Neko

夢の汽車に乗って ショートストーリー

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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今年のクリスマスストーリー(短編小説)

私のホームページ
「夢の樹舎」に掲載しました。

     ↓

  Dear My Christmas


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隣町

あれは確か・・・

私がまだ
小学校に上がるか上がらないかの頃の事です。

季節は・・・そう、夏だったと思います。

田舎に住んでいた私は
祖父の用事について従兄弟達数人と一緒に
隣の町まで歩いて行く事になりました。

当時、昭和三十年代後半の農村では
未だ今みたいに
各家庭に車がある時代ではありませんでした。


隣の町までは山の谷間に沿った林道のような砂利道を
左手に川を眺めながら歩きます。
一本道で当然近道なんてありません。
大人の足でも二時間くらいだったと思いますから
子供だとゆうに片道三時間はかかったはずです。

それでも私達がどうしても祖父について行きたかったのには
当然訳がありました。

それはアイスキャンデーです。

隣の町には
その界隈でただ一件のアイスキャンデー屋さんがあったのです。

今なら、そんな苦労をして歩かなくたって
すぐ近くのコンビニで買って帰れば
アイスキャンデーが溶ける前には家に着きます。

でも、あの時代は大人の足でも二時間の道。
アイスキャンデーを溶かさずに持って帰れる訳もありません。

何時間かかろうが自分で歩いて行かなければ
アイスキャンデーは食べられなかったのです。

しかも、そのアイスキャンデー屋さんも
なんせ北海道の田舎の事ですから
営業をしているのは七月と八月の二ヶ月間だけでした。

その二ヶ月の間に祖父に隣町への用事が出来るなんて
それすら滅多にある事では無かったのですから
祖父が隣町に行くと聞いた時
子供達は何をさておいてもついて行くと利かなかったのです。



私達は時には手を繋いで歌を歌いながら
時には追い駆けっこをしながら歩いていました。

祖父はニコニコしながら言います。

「おい、あんまり先に行ったら迷子になるぞ!」

とか、言いながら
いつも私達に少し遅れて歩いていました。


今、思えばきっと
誰かが遅れたり道から逸れたりしないように
私達を後ろから見守りながら歩いてくれていたのでしょう。

でも遊びに夢中の私達は
そんな事など考えもしませんでした。


歩き始めるとアイスキャンデーの事なんか忘れて
私達は遊びに夢中になっていました。


「よし、今度は尻取りをしながら行こうぜ」

「じゃ、僕からで良い?」

「何でだよ? 俺からだよ!」

「嫌よ、私が先!」


でも、二時間も経つとさすがに疲れも出て私達の口数も
動きもシュンとなっていました。

そうこうして歩いていたら
従兄弟の中の年長者が道路脇の草を一本抜いて私達に言いました。

「おい、これ知ってるか?」

そう言いながら草を唇に当てると
最初はビービー鳴らしてから
それからメロディーを鳴らし始めました。
草笛です。

「あっ、その曲知ってる!」

「ねぇ、ねぇ、どうやるの? 教えて!」


一気に元気を取り戻した私達は
そんな調子でワイワイ言いながら又更に歩き続けました。



どれくらい経ったでしょう。

「あー! 町が見えたよ!」

先頭を歩いていた従兄弟の一人が
叫びながら小走りに戻ってきました。

「ほら、あの先!」


それを聞いて私達は我先にと走り出しました。


そしてまもなく山間を抜け景色が開けてくると
そこには幾つもの家並みが見えてきました。

見覚えのある景色。
見覚えのある家々。

着いたそこは私達が住んでいた集落でした。





「行きと帰りの記憶がごっちゃになってるんじゃないの?」

「なんせ子供の頃の事でしょ?
 記憶が曖昧でも仕方がないよね」

「夢でも見てたんじゃない?」

きっと、読んだ皆さんはそう言うでしょうね。
或いはそうだったのかもしれません。
でも、今はもう確かめる術もないんです。

あの時、一緒に行った祖父はもちろんですが
あれから数年の内に
まるで<何か>に祟られでもしたかのように
或る従兄弟は病気で、或る従兄弟は事故で
又、或る従兄弟は行方不明になってしまい
誰にも確認が出来ないでいたのです。

何故か私一人だけが生き残ってしまいました。
それが良かったのかどうかは解りません。
あの日の真実を誰にも確かめる事も出来ないまま
今も答えの出せない問いに繰り返し自問自答を続けています。

夏が来る度に・・・


『なぁ、来週の土曜日にこっちに遊びに来ないか?
 どうせヒマなんだろ?』

この前みんなで会ってから一ヶ月ほど経った頃に晃から電話があった。

「ヒマじゃないよ。こう見えてもけっこう忙しいんだ」

『どうせ洗濯とか部屋の掃除だろ?』

図星を突かれて俺は思わず苦笑するしかなかった。

『それじゃ決まりな』


朝一番の列車を乗り継いで午後には故郷の風景を車窓に臨んでいた。
駅に着くと晃が迎えに来てくれていた。

「おう、お疲れ!」

「あぁ、ただいま」


晃の家に向かう車の窓からアーケード商店街の中央広場に大きな七夕飾りがあるのが見えた。

「そっか、今日は七夕だっけ?」

「知ってるか? ここの七夕飾りは望みが叶う事で有名なんだぜ。
 願い事を書いた短冊を飾って、それを好きな人に見てもらえるとその恋が叶うんだってさ。
 お前も書いてみたら?」

「いったい誰に見せろって言うんだよ?」

「さぁな。誰か見てもらいたい人っていないのか?」

「いないよ。残念ながらね」

「美奈子は?」

「もう昔の事だよ。美奈子だってもうとっくに忘れているさ。
 今更蒸し返したってどうしようもないよ」

「そうかな?」

「あぁ。でも、そんなの昔あったっけ?」

「いや、十年前からだ」

「何か云われになるような事でもあったのかい?」

「あぁ」

「ほぉ、それは興味あるね。で?」

「アーケード商店街がリニューアルしてな。
 たまたまその時期が七夕だったもんで盛大に七夕祭りをやる事になってさ」

「うん」

「で、目玉に何か作ろうってなって大きな七夕飾りを飾るようになったのさ」

「それで?」

「それで? それだけだよ」

「何だよ、それ? じゃ、願い事がどうってのは?」

「そんな事、言ったっけ?」

「おいおい(笑)」

「まぁ、云われとか迷信なんてそんなもんだよ。
 多分、若い奴らが面白がって言い出したんじゃない?」

「やれやれ」

「なんだい? ガッカリしたのか?」

「かもね(笑)」

「まぁ、生きてりゃ良い事だってあるさ」

「何だそれ?」


晃の家で有希の手作りの夕飯をご馳走になった後で三人で商店街に繰り出した。

七夕飾りを大きく囲むように出店が並んでいてかなりの人出だった。
昔では考えられないほどの賑わいだ。


「けっこう人が出てるね」

辺りを見渡して俺は言った。

「あぁ、毎年人出も増えているらしいよ」

そこに有希が何処からか戻って来た。

「もらって来たよ」

手にレジ袋と何か紙のようなモノを持っていた。

「よし、じゃあ書くか。今年こそは当たりますように!」

そう言うと晃はその紙を両手に挟んで神頼みのかっこうをした。

「それは?」

「短冊だよ」

「って、言うか抽選券ね」

有希がその紙を見せてくれた。

「抽選券?」

「ここの出店で五百円買う毎に一枚抽選券をくれるの。


「それはともかく、お前もこれに何か書けよ」

「いや、だから・・・」

「違うんだ。去年からイベントが始まってさ。
 この短冊が抽選券になっていて
 願い事をひとつと名前を書いて箱にいれるんだ。
 司会者が短冊を引いて当たると豪華景品が当たるんだぜ。
 今年の特賞はハワイ旅行なんだ。
 実は俺らは新婚旅行に行ってなくてな」

「お前、それが目的で俺を呼んだのか?」

「いや・・・あはは、すまん!」

晃は腰を九十度くらいに折り曲げて頭を下げた

「そんな理由で俺を呼んだのは腹が立つけど
 有希ちゃんには俺も世話になったからな。
 しゃーない、協力するよ」

「すまん!」



カラオケ大会だとか地元の学生バンドの演奏だとか
賑やかに七夕のイベントも進んで八時を過ぎた頃から抽選会が始まった。

「なぁ、何て書いたんだ?」

晃がそう言ってニヤニヤ笑いながら訊いてきた。

「何だって良いだろ?」

どうせ当たる訳はないと思って書いたものの
こいつにだけは知られる訳にはいかないと苦笑した。


ステージ上での抽選会は地元FMの人気DJ氏が司会を務めていて
その傍らにはおそらくは二十歳前後だろうか
<ミス七夕>のタスキをかけた若い女性がアシスタントについていた。


順番に抽選が進んでいったが俺はもちろん晃も有希も一向に当たる気配すらなかった。
そしていよいよ残りは特賞のみになった。

「やっぱ、今年もダメだったか。
 すまんな、お前まで引っ張りだしたのに」

申し訳なさそうに晃が呟いた。

「なぁに、まだ勝負はこれからさ」

「そうよ、最後に笑うのは私よ!」

有希は抽選券の半券を両手で胸に当てていたが
その片方の指を少しずらすと小さくピースサインを出した。


「さて、それでは!
 はい、いよいよ特賞の発表を残すのみとなりました。
 それでは最後の一枚を引いていただきましょう!
 皆さん、心の準備は良いですか?
 いきますよ! さぁ、今年の特賞は誰の手に渡るでしょう!
 お願いしまーーーーーす!」

DJ氏が促すとミス七夕が
抽選用紙の入った箱をゆっくりグルグルかき回して
やがてゆっくりと抽選箱の口から一枚の抽選券を取り出して大きく上に掲げた。

「さぁ、皆さん! 注目ですよー! どうぞ、お名前を読み上げてください!」

そう言うとDJ氏はミス七夕の口元にマイクを向けた。
ミス七夕はひとつ大きく深呼吸をすると
名前を改めて確認してからゆっくりと読み上げかけた。

晃と有希が固唾をのんでその瞬間を見守っていた。

「特賞は・・・」

そこでミス七夕がまたひとつ大きく深呼吸をした。
ここでワザとタメを作るのも場を盛り上げる常套手段だ。

「おーい! 早く読み上げてくれよー!」

観客からも歓声が飛んだ。

最早、泣きそうな感じで晃が祈る。
有希も両手を合わせて強く目を閉じていた。

覚悟を決めたかのようにミス七夕はついに名前を読み上げた。

「特賞は・・・山崎和也さんです! おめでとうございます!」

DJ氏が当選した抽選券を受け取って会場に呼びかけた。

「山崎和也さん!
 いらっしゃいますか?
 この場にいなかったら無効ですよーーー!」


「きゃー! 和也クン、当たったわよ! さっ、早く早く!」

そう言うと有希は俺を急かせてステージの方に背中を押した。


会場のお客さん達のヤジとも歓声ともつかない声にはやし立てられて
かなり照れくさかったがDJ氏に促されて俺はステージに上がった。
軽くお辞儀をしながら壇上を進むとDJ氏の拍手に招かれるままに中央に立った。

スポットライトが当てられているせいか緊張のせいなのか
俺はこの場違いな雰囲気に気押されて汗だくになっていた。
なんせ、こんな事は生まれて初めての経験だ。
俺は逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えつつ
心持ちか震える手を抑えるように両手を後ろ手に組んで何とか落ち着こうとしていた。

DJ氏は満面の笑みでマイクを俺に向けた。

「おめでとうございます! えー、山崎さんですね?
 今日はどちらからおいででしたか?」

「S市からです」

「あら、わざわざですか? この為に?」

「あっ、いや・・そう言う訳では・・・」

「んー、それは困ったなぁー 
 この為にじゃないとするとずっと待っていた地元の人が怒っちゃいますね」

その声に会場から歓声が飛んだ。

「そうだ、そうだ! 抽選やり直しーーー!」

「あっ、それじゃ・・・」

弱気になった俺にDJ氏が笑いながら言った。

「あはは、冗談ですよ。
 遠い所からおいでいただいた甲斐がありましたね。
 おめでとうございます! さっ、目録です」

特賞の目録を手渡すとDJ氏は俺にマイクを向けて訊いた。

「ところで何て書いていただいたんですか?
 どれどれ・・・ほぉ、なるほど。もし良かったら読み上げても良いですか?」

にこやかな笑顔でDJ氏は俺の返事を待っていた。

「あっ、いや・・・それは・・・」

俺はしどろもどろになった。
DJ氏が改めて俺に返事を促した。

「オホン、特賞が当たった方の願い事を読み上げて
 この会場のみんなで一緒に願うのが慣わしなんですよ。
 それともやっぱり、権利を放棄しますか?」

壇上で困っている俺に晃が無責任に声を飛ばした。

「和也、ハワイだぞ、ハワイ! 読め-!」

「応援の方ですね。あー言ってますが、どうします?」

この場の空気を白けさせる事は出来ない。
かと言って、こんな大勢の面前でアレを読むなんて絶対に無理だと思った。

余程と思ったのか? 見かねてDJ氏は助け船を出してくれた。

「もし、差し障りがあるようでしたら答えなくてもけっこうですよ。
 私だってそこまで悪党じゃありませんからね。
 ただ、ものすごーくこの内容には興味はありますが」

DJ氏はそう言うともう一度抽選券に書かれていた文字を目で追った。

「いや、その・・・ちょっと・・・その、勘弁してください。
 まさか、当たるなんて思っていなかったもので・・・つい・・・」

俺はますますしどろもどろになって言った。
そんな俺にDJ氏は笑顔で続けた。

「判りました。けっこうですよ。
 誰にだって、そっと大切にしておきたい想い出とかってありますものね。
 それでは抽選券もお返しいたしますので、後でぜひあそこの七夕飾りに下げてください。
 その願い、きっと叶いますよ」

