Neko

夢の汽車に乗って

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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今まで、神が仕掛けた計画の幾つかについて話をしてきました。

私は続きを書くべきかどうか悩んでいます。
果たして、私のような一介の歯車でしかない人間がこれを書いて良いのか?

この暴露をした時、私はどうなっているのでしょう?
世界はどうなってしまうのでしょうか?
いや、それでも私は書いてしまうでしょう。

もちろん、そんなことは
神の書いた台本には書かれていないはずですが
世界の秘密を知ってしまった以上
それを書くことこそが私の使命であり
これこそが私に課せられた運命なのだと改めて心に刻みました。

神が私達人間に一番知られたくない真実。
それを私はこれから書こうとしています。


そのことに気付いたのは小学生くらいの頃です。
私はふと考えついてしまったのです。

「今まで一緒に遊んでいた友達。
 『じゃあ、また明日な』と言って
 家の前の角で別れて視界から消えたけど
 ボクが見ていないところであいつは何をしているんだろう?」

「ボクが学校に行っている間
 お父さんとお母さんは何をしているんだろう?
 お父さんは仕事に行ったはずだけど
 ボクはお父さんが働いているところを見た事がない。
 ボクが学校から戻ると家には洗濯物がほしてあったり
 お母さんは食事の支度をしたりしているけど
 ボクが学校に行っている間
 お母さんはどうなっているんだろう?」

もしかして、ボクの視界を消えた途端に
出番の終わったマリオネットのように
動きを止めているんじゃないのか?

で、ボクの視界に入った瞬間
それらはまた、何事も無かったかのように動き出す。

もしかして、この世界で生きているのはボクだけで
他の人はお父さんもお母さんも友達も皆みんな
ボクがどう生きるのかという実験における
小道具みたいなものなんじゃないのか?


そう感じた時の感覚をどう表現すれば良いのでしょうか?
周りの人達を見た時の言い様もない違和感。

「ボクは気が狂ってしまったのか!?」

「そう、まさにお前は気が狂ってしまったんだよ」

そうですね。
それが正常な反応なんだと思います。

じゃ、訊きますが。

「あなたは、あなたの見ていない時に
 他の<人間達>がどうなっているのかを見たことがあるのですか?」


例えば、こんな経験はありませんか?

あなたが、急にドアを開けた瞬間。
中にいた人が驚いた顔であなたを見つめて冷や汗をかいている姿を。

それは、単に驚いたからでしょうか?
いや、多分驚いたのは事実でしょう。

しかし、それはあなたに自分達の正体を見られたのではないか?
そう一瞬感じてしまったからかもしれません。

そうじゃないと言い切れる根拠はありますか?


みんな自分と同じように生きていて、それぞれの生活をし
それぞれの行動を取っている。

「当たり前じゃないか」

本当に?

そう信じているだけではないのですか?
疑ったことがないだけじゃないですか?

自分以外もみんな同じ人間で間違いないですか?

そう言い切れる自信はありますか?


例えば、これは何に見えますか?

「O」

ただの丸ですか?
数字のゼロですか?
それともアルファベットのオーですか?

では、これは?

「OO」

丸が二つですか?
ゼロゼロですか?
オーオーですか?
或いは、そこに何か二文字の言葉を当てはめますか?

問題を出した人が答えを明示しない限り
自分の出した<答え>が正解かどうかは誰も解りません。

数学の問題ではないのですから。

つまりは、私がここで書いたことが真実なのか?
単に嘘八百を並べたデタラメなのか?

どうですか?

あなたには判断出来ますか?
単に、自分が考えたこともないことを言われたから
常識だけで考えて反論しているだけではないですか?

それでも、あなたは私の気が狂っただけだと言い切りますか?


いや、もしかしたら<ボク>さえも本当は人間ではなくて
意志を持った(と、思わされている)一体のマリオネットなのかもしれません。

マリオネットと言っても、それは
良く知っている糸で繋がれた人形を人間が操っているというソレではありません。

象徴をする意味で、この言葉を選びましたが。


さて、この広い宇宙には人類が生存出来る
いわゆるハビタブルゾーンに属するとされる惑星は数億個とも言われています。

それでは何故、我々人類は異星人を発見する事が出来ないのでしょう?

昔から「UFOを見た」とか「異星人に遭遇をした」なんて話は山ほどあります。
古代の壁画に描かれた鳥のような<人>や
蛇が人間に知恵を授けているところだとされる壁画。
或いは、まるでヘルメットでも装着しているが如くの人らしきモノが描かれている壁画。

壁画に描かれたそれらの<人>は宇宙人だと言う人がいます。

宇宙人が人間に知恵や技術を授けたからピラミッドも作ることが出来たし
物資さえ運ぶのも困難な険しい山の頂に都を作ることが出来た。

しかし、人間に知恵を授けたのは本当に宇宙人なのでしょうか?
私達は過去に地球に訪れて人間に知恵を授けた宇宙人を神と崇めたのでしょうか?


