Neko

夢の汽車に乗って エッセイ

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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「優しさ」

これほど曖昧な言葉は無い



何より
「優しさ」と言うのは
自分が自分自身に対して
そう評価をするものでは無くて
相手が自分に対してする評価なのだから


つまりは受け止める側の「思い」ひとつなのだ


例えば
誰かに対して10個の行動を取ったとしよう


それが同じ行動だったとしても

ある人は10個の内
1個でも優しいと感じなければ
「あいつは冷たい奴だ」と思うかも知れない


逆に
9個の行動は冷たいと思っていても
残りの1個が
その人に取っては替え難い「優しさ」に感じたなら
「あの人は優しい人だ」となるだろう



「優しさ」とは
他人の評価では有るが
第三者の評価では無い

あくまでも自分と関わる人の評価なのだ


そこが
時に話をややこしくしたり
「優しさ」の意味を曖昧なものにする


だから
同じ人を評価しても
ある人は「優しい人」と言うだろうし

違う人にとっては「冷たい奴だ」となるかも知れない

若しくは「優しさ」が
「ただの優柔不断」と映る場合も有るのだ


もっと言えば
好きとも嫌いとも評価の出来ない相手を
「優しい人」「良い人」と言う言い方でお茶を濁す事がある

言う側からすると
これは
とても都合の良い言葉である

ただし
言われた方からすると
時として
これほど残酷な言葉はない



話を元に戻そう


「優しい」「冷たい」「優柔不断」

では
その境目は何処に有るのだろう?


それはやはり
その人に対する好意の度合いだろう

ちょうど、セクハラと同じだ


同じ事をされても

好きな人からされたら「スキンシップ」だが
嫌な相手からされると
それが「セクハラ」となるのと同様に
「優しさ」も又
相手に対する好意の度合いで
「優しい」と「冷たい」
あるいは「優柔不断」に分かれるのだ



ではこれは
努力をすれば何とかなるのであろうか?

残念ながら必ずしもそうでは無い場合も多い


もちろん
日頃の付き合い方や
接する態度は大きくものを言うので
相手に対する努力は不可欠ではあろうが

後はタイミング
これも大きな要素になる

間が悪いと弁解のしようも無い


しかし
一番大きな要因は
やはり相性と言う事になるのでは無いだろうか?

相手を受け入れられるかどうなのか?

それには生理的な部分も多分にはあるだろうが・・・



需要と供給では無いが
相手が望む事を
さりげなく出来る自分でありたいと思う


「優柔不断」だけならまだマシでは有るが
「優しさ」も過ぎれば
「余計なおせっかい」になってしまうのだから



言葉

昨日の続きのような話になってしまいますが・・・



メールにしても
ブログにしても
ブログに寄せるコメントにしても
そうなんでしょうが
パソコンとか携帯で打つ文字と言うのは
誰が打っても同じ文字ですよね


たまに、字体を変えている人もいたり
最近は
手書きで書けるブログなんかもあるそうですが




普通は文字をみれば
ある程度は
「これは男文字だ」
とか
「女性っぽい字だね」
とか、判断は出来ます

稀に
「えー! マジ?」
と、言う場合もありますが(笑)



ところが
パソコンや携帯で打った文字と言うのは
手書き文字と違って
文字そのもので
相手を判断するのはかなり難しいです


そこで相手を判断をするとすれば
書いてある文章しかありません



でも、そこには様々な問題も潜在しています



昨日のブログの
コメント返しにもちょっと書きましたが


男が女に成り済ましてメールを書いても分かりません

極悪人がきれいな文章を書くと
まるで善人に見えてしまいます

文章だけ読むと
とても素敵な人に思えたりします
(これは私の事か?(笑))

美人じゃなくっても・・・

あっ、いや・・・そのぉ・・・ f(^-^;




ちなみに私は
私の文章を読んでくれた色々な人から

「イメージが違う」

と、かなりの確率で言われます(笑)



ねぇ?

それってどう言う意味?(笑)
(やっぱり・・・ね?(笑))





面白い調査結果が出ていましたので
ちょっと紹介しましょう


  クリックしてください
      ↓
『男性の3人に1人は、ハートマークで勘違い』



いやでも
そりゃ勘違いしますって(笑)


だって、ハートマークですよ!

普通、どうとも思っていない男に
ハートマークなんか付けないでしょ?
(そう思う私がオジサンなのか???)




以前
会った事も無いメル友の男に恋をした女性が
男の為に金を着服したって事件がありました

その時
ニュースのキャスターが
「会った事も無い男に
 メールのやり取りだけで恋をするなんて考えられない」
と、言っていましたが
今の時代
そう言う事だってままありますよね


経験、有りませんか?




