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夢の汽車に乗って 桃の花をひと枝飾る

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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「死んだ子の歳を数える」
そんな言葉がありますが
子供だって死んだ親の歳を数えます。


母が亡くなって
あれからもう二十三年。
生きていたら
今日で八十一歳の誕生日を迎えます。

享年五十八歳。

後、一年半程もしたら
私も母親の年に追い付きます。


自分がその歳に近づくにつれ
今更ながらに
こんなに若かったんだと思い知らされます。



「忘却とは忘れ去ることなり。
 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」

大昔の有名なラジオドラマの冒頭の
余りに有名なナレーションの一説です。

もちろん
大事な人、愛した人が亡くなって
何年経とうが忘れる事はありません。

ただ
いつまでも思い出す度に悲しんでばかりでは
亡くなった人だって悲しむだけです。

そこに至るまでの時間の長短はあるにしても
人はいつか自分の心の中に
故人の想い出の仕舞い場所を見つけます。

それは忘れる為の作業では無くて
悲しみを受け入れる為の作業なのかも知れません。

悲しみを受け入れる事で
初めて心に区切りをつける事が出来るのです。

そして
何かキッカケがあった時
そこで心の仕舞い場所からそっと出してきては
故人を懐かしんだり偲んだりするのです。

故人の好きだった歌を聴いた時だったり
故人の好きだった花を見かけた時だったり
それは故人との想い出の場所だったり
或いは季節だったり
もちろん、命日だったり
そのキッカケは人によっても違うでしょうし
又、幾つもあるでしょう。

私にとっては
母の誕生日である今日が
そんなキッカケになる日のひとつでもあります。

なので毎年この日に決めて
同じタイトルで母の事を書いています。

(何故、命日では無いのか?
 それに関しては過去に何度か
 ここで触れていますので割愛します)

 *ホームページ『夢の樹舎』内
  <エッセイ>のコーナーに
  過去タイトルを掲載しています。



子供が生まれた時から
子供にとっては親は親です。

私も親としてのと父と母しか知りません。

奇しくも
父と母の若い頃の一端を知る事になったのは
母が最初の入院をしていた頃でした。

その時の事は
『夢の樹舎』の中にも載せています。


 *下のタイトルをクリックすると
  本文が開きます。
    ↓

  「手帳」


そして今
親になった自分を思い返してみると
学生時代、社会人になっての独身時代から
ここに至るまでは色々な事がありました。

たくさんの後悔や心の葛藤。
様々な出会いや別れ。


きっと
そんな事もたくさん有ったはずなのに
母はそんな事を億尾にも出さず
毎日、家族の為に
笑顔で
そして黙々と働いていました。


その母の歳に
もう少しで追い付こうとしているのに
私は
そんな風に強く生きられているんだろうか?


「ねぇ?」

そっと空を見上げて母に問いかけてみる。

今年も又、心の中に
桃の花をひと枝、飾りながら・・・




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ねぇ、母さん
僕はあなたが願ったような大人になっているかな?

目を瞑り、胸に手を当てて問いかけてみる


『ふぅ』

ため息がひとつ
地面にこぼれて消えた


胸に当てた手をそっと下ろして首を振る


そうだね
母さんはごまかせないよね?

確かに
僕は母さんが願ったような大人にはなれていないよ


「本当にお前はバカ者だね」

って、怒っているかな?

それとも、呆れて苦笑いをしてるだろうか?


でも、これが僕の選んだ生き方なんだ
何があっても後悔はしないよ

いや、後悔をしたとしても
それを誰かのせいにはしない


「あんたの好きなようにしたら良い。
 歳を取ったって
 母さん達はあんたの世話にはならないから」

生前の言葉が蘇る


きっと、今頃はこんな僕を見て

「あんたの人生だから」

って、そう笑ってくれてるよね?


あなたの愛したバカ息子は
多分バカな生き方しか出来ないかも知れない

でも・・・

これでも色々な事に悩みながらも
せいいっぱい生きているよ



3月1日

今日は母の誕生日

母の命日8月25日は
長女の誕生日でもあるので
その日を悲しみの日に出来ない私は
母の誕生日を偲ぶ日にしている


そうして
今年も桃の花をひと枝、心に飾る





「死んだ子の歳を数える」

そんな言葉がありますが

子供だって
死んだ親の歳を数えるものです

momonohana-6.jpg

母親の誕生日が来るたびに
街の花屋で桃の花を見かけるたびに


「還暦のお祝い、してやれなかったな」

 (母親は数えの59歳で亡くなりました)

「生きていたら、今年で喜寿なんだね」・・・



あたなが一度も抱く事が叶わなかった初孫は
この春、高校2年生になります

ブツブツ文句を言いながらだけど
それでも高校生活に部活に毎日頑張っています

「高校に入ったら、もう絶対テニスはしない!」

 (中学時代はソフトテニス部でした)