「は、はい」

「それではS市からおいでいただいた幸運な山崎さんにもう一度、大きな拍手をどうぞ!
 願い事が叶いますように!」

DJ氏はそう言うと俺の肩を抱いて会場を見渡して来場者の拍手を促した。



「この後は係の者が説明をしますのでステージの後ろのテントへどうぞ」

ミス七夕に促されてステージの後ろの階段を下りると
俺はミス七夕の後について事務局のテントに入っていった。

「お母さん、特賞の方をお連れしたわよ」

ミス七夕のその声に
事務服を着た四十代くらいの女性が愛想良く一礼をして迎えてくれた。

顔を上げて俺と目が合った瞬間、その女性の笑顔がこわばった。

「えっ!? 和也・・・? まさか・・・」

商工会議所で事務員をしているという美奈子だった。


「えっ? お母さんの知り合い?」

突然の再会に戸惑っていた二人を交互に見ながらミス七夕が驚きの声を上げた。

「えっ? あ、あぁ・・・そうね。ご無沙汰していました」

美奈子は俺に又、お辞儀をした。

「あぁ、しばらくだね。元気だった?」

とっさに繕ったつもりの俺の笑顔もきっと引きつっていたかもしれない。

「えぇ。なんとか」

「そっか。良かった・・・」

ぎこちない雰囲気の二人にミス七夕は気を遣ったのか努めて明るく言った。

「私、お邪魔ね。外に出てるわ。あっ、山崎さんでしたっけ?
 私、娘の真奈です。後の説明とかは母に任せますので」

真奈ちゃんはそう言うと軽くお辞儀をしてテントの外に出ていった。


真奈ちゃんは俺の抽選券に書いた言葉も読んでいたはずだ。
それが母親の事だという事にもきっと気付いたに違いない。

『まさか、こんな事になるなんて』


「あの・・・」

美奈子はハワイ旅行のパンフレットを差し出すと伏し目がちに言った。

「あっ、はい?」

「とりあえず、説明を・・・」

「あっ、はい」

美奈子は丁寧に事務的な話をしてくれていたと思うけど
俺の耳には何も入っては来なかった。

その時、ふと晃と有希の顔が浮かんだ。

「あの・・・」

「はい?」

「あの、これって誰かに譲る事って出来るのかな?
 あの、俺の友人で結婚をして何年も経つのにまだ新婚旅行に行ってない奴がいて。
 で、その・・・出来ればその友人にプレゼントをしたいんだけど・・・」

美奈子は俺の顔を改めて見ると初めて笑顔になった。

「変わってないのね」

「えっ?」

「いつも自分の事より相手の事ばかり気を遣って」

「い、いや、そんなつもりじゃないんだけど」

それには答えずに美奈子は呟いた。

「私は・・・変わっちゃったな・・・」

「・・・」

「本当は当選は他の人には譲ったらダメなんだけど聞かなかった事にするわ。
 友人って有希のとこでしょ?」

「ふっ。君もやっぱり変わってないよ。
 勘の良いところと自分で責任を抱え込むところ。
 そして、やっぱり今も優しいところ」

「そんな事・・・私は和也を裏切ったのよ」

美奈子の目からは涙が溢れた。
俺は美奈子の言葉を打ち消した。

「いや、そんな風には思った事はないよ。
 ただ、あの時は君は君で精一杯に家族を支えようとしていた。 そうだろ?」

「・・・」

「きっと、お互いに迷子になっていたんだよ。
 目の前の事だけに一生懸命になるしかなくて
 自分の心を迷路の中に閉じ込めてしまってたんじゃないかなぁー」

「・・・」

「俺もそうだよ。仕事の事しか頭になかった。
 君の気持ちだとか、状況とか・・・
 そう。愛を押しつけようとしていただけだったんだと思う。
 今だから・・・その、そう思えるっていうか。
 あの頃は自分の事しか頭になくて『なんで?』とか、そんな風にしか思えなかった」

「お互い様よね」

「そう、お互い様だよ」

その時の俺の頭の中には<あの頃の事>が走馬燈のように繰り返し回っていた。


テントの入り口のところで隠れるように晃と有希が中の様子を覗いていた。
真奈ちゃんも一緒だった。

「押すな、おい、こらっ!」

「キャー!」

「えっ?」

驚いてテントの入り口の方を見るとそこに晃と有希が倒れ込んでいた。
その後ろには真奈ちゃんの心配そうな顔も見えた。

「いてて・・・」

腰をさすりながら晃は有希の手を引きながら立ち上がった。

「あはは、スマン。つい・・・」

「ごめんなさい」

有希も神妙な顔でこっちを言った。

「何やってんだよ?」

晃に向かってそう言ったものの
晃に対しても美奈子に対しても何だかとても気まずい体だった。

「あっ! お前、美奈子がここにいるって知ってたのか?」

「いや、そこまでは知らなかったよ。
 真奈ちゃんがミス七夕だってのは知ってたけどさ」

慌てて晃がそれを打ち消した。

「ホントだよ! それに抽選だってまさかホントに当たるなんてさ」

「ホントよねー しかも、和也クンの抽選券を選んだのが真奈ちゃんだなんて。
 これはもう運命じゃない? ねぇ?」

有希が晃に同意を求めた。

「おー、そうだよ! 絶対にそう! これはこうなる運命だったんだよ!」

晃は俺に言い含めるように言った。

「何が運命だよ? ねぇ?」

俺は思わず苦笑をしながら美奈子に向かって言った。
美奈子はただ微笑んでいた。

そこに真奈ちゃんがテントの中に入って来て美奈子に言った。

「お母さん、山崎さんって良い人だと思うわ。
 今でもお母さんの事を心配してくれていたのよ」

「えっ? 何の話?」

美奈子が怪訝な顔で真奈ちゃんに訊いた。

「あれ、抽選券に書いていたのってお母さんの事ですよね?」

真奈ちゃんは俺の方を向くと訊いた。

「えっ? いや、あれは・・・」

「おっ、何だい? それ気になるな。ねぇ?」

そう言って晃は有希を見た。
それから俺の方を向くと言った。

「和也、何って書いたんだよ? どれ、見せろよ」

「嫌だよ!」

「見せろって!」

「ダメだ!」

「良いじゃん、減るもんじゃあるまいし」

「減るよ」

「な、訳ないじゃん。見せろって。いや、見せてくださいませ」

「しつこい!」

「何だ? 今頃判ったのか?」

「もう良いよ」

「いや、良くない!」

「何でだよ?」

「俺が困る」

「何でお前なんだよ?」

「いい加減に観念しろって」

「嫌だよ。恥ずかしい」

「何? 恥ずかしい事なのか?」

そんな俺と晃のやり取りを笑いながら見ていた真奈ちゃんが言った。

「全然、恥ずかしくないですよ。素敵です」

「もう止めてよ。顔から火が出そうだよ」

「じゃ、言うんだな。それが世界平和の為だ」

「何だよ、それ? 他人事だと思って」

「他人事さ。他人と言っても自分の事じゃないって意味でな。
 大親友の事だからさ、すっごい気になってる」

そこに有希が口を挟んできた。

「ほらほら、美奈子もすごい気になっているみたいよ。ねぇ?」

そう言うと有希は美奈子にウインクをした。

「でも、和也が困ってるし」

美奈子はそう言うと同情するように俺を見た。

「もう・・・判ったよ」

最早俺は諦めの境地になっていた。

「おっ! やっと観念したね?」

「したんじゃない。させられたんだ」

「同じさ。で、何て書いたんだよ?」


俺は渋々ポケットから抽選券を出すと晃には渡さずに美奈子に手渡した。
美奈子はそれを読むとしゃがみ込んで両手で顔を覆って泣いた。

「えっ? 美奈子? ちょっと見せて」

有希が美奈子から抽選券を受け取ったのを見て晃もそれを覗き込んだ。

「和也クン・・・」

有希も両手で顔を覆った。
すると晃がこう言い放った。

「何だよ、これ? ねぇ、ボールペン借りるよ」

晃はテーブルの上にあったボールペンを取ると抽選券に何か書き始めた。

「おい、勝手な事をするなよ!」

俺は思わず晃に向かって叫んだ。

「良いから」

「良くないよ。いくらお前だって・・・」

そう言いかけた時に晃が美奈子の脇にしゃがみ込むとその抽選券を美奈子に手渡した。

「こうだよな?」

美奈子は晃から手渡された抽選券をただじっと見つめていた。

「おい、何だよ?」

俺は晃に問いただした。
すると涙を拭きながら美奈子は立ち上がると俺にその抽選券を渡してくれた。
その抽選券には晃のごつい字でこう書き足してあった。

<和也と>


「晃、お前・・・」

「別に急ぐ必要はないさ。
 もう十分に遠回りをしたんだから、今更少しくらい時間がかかったって平気だろ?」

そう言うと晃は俺の肩をポンと叩いた。


その時の抽選券はもうすっかり色褪せてしまったけど今でも<俺達>の宝物になっていた。
ただ、晃達と飲むたびに話のネタにされるのにはいい加減辟易している。

あー、何て書いていたのかって?
もう忘れたよ。

「嘘ばっかり」

傍らで美奈子が微笑んだ。



<和也と美奈子が幸せになれますように>



「なぁ、どうせ毎日朝から晩まで就活をしてる訳じゃないんだろ?
 きっと気分転換にもなると思うし、何より人助けだと思ってさ。
 週に二~三日で良いから、ちょっと手伝ってくれないか?」

もう三十一、二年前の事だ。
卒業前に就職が決まらなかった俺は
地元に戻って一年間就職浪人をしていた時に
晃の誘いでとあるボランティアの手伝いをする事になった。


そんな或る日、その日の仕事が終わって帰ろうとしていた時だった。

「山崎さん? 山崎さんって高梨さんの友達でしたよね?」

そう言って声を掛けてきたのが菅原美奈子だった。

「えっ? あぁ、そうだけど」

菅原美奈子の第一印象はセミロングの髪が似合う明るい子だった。
実際、笑うと目尻が下がってクシャクシャな笑顔になるんだけど
それが又、嘘なくらい可愛かった。
人伝に聞いた話だと歳は俺より二つ下で地元の信用金庫に勤めているらしい。
ボランティアでは同じ班になる事はなくて
あまり話した事も無かったけど俺はしっかりチェックだけはしていたのだ。

その美奈子から俺に話しかけてきたのだ。
俺はちょっとドキドキしながらも努めて平静さを装って聞き返した。

「何?」

聞き返す俺に美奈子は少しためらいながら口を開いた。
いつも遠くから見ていた笑顔ではなくむしろ神妙な面持ちだったが
そんな顔も又、素敵だと思った。

「すみません。いきなりな話なんですけど・・・
 あのぉ、私の友達の有希が高梨さんの事を好きらしくて。
 で、私『いつも傍にいるんだからチャンスはあるでしょ?
 思い切ってアタックしたら?』って言ってたんですけど。
 でも、いざとなるとなかなか高梨さんに言えなかったみたいで。
 で、私。なんとかしてあげたいなって・・・
 で、その・・・高梨さんに・・・訊いてもらえませんか?
 有希はシッカリ者だし、料理なんかも得意で・・・えーっと・・・
 そう! でも、他人の面倒見は良いくせに自分の事になるとからっきしで
 とにかく良い子なんです! だから、その・・・」

「晃?」

俺は内心ちょっとガッカリしたけど、まぁ現実はそういうもんだろう。

「有希さんって・・・あぁ、晃と同じ班のショートカットの子だっけ?」

「はい、傍で見ていても二人は良い感じに見えるんですけど
 でも、何だか高梨さんの方が、何て言うのか・・・
 あのぉ、高梨さんって彼女とかいるんですか?」

「んー、今はいないと思うけどね」

「ホントですか! じゃ、ぜひお願いします!
 高梨さんに有希の事をどう思っているのか訊いてもらえませんか?
 ダメならダメでも良いんです。
 でも、ハッキリしないと有希もケジメが付かないと思うし」

「オーケー。解った。訊いてみるよ」

「ありがとうございます!」

そう言うと美奈子はペコリと頭を下げた。

『さてさて、引き受けはしたものの、どうやって晃に話そうか?
 こりゃ、責任重大だぞ!』

俺の話し方ひとつで、もしかしたら上手くいくかもしれないし
もしかしたら全てがオジャンになるかもしれない。
上手くいけば美奈子に感謝をされるだろうけど
万が一、上手くいかなければ美奈子に頼りない男だと思われてしまうだろう。