例えば
落ち込んでいる時に
優しい言葉をかけてもらったら
タイプじゃない相手にだって
恋をしちゃう事もあります

気の迷い?
酔っていたから?(笑)

冷静になってから後悔をする事も?(笑)


でも、それは
後になって言える事です


もちろん
そのままゴールインをして
2人が幸せになったのなら
それは本当に何よりな話ですけどね





”言葉”って

言葉を放つ方は
それほど重大には思っていなかったにしても

受け止める側にとっては
それだけ大きなものなんです


ちょっとした言葉に傷ついたりする事もあれば
言葉の優しさに救われる事もあります



言葉を放つ側の責任とまでは
堅く考えなくても良いのでしょうが
書く時は
相手の事を思いながら書きたいものですね






手紙  Part2

パソコンにしろ携帯にしろ
メールとかブログのコメントなどは
何かしら毎日書いていますが
考えたら
手紙って久しく書いていません


いったいいつから?


思い起こしても
記憶の階段を辿っても
記憶に無いくらい・・・


いやいや
まだ記憶が飛んじゃうほど
ボケてはいませんのでご安心を!?


ともかく(笑)

それくらい書いていないって事ですね




用件ならメールでも十分伝わるけど
気持ちを相手に伝えるなら
やはりメールよりは手紙でしょうか?



「想いを綴る」と言います


相手の顔を思い浮かべながら
1文字、1文字書いていく

キーボードで打てば単なる1文字ですが
直筆の場合は
一角、、一角を紙に流す時間

そこに想いが込められていきます




私もそのタイプなのですが
大きな身体に似合わず
小さな文字を書く人っていますよね

もっとも、私の場合は
元来、字が下手なので
大きく書くと上手く書けません

なので、ごまかす為(?)に
段々と書く文字が小さくなっていきました


今では米粒にだって3文字くらいは書けます!?


・・・いや、すいません

それは無理!

あまりに大袈裟でした(汗)



まぁ、私の事はともかく



パソコンで打った文字にしろ
直筆の文字にしろ
読めば同じ1文字です


でも、文字って
その人の人となりだとか
性格、クセが表れていますよね


丸っこい文字

マンガ文字みたいに可愛い文字

原稿用紙のマス目なら
はみ出してしまいそうなくらい
武骨なゴツイ文字

右下がりの文字


文字を見たら、相手が分かります

その文字のクセを見ると
相手の事を思い出し
つい懐かしさもこみ上げてくるものです




来た手紙の文字が昔と変わっていなかったら

「あー、
  こいつ、相変わらず元気でやってるんだなぁ〜」

って、嬉しくなるし

逆に、筆圧が弱くなってでもいたら

「どうしたんだろう?」

と、心配になったりします



そう言えば昔の歌に

”涙で文字が滲んでいたら わかってください”

と、言うのがありましたよね


これなんかは
メールの絵文字や顔文字で
《泣き顔》を入れるのとは
全然伝わり方が違うんじゃないでしょうか


もし
私が昔の彼女から
そんな涙で滲んだ手紙でももらったものなら
何もかも投げ飛ばして
すぐにでも飛んで行くでしょう


そんな気持ちになりません?

本当に?

自信、あります?(笑)




私もこうして
パソコンで文章を書いたりしていますので
パソコンで打つ文字を
否定するつもりは全くありません

メールでだって
ブログでだって
伝わる想いはたくさんあります
(おいおい、矛盾してないか?(笑))

でも
文字を見て相手を気遣うなんて事は
直筆には敵いません


パソコンだとせいぜい

「***・・・」

とあれば
この《・・・》の意味を考えるくらいです

(私もメールの時
  相手に”何か”を感じてもらいたい時は
  言葉の語尾に《・・・》を遣います)


後は、余程相手の性格を知っていない限りは
書いている通りにしか受け止められないでしょう






おりしも年賀状の時期

せめて
相手に対する一言くらいは
気持ちを込めて直筆で書かなくっちゃなぁ〜


なんて思うこの頃です。。。







”らしく”

「男らしくしないな」

「少しは女らしくしたら?」

「子供は子供らしくしなさい」

「大人らしく分別を持ちなさい」

「人間らしく生きるべきだ」




らしく・・・?


誰から見て ”らしく”と言うのか?

誰を見て ”らしく”と言えるのか?




”らしく”と付くと否定的な言われ方になる

少なくとも、《積極的な肯定》では無い



誰の為に”らしく”なきゃいけないと言うのか?