神は実験をしています。

テーマは『完全な人類を創れるのか?』


神は今まで、何度も実験をし、その度に失敗を重ねてきたのです。
そして、その都度いったん造った星を人類共々破壊してきました。

陶芸作家が失敗作を地面に叩き付けて壊すように。


神は星を造り、人類を創り、知恵を授け、その進化を促してきました。
それは何故なのか?

完璧な人類のみが唯一、神を完璧な<存在>に出来るのです。

まだ、その実験は一度も成功をしていません。

何故なら、神は未だ完璧ではないからです。
不完全な存在に完全な存在は造れません。

なので、神は何度も何度も失敗を繰り返しながらも実験を止めてはいないのです。

だから、人類は他の異星人には<未だ>出会えていないのです。
存在しないものには出会えるはずもありません。

もし、その可能性があるのだとしたら
いわゆる<神>は複数いて
それぞれが<持ち場>の銀河で競い合うように実験を繰り返している場合です。

当然、それぞれの神の能力にも差はあるのでしょうから
他の神より一歩も二歩も進んだ実験を行っている神がいるかもしれません。

だとすると
中には自分の銀河を超えるところまで人類を進化させる事ができた神がいても
それは不思議ではありません。

その人類が地球に来たのを喜んで地球の神が迎えたか
或いは、疎んで人類の目から隠し通したか解りませんけどね。


ともあれ、神は考えました。

「まずは完璧な人間を一人造ろう。
 完璧な人間が一人出来さえすれば、後はコピーをすれば良い」

そこで、神は色々な<タイプ>の人間を造っては実験を繰り返しているのです。

知能、容姿、運動能力、使う言語、思考回路等々。
それぞれを少しづつ変えては実験を繰り返しています。

或いは、環境を変えて。
それが他次元世界の手法なのかもしれません。

「いったい、どの組み合わせなら完璧な人間になるだろう?
 何を足せば、或いは何をどう変えれば人間は完璧になるだろう?」

その繰り返し造られた中の一人が<私>なのです。

ですが、どうやら<私>も神にとっては完璧ではないようです。
失敗作であるが故に、神の所業を暴露するなどと暴挙にでているのです。

いや、それは神に対する<私>の復讐なのかもしれません。
私は神の意志に逆らって自分の意志を持ってしまったのです。

しかも、絶対に人間には知られてはいけない秘密と共に。

それを暴露してしまった以上はいずれ私も覚悟はしています。


そして、神はまた次の人間を造ろうとするのでしょう。
完璧な<最初の人間>を求めて。

ですから、私以外の<人間>は実は人間ではないのです。




さて、今まで神の計画に関する三つの秘密を書いてきました。
そして、これから最後にして最大の秘密を書こうとしています。

それに比べたら今まで書いてきた三つの秘密は幼児向けの絵本みたいたものです。

「これを書き上げたら本当に世界は終わるかもしれない。
我々人類が生き残るのか?それとも〈神〉が生き残るのか?」

私は三十年以上も悩み続けてきました。
そして、この問題に決着を付けるべく、パソコンに向かいました。

ところが、最初の一文字を打とうとしたその瞬間・・・


私の脳内で何万年にも渡って築かれてきた人間の歴史。
いや、それは神が成そうとしてきた計画の歴史に他ならないのですが
次々と<過去>を行きつ戻りつ様々な映像がフラッシュバックされていきました。

それらは、或る意味
歴代の選ばれし者から引き継いだ〈記憶〉とでも言えば良いのでしょうか?

そして、それはどのくらいの時間だったでしょう。
何万年にも思いましたし、或いはホンの数秒だったかもしれません。

ただひとつ言えることは
私のような<普通>の人間の脳で処理をするには
あまりに膨大過ぎる量だったという事です。

『神は私の気を狂わそうとしている!』

初めはそう思いました。
そして、脳内で起きていることを全力で拒絶しようと試みました。

しかし、それが無駄だと知るのにそう時間は必要ありませんでした。

私は神の成すがままにそれらを受け入れていきました。
そうせざるを得なかったのです。
或いは、それも神の意志だったのかもしれません。

心の中の葛藤がそのうち耐えがたいほどの激痛に変わっていき
しかし、その中でも私は何故かとても冷静で
『本当に気が狂うのだ』と、ただそれだけを確信をしていました。

しかし、それも一瞬でした。

やがて、ひとつづつ霧が晴れるように
そして、私はついには神の計画の全てを知るに至りました。


もう、思い悩む必要はありませんでした。

神の計画の全てを暴こうとしたこと自体が間違いだったことに気付いたのです。

或いは、それこそが神による洗脳だったのかもしれません。
しかし、今の私には解りません。

真実とは?
正義とは?

それらを私達は唯一無二のものだと信じてきましたが
どの方向から見るかで変わり得るものです。

それでは、神の真実とは?
神の正義とは?

そして、人類にとっての真実とは?
人類にとっての正義とは?

神から見た人類の横暴。
人類から見た神の横暴。

誰がそれを裁けると言うのでしょう。

どちらも、お互いにとって無くてはならない存在だというのに。


私は神と約束(或いは契約というべきか)を交わしました。

神の計画。
その秘密と引き替えに私は人類の二千年間の<存続>を神に約束させたのです。

存続・・・その意味は深いかもしれません。

そもそも、神が一介の人間との約束を守るのか?