『さて、どうやって・・・』

俺はしばし腕を組んであれやこれやと作戦を考えていた。


ところが実はこれは晃と有希が考えた計略だったのだ。

もちろん、これは後で解った事ではあるんだけど
その時には二人はもう既に付き合っていて
なんと晃と有希は俺と美奈子を近づけようとしていたのだ。

それを知らない俺はその夜、晃に電話をした。

『おぉ、どうした?』

考えあぐねた末に出した結論。
それは単刀直入だった。
なんとも我ながら情けない結論だと思った。
だが、下手な小細工はむしろ上手くいく事さえダメにするような気がしていた。

「いや、実は今日。菅原美奈子が来てさ」

『菅原? あぁ、お前が前に可愛いって言ってた子な? それで?』

「うん、それでね。有希さんってお前の班にいるだろ?
 その子がお前の事を好きだって言うんだ。
 で、今彼女がいないのなら付き合ってくれないか訊いてくれって言われてさ」

『有希? あぁ、有希ね・・・』

「どう?」

『どうって・・・まぁ、可愛い子だと思うよ』

「じゃ、付き合ってみたら?」

『そうだな、考えておくよ』

何だか、いつもの晃らしくなく妙に素っ気ない返事だった。

「何だよ? 気に入らないのか?」

『いや、そういう訳じゃ・・・
 そうだ! そしたらさ。今度の日曜日に四人で会わないか?
 いきなり二人でって言われても、何か照れくさいしさ。
 良いだろ? 付き合えよ。お前にも責任はあるんだからさ』

「責任? 責任って何だよ?」

『お前、菅原美奈子が可愛いって言ってたろ?』

「まぁ・・・」

『なら、ここで親しくなっておくのってお前にとってもチャンスじゃない?』


次の日曜日。祐二さんの喫茶店で四人で会った。
他愛もない話やお互いの小さかった頃の話とかで盛り上がって
気が付けば四時間以上が経って時間は夕方の六時を過ぎていた。

「おっ、もうこんな時間か? 有希、この後どうする?
 時間があるなら何処かで食事でもしてく?」

晃が有希に訊いた。

「はい、喜んで!」

有希は笑顔で答えた。

「お前らも行くだろ?」

晃が俺に訊いた。

「いや、これ以上お邪魔虫はしないよ。お二人で仲良くどうぞ」

「そっか。そしたら和也。お前、ちゃんと美奈子さんを送って行けよ」

「えっ? 俺?」

「何を言ってんだよ。当たり前だろ?」

「でも、美奈子さんだって都合とか・・・ねぇ?」

「いやでも、山崎さんに迷惑だし・・・」

俺と晃を見比べながら戸惑いの表情を見せる美奈子。

「そんな事はないよ。なぁ?」

晃が俺の背中を押した。

「もちろん」

「じゃ、美奈子さんを頼んだぞ」

そう言って晃は俺の肩をポンと叩くと有希と連れだって店を出て行った。


<美奈子さんを頼んだぞ>の意味がどういう意味だったのかはともかく
今、思うとしらじらしいくらいの晃と有希の小芝居に乗せられたかっこうで
店を出た後、俺は美奈子を送る事になった。


「あの二人、かなり良い感じでしたよね。きっと上手くいきますね」

歩きながら美奈子は本当に嬉しそうに言った。

「そうだね。上手くいくんじゃない?
 何だか、あの二人はもう何年も付き合ってるみたいに自然に話が合っていたしさ」

「ですね。良かったぁ」

まるで自分の事のように美奈子は心からの笑顔を見せた。
その笑顔は俺の心臓を射貫くには十分過ぎるくらいの威力があった。


キッカケはともかく。
その件があったお陰で俺達も自然に付き合うようになっていった。

幸せな時間だった。

愛し合うという事は決して時間の長さではなくて
その期間にどれだけお互いの想いを尽くせるのか?
その深さなのだと実感できた日々だった。


それから夏が来て秋になり年が明けて
やがて冬が盛りを過ぎた頃、ようやく俺の就職が決まった。


「ホント!? 良かったね。うん、良かった!」

祐二さんの店のいつものカウンターではなく
その日は窓際のボックスの席に美奈子を座らせて就職の報告をした。
先ずは誰よりも先に美奈子に聞いて欲しかったのだ。

「ありがとう。何だかね。ようやくスタートラインに立てた気分だよ」

「そうね。大変なのは働き始めてからだものね。
 何でも相談して。こう見えて私の方が社会人としては先輩だから」

「はいはい。お願いします! 頼りにしてます、先輩!」

「オッケー、任せといて! って、言いたいとこだけど。
 でも、和也の方がずっと大人だもんね。
 私なんか、頼りになるかしら?」

「あはは、頼りになるよ。さすがに信金勤めだけあってシッカリしてるしさ。
 美奈子になら結婚をしても安心して給料を全部預けられるよ」

「えっ?」

驚いた顔で美奈子が俺を見た。

「オホン!」

ひとつ咳払いをすると席に座り直して俺は美奈子の目を見て言葉を続けた。

「あのさ。実はもうひとつ報告があるんだ」

「・・・」

「実は勤務先なんだけどね。S市に配属される事になったんだ」

「S市? そっか、けっこう遠いね・・・」

俺の視線を外して窓の外を見ながら美奈子はポツンと言った。
S市はここからだとJRでも五時間はかかるし車だと六時間近くはかかる距離にある。

「それでさ。あの・・・そんなに頻繁には戻って来れないと思う。
 入社したら一ヶ月はビッシリ研修もあるし・・・
 だから、その・・・一緒に来て欲しいんだ。
 もちろん、美奈子も仕事の事だってあるだろうからすぐにとは言わないけど。
 でも、なるべく早く来て欲しい。 美奈子、結婚しよう!」

「・・・」

目の前には戸惑った顔の美奈子がいた。

取らぬ狸の皮算用とはまさにさっきまで自惚れていた俺だ。
結婚の時期はともかく、すぐに良い返事がもらえるものだとばかり思っていたし
その<答え>しか想定してはいなかったのだ。

取り繕うように俺は続けた。

「いや、だから・・・すぐじゃなくて良いんだ。
 美奈子の仕事が・・・」

そう言いかけた時に美奈子が呟いた。

「ありがとう。とても嬉しい・・・
 でも、すぐに返事は出来ない・・・ごめんね」

「いや、良いよ。そんな急に言われたってね」

自嘲気味に俺は言った。

「そんなんじゃないの。ただ・・・すぐには決められない・・・」

「うん、判った。良く考えてくれないか?
 俺は美奈子に一緒に行って欲しい。いや、美奈子と一緒に行きたいんだ」

「うん・・・ごめんね」


美奈子の結論が貰えないまま俺はS市に赴任した。

もちろん、それまでも変わらずに美奈子とは会っていたし
俺が赴任してからも二日に一度は電話をし他愛もない会話に笑い合っていた。
月に一度は極力帰って美奈子との時間を作っていた。

会っている時の美奈子は<何事>も無かったかのように
それまでと何ら変わらずに俺を愛してくれた。
俺も美奈子を愛した。


俺はいつも美奈子の結論・・・もちろん、良い意味での結論を待っていた。
でも、訊けなかった。訊くのが怖かったのだ。
俺が急げば急ぐほど出る結論は悪いものになるんじゃないか?
そんな思いがいつも俺の頭の中にあった。

そしてそれは現実になった。


美奈子の家庭は母子家庭でまだ高校生の妹と中学生の弟がいた。
母親が女手ひとつで美奈子達を育ててくれていたのだが
長年の無理がたたり、その頃母親は入退院を繰り返すようになっていた。
フルタイムで働けない母親の代わりに
高校を卒業すると就職をした美奈子は妹弟の学費を面倒見ていたのだ。


今にして思えば俺にも美奈子にも違った選択肢はいくつも有ったのだろう。
だが、あの時の二人は目の前の事しか考えられずにいたように思う。
<白か黒か?> <イエスかノーか?>
答えはどちらしかないと思っていたのだ。


別れて五年ほど経った時、晃から美奈子が結婚をしたと聞いた。
そして、それから三十年が経とうとしていた。


勤続三十年という事で
会社から一週間のリフレッシュ休暇をもらった事もあり
野暮用ついでに俺は久しぶりに故郷に戻った。

十年前に父親を、そして三年前には母親を亡くして
もう戻る事もないと思っていた故郷だったが
実家の土地を買いたいという人がいるという連絡が
仲介を頼んでいた不動産屋から入ったので
その手続き等もあったし
何より、お盆を二ヶ月後に控えて久しぶりの墓参りもしたいと思っていたのだ。


故郷に帰るに際して地元の友人には連絡をしていたので
その夜は友人達と繁華街の居酒屋に集まった。

高校の同級生で今でも一番親しい友人の晃とその奥さんの有希。
そして、高校時代に晃と通っていた喫茶店で親しくなり
それ以来付き合いの続いている智宏と奥さんの優子。
そして、早めに店じまいをして駆けつけてくれたその喫茶店のマスターの祐二さん。
何故か当時喫茶店でバイトをしていた真美ちゃんもいた。
何と今はマスター婦人なんだとか。
歳も確か十五歳はマスターより下だったはずだ。


「ところで、どうなんだよ?」

タバコに火を付けながら晃が訊いてきた。

「何が?」

その質問の意味を解っていながらトボけたフリをして俺は返した。

「何がじゃねぇよ。結婚だよ、結婚!」

「あぁ」

「あぁって。お前ねぇー、結婚する気はないのかよ?」

「いや、別に。縁があればいつだってするさ」

「確か、二十年前も同じ事を言ってたよな? 十年前もだけど」

「そうだっけ?」

「お前ねぇ-、他人事じゃないんだぜ。解ってる?」

「そうは言ってもなぁー。
 でも、いくら結婚をしたいって言っても一人じゃ出来ないしさ」

「理想が高過ぎるんじゃないですか? 和也さん、モテそうですもねぇー」

焼き鳥を頬張りながら真美ちゃんが口を挟んできた。

「そんな事はないよ」

「ダメですよぉー、適当なとこで手を打たないとぉ。
 私みたいに、ねぇ?」

真美ちゃんはそう言うと悪戯っぽく笑って祐二さんを見た。

「適当なとこで手を打ったのは俺だよ。
 誰だっけ? 酔ったフリをして俺に無理矢理キスをしてきたのは?」

お返しとばかりに祐二さんが真美ちゃんに言った。

「ひどーい! アレはマスターがしたそうにしてたからですよぉー」

「まぁまぁ。痴話ゲンカは帰ってからにしましょ!」

笑いながら有希が二人をなだめた。

「でもホント、不思議よね。うちの人と違って優しいしハンサムなのに」

晃の顔を見ながら有希が言った。

「おいおい、それはどういう意味だよ?」

「そういう意味よ」

「意味が解んないんだけど」

晃が口を尖らせた。

「いやぁーねぇー 自分を知らないって怖いわぁ」

「すまんね。それが解ってりゃお前とは結婚してないよ」

「あら、ねぇ? 聞きましたぁ、奥様?
 どの口が言ってるのかしらねぇ-?」

有希が隣の優子の膝をチョンと叩いて答えを促した。

「それ私が答えるの?」

優子が苦笑しながら有希に訊いた。

「えぇ、言って差し上げたら?
 『結婚前の浮気がバレた時に泣きながら土下座までして
  もうしません、もうしませんって謝った後で
  有希さんに結婚をせがんだのは晃、お前だろー?』ってね」

すまし顔で有希が答えた。

「おいおい、いったいいつまで俺は十字架を背負わされるんだよ?
 もう何十年経ってると思ってる? いい加減に時効にしてくれよぉー!」

「だって面白いんだもん」

「あのなぁー ・・・もう!」

どう言っても勝ち目のない晃はグイッと一息でビールを飲み干した。

「はい、これで私の387連勝ね、やったぁー!」

有希はわざと大袈裟に万歳をしてみせた。

「なんでいっつもこうなるんだよ?
 今日はみんなで和也を攻めるんじゃなかったのかよ?」

「なんで和也クンを? そんなひどい事、私ぃ出来なぁーい。
 私は和也クンの味方だしぃ」

「おいおい、お前こそ、どの口が言ってるんだよ?
 和也が来る前は『今度こそ絶対に和也クンを結婚する気にさせる』
 とか言ってたくせに」

「このク・チ。女の口はいっぱいあるのよ」

有希が笑いながら人差し指を自分の口に当ててみせた。

「お前なぁー」


相変わらず何を言っても漫才に聞こえるくらい息もピッタリの仲の良い夫婦だ。
結婚をしてもう三十年近く経つというのに昔と全く変わっていない。
今年のクリスマスの頃には息子さん夫婦に待望の赤ちゃんが産まれるんだとか。
きっと二人共、良いじーちゃんとばーちゃんになるに違いないと思った。


