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夢の汽車に乗って リベンジ・シリーズ?

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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毎年の事

長い冬の始まり

秋と冬の境目が有るとしたら
それは
長い冬の始まりを覚悟した瞬間

雪が降ったとか
氷点下になったとか
ニュースは季節の変わりを伝えようとするけど
そんなTVのニュースより
吐く息の白さが教えてくれるのです

秋から冬へ
そんな感傷も束の間

北風は落ち葉を散らし
鋪道を霞め
裸の木々は覚悟を促します

小春日和にため息をひとつついて
往生際の悪さを
まるで駄々っ子のように振舞ってはみるけれど
本当は知っています

頬に当たる風の冷たさに
ポケットの中で握り締めた拳の強さに

そろそろ覚悟を決めようか

長い冬の始まり

そう
毎年の事・・・



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ありがとう

「ありがとう」は感謝の言葉


親しみを込めて「ありがとー!」

ちょっと甘えた風に「ありがと♪」

男ならテレながら「ありがとな」

言葉にならない一言を搾り出して言う「ありがとう・・・」


「ありがとう」は
人と人を心で繋ぐ一番短い言葉

人を優しい気持ちにさせる言葉

何かをしてもらったら「ありがとう」
何かを頼んだら「ありがとう」
何かを貰ったら「ありがとう」

その気持ちに
その行動に
感謝を込めて言う言葉

ただ
傍にいてくれるだけで「ありがとう」

そんな事もあるね


でも、思い返すと
結構、切ない「ありがとう」も有った

別れの時の「ありがとう」は
「さよなら」以上に切ない言葉

友達でも、恋人でも、肉親でも・・・

見送る時に、見送られる時に言う「ありがとう」

別れの最後に言う「ありがとう」

それもひとつ
伝えきれない心を伝える心の言葉


「ありがとう」と言える関係だった事に「ありがとう」
今も「ありがとう」と言える関係に「ありがとう」

ホンの短い言葉だけれど
心で伝える心の言葉





寝ている間に見るのも”夢”

将来に思いを描くのも”夢”

有り得ない話が有り得るのも”夢”

絵空事に現を抜かすのも”夢”


憧れるのも”夢”

現実から逃れるのも”夢”

追いかけるのも”夢”

ぼんやりと宙に描くのも”夢”


幻に見るのも”夢”

記憶を縛るのも”夢”

苦しめるのも”夢”

諦めきれないのも”夢”


標にするのも”夢”

始まりに有るのも”夢”

勇気をくれるのも”夢”

心に秘めるのも”夢”


独りで見るのも”夢”

誰かと描くのも”夢”

叶うも叶わないも”夢”

それでも見るのが”夢”





”夢”は希望か?

それともただの空想か?




歳を重ねて
確かに知恵はついた



良く言えば
利口になったのか?

物分かりが良くなったのか?

少しは世の中が見えるようになったのか?

世渡りが上手くなったのか?


しかし

悪く言えばそれは
ずるくなったと言う事なのか?

諦めが良くなったと言う事なのか?



諦める事に罪悪感も持たなくなった

むしろ
いつまでも固執する事の方が
恥ずべき事だと自分に言い聞かせている



何か物事をしようと思う時
まず、頭の中でシミュレーションをしてみる

頭の中でバラバラのピースを並び替えて
頭の中でパズルを完成させる


パズルは一度作ってしまえば
もう作る必要は無い

結果の見えているゲームほど
つまらないモノは無いのだから


そうして

やがて頭の中だけで人生が流れていく



失敗はある意味
若さにのみ許される特権である

歳を重ねた者には
失敗の言い訳の余地は残されていない

失敗を取り戻す時間の余裕もない


だから、慎重になる

しかし
慎重さは柔軟な発想にブレーキをかける

冒険しようとする心を戒める


慎重過ぎると言う事は
やらずに諦めるのと同じ意味なのに
大人達は言葉を変えて
自分を詭弁で武装する



歳を重ねて
得たモノは多いが
それと引き換えに失ったモノは
それ以上に多い

しかもそれは
もう取り返せないモノばかりだ


しかし
それは本当にもう取り返せないのだろうか?