例え、いくら神が約束を守ったとしても
人間が自ら破滅へと突き進んでしまうのではないのか?

しかし、地球上の人類が半減してしまったとしても
仮に絶滅しかかったとしても
そこに僅かでも生き延びる人類がいれば
或いは、自らを戒めながら再び繁栄への道を歩んでいけるかもしれません。

いつかの時代のノア(の箱船)のように。

それも含めての存続なのです。


残念ながら永遠にという契約は結べませんでしたが
それは次の〈選ばれし者〉に託そうと思います。


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果たして、何の意志も介在することなく
何もない<無>から有機物が誕生し、
やがて、幾世代も時間はかかったかもしれませんが
海に陸に空に幾千、幾万種類もの生物が産まれ進化を続けてこれたのしょう?

しかも、ほ乳類と呼ばれる生物の中で
何故、人間だけが知恵を持ち、文明を作ることが出来たのでしょう?

本当に、そこには何の意志も介在していなかったのでしょうか?


もしも今、私達が生きていると思っているこの人生が
実は誰かの創作したドラマだとしたら?

もしも、自分の意志で人生を選びながら生きていると思っていることが
実は誰かの台本の通りに演じさせられているのだとしたら?

私達はただそれを勝手に運命だと思い込んでいるだけだとしたら?

そんな事を考えたことはありませんか?


我々は映画やテレビでドラマを観ます。

例えば、十年に渡る出来事でも映画では僅か二時間程度に縮尺されます。
テレビドラマだとどんな事件でも一時間足らずで完結したりします。


地球上に人間が誕生をし人間がやがて滅びるまでの
何万年にも渡る壮大なドラマの中で
自分の演じる役割は僅か八十年ほどで
それは長い何万年ものドラマの中では一瞬にも満たない出番ではあります。

しかし、何十億ものピースのどれが欠けてもドラマは成立しません。


誰かは分かりませんが、台本を書いている者
つまり脚本家を仮に神としておきましょうか。


神は綿密にプロットを練って、エピローグに向けた物語を紡いでいきます。

どのタイミングでどのように人間を進化させていくのか?
そして、その先にはどういう結末を思い描いているのか?

つまりは、そんなドラマだと思ってください。


人間を進化させるキッカケとして
その都度、天才と呼ばれる人間を登場させ他の人間達を導く役を与えました。

彼らが時代の主人公となり、いわゆる人類の歴史を形成してきました。

では、その主人公とは?

創世期は多分、アダムとイヴだったのでしょう。
それからしばらくは、その子孫達が主人公を引き継いでいたのかもしれません。

私達が神話だと思っている、ノアやモーゼはどうだったでしょう?
神はゲーテに神曲で何を語らせたかったのでしょう?

おそらくはイエス・キリストも?

ジュリアス・シーザーやナポレオンももしかしたら
その時代の<選ばれた>主人公だったのかもしれません。

分野を変えてみると、大天才と呼ばれるレオナルド・ダヴィンチ。
アインシュタインはどうだったのでしょう?

長い歴史の中には時代の寵児と言われた人。
つまり
歴史を動かした人、歴史に影響を与えるほどの活躍や発明をした人は数々います。


しかし、歴史が示す通り、時として神が良かれと超天才を登場させた時
神の意志・意図するところと無関係に
時には台本を無視し予期せぬ方向に物語を動かそうとする事態さえ起きました。

神はその度に、物語の修正を迫られました。

そこで突発的な自然の大災害や大きな戦争を台本に書き込みました。

或いは、ヒトラーなども神によって修正加筆された人物だったのかもしれません。

図らずも、そのおかげで神の描いた物語は展開の起伏を生み
さらに壮大なドラマとなっていったのです。


例えば、アトランティスやムー大陸は何故、高度な文明を持ちながら
海の底へと沈んでいったのでしょう?

しかも、歴史からその痕跡さえも全てを隠滅するかのように。

今から見ても高度だと思われる古代文明は他にも幾つもありました。
それらの住民達は何故、遺跡だけを遺して
或る日こつ然と歴史の舞台から消えるようにいなくなってしまったのでしょう?

あのピラミッドでさえ今の科学・文明の利器を駆使しても
建造には何百年もかかると言われています。

しかも、今みたいにスーパーコンピューターなど無かった時代に
どうしてあれほど緻密に計算された建造物を作ることが出来たのでしょう?

そもそも誰がどうやって発想し、その場所にはないはずの大きな石を
何処で切り出し、運び、あれほどまでに美しく積み上げることが出来たのでしょう?

その時代は天文学的にも今以上の高度な知識を持っていたとも言われています。

何故、人間はそれらの知識や技術、経験を現代まで継続出来なかったのでしょう?

例えば、誰か一人くらいは、その時代の知識や技術を持って
生き延びることは出来なかったのでしょうか?

例えば、誰か一人くらいは、その時代の知識や技術を
何かの方法を以て<未来>に遺す、或いは伝えようとは出来なかったのでしょうか?

方法が無かったとは思えません。

では何故?