二人を見ながらそんな事を考えていると今度は優子が話をぶり返してきた。

「ねぇ。和也さんって、もしかしてこっち系だった?」

右手の甲を左の頬につけてオネエポーズで優子が言った。

「マジかよ?」

智宏が俺の顔をマジマジと見た。

「な、訳ないよ」

俺は思わずマジレスをしてしまった。

「じゃ、どうして? 別に童貞を守ってるって訳でもないだろ?」

智宏が言うと女性陣がザワついた。

「キャー! 和也クンって童貞なの?」

「あーん、もう少し早く知ってたら私が奪ってあげたのにぃ-」

「おいおい、お前ら酔っ払ってんじゃねぇーよ」

晃が笑いながら言った。
それに被せて更に智宏が言った。

「あっ、童貞はないか? 彼女いたもんな。じゃあ、なんで?」

俺は立て続けに振られる質問攻めに苦笑をするしかなかった。

「ねぇ、そう言えば・・・」

晃の顔を伺いながら急に真面目なトーンで有希が言った。

「今更、こんな話を言って良いのか判らないけど」

晃は黙って頷いた。
それを見て有希は言葉を続けた。

「美奈子ちゃんね。一昨年に離婚したのよ。
 ご主人のDVが理由だったみたい。
 今は信金時代の経歴を買われて商工会議所で働きながら
 娘の真奈ちゃんと二人で駅裏のマンションに住んでいるわ」

突然、出てきた美奈子の名前に俺は思いっきり動揺をした。


しんしんと雪が降るクリスマスの夜
街中のイルミネーションも降る雪に霞んでいた。

病院の駐車場に車を停めると
男は小走りに病院の玄関に向かって走り出した。

「おっと!」

二~三度転びそうになりながらも何とかこらえて
男は無事に玄関に駆け込んだ。

エレベーターの前でゆっくりと上がっていく
オレンジ色の点滅をもどかしげに見ていた男は
ふと見た先に階段を見つけると階段に向かって駆けだした。

そのまま一気に三階まで駆け上がると
丁度そこは妻の入院をしている病室のすぐ前だった。

男は病室のドアを開けるとすぐさま妻の元に駆け寄った。

「まぁ、司さん! 早かったのね」

「司君、お帰り」

「あー、お義父さん! あっ、お義母さんも」

ベッドの傍らには満面の笑みを浮かべた妻の両親が立っていた。
病室に駆け入って来た娘婿を義父がねぎらった。

「ご苦労さんだったね。この雪じゃ大変だったろ?」

「あっ、いえ」

「そうそう。司さん、ごめんなさいね。
 私達の方がパパより先に赤ちゃんに対面させてもらったのよ」

申し訳なさそうに義母が言った。

「いえ、全然」

司は笑顔で答えた。

「もう仕事は良いの?」

出産という大仕事をやってのけた充足感からか
いつも以上に清々しい笑顔で妻は尋ねた。

「クリスマスの夜に残業をさせるほど
 うちの会社はブラックじゃないよ。
 それより赤ちゃんは?」

妻のベッドの横には小さなベッドが並べて置いてあったがそこは空だった。

「今、看護師さんがオムツを替えてくれているの。
 もうすぐ戻って来るわ」

「そっか」

産まれたばかりの赤ちゃんとの感激の初対面を期待していた男は
あからさまにガッカリした風で
それでも寸でのところで妻に大事な事を言い忘れていた事に気が付いた。

「縁(ゆかり)。お疲れ様。そして、ありがとう!」

そう言って男は妻の手を握った。

「すっかり赤ちゃんに夢中で私の事なんか忘れているのかと思ったわ」

縁はそう言ってわざと大袈裟に口を尖らせた。

「いや、そんな事なんかあるもんか!」

「ふふ。どうだか」

そう言いながらも縁は嬉しそうだった。


「ねぇ? 名前はどうしようか?
 いくつか候補は考えてあったけど
 いざ、赤ちゃんの顔を見たらどれが良いのか迷ってしまうわ。
 だって、これから一生付き合っていく名前だもの。
 こんな子に育って欲しいとか、幸せになって欲しいとか
 つい、アレもコレもって欲張っちゃうわ」

「あはは。そんなもんだよ」

義父が笑顔で言った。

「私の時もそうだった?」

「そりゃもう大変だったわ」

義母が嬉しそうに笑った。
そして、ふと間を空けると思い出してでもいるように呟いた。

「あの子が亡くなって程なくしてあなたを身ごもったのが判ったの。
 嬉しかったわ。あの子が戻って来てくれたって。
 もちろん、あなたはあの子じゃないわ。
 あなたはあなたよ。
 でもね、あの時は心の支えを無くしていたから」

「うん」

神妙な顔で縁は話に頷いた。

「みゆきか・・・可哀想な事をしたよ」

義父がしんみりと言った。

司も幼くして亡くなった縁の姉の事は聞いていた。
司はそっと縁の手を握った。

「あなたが産まれるまでも大変だったのよ。
 お父さんったら、アレもするな、コレもするなって。
 ねぇ? どこかのお姫様じゃあるまいし
 妊娠したぐらいで家事も放っておけないじゃない?
 そうそう! 名前なんて、もう何十個考えたかしら。
 お父さんなんてね、いちいち半紙に書き出して
 画数がどうのとか、この字はダメだとか。
 そりゃもう大騒ぎだったわ」

「お父さんらしいね」

「オホン。だって、お前・・・仕方ないじゃないか。
 どうしても縁には幸せになって欲しかったんだよ。
 みゆきの分も、いやそれ以上にね。真剣にもなるさ」

「そうね」

「あぁ、そうさ」

「でね。人間って幸せになる為には
 たくさんの人に縁をもらって生きなきゃいけないの。
 お父さんとお母さんとの縁、みゆきとの縁もそう。
 そして、友達やら・・・今は司さんとの縁もそうよね。
 その縁を繋ぐ事で幸せになれるのよ。
 そんな縁をたくさんもらえますようにって願ったの」

「だから<縁(ゆかり)>なんだね。
 初めて聞いた」

縁は司の手を取ると腕に抱きついて幸せを感じていた。


「お待たせしました。あらっ、パパも到着ね?
 はい、お父さんですよー」

恰幅の良い、いかにも人の良さそうな看護師が
そう言うと、赤ちゃんを司の元に連れて来た。

看護師に抱っこされたままスヤスヤ眠っている娘を
初めて見た時、司は頷いた。

「うん、良い寝顔だね。この子は幸せになるよ。
 だって、みんなから素敵な縁をたくさんもらった縁が産んだ子だもの」

「そうだね」

縁も頷いた。

「よし、決めた!」

「えっ、何?」

「名前さ。この子の顔を見て決めた」

「何? 今まで考えてた名前?」

「いや、今思いついたんだけどね。
 でも、この子は絶対に気に入ってくれるよ」

「ねぇ、何?」

縁、義父、義母、
そして赤ちゃんをベッドに寝かせ付けていた看護師の視線が司に集まった。
司はみんなの視線に気が付いて少し赤面をした。

「やだなぁ-、そんなにじろじろ見ないでくださいよ」

「良いからもう、早く教えてよ!」

戸惑う司を縁がせき立てた。

「あの・・・クリスマスの雪の夜に産まれた子だからさ。
 聖夜の<聖>に降る<雪>と書いて<みゆき>と言うのはどうかな?」

思わぬ名前に義父と義母は顔を見合わせた。

「ダ・・メ・・・かな?」

司は恐る恐るみんなを見渡した。

「でも、司君・・・」

義父の言いかけた言葉を縁が遮った。

「うん。キレイな名前! 良い、絶対良いよ!」

そう言うと縁は半身を起こすと傍らのベッドを覗き込み
髪を優しく撫でながら赤ちゃんに語りかけた。

「聖雪ちゃん、良かったね。素敵な名前を付けてもらって」

「そういや、みゆきの産まれた時に似ているかな?」

「いいえ、お父さん。私が産まれた時の顔にソックリですよ」

「おいおい、それじゃ司君が嫌がるぞ」

「まぁ! そうなの、司さん?」

義父の言葉に憮然として義母が訊いた。

「あっ、いえ。そ、そんな」

「冗談よ」

そう言って義母は声を上げて笑った。
みんなもそれに釣られて声を上げて笑った。

「おや、賑やかそうだね」

そう言って病室に入って来たのは主治医の八代医師だった。
何年も着古しているようなヨレヨレの白衣姿は
パッと見は冴えない印象だが、この地域では名医として知られていた。

「縁さん、調子はどうだい?」

「はい、お陰様で幸せです」

「そうかい、そりゃ何よりだ」

その言葉に微笑むと八代医師は赤ちゃんの寝顔を覗き込み話しかけた。

「うん、良い寝顔だ。
 これだけ賑やかなのにスヤスヤ眠っているなんて
 この子は元気な子になるな。
 早く良い名前を付けてもらうんだぞ」

「あら、先生。名前ならもう付けてもらったんですよ。
 ねぇ-、素敵な名前よね?」

聖雪に話しかけながら看護師が楽しそうに答えた。

「ほう! で、何ちゃんかな?」

「はい。聖夜の<聖>に降る<雪>と書いて<みゆき>です」

「<みゆき>ちゃんか。まさに今夜は聖雪ちゃんの為の夜だね。
 そうそう!」

思い出したように言うと八代医師は小脇に抱えていた小さな箱を縁に手渡した。

「何ですか?」

「開けてごらん。サンタさんからのプレゼントだよ」

そう言って八代医師はニヤリと笑った。
縁が箱を開けると中には高さが15cm程のクリスマスツリーが入っていた。

「まぁ!」

「少しは病室も賑やかになるかと思って持って来たんだが
 その必要はなかったかな。もう十分に賑やかだしね」

「いえ、そんな。ありがとうございます。
 聖雪には何よりのプレゼントです」

「いや、一番のプレゼントは名前だよ」

「はい!」

縁は最高の笑顔で答えた。

「そうそう、加藤君?」

八代医師は看護師に話しかけた。

「そういえば、さっき婦長が探していたぞ」

「あっ、いけない! つい長居しちゃったわ。
 縁さん、何かあったらすぐにコールしてね。
 今夜は私が夜勤だから」

「はい、ありがとうございます」

「それじゃね。又、後で様子を見に来るわ」

ドタドタと加藤看護師が病室を出たと思った途端
又、病室のドアがゆっくりと開いた。

「メリークリスマス!」

そう言って入って覗き込むように来たのは
縁が出産の時に立ち会った日勤の看護師の七瀬だった。

「あらっ、七瀬さん! 先ほどはありがとうございました」

縁はそう言うと笑顔で頭を下げた。

「あっ、とんでないですよ。
 どうですか? まだ間もないんだから無理はダメですよ」

「はい。大丈夫です。
 こうしてみんなでこの子を囲んでいると不思議なくらい元気をもらえます」

「ホント、赤ちゃんってすごいパワーを持っているんですよねー」

そう言いながら七瀬は聖雪の頭を二度、三度と優しく撫でた。
それから縁に向かって訊いた。

「そう言えば名前はもう決まりました?
 まだなら詰所に何故か名付けの本がたくさんあるんですけど
 何冊か持ってきましょうか?」

「決まったんですよ」

「あらっ、ホントですか? 何て名前なんですか?」

縁は名前を教えた。
司が説明をしたのと同じ言い方で。

「あら、素敵! 誰が考えたんですか? 縁さん?」

「いえ、パパが」

縁はそう言うと嬉しそうに司を見た。

「まぁ、パパさんてロマンチストなんですね」

「普段はそんな所は見せないんですけどね」

「おいおい、それは余計だろ?」

「そうだよ。縁を選んでくれた時点で良い婿さんだと思ったよ」

義父が司をかばった。

「もう! 冗談に決まってるでしょ!」

「あはは、もう良いよ」

司は苦笑した。

「そうだ! 忘れるところだったわ。ちょっと待ってて」

そう言うと七瀬は病室を出て行ったが、すぐに戻って来た。
後ろ手には何か箱のようなモノを隠していた。

「じゃーん! はい、聖雪ちゃんにプレゼント!」

そう言うと七瀬は縁に箱を手渡した。
駅前の有名なケーキ屋の箱だ。

「どうしたの?」

「クリスマスですからねー、ケーキです!
 部屋に帰って独りで食べるのも寂しかったんで一緒にどうかなって」

「嬉しいわ!」

「そうだ、肝心のクリスマスケーキを忘れてた」

司はそう言うと頭を掻いた。

「出産騒ぎでそれどころじゃなかったろうさ」

「騒ぎって?」

縁は父親をきっと睨んだ。
義父としては婿をフォローをしたつもりだったが
またしても少し的が外れたようだった。

「いや、それはその・・・」

「聖雪のバースデーケーキでもあるね」

今度は司が話題をそらそうと義父をフォローした。

「仲の良いお義父さんとお婿さんですね。
 私もそんなお婿さんが欲しいなぁ-」

「七瀬さんなら大丈夫よ」

苦笑しながら縁は言った。

「えー? ホントですか?
 じゃ、ダメだったら縁さんが責任を取ってくださいね」

「それじゃ、司さんの同僚でも紹介しようか?
 ねぇ、司さん?」

「えっ? あっ、あぁ・・・」

「おいおい、いったい何の話になってるんだい?
 ここは結婚相談所じゃなくて病室だったはずだが?」

八代医師がもっともな事を言ってみんなを笑わせた。


「じゃ、とりあえず私達はここで失礼するよ」

「明日又、来るからね。そうそう、何か必要な物はある?」

「ううん、とりあえずは大丈夫。
 お父さん、お母さん、ありがとうね」

「何を言ってるの。ありがとうはこっちの台詞よ。
 ねぇ、お父さん?」

「あぁ、その通りだ。良い子を産んでくれてありがとう」



みんなが帰って三人きりになった病室は静かだった。
初めて迎える家族三人の夜。
そして初めてのクリスマス。
司と縁は聖雪の寝顔を黙って見つめながら充実した幸せを感じていた。