そんな事は余計なおせっかいと言うものだ




”らしく”とは

自分が自分の心に刻むものだ

自分を律する心が言わせるものだ




  ”自分らしく生きる事”




それを分かってくれる人が

「あなたらしいね」

と、笑ってくれたら

それはとても嬉しい事です




伝えたい事

「ねぇ・・」

 ケンカの後で女が言った

「ケンカが出来るって事はまだ続けられるって事かなぁ?」



「そうだね・・・」

 男は答えた

「ケンカをするって事は

 まだ相手に伝えたい気持ちや言葉が有るって事だからね」



「じゃあ、ケンカも出来なくなったらもう終わりって事?」



「だと思うよ。

 伝えたい気持ちや言葉が無くなったら
 
 一緒にいる意味も無くなったって事だよ。
 
 言いたい事が有るのに
 
 言うのを諦めてしまうって場合も・・・
 
 多分、同じかもね」



「諦めるって?」



「どうせ、言っても聞いてくれない。

 分かってくれない。

 そう思う事って無い?
 
 なら、ケンカをしてまで
 
 わざわざ嫌な気持ちになりたくないって思うだろ?
 
 そう言う事だよ」



「嫌な事を言う自分が嫌になるって事も有るものね」



「そうだね。

 なら、自分が黙ってしまった方が

 余計な波風を立てなくて済むし

 第一、楽だよ」



「それはおかしいよ!

 だって、好きだから一緒にいたいはずなんじゃないの?

 それだったら、とことん話し合うべきよ!」



「理想はそうなんだけどね。

 でも・・・少しでも話を聞いてくれる人なら

 まだ救いは有ると思うけどさ。

 聞く耳を持たない人だっているじゃない?

 話しても解ってくれないとか

 何でも自分中心にしか考えない人とかさ。

 糠に釘じゃないけど

 虚しくなって諦めてしまう事だってあるよ」



「それも何か悲しいね・・・」



「多分、何十年も経つと

 いくら夫婦だって

 それが良くも悪くも普通になるのかもね」



「そうなのかなぁ〜」







毎日の生活の中では
いつも本音ばかり言ってたら
上手く行くものだって上手くいかないでしょう


時には黙って目を瞑る事も必要です


でも、それだけでも
やはり上手くは行きませんよね


夫婦でも恋人同士だって
たまにはケンカをする事も必要なんでしょう


ケンカをする事で見えてくる
お互いの事って言うのもあります


もっとも、毎日のようにケンカをしてるって言うのは
それは又、別な話なのかも知れません


どちらかの考え方に問題があるとか・・・


或いは
ケンカが趣味とかレクレーションになっているとか!?



まぁ、ケンカを
趣味やレクレーションにはしたくはないけすけどね(笑)



生きる

昨夜、タクパパさんからメールが入りました


高校時代の同級生の突然の訃報でした



『今年の夏も一緒に飲んで
  タバコも止めて、運動して
  仲間内で一番健康に気を付けていたのに
     〜中略〜
  子供3人、心残りだったろうな・・・』





私自身も母親を亡くしていますが
それにも増して
若い人の死は辛いものがあります


義弟、従兄弟、職場の上司、友人と
今までも多くの死に対面をしてきました

みんな30代後半〜50代前半の働き盛り
そして、みんな子供がいました


そんな場面に接する度に
生きる事について考えました

後悔をしない為には
どう生きたら良いのか?

何をすべきなのか?


でも
普段の生活に流されているうちに
いつの間にか
そんな事も忘れてしまいます





普段、生活をしていても
今日がきた事に何も感じていません

それが”普通”の事だからです

明日も”普通”にくるものだと思っています


今日がきたのも
明日がくるのも
それは当たり前の事だと疑いません


でも
それは本当は違うんですよね





”今日”

と、言う日は

私達にとっては

”又きた普通の今日”

かも知れないけれど

昨日亡くなった人にとっては

”どうしても生きたかった明日”

なんです





そう考えると
いい加減に生きる事は出来ません


生きている者の責任としても
生を簡単に諦める事も
してはいけない事なんです


家族の為に生きようと
他人の為に生きようと
自分の為に生きようと
それは
それぞれの生き方なんでしょうから
私もとやかく言うつもりもありませんが

でも
”生きる”事だけは全うしなくてはなりません



生きたくても生きられなかった人の為にも
そして何より自分の為に

”生きる”事に一所懸命になりましょう

いや
ならなくてはならないのです



どんなに辛くても
哀しくても
寂しくても
悔しくても

心残りを残して逝かなければならなかった事

それ以上に辛い事は無いはずです




そんな当たり前な事を
友人の死で改めて思い知らされるなんて
私もつくづく学習能力の無い男なんでしょうね


本当は
”友人の死”と言う
この事自体を書く事も悩みましたが
自分への戒めも含めて今夜は書いてみました





心を込めて
遠い十勝の地より

合掌・・・



歴史は繰り返す?