もしかしたら
歴史の影に埋もれた私達の知らない文明が他にもまだ沢山あったのかもしれません。

人類の歴史とは、或る意味では文明の進化と滅びの歴史でした。

そこには誰のどんな意図があったのでしょう?

神の啓示・・・つまりは神の台本に基づいて人間の進化を促す為の導きがあった。
そう考えるのが自然なのかもしれません。


我々が観る映画やテレビドラマは一面です。

その背景だとか、幾多の登場人物の絡み具合も
ナレーションだとか登場人物の昔語りで表現をされます。

しかし、我々が演じている演技を観ている者達は
全ての俯瞰を遠回しにして観ているのです。

例えれば
何百もの歯車を持ったカラクリ時計をひとつの全体として見た時のようなものです。

小さなひとつひとつの歯車がどう回っていて、何処が何処とどう関わっているのか?
普通はそこまでは気にせずに見ますよね。

でも、その中のたったひとつが欠けたりすれば時計は止まってしまいます。

つまり、我々が演じているのはその小さなひとつの歯車で
観ている者にとっては大して注目に値するようなものではないのです。

しかし、エキストラにもセリフがあれば台本があります。

我々は意志を持った個々の人間として台本には確かに書かれているのです。
そして、それを粛々と演じているのです。


演者は余計なことを考えてはいけません。
ましてやアドリブなど許されるはずもないのです。

そして、演者は考えてはいけないのです。

「このドラマって、どんな人が観ているんだろう?
 この先、何が起こって、何がどうなっていくんだろう?」


我々は粛々と演じていれば良いのです。
余計なことを考えたり、不要なことを演じようとすれば
それは即座に脚本家の知るところとなり台本から消されてしまうのですから。

我々の運命を握っているのは脚本家である神なのです。


さて、神によって書かれた運命の台本。

現代における主人公とは果たして誰なんでしょうか?

いわゆる大国と呼ばれる国の首領達なのでしょうか?
それとも、まだ主人公は歴史の表舞台には現れていないのでしょうか?


物語は今、起承転結で言えばどの辺りなんでしょうか?
そして、この壮大な物語の結末は?

やはり、人類の滅亡なのでしょうか?
それとも、人類の大いなる発展・・・つまりはハッピーエンドなのでしょうか?

いずれにしても、そんなことは
ひとつの小さな歯車に過ぎない私なんかには知り得ないことに違いありません。

そして、考えてはいけないことなのです。


私達は現世に生きています。

「何を当たり前な事を」

あなたはそう言うかもしれません。


しかし、あなたが現世だというこの世界は
同時に幾つも存在する世界のひとつだということを
果たして知っているでしょうか?

時間軸が少しづつ微妙にズレながら
同時並行的に存在する他次元世界。

ある人はそれを多次元世界
もしくはパラレルワールドと言ったりします。

ですが、それは空想でも妄想でもありません。

それらの世界では時間のズレと同様に
人との出会い、つまりはいつ誰と何処で出会い
どんな風に関わっていくのか
或いは、次元によっては
出会ったり出会わなかったりする人もいる等
必ずしも全てが一致してはいません。

何かが何処か違いながらも
それはあたかも少しづつ条件を変えながら
幾つもの実験が同時並行的に行われているかのように
そして、確かに或る種の意志を持って存在をしているのです。


それでは
現世に住む自分が他次元の自分に出会うことはあるのでしょうか?

「何をバカなことを」

あなたはきっとそう言うでしょうが
それを可能にするのが、もし夢なのだとしたら?

他次元に幾人も存在をする<自分>が
夢を通して共鳴をした時
夢と称する次元の狭間で別の自分と意識をシンクロさせる事が出来るのです。


例えば、こんな夢は見た事がないでしょうか?

場所は大学生の時に住んでいた街なのに
登場する人物は中学生の頃の友人で
何故か社会人になったばかりの頃に付き合っていた女の子も
そこに一緒にいて皆で笑い合っている。

「なんだか、時代も人もごちゃ混ぜで訳の分からない夢。
 まぁでも、それが夢だもんな」

果たしてそれは本当にただの<夢>なのでしょうか?

もし、他次元の何処かの世界ではそれが<現世の現実>なのだとしたら?
そして、夢を通して意識がシンクロした結果に於いて
他の次元の世界を垣間見たのだとしたら?


例えば、こんな経験はありませんか?

「初めて訪れた場所なのに何故かで見た事があるような気がする」

いわゆる、デジャブ(既視感)。

或いは

「TVで見た外国の風景が妙に懐かしく感じる」


例えば、初めて会ったばかりの人なのに旧知のような親しみが感じられる。

そんな場合、妙にウマが合うとか相性が良いのかな?
なんて思うものですが
果たして本当に相性だけの問題なのでしょうか?

もしかしたら、他の世界では
<既に>親友だったり恋人だったりするが故なのかもしれません。
或いは、親子だとか。

逆に、初めて会ったばかりなのに、どうも気に入らない。
何がとか何処がと訊かれても困るんだけど
とにかく、好きになれない。
案の定、何を話しても意見が合わない。

その相手は他の世界では犬猿の間柄なのかもしれません。


良く、世の中には自分とそっくりな人が三人いるなんて言いますが
それは、本当にただの似た人なんでしょうか?