そんな事を言っていたはずなのに
結局、友達に無理やり誘われるまま
見学にいった女子硬式テニス部にそのまま入部

確かに
ソフトテニスには入らなかったんだけどね(笑)

オフシーズンの冬期間でも
週に2?3日は朝5時に起きて朝練に
そして
夜練がある時は終わるのは9時半

それは土日も祝日も関係ありません

「もう?嫌だ!
 何で休みなのに学校に行かなきゃならないの!」

「じゃ、辞めたら?」と私

「嫌だ! そんな事は私のプライドが許さない!」

変なところで生真面目なのは
誰に似たんでしょうね

お陰で、3年生になって引退をするまで
送り迎えは続けなきゃならないようです(苦笑)


二番目の孫は
これまた誰に似たのか強情っぱりで
自分がこうと決めたらテコでも動きません

でも、強情っぱりの分
自分でやると決めた事は
私なんかがうるさく言わなくても
ちゃんと自分でやっています

長女Aの時と違ってジージョは
宿題は私が言う前に終わらせているし
ヒマがあればピアノに向かっています

自分でやりたいと言って始めたブラスバンド
テナーサックスが吹けるのが余程楽しいみたいで

長女Aの場合はたまに学校も部活も休みになると

「やっほぉ?い♪」

と、喜びまくってゲーム、パソコン、携帯と
この時とばかりに遊び三昧ですが
ジージョはブラスバンドの練習も無くなるので

「何で、休みなの!」って怒ります


私は一人っ子だったから
兄弟、姉妹の事は良くは分からなかったけど

同じ姉妹でもキャラは全然違うし
得意、不得意もそれぞれ違います

ケンカだって毎日のようにしているけど

6歳、歳が離れていたって
アニメオタク同士(?)としては話も合うみたいで
一緒にYOU TUBEやマンガを観ては
アニメキャラに大騒ぎしています

(上のレベルが低いのか?
 下がマセているのか?(笑))

「なぁ、そんなばかり観てないでさ?
 学校にカッコいい男子とかいないの?」

「ダメ、チャラいのばっか!
 私は二次元男子(アニメキャラ)しか恋出来ないかも」

「おいおい」


こんな娘達ですが(笑)

娘が二人いて

いや
二人が私の娘で
本当に良かったと思います

これも
あなたがくれた”縁”なんですよね?


ありがとう



ねぇ
何処かで見てくれていますか?

あなたの孫達は
結構、良い子に育ってますよ

『あんなに無愛想だったお前が
 こんなに親バカになるなんて思わなかったよ』

そんな風に
目を細めて言っているでしょうか?



人間が生きていく上で大事な事は
その長さじゃなくて
どう生きていたかだって言います

あなたはいつも
自分の為よりは
私や親父の為に生きていましたね

それがあなたの幸せだったのでしょうか?


私はあなたのように生きているでしょうか?
あなたが望んだように生きているでしょうか?


そんな事を問いかけながら

桃の花をひと枝、今年も心の中に飾ります






《 過去作品リンク 》*クリックをしたら過去作品が読めます

『桃の花をひと枝、飾る』


『桃の花をひと枝、飾る ?2009?』








私には
毎年その日になると
必ず同じテーマでブログを書くと
決めている日が何日かあります


3月1日

今日はそんな中の1日です



この事については
何度かここでも書いていますが・・・

8月25日

母親の命日は奇しくも長女Aの生まれた日
(母親の3回忌の命日に長女Aは生まれました)


なので
母親の命日は
私にとっては悲しくもあり
また
嬉しくもある日なのです


それ以来
母親の誕生日を”偲ぶ日”と決めて
毎年、この日になると私は

心の中に桃の花を一枝飾るのです・・・



momonohana1.jpg



街の花屋の店先に
桃の花を見つける頃になると
18年前に亡くなった母親を思い出します


生きていれば
今日で76歳になります




亡くなった人が生前に


好きだった花

好きだった歌

好きだったお酒

好きだった風景

好きだった季節・・・




人は亡くなった人に所縁のあるモノに触れると
その人の事を思い出したりします


それは
そのモノが思い出すキッカケになっているのか?

或いは
その人が思い出して欲しくて
そのモノに出会わせているのか?

それは分りません


それは自分の気持ちが呼んでいるのか?
それとも
亡くなった人がそうさせているのか?

それも分りません


もしかしたら
その両方が呼び合って
そうさせているのかも知れません


ただ

ただの偶然とも思えないのです



神頼みすらろくにしない私ですが
本当に困った時に
何度か母親に手を合わせた事があります


亡くなってからも
親不孝息子の面倒を見なきゃならないなんて
さぞや天国で呆れているかも知れません


でも

実際、何度か助けられたような気がしています


あの時も、そしてあの時も・・・




久しぶりに
今年はまた手を合わせても良いかな?


ううん

今年は親不孝息子の為にじゃなくってさ


可愛い孫娘の為に

ちょっとだけ力を貸してくれないかな?



そう心の中で手を合わせながら

今年も桃の花を一枝心の中に飾ります




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