いや
無理をして取り戻す事などないのだ

失ったモノを数える必要もない



春夏秋冬
それぞれに味わいや風情が違うように

夏の太陽と冬の太陽の
与えてくれるモノが違うように


認めれば良い


今の自分の出来る事
出来ない事を素直に認めれば良いのだ



今しか出来ない事がある

今だから出来る事がある



頑張ってるね

頑張っている人に

「頑張れ」って言うのは酷な事だよね



頑張ろうとしている人に

「頑張れ」って言うのは分かっていない証拠だね



友達だから

親子だから

同僚だから後輩だから

つい応援をしたくなる気持ちも分かるけど



でも

「頑張れ」って言葉は

ちっとも相手の事を考えてないよ



自分本位なんじゃないかな

「頑張れ」って言っている自分に酔ってはいないかい?



「頑張れ」は鞭を打つ言葉じゃない



どうせ励ますなら

「頑張ってるね」って微笑んであげよう



せっかく応援をするなら

その方が良いよね



坂道

坂道は洋の東西を問わず
昔から色々な小説や映画などの舞台として
人生の
或いは生き方そのものの象徴として描かれてきた


私の好きな映画監督である大林宣彦の映画
尾道三部作と呼ばれる
「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」や
小樽が舞台の「はるか、ノスタルジー」は
そこに映し出される坂道が印象的だった


歌においてもそれはしかりで
「坂」は人生
つまり生きてきた道
或いは
これから歩むべき道としても歌われてきた

「坂」そのものがタイトルに使われたり
歌詞の中で
何かに比喩されて歌われているものも多い


さだまさしが
”母がまだ若い頃、僕の手をひいて
 この坂を上るたびいつも溜め息をついた”
と歌った「無縁坂」

ゴスペラーズが
”この坂を上ったら
 二人どんな景色が見えるだろう”
と歌った「陽のあたる坂道」

中島みゆきの「あぶな坂」ctc・・・


坂道を上り、坂道を下る

そこに現実の生活があれば
感慨にふけると言うよりは
それは苦労以外の何物でも無いかも知れない

行く道にせよ、帰る道にせよ
上れば必ず下らなければならない
下れば必ず上らなければならないのだから

特に雪国の冬の坂道は厳しい


しかし
旅人にしてみれば
坂道は来た道であり
これから向かう道である

その坂道の先で
旅人は
何を見る事になるのだろうか



今、私の暮らす街は十勝平野の真ん中辺りにある

生まれた街は山間の小さな町だったが
坂道はそれほど多い訳ではなかったし
青春期を過ごした旭川は川の街と呼ばれていた

なので
坂道のある風景には
昔から一種の憧れみたいなものがあった


坂道も車で走ると
それはただ
過ぎていく一瞬の風景の内の一部でしか無い


しかし
自分の足で歩いてみた時
初めてそこに
人がいにしえより積み重ねた足跡を見る事が出来る


『誰がどんな想いでこの坂道を歩いただろう?』

そんな事に想いをはせて坂道を歩いてみるのも良いな

坂道の途中で休むのも良い

腰をおろした坂道の途中
眼下に海なんか見えたらそれだけで良い


いつかゆっくりと坂の街を巡ってみたい



分岐点

人生には幾つもの分岐点が有る


時に
ひとつは僕を誘惑し
又ひとつは僕を拒もうとする

時に
ひとつは僕の名を呼び
又ひとつは僕が呼んでも答えない

時に
ひとつは明日の夢を語り
又ひとつは堅実な明日を語る

時に
ひとつは哲学者が導き
又ひとつは厭世詩人が導く

時に
ひとつは古(いにしえ)より人々が踏み締めた道で
又ひとつは道無き道

時に
ひとつは
「こちらを進むのが運命」だと言い
又ひとつは
「いやいや、こちらこそが歩むべき宿命だ」と言う

時に
ひとつは僕を急かし
又ひとつは僕に焦るなと言う



幾つかの分岐点を越えては又、分岐点に出会う

人生はその繰り返し


例え、後悔はしても戻る事は出来ない
だが、刹那になる事も無い

諦めてしまわなければ
歩き続けてさえいれば
又その内に分岐点に辿り着くだろう


右にするか?

左にするか?