或る朝、家を出るといつもと違う新鮮な感覚を感じる時があります。

それはもしかしたら何かの拍子に夢が覚めないまま
違う世界に入り込んでしまった自分の感覚なのかもしれません。

そこで街を歩いていたりすると偶然か必然かは分かりませんが
そこの世界に本来存在する自分を見かけたりしてしまう。

だから、自分に似た人が何人もいるように感じる・・・とか。
いや、それはどれも現実なんですけどね。


ドッペルゲンガーと言う言葉があります。

ある日突然現れるもうひとりの自分。
その姿を見た者は近いうちに死ぬと言われています。

もしも、何かの拍子に他の世界に迷い込んでしまった自分が
元に戻れなくなってしまった場合。

自分がいなくなった世界では次元のバランスが崩れてしまいます。
同じように同じ人間が複数存在をしてしまった世界もバランスを崩します。

バランスを崩してしまった世界は消滅をしてしまいます。

それが
「もう一人の自分を見ると死ぬ」と言われるドッペルゲンガーの真相です。

でも、安心をしてください。

ひとつの世界が仮に消滅をしたとしても世界は無数にあるのですから。

ですから、今までスポットが当たっていたAという世界が消滅をしても
即座に今度は違うBという世界にスポットが自動的に切り替わっていきます。

つまり、<自分>は生き続けることが出来るのです。

消滅をした世界のことは
別の自分の夢の記憶としてということにはなるのですけどね。


では、何故こんなにも無数の同じような世界が存在をするのでしょうか?


神代の昔のそのまた昔。

まだ地球上に人間、いや生物と呼ばれるものさえ存在していなかった頃
神は何千年、何万年という時間をかけて地球上に生物を生み出しました。

ただ、何千年、何万年と言ってもそれは神にしたら
ホンの数年とか、もしかしたら数日のことだったかもしれません。

ともあれ
やがて、神は一対の人間を創造し地球上に理想郷を造ろうとしました。

そのうち最初の一対の人間から子供が産まれて
その子供達がまた子孫を次々と増やしていきました。
神はそれらの人間に知恵を授け、文明を築かせて
そして彼らは久しく繁栄をしていきました。
地球上には神が理想とする楽園が誕生したかのように思われました。

しかし、それを良く思わなかったのが悪魔でした。

悪魔は神の隙を見て楽園の人間達に呪いをかけたのです。

「お前達は憎み合い、仲間が仲間を殺し合い、やがて滅びていくだろう」

悪魔の呪いをかけられた人間達は争いを始め、殺し合いを始めるようになりました。

神様は驚き、人間達の醜く争う姿を目にすると絶望をしました。
しかし、悪魔の呪いは強力で
如何に神の力を以てしてもその呪縛から解き放つことはできませんでした。

そこで神は考えたのです。
人間を滅亡させない唯一の方法を。

「例え、ひとつの世界が滅んだとしても
 他に世界が残れば、或いは人間の知恵で生き残る世界が生まれるかもしれん。
 生き残ることができた人間達に私の理想郷を託そう」

ただ、同じ世界を幾つ作ったとしても全てが同じ世界なら結果は同じです。
なので、微妙に少しづつ違った世界を幾つも作ったのです。

しかし、それらの世界が単に無関係にバラバラに存在をしているだけなら
それが幾つあったとしても、その存在は何の意味も成しません。

お互いがバラバラな存在では世界同士のバランスが保てないからです。
かと言って、いつもお互いがオープンに往来出来るようでは
逆に収拾が付かなくなり、それこそ余計にバランスが保てなくなります。

そこで、その無数の世界を繋ぐ鎖として
神は人間に<夢>を見るという<能力>を与えました。

夢を通してのみ、人間が他の次元と意識をシンクロ出来るようにしたのです。


Answer

さりげなく話を逸らして
僕は昨日観たテレビの話を繰り返す

気のない相槌の落としどころを探して
君は紙ナプキンでテーブルを何度も拭いていた

そんなことを何回繰り返していただろう?

もう終わりかなと思いながら
それでも答えを出せなかったのは
心の何処かでまだきっと君を愛していたから




答えを出したかったのは
僕だったのか?それとも君の方だったのか?

昨日よりも少しだけ濃く入れられた
コーヒーの苦さに僕は意味を探していたけど

そんなことにホントは意味なんてなかったろう

本州の何処かで桜の花が
咲いたとかってニュースが流れていた
つまりは季節がページをひとつめくったってこと




何となく平穏な顔をして
僕には何も見えないし何も気付かない

吐き散らかされた君のため息も
今は居場所を失くした想い出みたいだね

とりとめのない会話さえも倖せだったあの頃

春の日差しに誘われて
窓を開けた途端によそよそし気に風が吹いた
ぎこちない僕の笑顔じゃ何も変えられないんだろう




答えを出したかったのは
僕だったのか?それとも君の方だったのか?