「あー、まだ雪が降ってるんだね」

立ち上がって窓に向かい病室のカーテンを少し開けると司は言った。
縁は傍らの聖雪を黙って見ていた。
それから司に向かって頭を下げながら言った。

「司さん、ありがとう。
 みゆき姉さんもきっと喜んでくれているわ」

司は又、ベッドの傍らに歩み寄ると聖雪の寝顔を見ながら呟いた。

「これも君がくれた素敵な縁さ。
 お義父さんもお義母さんも八代先生も七瀬さんも加藤さんもみんな素敵な人だね」

「うん」

「みんなで幸せにならなきゃね」

「そうね」

縁も頷いた。
司はベッドの傍らに腰を下ろすと縁の肩を抱いて言った。

「縁と聖雪との初めての素敵な夜にメリークリスマス」

その言葉にベッドでスヤスヤ眠っていた聖雪が微かに微笑んだように見えた。



     ~おしまい~



「ここでしたか。東海林司さん、探しましたよ」

男が振り向くとそこには全身黒ずくめの男がにこやかに立っていた。
かなり物持ちの良い性格なんだろう。
その黒いスーツはかなりくたびれているように見えた。

「八ちゃん、フルネームで呼ぶなよ」

「決まりですから。
 あなたこそ、『八ちゃん』なんて気安く呼ばないでください。
 友達じゃないんですから。
 もっともターゲットと親しくなる事も禁じられてますけどね」

「探すも何もあんたが美人に見とれていたせいだろ?
 てっきり、一緒に歩いていると思ってたのにさ。
 気が付いたらあんたはいなくなってた」

「そ、そんな。見とれていた訳じゃありませんよ。
 ただ昔の知り合いに似ていたもんで・・・」

「あはは。八ちゃんも隅におけないね。
 いったい何人の女を泣かせたんだい?」

「失礼な! 私がそんな事をする訳ないじゃありませんか」

「どうだか?」

東海林司は黒ずくめの男を見るとニヤリと笑った。

「誰? はぐれた人?」

女の子は黒ずくめの男と東海林司と呼ばれた男を見比べると訊いた。

「あぁ、こいつ八ちゃんっていうんだ」

「だから気安く・・・」

「まぁまぁ」

東海林司は黒ずくめの男の言葉を遮って続けた。

「なぁ、八ちゃん。
 判ってるよ。ちゃんと付いて行くよ。
 だが、それは今じゃない。
 ほら、この子。
 この子をちゃんと帰してやらないとさ」

「ん? その子・・・」

そういうと黒ずくめの男は脇に抱えていたバインダーを開いた。
そしてバインダーと女の子を見比べると女の子に声をかけた。

「お嬢ちゃん、田村・・・みゆきちゃんかい?」

女の子は驚いて黒ずくめの男を見た。

「オジサン、どうして私の名前を知っているの?」

「あー、やっぱりね。ちょっと待って。
 今、連絡をするから」

「おい、どういう事だ?」

東海林司の言葉を手で遮ると男は誰かに電話をかけた。

「あっ、君が探していた子を見つけたよ。
 そう、田村みゆきちゃんだ。
 うん、<無事>だよ。
 私のターゲットと一緒にいたんだ。
 そう、駅前の・・・うん、その先にケーキ屋があるだろ?
 ・・・うん。そうしてくれ」

それから黒ずくめの男は
田村みゆきと呼ばれた女の子に向くと言った。

「田村みゆきちゃん。もうすぐ迎えが来る。
 ここで待っていてくれるかい?
 さぁ、東海林司さんは私と一緒に行きましょう」

田村みゆきは答えなかった。

「・・・」

「そんな! こんな子を一人でここには置いて行けないだろ?
 第一、どんな奴が迎えに来るのか判らないのに放ってはおけない。
 そいつが来るまで俺は絶対ここを動かないぞ!」

「でも、そろそろ時間が」

「そんなもんはお前らだったらどうにでもなるだろ?」

「いや、そうは言われましても規則を破る訳には」

「じゃ、腕尽くで俺を連れて行くかい?
 こう見えても俺は学生時代はアマレスの全日本5位だったんだぜ」

「それは判ってます。調査済みですからね。
 困りましたな・・・
 出来ればこんな所で<チカラ>は使いたくないんです」

「だろ? 俺だって何も事を荒立てようと言ってるんじゃない。
 ただ、迎えが来るまではみゆきちゃんに付いていてやりたいんだ。
 俺はおせっかいオジサンだからな」

「良いよ、オジサン。ありがとう。
 ちょっとの間だったけど、けっこう楽しかった」

田村みゆきは初めて東海林司に笑みを向けて軽く会釈をした。

「いや、ダメだ!
 俺は見てみないフリをするのは止めたんだ!」

「困りましたね・・・おっと、そう言ってるうちに来たようですよ」

振り返ると黒ずくめの女がそこに立っていた。
<八ちゃん>が昭和の時代の
冴えないスーツスタイルのサラリーマン然としているのに比べると
目の前に現れた女は切れ長の瞳が涼やかで
ストレートに伸ばした黒髪がいっそうそのスタイルを神秘的に見せていた。

「死神752号、遅いですよ。
 私はもう少しでこの東海林司さんと
 レスリングをしなきゃならないとこだったんですよ」

「死神83号、すいません。
 田村みゆきちゃんの資料を見ながら歩いている内に
 つい、見失ってしまって・・・
 あのぉ・・・この事はぜひ内緒で」

意外にもその神秘的なスタイルとは裏腹に死神752号は
ちょっと困ったような申し訳なさそうな<人間的>な面持ち
つまりは極めて<普通>の女の子のような表情を見せた。

「死神752号。あなたは私の研修生だった人ですからね。
 あなたの評価は私の評価・・・仕方ないですねぇ。
 でも、今回だけですよ。
 私だって上司に睨まれたくはないんですから」

「はい。ありがとうございます」

死神752号は笑顔になると死神83号に深々と頭を下げた。
それを見ていた田村みゆきは東海林司に耳打ちをした。

「ねぇ? 83号だから『八ちゃん』?」

「あぁ、ピッタリだろ?」

二人は顔を見合わせて笑った。
そこへ死神83号が言った。

「何をこそこそ話しているんです?
 逃げようたって無駄ですよ」

「判ってるよ、八ちゃん」

「だから、それは止めてください」

「八ちゃんって?」

死神752号が面白そうに話に割って入ってきた。

「何でもありませんよ!」

それをたしなめるように死神83号は言った。
そして、東海林司に向かって続けた。

「さぁ、東海林司さん。行きましょうか?」

「ちょっと待ってくれ」

「まだ何か?」

「そもそも、何でこんな幼い子が死んだんだ?
 病気だったのかい?
 それとも、事故とか事件とか」

「えーっとですね・・・」

死神752号がバインダーを開いて説明しようとした時
死神83号がストップをかけた。

「ダメですよ! ターゲットの身上は他の人に漏らしちゃ。
 今の時代、個人情報の取り扱いはうるさいんですから」

「す、すみません」

死神752号は慌ててバインダーを閉じた。
それを見た東海林司は死神83号に向かって言った。

「八ちゃん。まぁ、堅い事は言うなよ。
 どうせ、向こうに付いたら全部忘れちゃうんだろ?
 なら、良いじゃないか少しくらい。
 じゃなきゃ俺はいつまでも成仏出来そうもないな」

「オホン! あなたって人は死神を脅す気ですか?」

「そんなめっそうもない! ただ、知りたいだけさ」

「どうしましょうか?」

死神752号が困ったように死神83号に伺いを立てた。
死神8号は田村みゆきをチラッと見た。

「私なら別にかまわないよ。ホントの事だもん」

田村みゆきは答えた。

「そうですねー 例外中の例外ですよ。
 そして、何処で誰に何を訊かれても絶対他言無用でお願いしますよ」

「もちろんさ!」

「じゃ、亡くなった原因だけ教えてあげてください。
 でも、余計な事は一切言わないようにしてくださいよ」

「はい。田村みゆきちゃんはですね・・・」

再びバインダーを開くと死神752号は
ページを指でなぞりながら読み上げた。

「エーッと・・・はい、病気ですね。
 生まれつき心臓が弱かったんです。
 今年の春に小学校に入学したものの
 すぐに入院・・・で、二度手術をしましたが
 残念ながら・・・二日前にお亡くなりになりました」

そう言うと死神752号は持っていたバインダーを閉じた。

「そっか・・・こんなにちっちゃいのに。
 可哀想にな・・・」

「別に・・・」

田村みゆきは街の遠くを眺めながらそっけなく答えた。

「なぁ?」

東海林司は死神83号を見ると言った。

「八ちゃん、もうひとつだけおせっかいがしたいんだけど」

「ダメですよ! これ以上規則は破れません!」

用件を察知してか死神83号はすかさず言った。

「いや、そんな難しい事じゃないんだ。
 みゆきちゃんはあんな風に言っているけど
 両親の事が気になってない訳がないと思わないか?」

「さて、私には判りかねますが」

「八ちゃんは仕事だからな。それで良いだろう。
 だが、俺は人間だ・・・まぁ<元>が付くかもしれないけどさ。
 だから、どうしても気になるんだよ。
 例え、少しでも何とかなるならしてやりたいだろう?
 死神にだって親子の情ってもんくらい判るだろ?」

「そう言われましても私には親はいませんし」

「そんな事はどうでも良いんだよ。
 俺が言いたいのは、みゆきちゃんに心残りをさせたくないんだ」

「そうですか?」

死神83号は田村みゆきに訊いた。

「別に・・・」

「ほらっ、本人もこう言ってる事ですし問題はないのでは?」

「八ちゃん、お前さんってホント、人の心の機微って奴が判ってないね」

「<きび>? なんですか? 私は人間じゃありませんからね。
 って、言うか・・・その八ちゃんは止めてください。
 何度も言ってるじゃありませんか」

「判った、判った! もう八ちゃんには聞かないよ」

東海林司はやれやれと言った体で死神83号を見ると
今度は死神752号に視線を移した。
東海林司と目が合った死神752号は慌てて目を逸らせた。

「君・・・エーッと752号さん?」

「えっ? あっ、はい?」

名前を呼ばれて再び東海林司と目が合った瞬間
死神752号はしまったと思った。
だが、どうやら遅かった。

「みゆきちゃんの両親の事なんだけど」

「はっ、はい?」

「大丈夫なのかな? 立ち直れるかい?
 口では言わないけどさ。
 みゆきちゃんが気にしているのはそこだと思うんだ。
 でも、会いにはいけないし
 行ったところで両親と話が出来る訳でもない。
 だよな?
 逆に、もしかしてだけど、みゆきちゃんの気配を感じたら
 きっとお母さんも余計に思い出して辛くなっちゃうだろうな。
 それは何よりみゆきちゃんにとっても辛い事なんだよ」

東海林司は真剣な面持ちで死神752号に訴えかけた。

「で、どうなんだい?
 あんたらなら、その人の運命みたいな奴も判るんだろ?」

「まぁ・・・」

死神752号は歯切れ悪く答えながら死神83号の方をチラッと見た。
死神83号も東海林司がこのままでは引き下がらない事を感じていた。
死神83号は目で<OK>の合図を送った。

ひとつ深呼吸をすると死神752号は東海林司に向かって笑顔を作って言った。

「田村みゆきちゃんのご両親なら大丈夫です。
 多少、時間は必要ですけどね。
 それで又、お子さんが産まれる事になっています」

「そしたらママもパパも私の事を忘れちゃうの?」

田村みゆきは初めて感情をむき出しにして叫んだ。

<ママとパパがみゆきの事を忘れる>
それは望んでいた事であり、望んでいなかった事でもあった。
田村みゆきの嗚咽が東海林司の胸を締め付けた。

『何とかしてやらなきゃ! 俺が何とかしてやる!』

東海林司が口を挟んだ。

「なぁ? 子供が産まれるって
 それじゃ、みゆきちゃんは又、両親の元に生まれ変われるのか?
 なぁ、そういう事なんだろう?」

死神752号は申し訳なさそうに答えた。

「可能性は確かにあります。
 田村みゆきちゃんは又、生まれ変われる事になっていますから。
 もし、田村みゆきちゃんがそう望むのであればですけど
 元の両親の子供としてもう一度生まれる事は出来るでしょう。
 ただ・・・」

