良かった人生だと言えるのかな?

What a wonder fool world

掴めないモノ

どんなに手を伸ばしたって

掴めないモノがある


どんなに手を拡げたって

掴めないモノがある



何も確かな言葉は無く

何も確かな約束も無い

あるのは不確定な明日と思い過ごしの昨日



解っている

どんなに手を伸ばしたって掴めないモノがある事

どんなに手を拡げたって掴めないモノがあった事



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嘘は罪?

他人を傷つけるかも知れない真実
他人を傷つけない為につく嘘



大人は子供に
「嘘はつくな」と正直の大切さを教える
しかし
大人の世界では
しばしば正論が通らない事も多い
会社の為、家族の為
例え、自己の主義主張と違う事にさえ
笑顔を装って苦渋の嘘をつく事がある

その意味で
正しい大人とは
”嘘の遣い方をわきまえている人”と言えるのかも知れない



その人の為を思ってつく嘘
その人の為よりも
ただ正しいと信じて言う真実



嘘も突き通せばやがて真実になると誰かが言っていた
ならば
バレた時にのみ嘘は罪になるのか?

嘘も方便と言うのは
ただの詭弁か?
それとも
許される罪か?

突き通す嘘の呵責に耐えた時
自分の良心と引き換えに嘘は真実になる
そう言う事か?



正しい物、正しい事は真実であるが
真実が全て正しい訳ではない

真実も罪も
全て心の中にある
人生の中では様々な別れがあります

友との別れ
恋人との別れ
そして大切な人との永遠の別れ・・・

人は悲しみを乗り越える事で
新しい旅立ちを迎える事が出来ます
或いは
新しい旅立ちをする事で
悲しみを乗り越えようとするのかも知れません・・・

どちらにしても
人生において「別れ」は避けて通る事の出来ない事なのです

あの頃、仲の良かった友達
お世話になった先生
一緒につるんで遊びまわったかつての仲間
切ない片思いを告げる事も出来ないで離れ離れになった人
あの日別れた恋人
若気の至りで傷付けてしまった後悔だけが今も残る人
もう還らないあの人

もし、そんな誰かの事を思い出したなら
ノスタルジア号に乗って旅に出てみませんか?

古いアルバムをめくり
或いは記憶の淵をたどり
行き先を決めたら出発です

懐かしい人は今はそこにはいないけれど
振り返るとそこには
あなたがいた風景が見えるでしょう

確かに
そこにはあなたがいて
そしてあの人もいた

もし
そんな誰かを思い出したなら
ノスタルジア号に乗って旅に出てみましょう

ノスタルジア号はいつでも
あなたの心の0番ホームで
あなたが乗り込むのを待っているのです

フカヨミ

ボクはいつもフカヨミのし過ぎなんだ

分かっている

それはボクの悪いクセ



いつかキミにも言われたね?

分かっていた

いや、ホントは分かっていなかったんだね



キミの言葉が少なくなったのも

キミが流したナミダの訳も

キミの笑顔が消えたのも

ボクが勝手に作ったマボロシだったんだ



キミのココロを解ろうとして

ボクは一生懸命にキミのココロを探していたんだ

そしてボクは

キミのココロの裏側さえも探してた

それが愛のアカシなんだと

ボクは自分で作ったマボロシを追いかけていた



何も気づかなかったよ

なのにボクは何も気づかなかったよ

キミのホントのキモチに

キミのホントのココロに



オモイアガリ

ボクはキミのココロを解ろうとして

ボクのココロをキミに押し付けていただけ



キミに愛されたくて

ヤサシイヒトと思われたくて

それだけだったのに

いつしかボクはオモイヤリさえも

ココロを突き刺す武器にしてしまったんだね



壊れたキミのココロのカケラが

ボクの中でチクチクと騒ぐたび

今もボクのココロは痛むんだ

初めまして

日々の徒然、思った事や考えた事

詩、エッセイなどなど

今の自分を正直に綴っていきたいと思っています


これからですが

よろしくおねがいします m(_ _)m



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