核心の言葉は僕も知っているし
それはきっと多分じゃなくて君も知っている

簡単な事ほど口にするのが難しいみたいだね

無造作に書き足された
アミダクジの線を逆から辿ってってそんな事で
選択を変えられるならきっと楽だね


私としたことが・・・

せっかくの(?)エイプリルフールだったのに
誰にも嘘をついていません


ってか
今日はほぼ誰とも喋ってません

珍しく今日は家に誰もいなかったんですよね

猫に嘘をついても仕方ないしね

「おい、お前ら。今日のディナーは
 大間の本マグロだぞ!」

とか

「おい、お前ら。お前らは今日から野良だ。
 好きに生きていって良いぞ!」

とか言ったところで

「にゃ?」

なんて返されるのがオチですし

なので、喋り足りない今夜は心がウズウズ、ザワザワ?


いや、元より
嘘だ、ジョークだ、妄想だ、なんて
そんな輩が大っ嫌いな超生真面目・超純真無垢な私が
そもそも世間並みに
エイプリルフールの波に乗ろうなんて思ったことは
今までたった一度だって無かったのですが

(おいおい、エイプリルフールは
 とっくに終わってるんだぞ!) ← 天の声

あれ? あれれ?

と、時計を見ると確かに日付が・・・


オホン!

じゃ、話題を変えましょうか

で・・・何が?


そう、嘘は良くないよ

確かに
時と場合によっては
相手を慮ってつく嘘だとかってあるけど
基本的に嘘はいけません

相手を騙すような嘘は特にね

でも、自分を騙すなら良いとは思います

「お前は出来る奴だ!」

そう、自己暗示なんてのも言ってみたら嘘ですよね

ただ、思い込めばそれは力になります


ジョークも場を和ませる事が出来ます

例え、それがどんなにくだらないジョークでも

「アホか」

とか言われても
相手の目が笑っていてさえくれるなら・・・ですが

ただ、時と相手を間違うと
その場の空気を凍らせてしまう場合があります

絶対に上司がカツラだと確信出来たとしても
いくら酒の席だからって
上司に向かって

「挨拶をする時はズラを外せよ」

なんて言ってはいけません

外面の良い上司ほど根に持たれて
次の日には社内でも話の蚊帳の外に置かれるか
まぁ~首にはならないとしても
何処か海の外に

「行ってらっしゃーい」

なんてね

いや、海の外と言っても海外ならともかく
遠くの離島とかね

あっ、言っておきますが
北海道は離島ではないですからね

北海道に転勤になったとしても
島流しなんて思わないでくださいね

最近では転勤地として北海道はけっこう人気らしいです


で、何の話でしたっけ?

まぁ~良いんですけどね
どうせ、独り言だし


つまり、嘘もジョークも
エイプリルフールだから良いとかじゃなくて
時と場合と相手を間違えないことが肝心ってことですね


までも
エイプリルフールに嘘やジョークが言える相手がいるっての
案外、そんな小さなことが本当の倖せなのかもしれません

ジョークどころか
言葉も通じない相手が一緒なら
それは不幸としか言いようがありませんけどね

で、あなたはどうでしょう?

倖せですか?


親心

子を持って知る親の心なんて言いますが
本当の意味で親の心を知るのは
進学や就職などで
旅立つ子供を送り出す時なのかもしれません


私は中学を卒業すると同時に親元を離れて
遠くの街の高校に通い出しました

下宿暮らしです

大学も東京に出てアパート暮らしをしていたので
結果として
中学を卒業してから親と暮らす事はありませんでした

それでもまだ
高校の頃は夏休みや冬休みになると
親元にはすぐに帰ってはいましたが
東京の大学に入ってからは
それでなくとも、頻繁には帰れないのに
2ヶ月はある夏休みとか冬休みなんかも
やれバイトだとか部活の合宿だとかで
帰省はせいぜい10日間くらいなものでした

しかもあの頃の私は
東京から北海道に戻ってもすぐには親元には帰らずに
当時札幌に住んでいた友達のアパートに寄って
遊び呆けたりしていたのです

社会人になると帰省も
もうそんなに休みも取れなかったので
お盆と正月に数日程度だったでしょうか

一人息子の帰りを楽しみに待っている親の事なんて
果たしてどれだけ考えていたでしょう

いや、今にして思うと当時は
いつも自分の事しか考えてなかったんでしょうね


そんな私が親になりました

長女は地元の高校を卒業すると地元の短大に通ってくれて
就職も地元だったので今も一緒に住んでいます

なので今までは
そんな事はあまり考えた事も無かったのですが
今春、次女が本州の大学に進学をする事になりました


こんな事を親の私が言うのも何ですが

内心は

「国公立大学の受験なんてそんなに甘くは無いし
 どうせ、せいぜい札幌辺りの私立大学に受かるのが関の山で
 結局は落ち着く所に落ち着くだろう」

なんて高を括っていたらさもありなん?
本州の公立大学に受かってしまったんですよね

高を括っていたと言うか
次女には申し訳ないけど
それがもしかしたら
バカな男親の本心、願いだったのかも知れません

いや、もちろん喜んでいない訳ではないんですよ
いや、良く頑張ったなとは思っているんです


でも、そうね・・・
心の何処かではずっとそんな気はしていました

長女は未だに
休みが有ると家でゆっくり好きな事をしていたい方なのですが
次女は正反対で
部活の休みの日はもちろん部活終わりでさえ
部活の仲間やクラスメイトと遊びに出ていたりしていました