「ただ? ただ、何だい?」

「ただ、もしそうなると
 その子は又、同じ運命をたどる可能性も高くなるんです。
 つまり、この悲しみや辛さが又、繰り返される事に。
 なので・・・お勧めは出来ません・・・」

「そんな・・・」

東海林司は絶句した。

「そうだ! なら、他の親の元に生まれ変わったら
 今度は健康な子供として産まれて
 もっと長い人生を全う出来るって事なのか?」

死神752号は答えなかった。
いや、東海林司の真剣な表情に気圧されて答えられなかった。
死神83号が口を開いた。

「あくまで可能性の問題ですが、その可能性は高いです」

「そうか、そうなんだな?
 みゆきちゃん、どうする? どうしたい?
 みゆきちゃんの良い方にオジサンが頼んでやるから!」

田村みゆきは嗚咽を繰り返すばかりで答えられなかった。

「東海林司さん」

死神83号は優しく微笑むと言った。

「無理ですよ。そんな小さな子にそんな辛い選択は」

「うるさい! 八ちゃんは黙っててくれ!
 なぁ、みゆきちゃん? どうしたいんだい?」

「私・・・」

「うん?」

「又、ママを泣かせるのは嫌だ・・・
 ねぇ、オジサン。どうしたら良い? どうしたら良いの?」

泣きながらすがるように
東海林司のコートの裾をつまんだ小さな指が何度も揺れて震えた。
東海林司は思わず田村みゆきを抱きしめた。

「オジサン・・・どうしたら良いの?」

東海林司には答える言葉は見つけられなかった。
ただ、強く抱きしめるしか出来なかった。
死神752号はもらい泣きを隠すように二人に背を向けた。

「東海林司さん。運命は決まっているんです。
 この子がいつ死んで、次はいつ何処に生まれ変わるのか。
 私には判りませんが、運命は決まってるんです。
 どうしようもないのなら、それに従ってみませんか?」

死神83号は静かに言った。
だが、それでも東海林司は諦めきれなかった。

「なぁ?」

田村みゆきを抱きしめながら振り向くと死神83号に言った。

「俺は又、生まれ変われるのか?
 なら、俺は生まれ変われなくても良い。
 地獄に落ちても良い。虫けらに生まれ変わっても良い。
 いや、一生浮かばれないで彷徨ったって良い。
 だから、みゆきちゃんを元の両親の元に生まれ変わらせてくれないか?
 もちろん、今度は元気な身体で」

「それは出来ません。決まっている事を変える事は出来ないのです」

「そんな事は判ってるよ! 何かい? 俺の命じゃ不服だってのかい?」

「落ち着いてください。私だって同じ想いなんです。
 出来るなら叶えてあげたい。死神だって悪魔じゃありませんからね。
 人間の<キビ>とやらは判りませんが私にだって感情はあるんです」

「・・・」

死神83号は懐から懐中時計を取り出して時間を確認すると
努めて事務的に口を開いた。

「東海林司さん、時間です」

「待ってくれ! なぁ、待ってくれよ。もう少しで良い・・・待って・・・」

東海林司は田村みゆきを抱きしめたまま泣き崩れた。
死神83号は東海林司の肩を優しく叩くと耳元で囁いた。

「東海林司さん、あなたの気持ちは無駄にはしませんから」

それから死神752号を呼ぶと言った。

「さぁ、田村みゆきちゃんを連れていくんだ」


東海林司はうなだれたまま死神83号と連れだって歩き出した。
田村みゆきは死神752号に肩を抱かれたままその後ろ姿を見送っていた。
と、それを振り解き走り出すと田村みゆきが叫んだ。

「ねぇ? オジサンはどうして死んじゃったの?」

東海林司は振り返ると努めて笑顔を作って答えた。

「あー、オジサンかい?
 歩道を歩いてたらさ、急に子犬が道路に飛び出してね。
 助けようとして、このざまだよ。
 でも、安心してくれ。
 子犬は無事だったからさ」

「オジサンってバッカじゃないの?
 ホントにおせっかいだね」

田村みゆきは涙を浮かべながらもせいいっぱいの笑顔で言った。

「自分でもそう思うよ。
 でも、見てみないフリはもうしないって自分と約束したからね」

東海林司はそう言うとウインクをして
それから死神83号に促されて又、歩き出した。
その背中に田村みゆきは大声で叫んだ。

「オジサン、ありがとう! きっと又、会おうね!
 約束だよ! きっと、きっと会おうね!」


二人の姿は宙に浮いたかと思うと間もなく
街中に煌めくイヴの夜のイルミネーションに紛れて消えた。


「さぁ、田村みゆきちゃん。私達も行きましょう」

死神752号は田村みゆきを促して歩き出した。

「ねぇ?」

田村みゆきが言った。

「なぁに?」

「死神ってさ。ずっと怖いって思ってた」

「そうなんだ? それはちょっとショックかも」

「でも、八ちゃんもお姉さんも良い人だね」

「死神83号って、ホントはすっごく怖いんだよ」

「えー? ホント? 映画みたいに人を殺すの?」

「殺したりはしないけど・・・でも、人間からしたら同じかもね」

「ふぅーん。
 ねぇ? 83号が八ちゃんならお姉さんはナナさんだね」

「ナナ?」

「うん。752号だからナナさん。どう良いでしょ?」

「うん。判らないけど、何か良いね」

「でしょ? 番号よりも親しみが沸くわ」

「そっか、東海林司さんが八ちゃんって言ってたのもそれだったのかな?」

「そうだよ!」

「そっか、良いね」

「で、ナナさん。私はこれから何処に行くの?」

「あー、そうだった! ちょっと待ってて。見るから」

そういうと死神752号はバインダーを開いてページをめくり始めた。

「えーっと・・・あった。これね?
 ふうーん・・・あー、そうなんだ!」

そう言って微笑んだ。

「何? 何?」

「ううん、何でもなーい」

「あっ、ずるーい! ナナさん、一人でニヤニヤしてる!」

「あはっ。そんな事はないですよー」

「ねぇ、教えて!」

「ダーメ! 決まりなの。
 それにね、本人に教えちゃったら書いてある事が変わっちゃうの。
 だから、ダーメ。でも、心配はしなくて良いわ。
 私が保証する! ちょっと頼りないけどね。
 じゃ、行こうか?」

「ナナさん、優しくしてくれてありがとう」

「まぁ! うれしいわ」

死神752号は微笑むと田村みゆきの肩を抱いた、
そして、さっき見たのと同じようにフワッと宙に浮くと
二人の周りは眩い光に包まれて、やがて消えていった。



一人の男が街を歩いていた。
懐かしくてなのか?
それとも他に何か理由があるからなのか?
男は時折、立ち止まっては辺りを見回し
或いは、後ろを振り返りと
そんな事を何度か繰り返していた。
そしてひとつ白い息を吐くと又、歩き出した。


何時間歩いていただろう。
それでも、その間に男に振り向いた者は誰もいなかった。
いや、男がそこを歩いていた事にさえ
気がついた者はいなかっただろう。

折しもクリスマスイヴの夜だ。
街路樹には煌びやかな電飾が施され
ショーウインドウにはクリスマスカラーの飾り付けが
これでもかと見る者を引きつけようとしている。
それらを横目で見ながら帰宅を急ぐ人達
それらには目もくれず待ち合わせに急ぐ人達や
笑顔で談笑をしながら目的地へ急ぐ人達などが
様々な流れを作りながらみんな一様に足早に行き交っていた。
誰も他の人の事など目には入ってはいない。
そこにどんな男がいようが気にする人はいない。
今夜はそんな夜だ。

足早な群衆の流れはまるで
次から次とやって来る都会の電車が
幾重もの列を成しているように途切れる事は無い。
明らかに早さが違う男の足取りは
普段なら罵声の連射を浴びるのだろうが
幸か不幸か今夜は誰も罵声を浴びせる者などはいない。
むしろみんなそんな時間さえ惜しいのだろう。

「おっとっと!」

ぶつかりそうになるのを何度も避けながら男は呟いた。

「やれやれ、いったい何だっていうんだ」

男は歩くのを止めて道路脇のガードレールに腰を掛けると
右へ左へと絶え間なく行き交う人の流れを眺めていた。

「そういや、今夜はクリスマスイヴだっけ?
 まぁ、俺にはもう関係ないけど」

自嘲気味にそう呟くと男はコートのポケットをまさぐった。
そこに入っているはずのタバコを探していたのだ。

「やっぱり入ってないか。
 こんな事なら早くに禁煙をしておくんだったかな」

男は夜空に向かって白い息をフッと吐き出した。


何気なく通りの向かい側を見ると
ケーキ屋のショーケースの前でしゃがみ込んでいる女の子が目に入った。
真っ赤なニット帽に真っ赤なケープをまとって
同じく真っ赤なブーツを履いていた。
しゃがんでいて良く判らなかったが
幼稚園か小学校の低学年くらいだろうか?
男はしばらくその様子を見ていたが一向に女の子は動こうとはしなかった。

「ふふっ」

男は笑みを浮かべると思った。
きっと、女の子はあそこのケーキを買って欲しかったのだろうが
親はわざと意地悪にサッサと行ったフリをしているのだろう。

「で、すねてあそこにしゃがみ込んでいるって訳だ。
 でも、ご安心を!」

男は舞台俳優のように大仰に両手を広げると<台詞>を続けた。

「ふてった女の子が両親と一緒に家に帰ってみると
 何とそこには!
 女の子が買って欲しかったケーキよりも何倍も豪華なケーキが!
 たちまち女の子に満面の笑みが広がってハッピーエンドでございー!」


しかし、30分経っても女の子はそこを動こうとはしなかった。
それどころか親さえ一向に戻って来る気配はなかった。

男は車が途切れるのを待って車道を向こう側へと小走りに駆けた。
そして、女の子の前に立つと優しく声を掛けた。

「可愛いサンタさん、いったいどうしたんだい?
 トナカイさんとはぐれたのかい?」

女の子は男を一瞥すると又、俯いてしまった。
困った男は女の子の隣に同じように並んでしゃがみ込んだ。


それでなくてもクリスマスイヴの夜だ。
ケーキ屋のショーケースの前に
大の大人と小さな女の子が並んでしゃがみ込んでいるなんて
店からしたら営業妨害以外の何物でもなかったろう。
それでも、二人を邪魔者扱いする者は一人としていなかった。
都会はいつでもそんなものだ。
他人の事なんて気にする人はいない。
繰り返すが、ましてや今夜はクリスマスイヴだ。
みんな自分達の事で忙しい夜なのだ。
街行く人達やケーキ屋に買いに来た人達だって
他人の事にかまっているヒマなんてないのだ。


男は女の子の方を見るでもなく独り言のように呟いた。

「オジサンもね、人とはぐれちゃったんだ。
 全く、あいつったら何処に行ったんだか・・・」

「・・・」

女の子はやはり何も答えなかった。

「お父さんやお母さんは? きっと心配してるぞ」

「・・・」

「まぁ、良いさ。オジサンには関係ないもんな」

「別にはぐれてないもん」

女の子が始めて口を開いた。

「そっか。判った!
 お嬢ちゃんはこのお店の子なんだろう?
 仕事が終わるのを待ってるって訳だ?
 でも、寒いのに大丈夫かい?
 どうせなら店の中で待ってた方が・・・」

言いかけた言葉を女の子が遮った。

「違うよ。ここの子じゃない」

「じゃ、誰かを待っているのかい?」

「・・・」

「おやおや又、黙っちゃったね。さて、困ったぞ」

「良いから放っておいて!」

そう言った女の子の目には涙が浮かんでいた。
だが、それっきり又、男が何を話しかけても女の子は答えなかった。
男は口を閉じるとそのまま女の子と並んでしゃがみ込んでいた。


街はクリスマスイルミネーションとネオンで
昼間のように明るかったが冬は冬だ。
黙ってしゃがんでいた男は両手を擦り合わせると女の子に話しかけた。

「ねぇ? 寒くないのかい?
 早く帰らないとお父さんやお母さんが心配するぞ。
 いや、もう心配して捜索願を出しているかも。
 とすると・・・俺の立場は何だ?
 おいおい、よせよ誘拐犯じゃないってば!」

独り言のようにブツブツ話しかける男に
やっと女の子は俯いたままで口を開いた。

「帰りたくない・・・」

「えっ?」

「逃げて来たの・・・・」

「えっ? えっ? そいつは穏やかじゃないな。
 って・・・ちょっと待てよ!
 俺は完全に誘拐犯扱いじゃないかよ!?」

「バッカじゃないの?」

女の子は冷めた目で男を一瞥して言った。

「捕まる訳ないじゃん」

男はしゃがみ直すと女の子の方を向いて諭すように言った。

「そうかもしれないけどさ。
 でも、逃げて来たってのは穏やかじゃないぞ。
 いったいどうしたっていうんだい?」

「オジサンには関係ないでしょ」

「そりゃ俺には関係ないさ。
 でも、オジサンは・・・ほら、おせっかいオジサンだから」

子供相手に何を言ってるんだかと思いながら
男は何とかこの場を取り繕わなきゃと思った。
こんなきれいな身なりの子が
まさかとは思いながら男は神妙な顔で訊いた。

「虐待されてたのかい?」

「別に・・・」

「じゃ、勉強しろとかうるさかった?」

「別に・・・」

「そうか判った!
 お兄ちゃんと比べられて面白くなかったとか?」

「別に・・・兄弟いないし」

「お母さんとケンカをした?
 それで家出のマネをかい?
 なら、もう帰って仲直りをしなよ。
 今夜はクリスマスイヴだぜ。
 ご両親はプレゼントを用意して待っているよ」