風呂に入って湯船に浸かる時

「あぁ、極楽、極楽ぅ〜♪」←今時、言う?(笑)


布団に入った時には

「寝るより楽はなかりけり」←じーさんか?(笑)




ある時、ふと気がついた

『これって親父の口癖だったじゃん!?』






「勉強しなさい!」

「早くしなさい!」

「ちゃんとしなさい!」


子供さんに言ってはいませんか?


もし、言っていたとしたら
それは、あなたが昔
親から言われていた言葉なんでしょう






子供の言う生意気な一言に
カチンときたなら
その言葉は間違いなく
あなたの口癖です

見たくない自分の本当の姿を見るようで
あなたは余計に癪に障るのです






口癖だけじゃなく

気がついたら
同じ格好で寝ていただとか

ちょっとした仕草が一緒だとか

話し方や笑い方までそっくりだとか

そんな事って親子の間では良くあります



小さい頃は嫌いだった親の癖

親に反発をする為に反発をしていた若い頃



歴史は繰り返すと言うけれど
そんな大袈裟な話ではないにせよ
この小さな家庭と言う中でさえ
受け継がれ(?)繰り返す”歴史”があるのです



時々
苦笑いをしてしまう事もあるけど

「止めてくれよ〜!」
って、恥ずかしくて逃げ出したくなる事もあるけど

頭痛の種と言う事だってあったりもするけど

ホッとするひと時もあったりします



今この歳だから そう思えるのかな。。。



昨日への手紙

季節が変わりました


”昨日も今日も明日も
 いつか全てが過去になる”


そんな誰かの言葉を思い出しながら
ぼんやりと窓の外を眺めています



小さな窓から見えるこの景色が
もし世界の全てだったとしても
僕は絶望などしないでしょう


そこには花が咲き
木には小鳥が歌い
例え雨が降ったとしても
陽が射せば
木の葉の水滴はキラキラ輝きます

時々
虹の欠片も降ってきます

気紛れな猫がやってきて
こちらをチラッと見ては
退屈そうな顔であくびをしてみせます

空に浮かぶ雲は
いつも形を変えては想像力を刺激します

風が吹けば
色とりどりの落ち葉を運んできます

降り積もる雪は
全てを包んでくれます



季節は幾度も繰り返すけど
同じ日が再び巡る事はありません




今このひと時でさえ
明日には過去になっているのだと
そう・・・
それは
分かってはいるのです


明日になれば
昨日も今日も同じです

でも
それで昨日が消えてしまう訳ではありません


思い出す日が1日づつ増えていく

増えた分だけ
時には
記憶の領域から削られた欠片もまた増えるけど

それもみんな含めて思い出と言います


そんな風にして綴られた思い出が
僕が生きてきた証なのです



11月雑感

11月も半ば


春が三寒四温なら
この時期は三温四寒とでも言うだろうか?

秋と冬の綱引き

この時期
最終的に勝つ方はもう決まっているのだが・・・


そうは奇跡は起こらない




一時の寒さも
ここ数日は一段落をしている

次の寒波への充電中なのか?

つまりは
嵐の前の静けさ?

いや、シバレの前の
束の間の穏やかさなのだろうか?

それとも
冬将軍の情け?

「今のうちに早く冬の心構えをいたせよ!」


いずれにしても
冬の扉はもうすでに開かれている




今年は暖冬なのか厳冬なのか?

気象予報士は予想を並べるが
そんな事とはお構い無しに
もう2週間もして12月に突入をすると
後は世間の雰囲気も
吹く風さえも
年末に向かって
まっしぐらになっていくだろう


今年1年を振り返るには
未だ早い

クリスマスや正月を楽しみに待つ歳でも無くなった


ただ
いつものように淡々と
毎日を過ごしていく

いや
さりとて
淡々と枯れてしまうつもりもさらさら無くて

せめて
心の中にだけは
静かに炎を燃やしていようと思う

それがどんな炎でも
生きていく糧になるなら

それが良い


夏には夏の
冬には冬の炎の燃やし方がある。。。






毎年の事

長い冬の始まり

asanohuukei1.jpg



秋と冬との境目が有るとしたら

それは
長い冬の始まりを覚悟した瞬間



雪が降ったとか
氷点下になったとか

ニュースは季節の変わりを伝えようとするけど

そんなTVのニュースより
吐く息の白さが教えてくれるのです



秋から冬へ

そんな感傷も束の間



北風は枯葉を散らし
鋪道を霞め
裸の木々は
覚悟を促します



小春日和にため息をひとつついて
往生際の悪さを
まるで駄々っ子のように振舞ってはみるけれど
本当は知っています



頬に当たる風の冷たさに
ポケットの中で握り締めた拳の強さに



そろそろ覚悟を決めようか


長い冬の始まり
そう
毎年の事・・・




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