そんな出ずっぱりの次女を見ていて

「あぁ、こいつは高校を卒業したら
 きっと何処かに行っちゃうんだろうな」

漠然と、そう感じていたのです

だから
本州の大学を受験すると言った時も意外ではありませんでした

「どうせ、受かるはずはない」

なんて思ってもいましたしね

「まぁ、結果的に私立でも札幌辺りだったら仕方ないかな」

そんな風に自分に言い聞かせていたのです

札幌なら何か有っても日帰りだって出来るし
特急に乗れば二時間半もあれば帰って来られます


まだ次女が旅立つ前なのに
今から、さだまさしの案山子の歌詞が
頭をグルグルとヘビーローテーションで回っています

”元気でいるか 街には慣れたか 友達出来たか
 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

 (中略)

 お前も都会の雪景色の中で
 丁度あの案山子のように
 寂しい思い、してはいないか
 身体を壊してはいないか”


一人っ子だったのに
中学を卒業してから親と暮らした事がなく
たまに帰っても
これは多分に照れもあったんですが
親の問いにはぶっきらぼうな答えしかせず
母親が「服の一枚でも買いにデパートに行こう」と言っても
「別にいいよ」
母親が「今晩は何が食べたい?」と訊いてきても
「何でもいいよ」

たまにしか帰省しない一人息子です
親はどれだけ私と話をしたかっただろう?

訊きたい事だってきっとたくさんあっただろうな


そんな私が今は次女を見送る事になりました

土曜日に旅立ちます

自分の親不孝ぶりを考えたら
偉そうな事や押しつけがましい事は何も言えません

ただ、私の親がそうしてくれたように
私も遠くから見守る事だけです

この先、次女が何処に行き何をするのか?

来年の秋には半年間の留学も控えています

次女が帰省する度に
色々と訊きたい事も出るんだろうけど
私に似て?ぶっきらぼうな答えしかしない次女

返ってくる返事は予想出来てしまいます


これから、どんな風に変わって行くのか?
それとも、やっぱり変わらないのか?

何となく分かるのは
もう次女とは一緒に暮らす事はないのかもなって事

それが次女の選んだ道ならそれも良し
親はいつだって見守るのが仕事なんでしょう

ただ、ひとつだけ
これだけは覚えていて欲しい

これから何が有ったとしたって
お前が帰る場所はここにはいつも有るんだぞ

いつでもね

だから、無理に頑張り過ぎずに頑張れ

もし、万が一だけど
親の為に頑張ろうなんて思っているのなら
そんな必要は無いし
むしろ頑張らなくたって良い

ただ、自分の為に頑張れ

自分のやりたい事の為に
自分の進みたい道の為にね



行ってらっしゃい


出発点

「やり直したい」

同じように出発点に戻りたいと思っても
振り出しに戻るのとリセットをするのは全く違う事です


例え、失敗をしたとしても
やり直したいのであれば振り出しに戻れば良いのです

決して
その場でリセットする事を考えてはダメです

リセットをしてしまうと
今までの全てが無かった事になってしまいます

その時まで
自分が存在した事すら無くなってしまうのです

何より

仮にリセットが出来たとしても
失敗した経験まで無かった事になっているのですから
そこから又、リスタートをしたとしても
また同じ失敗をする可能性も高くなります

人生に於いては
振り出しに戻ると言うのは0に戻るという事ではありません

失敗した経験も踏まえてやり直すという事です


もし
道の途中で迷ったとしたら一旦、出発点に戻ってみる

案外それが
結局はその先への早道になったりします


運命論 その2

人生で幾つも訪れる分岐点

そこでする選択や
例え、そこで選択をせずに流れに任せたとして
そこから今に至る道筋を
もしも運命だと言うのなら
運命とはただの途中経過で結果ではない事になる


今までに幾つもしてきた選択

そもそも今がその結果なのか?
それとも今はただの途中経過に過ぎないのか?

その結果が判る時が死ぬ時だとしたら
運命には意味などないという事になる

何故なら
人間は誰しも最終結果を知らずして死んでいくのだから


そうだとするなら
運命とは果たして何なんだろう?