正解は無い

だが、そこから続く道は幾つも有るのだ



幼い頃の夢はバスの運転手だった

近所の女の子を車掌さんにして
縄跳びの縄でバスを作る

縄跳びの取手がハンドルだった



小学生の頃の夢はマンガ家になる事だった

手塚治虫に憧れていた

教科書の隅にパラパラマンガを描いたり
ノートにコマ割りを書いては
ただストーリーの無いストーリーを描いていた



中学生の頃の夢はアメリカに行く事だった

初めて触れた英語の授業
ある日先生が教えてくれた
「AMERICAN DREAM」と言う言葉

そこに行きさえすれば
何でも叶うような気がしていた



高校生の頃の夢は
フォークシンガーになる事だった

背伸びをして
人生が何たるかもろくに知らないくせに
人生を悟ったような詩を書いては
自分の言葉に酔いしれていた

実際
コンサートのステージにも立ったし
仲間はいつまでも永遠だと思っていた



大学生の頃・・・夢を失した

現実と言う壁は
夢を押し戻すには充分過ぎるくらいに大きかった

いや
傷つくのが怖かっただけの
ただの弱虫の僕には
その壁はあまりに大きく見えたのだ



卒業をして僕は普通のサラリーマンになった



時は戻せない

あの日見た夢
あの日見た未来

だけどそこに今、僕はいない


でも
気づいた時に人は変わる事は出来る

夢は決して無くなってはいない

例え
形は変わったとしても
消えてはいないのだ

無くなったと思った瞬間
夢は消えていくのだ


何もしないで後悔をするよりは
やるだけやって後悔した方が良い

同じ後悔をするんでも
自分が納得出来るならそれが良い

ただ、そう思えば良いのだ


僕はもう一度歩き出した

あの日見た夢の続きではない新しい道に向かって・・・





”過去と他人は変えられないけど
 未来と自分は変える事が出来る”


  *語り部不詳の言葉
   高塚猛(実業家)の本のタイトルにも
   同様の言葉があるがあるが
   エリック・バーン(精神科医)との説もある




幸福について

”幸福というものは、
 一人では決して味わえないものです”
   *アルブーゾー(劇作家)の言葉より




確かにそうだなぁ?と思う・・・

もし
人間が1人で生まれてきて
1人で生きているとしたなら
きっと幸福なんて感じなかっただろうね

”幸福”と言う言葉は
最上級では無くて
比較級の言葉なんだから


そうなのかい?
だって
”至福の時”って言葉があるぜ
それって最高の幸福って事だろ?

じゃ
幸福にもランクが有るって事かい?


いや
そうでは無いと思うよ
感じ方って言うのは有るかも知れないけどね


じゃ
比べられる人・・
つまり
誰か不幸な人がいたら
自分は幸福だと思えるのかい?


いや
他人の不幸の上に
自分の幸福が成り立ってるとしたら
それは幸福とは思えない


幸福って
結構面倒なもんなんだな

じゃ
初めから1人だったら良かったのかい?

もし人間が
生まれた時から1人きりだったとしたなら
きっと
孤独も知らないで済んだかも知れないし
その方が幸福かもよ


いや
それは幸福とは言えないよ

思うんだけどね

幸福って
誰かと分かち合うから
そう感じる事が出来るんだよ

誰かと分かち合う事で
”Good”が”Better”になる
その意味での比較級
そして
それを感じる事が出来ると言う事が
きっと幸福って事なんだと思うんだ



普通って何?

普通でいるのが良い事?

普通と違うのは悪い事?

普通って誰がそう決めたの?


普通でいないと不安?

普通でいると安心出来る?



普通=一般常識=多数派


本当にそう思う?



確かに
多数派でいた方が安心は出来るんだろうけど
そこは自分にとって本当に居心地の良い場所?


例え
自問自答の答えが『NO』でも
だからって
自分を「おかしい」なんて思う必要は無いよ


少なくとも
多数派が常識人で
少数派が非常識人って自分で決めつける事は無い

他人に決められる事でも無い


多数派だけが
いつも全て正しいとは限らないし
少数派の中にだって真実は、正義は有る


確かに
多数派の意見は
世間の総論には近いかも知れない

だけど
それだけを正論としてしまうのは乱暴だ


学者や評論家が言う正論だって
歴史や統計から分析をしているに過ぎない

そして、彼らは必ず
『何事にも”例外”は付き物だ』
と、注釈を付ける


例外を作っておけば
学者も世間の人も安心出来るんだ

”当てはまらないものは例外”
って言えば済ませられるのだから・・・

ただ、それだけの事


たぶん

いわゆる”世間の常識”は
社会を円滑にはしているんだろう

確かに、ひとつの規範では有る
法を踏み外してはいけない事も誰もが知っている


しかし
その事と自分が自分の個を大切にする事とは
話の次元が違う

個性は誰にでも有るし
それは他人と違って当たり前
他人と同じ方が
むしろおかしい事なんだよ


常識か非常識かって話では無く
普通か異常かって話でも無い


普通でいる事に
多数派でいる事に
心地の良さを感じられなくたって
そう悲観する事も無い


幸せは自分の心が感じるものだから




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