「・・・」

「そこは又、だんまりかい?
 やれやれ、参ったぞ」

「もう! いい加減にして!
 放っておいてよ!
 あなたははぐれた人でも探しに行けば?」

「そうなんだけどさ。
 でも、そんなに急いで探さなくても良いんだ。
 その内、ひょこっと現れる・・・そんな奴だから」

「その人と仲が良いの?」

涙を浮かべた瞳で女の子が訊いた。

「別に・・・おっと、これは君の台詞をパクった訳じゃないぜ」

「どうでもいい・・・」

「そうだったな。そっかそっか・・・」

「ママ・・・」

「ん?」

「毎日泣いてばかりいるの。
 それを見ているのが辛いの・・・だから帰らない」

「お父さんは? まさか死んじゃったとか?」

「ううん。でも、パパは何も喋らない。
 毎日、ママが泣いているから・・・
 パパも家に帰ってからもずっと黙ったままだった」

「そっか、それは子供にしたら耐えられないよな?」

「原因は私だから・・・」

「そっか・・・」

「・・・」

「でも、本当は帰りたいんだろう?
 そりゃそうだよな」

男は独り言のように呟いた。

「もう帰らないって決めたの。
 じゃなきゃ、ママはずっと泣いてる」

「・・・」

今度は男が黙る番だった。

「オジサンこそ、どうして帰らないの?」

「帰っても誰もいないんだ」

「どうして? リコンしたの?」

「あはは、そうじゃないんだけどね。
 何年になるかなぁー
 男の子がいたんだけどね。
 学校で虐められていたらしいんだ。
 でも、その頃オジサンは仕事が忙しくってさ。
 子供が悩んでいる事に気付いてやれなかった・・・
 いや、後で気が付いてはいたんだけどさ。
 疲れていてね。
 で、今度の休みにゆっくりと話を聞いてやろうと思ってたんだ。
 いや・・・言い分けだな・・・」

「・・・」

「そしたら次の日、自殺しちゃったんだ」

驚いた顔で女の子は男を見た。

「可哀想・・・」

それが、<どっち>に対しての言葉だったのか
男には知る由もなかった。

「で、子供の一周忌・・・
 あっ、亡くなって一年経った時にお参りをしたんだけど
 その後で、妻は子供と同じ場所で死んだんだ。
 さすがにショックだった。
 それからかな・・・
 気が付いた事には無関心でいるのは止めようと思ったのは。
 見て見ないフリをするのは止めようと決めたんだ。
 で、おせっかいオジサンがここにいるって訳さ」

「大人も辛いね」

「辛いのに大人も子供もないさ」

「・・・」

「ねぇ?
 おせっかいオジサンと知り合ったのも何かの縁だ。
 オジサンが家について行ってやるよ。
 だから、帰ろう?」

女の子は黙って首を横に振った。

「そっか・・・余計に辛くなっちゃうかな」

女の子は黙って頷いた。




message in a bottle

君の荷物が運び出されて広くなった部屋。

どうしてだろう?
座る場所も歩き回れる場所も増えたのに
何故だか居心地が悪い。

いや、分っている。

広くなったのは部屋だけではなくて
ポッカリと空いた心の隙間。


窓から見える夕暮れの街並。
見慣れた景色が今は空々しい。

そんなことを思いながら
それでも時を忘れて
僕はぼんやりと窓の外を眺めていた。


退屈な時間も物憂い空間も
いつも君が埋めてくれた。

いつも明るくあっけらかんとしていて
時々、「空気を読めよ」って思う時もあったけど
君の空気の読めなさに逆に救われていた。

それは確かに否めない。

いや

そんな風に振る舞っていたのも
たぶん、君一流の優しさだったんだろうか?


壁に残る写真の跡。

いつもならファッション雑誌が
無造作に置かれていたテーブル。

妙に片付いたその広さ加減が
僕を余計に落ち着かなくさせていた。

やがて

お喋りな想い出たちが
思い思いに勝手なことを話し始めた。


「あっ、そう言えばね」

「そうそう!」

「ねぇ、知ってる?」

「ねぇ、今度さ」

「あれ、面白かったね」

「ねぇ、笑っちゃうでしょ?」

「サイコー!」

「ねぇ、コーヒー飲む?」


僕はいたたまれずに耳を塞いだ。


コーヒーか・・・
そういえば、何処にあったっけ?

僕はいつもブラックで、しかも濃いめ。
君はミルクをたっぷりだったね。


僕は台所に立ってコーヒーの在りかを探した。
が、それは案外簡単に見つかった。

キッチンの引き出しの中
開封をしたコーヒー豆の封が
セロテープできちんと留められていた。

僕はそのセロテープを剥がすと
コーヒースプーンにふたつ分の豆をすくって
手挽きのミルでガリガリと挽いた。

ほのかに立ち上るコーヒーの香り。

「これが最高なのよね」

また、君のそんな言葉が脳裏を過った。

早くもかなりの重症だ。
<リハビリ>期間も長くなるかもな。

やれやれ・・・

あっ、そうだ。
とりあえずはコーヒーを入れなきゃな。
もう豆は挽いてしまったし。

香りが逃げないうちに。


あれっ? ドリップペーパーは?
豆の入っていた引き出しには入っていなかった。

僕は台所を見渡した。

何処だ?
君なら何処にしまう?

すぐに出せて、しかも絶対に湿けらないところ?

そうだ、食器棚の引き出し?

僕は食器棚の引き出しを端から開けた。
でも、ペーパーは見つからなかった。

もちろん
上の段のガラスの開き扉を開けても入っていなかった。

ふと目に入ったお揃いのコーヒーカップ。

また、いたたまれない気持ちになって
僕は慌てて開き扉を閉めた。


何処だろう?

僕はミルの中で挽いたままになっているコーヒーの粉が
今にもその香りを失くしていくであろうことに
気が気ではなくなっていた。


有る訳がないと思いながら
何げなく食器棚の下の開き扉を開けると
そこに空のワインボトルが置いてあった。

今年の僕の誕生日に君が奮発をして買ってくれたワイン。
でも、半分以上は君が美味しいって呑んじゃったっけ。

僕はそのワインボトルを見ながら思わず苦笑した。

記念に取ってあったのかな?
そう思いながら
濃い青色のワインボトルを手に取ると
その中に何かが入っていた。

紙?

ボトルを逆さにして振ってもそれは出てこなかった。

考えた挙句に僕は割ってみることにした。

どうせ、最後に君が書いた僕の悪口だろう。
割ったってどうってことはないさ。


僕はキッチンにまな板を置くと
そこにワインボトルを横にして置き
その上からタオルをかけて金槌で軽く叩いた。

小さく<カチャ>っと悲鳴をあげただけで
思いのほか、簡単にボトルは割れた。

タオルを外すと
割れたボトルの中から出てきたのは一枚の便箋だった。

そこには見慣れた君の文字でこう書かれていた。

「ごめん、ドリップペーパーは買いに行くヒマがなかったの」


えー!? それはないよ!

そんな・・・何でだよ?

何で?


何で・・・僕の行動がそんなに判るんだよ?


挽いたままのコーヒーの香りが逃げていく。

ダメだ!


僕は玄関に急ぐとスニーカーをつっかけたまま駆け出した。

もちろん、ドリップペーパーを買いにいく為じゃない。
君を引き戻す為にだ。



その夜、俺は三年ぶりに古ぼけたビルの懐かしい階段を地下へと急いでいた。
この街に住んでいた時は二晩と空けずに通い詰めていた店『Bar ROADSIDE』だ。

マスターはおそらくは五十代前半くらいだろうか。
無精髭がそうとは見えないくらい渋い、いわゆるチョイ悪オヤジという言葉がピッタリな感じで
黙っていればかなりなイケメンなのだが、<相好を崩す>という言葉があるけど
まさにそんな風で、一言話を始めると途端に人懐っこい笑顔が全開になって
そのギャップが何ともマスターの人柄に於いても良い味を醸し出していた。
しかも、歳の割にはけっこうなマッチョ体型で
それをわざと見せつけるかのようにいつも店のロゴ入りの白いTシャツを着ていた。
大きな声では言えないけど、御多分に漏れず?
その手の体型の人に有りがちな<おネエ系>的要素も時折り顔を覗かせたりしていて
まぁでも、そんなことも常連客を引き付けるマスターの魅力のひとつにはなっていたんだと思う。


このマスターだが
常連客の間では『マスターは元高級官僚だった』という噂がまととしやかに語られていた。

いつだったか、一度マスターに訊いてみたことがあった。

「マスター、本当なの?」

「さぁね。忘れたよ。」

マスターは意味有り気に答えたもののその真偽はついに解らずじまいだった。


ただ、俺の送別会の時だったか・・・マスターはこんな話をしてくれたことがあった。

転勤が決まった時、俺は正直落ち込んでいた。
会社の仲間はみんな「係長に昇進するんだから栄転だ。おめげとう!」って言ってくれたけど
そんなことよりも俺は単純にこの街を離れたくなかったのだ。
長年住み慣れた街。学生時代からの友達がたくさんいる街。この店がある街。
新しい生活への不安もない訳ではなかったが
それ以上に青春時代を共に過ごしたこの街を離れることで
自分が今まで大切にしてきたものを全て失うんじゃないかという畏れを感じていたのだ。
漠然としたものではあったのだが。


「行くの止めようかな・・・」

酔ってそう言う俺にマスターは店の名前の由来を話してくれた。


「ねぇ、真ちゃん。『ROADSIDE』って名前どう思う?」

「えっ? うん、良い名前だと思うよ。」

「どんな風に?」

「どんな風って・・・」

もちろん、単語の意味は解ってはいたもののマスターがそこに込めた想いまでは解ってなかった。

「『ROADSIDE』ってね。通りに面しているお店なんかもそう言うけど
 『道端』とか『路傍』って意味なんだよね。あっ、それは解ってるよね? 失礼、失礼(笑)」

「まぁ・・・」

「『道端』ってどう? 真ちゃんならそこで何をする?」

「するって?」

「メインストリートをずっと歩いて来た真ちゃんには難しいかなぁー?」

意地悪い言い方でマスターが言った。
もちろん、それが本意ではないことは解っていたけど、その時の俺は少しムッとして答えた。

「そんなことはないよ。」

それに構わずにマスターは続けた。

「『道端』ってさ。疲れたら休む所なんだよ。
 道端に座り込んでボーっとするのも良いし、道端に咲いている花を眺めるのも良い。
 人間ってさ、ロボットじゃないからね。歩き続けていると疲れるじゃない?
 休息が大事なんだよ。心にも身体にももちろんね。
 そういうのが次につながるエネルギーになると思うんだ。
 俺なんかも良くやってたなぁー、勤めていた時にね。
 疲れ果ててボロボロになってさ。どうしようもなくなったらね。
 道端や土手に座って、ただ何時間もボーっと空を眺めてたりする訳よ。
 で、雲なんかを見てたらさ。曇って色んな形に変わるじゃない?
 それが面白くて、ホント何時間も何時間も見てたよ。
 気が付いたら夕暮れになっていて慌てて職場に戻ったなんてね、あったなぁー。」

「・・・」

「まぁ、俺の場合はそれでもどうしようもなくなってさ。
 ホント、疲れる世界だったんだよね。
 足の引っ張り合いとか上司にゴマ擦ったりしてどんどん昇進していく奴らを見てるのが嫌でさ。
 何て言うか、人間を止めたくなる前に仕事を辞めたんだ。
 で、俺は応援をする側に回った訳。
 だから、ここでは誰がどんな愚痴を吐いても俺は止めない。
 時には『そうだ、そうだ!』なんて言ったり、時には聞いてないフリをしたりなんかしてさ。
 疲れたらさ、好きなだけ休んでいけば良いんだ。
 ここを愚痴の姥捨て山にしても良いからさ(笑)」

「・・・」

「だから真ちゃんもさ。疲れたと思ったらいつでも帰っておいでよ。」

そんなマスターが<居る>この店が俺は大好きだった。


そして、マスターの他には女の子が一人。
常連客の下世話な下ネタにも明るく冗談で返すような快活で朗らかな女の子で
<飲み屋の女の子>と言えば偏見になるかもしれないけど、それを恐れずに言うなら
およそ女を売り物にしていない、むしろ女にしておくのがもったいないくらいサバサバとしていて
良く笑うその表情は屈託がなくて常連客の誰からも間違いなく愛されていた。