人間にとって
それがただの選択に過ぎないのだとしたら
それは後付けの自分への言い訳に過ぎない事になる


冬から一番遠い日

私は楽しみは後に取って置く派です。

好きな事と嫌な事があれば
何をさておいても先に嫌な事をまず終わらせます。

マンガ週刊誌を読む時は
大好きなマンガは最後のお楽しみです。

弁当の卵焼きはいつも一番最後に食べます。

一折りの寿司があったとすれば
マグロの赤身は最後の一口です。

一人っ子だった私は兄弟間の競争が無かったからか
いつの間にかそういう性格になっていました。


一般的に社会人にとって休日は楽しみです。

でも、私は休日の土日よりも
仕事が終わった金曜日の夜の方が好きです。

だって、土日なんてアッという間です。

日曜日の夜にはもう明日の仕事の事が気になったりします。

なので、休みに入る前の金曜日の夜が
私は一週間の中で一番好きなのです。

これは好きなモノを後に取って置くというのとは
少しニュアンスが違うかもしれませんが
私にとっては同じ事なのです。


さて、三月も半ばに差し掛かろうとしています。

本州ではそろそろ桜の便りも聞えてきそうな頃合いですが
北海道ではまだまだ春は先の話です。

日本海側では明日も雪のマークが出ていますし
私の住む東部でも
ここ数日と同様に明日の朝もマイナス十度を下回る予報です。

昼間はようやくプラスの気温になり始めはしましたが
まだまだ油断は出来ません。

北海道には彼岸荒れという言葉があって
春の彼岸頃に重たい湿った雪がいっぺんにドッサリなんて事も
そう珍しい事ではないのです。


とはいえ、三月です。

「そろそろ冬のコートを春物に替えようか?
 いや、待てよ。
 それはまだ早いぞ。
 昼間の陽気に騙されたらいかん!
 朝晩はまだまだ冬だ」

なんて、
心の中で冬モードと春モードのせめぎ合いが始まってはいますが
まだ、これと言った決定打を打ち出すには早過ぎる事を
我々北海道人は身に染みて分かっているのです。


でも、私はこんな季節が嫌いではありません。

いや、むしろ
今頃の春を待つ頃合いこそが私の大好物。

心配性なのか? 貧乏性なのか?

冬来たりなば春遠からじ。
つまり、春来たりなば冬遠からじ。

その意味でいうなら
春を待つこの季節こそが先に書いた金曜日の夜に通じるのです。


冬から一番遠い日が来るのは後、何日経ったらかな?

少なくとも、それはまだ今日ではない。
多分、明日でもない。
でも、一ヶ月までは待たなくても良いでしょう。

冬から一番遠い日。
私が一年で一番好きな日。

早く来て欲しいような
もう少しゆっくりでも良いような・・・



追悼の日に

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 ~新しいアルバムが笑顔で溢れるように~



そこには今日もごく当たり前に
家族の生活があるはずだった

多少のいさかいやケンカもあったにしても
それ以上に笑い声が響いていただろう


いつの時代も親の心を子供は知らない
理由も無く反抗する為だけに親に背く

そんな時代を誰もが通って
やがて大人になっていく

恋と愛の違いを知って
人を愛する事の本当の意味を知る

けれど愛はそれだけじゃない
見返りを求めない愛もあるって事

子供がそれに気がつくのは
自分がいつか親になった時

いくつもの後悔や済まない気持ち
ただ、それ以上に積みかさねてきた絆


年老いた父を母を見て
それは哀しい事だと思ってた

思うようにならない手足で
それでも人生をひたすらに生きようとしてる

もう少し楽な生き方もあったはずなのに
もう少しは楽に生きても良かったのに

思うようにならない手足で
それでも親は子供を守ろうとする

そうして年老いた父を母を見て
それでも憐れと言えるだろうか

子供を思う親の気持ちが
家族の歴史を作ってきたのだ


時は無常、運命は無情
だけど子供を思う親の愛以上に無上なものは無い

受け継がれていく親の気持ちが
家族の歴史を作ってきたのだ


そんな家族の泣き笑いを見つめてきた
ただ1冊のアルバムさえ今は無い


残した者、 残された者
どちらも悔しい涙を流す

還らない者、見送る者
どちらも無念の心を震わせる

「いっそ、一緒に・・・」
辛い気持ちがそう思わせる

だけど、生きてさえいれば
また歴史は続いていく

哀しみを越えて尚、人は生きていく
生きていかなければならないのだ


いつか

いつの日にか

新しいアルバムがいっぱいになる頃には
新しい笑顔がそこにはきっと溢れてる

そう信じたい

そう願いたい


家族の分だけ笑顔はある
笑顔の分だけ歴史がある


今は辛くて哀しいだけでも
忘れる事は無いにしても
忘れられる日は来ないにしても


新しいアルバムがいっぱいになる頃には
新しい笑顔がきっとそこには溢れてる

そう信じていたい

そう願っていたい




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あの日から7年

復興の進んだ町に戻った人
苦渋の決断で故郷に戻ることを止めた人

多くの人が色々な選択をした事でしょう

いや、それは
せざるを得なかった選択だったかもしれません

あの日から<もう>7年なのか?
それとも<まだ>7年なのか?

中には
あの日から時が止まったままの人もいるのかもしれません

いずれにしても
被災者の方々にとっては
どれもが忘れる事の出来ない記憶なのでしょう

それは忘れてはいけない記憶なのでしょう

そんな生活の中でも新しい日は否応なくやってきます


遠くに暮らす傍観者でしかない私ですが
被災者の方々の新しいアルバムに
1枚でも多くの新しい笑顔が貼られている事を願って止みません




*冒頭の詩は過去にこの日、何度かアップしてきたものの再掲載です
 あの日の事を忘れない為に・・・



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