「留美ちゃんってさ。
 こんな<道端>に咲かせておくのがもったいないくらい良く出来た子だよね。」

酔ってそういう俺に留美ちゃんは笑顔で言った。

「あら、ホント? 嬉しい! ねぇ、マスター、聞いた?
 私ってとっても可愛いんですって!」

「あれっ? そこまで言ったっけ?」

思わず苦笑いの俺。

「真ちゃんの心の声が聴こえたー。ねぇ、マスター?」

留美ちゃんの言葉に内心ドキッとする俺。
マスターは憮然として答えた。

「『こんな道端』で悪かったね。」

「いや、こんな素敵な花を咲かせるのは立派な道端だからこそだよ。
 ホント、ホント。ねぇー?」

慌ててフォローしようとした俺に留美ちゃんがトドメを刺した。

「ほら、やっぱり素敵って言った!
 でも、実際は私が咲いていてあげてるんだけどね。
 でなきゃ、こんなむさ苦しい所にミツバチさん達はせっせとやって来ないわ。」

「あれ? ミツバチさんって・・・もしかして俺のこと?」

「ウフフ。」

ドヤ顔の留美ちゃんを前に男二人は苦笑するしかなかった。

でも確かに、留美ちゃんがいるお蔭でこの店はそれなりに繁盛をしていたのだと思う。
道端に咲く一輪の花。それが留美ちゃんだった。

みんなは『留美ちゃん』と呼んでいたがそれが本名なのかどうかは知らなかった。
ただ、俺も留美ちゃんのファンの一人だったこと、それも間違いなかった。
例え、ミツバチの一人としか思われていなくなって
楽しいひと時を過ごさせてくれる花があるならそれで良いって
きっと、他のミツバチさん達もそう思ってたのに違いなかった。



「こんばんは」

そう言いながら店に入って行くとマスターがきりっとした目を大きくして
驚いたようにまじまじと俺と見ると
やがて、あの頃と同じようにとびっきりな笑顔になって
俺に向かって逞しい両手を大きく開いて言った。

「おー、真ちゃんじゃない! こんな所に急にどうしたんだい?」

「こんな所って・・・あはは、マスターのお城でしょ?」

俺は思わず苦笑した。

「あはは、そうだった。さぁ、こっちにどうぞ。
 カウンターのこっちがお気に入りだったね。」

マスターは笑顔で俺を<いつも>の席に促した。

「真ちゃん、何年ぶりだい? まだA市にいるのかい?
 今日は出張かい? そういや、もう結婚したのかい?」

「あはは、マスター。その前に飲み物を注文したいんだけど。喉がカラカラでさ。」

「あー、そうだった! で? いつものやつで良いのかい?」

「ハイボール・・・」

「薄めね?」

マスターはニヤリとしてウインクをしてみせた。


ハイボールを待つ間、俺はおしぼりで手を拭うと周りを見渡した。

「今日は静かだね。常連さんはまだなの? そういや、留美ちゃんは?」

一瞬、マスターの顔が曇った。

「寿退社ってやつ?
 だよね、あんなに気立ての良い子だもの男は放っておかないよね。」

「なら、良いんだけどね。」

ハイボールを俺の前に置きながらポツンとマスターが言った。

「えっ? どういうこと?」

「留美ちゃんね・・・亡くなったんだ・・・」

「えっ? いつ? どうして?」

「一昨年の八月。そういやもうすぐ三回忌だわ・・・」

深く溜め息をつくとマスターがゆっくりと話し始めた。

「あの子ね。乳がんだったんだ。
 この店で働き始める前からそうだったみたいでね。
 気付かなかった? あの子、片側の乳房を取ってたの。
 飲み屋の女の子みたいな胸の前が空いた服も絶対着てなかったでしょ?
 昔は髪も長くて可愛かったのに、それからはずっと髪もショートカットにしててさ。
 逆に男を・・・何て言うか、わざと寄せ付けないみたいにね。」

「えっ、でも。留美ちゃんはいつも笑顔で俺達に接してくれてたよね。
 他の常連さんにも分け隔てなくさ。」

「その<分け隔てなく>ってのがね。
 つまり<特定の男を作らないよ>っていうことだったんじゃない?」

「でも、それなら何でこんな仕事を・・・あっ、ごめん。」

「ううん。彼女ね。親友の一人娘さんだったんだけどね。
 病気になる前は普通に昼間の会社に勤めていたんだけど病気で勤められなくなってね。
 でも、人と接する仕事が好きだから働かせてくれって頼まれてね。
 俺も乳がんってのは留美ちゃんが亡くなってから親友に聞かされたんだけど。
 もしかして、留美ちゃんにとっては
 <人と接する>というのは自分の生を確かめる手段だったのかもね。
 或いは、ひと時でも病気を忘れる為だったのかも知れないね。
 でもまさか、そんな病気だったなんてね・・・」
 
「そんな・・・」

俺はショックでそれ以上は言葉も出てこなかった。

「それからお店はごらんの通り、火が消えたみたいになってね。
 常連さんにも留美ちゃんファンは多かったからね。
 いつの間にか一人来なくなって、二人来なくなって。
 あー、それでもね。こんな店が良いって言ってくれる人だっているんだからね。
 俺のこの抜群のスマイルとお上品な下ネタがさ。」

そう言うとマスターは豪快に笑った。

でも、俺にはマスターが無理に笑顔を作っているように見えた。
もしかしたら、忘れたかったことを俺がここに来たばかりに
又、思い出させることになったのかもしれない。

「マスター、ごめん・・・」

「何が?」

「いや・・・俺が来なきゃ思い出さなくても済む話だったのかなぁーってさ。」

「何をバカ言ってるのさ。大歓迎だよ。
 もし真ちゃんが来てくれなかったら今夜のお客はゼロだったかもしれないんだから。
 言ってみれば真ちゃんはお店の救世主? なんてね。」

そう笑うとマスターは冷蔵庫からビールを取り出すと栓を抜いてグラスに注いだ。
そしてそのグラスを俺の方に向けると言った。

「乾杯しよっか。真ちゃんとの再会に。そして・・・留美ちゃんの想い出に。」

「・・・」

「何よ? そんなしょぼくれた顔はしないの! 留美ちゃんに笑われるよ。」

「そうだね・・・乾杯。」

俺も飲みかけたハイボールのグラスを持つと黙ってマスターのグラスと合わせた。


「でも、それならそれで教えて欲しかったな。
 せめて葬儀には出たかった・・・」

「留美ちゃんがね。言わないでくれって。」

「えっ? どうして?」

「真ちゃんが転勤をしてやっと一年経ったかどうかって時だったから
 きっと、気を遣ったんじゃない?」

「そんな・・・」

「そうだ! 忘れるとこだった。ちょっと待ってて。」

そう言うとマスターは奥の控室に引っ込んだがすぐに又、戻って来た。
その手にはピンクの可愛い封筒があった。

「何?」

「うん、これね。留美ちゃんから預かってたんだ。真ちゃんがいつか来たら渡して欲しいって。」

「手紙?」

「さぁ・・・開けてみたら?」

封筒の中から一枚の写真が出てきた。
この店で俺の送別会をやった時のもので俺と留美ちゃんが仲良くツーショットで写っていた。

思い出した。

いつもは「ヤダー!」とか言ってお客さんの肩を叩くことはあっても
冗談でも腕を組んだり手を繋いだりしなかった留美ちゃんが
あの夜は珍しく酔っていたのかずいぶんと俺に突っかかってきて
挙句に半ば強引に腕を組んだツーショット写真を撮らされたのだ。
もちろん俺は嬉しかったのでされるがままだったが妙に照れくさかったのを覚えている。


俺が写真をジッと見ているとマスターが声をかけてきた。

「どれどれ、ちょっと見せて。」

マスターにその写真を渡すとまじまじと写真と俺を見比べながらポツリと呟いた。

「なるほどね。」

「えっ? 何が?」

「何がって・・・真ちゃんってもしかして国宝級に鈍い人?」

「そんなこと・・・」

「ありそう。」

マスターはそう言うとニヤリと笑ってみせた。

「いや、そんなことはないよ・・・たぶん。」

「あるね。きっと今までも何人もの女に冷たい仕打ちをしてきたんだろうな。
 影で泣いている女がたくさんいるのに
 本人がそれに気が付いていないところが一番の罪だね。」

「まさか。」

俺は大袈裟に首を振って否定した。

「送別会だったからでしょ。お別れのサービスみたいな?」

それを聞かずにマスターは呟いた。

「本当に最後になっちゃったんだね・・・でも、幸せそう。」

「・・・」

「留美ちゃんね。真ちゃんが好きだったんだよ。」

「えっ? まさか。」

「ほらね。全然気がついてない。」

マスターはヤレヤレと言ったポーズで笑ってみせた。

「だって・・・そんな素振りなんて無かったよ。」

「そりゃそうだよ。自分の抱えている病気のことを考えたらさ。
 もし真ちゃんだったらどうする?
 自分が治らない病気で、好きな人がいたらそれでも告白する?」

「いや・・・出来ないよ。」

「でしょ? そっか、だから真ちゃんには知らせたくなかったんだね。」

マスターはゆっくりとビールを一口飲むと続けた。

「薄々は感じていたんだけどね。
 真ちゃんが来ないと妙にそわそわしてたし
 真ちゃんが帰った後は何だか寂しそうだったんだよね。
 今にして思えば、そうだったのかな? なんて思うんだけどね。
 でも、その時はそれが本当に真ちゃんなのか誰だったのか
 今ひとつ確信の持てないところもあってさ。
 あの子、普段は明るくてテンションも高めなんだけど
 時々ね、何か沈んでいるというか、疲れているというか。
 そんな時もあったものだからさ。
 それに、お互いに大人だし、縁があれば結ばれるものだって思ってたんだ。
 もっと、強引にでも真ちゃんとくっつけちゃえば良かったのかなぁー
 もしかして、国宝級に鈍いのは俺の方だったのかもね。」

「そんな・・・」

マスターはカウンターの引き出しから手帳を取り出すとパラパラめくっていた。
そして、その指を止めると俺の方を見て言った。

「再来週の日曜日さ。三回忌の法要があるんだけど、真ちゃんどうする?」

「俺? 行きたいけど・・・良いのかな? 俺なんかが行って。」

「もちろんよ。留美ちゃんのお父さんも喜ぶと思うよ。
 留美ちゃんが真ちゃんのことを話してたとしても
 話してなかったとしても、そんなことを気にする奴じゃないからさ。
 でも、手帳とか確認しなくて良いの?
 後になって<やっぱり予定が入ってた>なんて言ったら
 留美ちゃんが悲しんで化けて出るかもよ。」

「あはは。
 お蔭さんでうちの会社は休日に社員を働かせるほどブラックじゃないから。
 あっ、でも・・・もう一度留美ちゃんに会えるんだったら
 化けて出られた方が良いかな?」

「そんなことくらいで化けて出る訳ないじゃん。
 留美ちゃんはそんな子じゃないよ。」

「何だよ、マスターが先に言ったくせに。」

「あはは、ごめんごめん。そうだったっけ。」


しばしの沈黙が二人を包み込んでいた。
それぞれがそれぞれに同じ想いに耽っていた。
マスターは黙ってグラスを拭いていた。
俺は煙草を吸いながら目の前のグラスをただ見つめるでもなく見つめていた。


「そういや、誰も来ないね。」

店の入り口を見ながら俺はポツリと呟いた。

「みんな気を利かせたんじゃない?」

グラスを拭きながらマスターは応えた。

「優しいね。みんな、優し過ぎるよ、みんな・・・」

自分の口をついたその言葉と共に込み上げてきた或る種の感情に
俺は溢れてくる涙を止められなかった。



時計の針が一時を回った頃、俺はマスターと再来週の約束をして店を出た。

ビルの階段を上りながら俺は考えていた。

三年。それは長い月日なのか? 短い月日なのか?
三年経っても何も変わらないものもある。
しかし、人の人生が変わるには十分な時間でもある。

そこにいるはずの人がもうこの世にすらいなくなっていたのだから。
それでもマスターの人柄は何も変わっていなくて
そこに流れていた時間も三年前と変わらず優しい時間だった。
まるで三年前から時が止まっていたかのように。

「俺を待っていてくれたのかな?」

ふと、そんな言葉が口をついた。
そして多分、そうなのかもしれないと思った。

もし、そうならこれから又、俺達の時間は動き出すのだろうか?
何事も無かったかのように。
いや、それは違う。
失くしたモノを埋める為に時間は動き出すのだ。
埋められないモノ、埋められるモノはあるにしても
それでも時間を動かしていかなければならないのだ。
それが生きていくということなのだから。

そして、ひとつ心に思った。

今までは忙しさに振り回されて脇見すらする余裕もなかったし
道端に何があるのかさえ考えたこともなかったけど
これからは道端に咲いている花にもきっと気が付くことが出来るんじゃないかと。
そうやって生きていくことが自分らしく生きていけることにも繋がっていくんじゃないかと。

「留美ちゃん、ありがとう。」

俺は胸ポケットにしまった留美ちゃんとの写真に手を当ててそう呟いた。







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