Neko

夢の汽車に乗って

プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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フェチ♪

誰にも
それぞれ趣味嗜好と言うモノがありますよね



他人に言えば
思いっきり引かれるような事でも
自分にとってはそれが至福の時だったり

あるいは
他人に言うと
「あー、それ分かる、分かる♪」
なんて共感を得るモノもモチロンあるでしょう



いわゆる”フェチ”と言うやつです



旦那の脱いだ靴下の匂いを嗅ぐのが好きとか

旦那の靴下の匂いは死んでも嗅ぎたくないけど
飼っている猫や犬の肉球の匂いは
ずっと嗅いでいたいと言う人もいるようです


筋肉ムキムキが大好きと言う人もいれば
(それを気持ち悪いと言う人もいますが・・・)

ちょっとメタボなお腹を
プニプニ触るのが好きな人がいたり

浮き出た鎖骨が好きと言う人


女性のうなじが好きだとか

しなやかに動く指先が好きだとか



この他

メガネをかけた人が好き
白衣が好き
とにかく制服が好き

無精髭が好き
胸毛が好き

大柄な人が好き
小柄な人が好き


ちょっとアダルトネタで言えば
胸、腰のくびれ、お尻、脚(太腿・足首)

エトセトラ、エトセトラ・・・(笑)


いろいろなフェチが存在します

そして
いろいろ自分なりの拘りがあります



そう言えば
有名女性タレントで
ボタンフェチと言う人もいましたよね




フェチと言うと
「いやらしい」だとか
「変態」だとか言う人もいますが
はたして
みんながみんなそうなんでしょうか?



例えば
「コーヒーはブラックじゃないと飲まない」とか
「コーヒーには必ずミルクを入れる」とか


「ラーメンは醤油しか食べない」
「いや、自分は絶対味噌だ!」

「ラーメンならあの店のラーメンしか食べない」

「ビールのつまみは枝豆のかぎるよ」
「いやいや、ビールにはポテトチップさ」



洋服なんかでも
「私はシーンズにTシャツが好き」だとか
「私はセーターにスカートが良いな」とか

「洗いざらしの綿シャツが好き」
「きちんとアイロンをかけたブラウスが好き」

「この服にはこのバッグじゃなきゃ」

そんな風に
スタイルも着こなしも人によって様々です



これらはみな趣味嗜好です

そしてやはり
それぞれが自分なりの拘りを持っていたりします
(洋服等の場合は流行もありますけどね)




覗きをしたり盗撮をしたり
他人に迷惑をかける行為はそもそも論外ですが

”健全なフェチ”を

全て
それらと同一視して
変態扱いをするのには異論があります


そう思いませんか?




フェチな自分を恥ずかしがる事はありません!


フェチとは
趣味嗜好ではありますが
自分の主義主張でもあります

自分なりの拘りは
自分の生き方でもあるのです


そこにこそ
自分の存在意義もあるのです




フェチは決して恥ずかしいモノではないのです

恥ずかしいのは
フェチな自分を認められない狭い了見です


フェチである事に
もっと自信を持ちましょう!



何だか
だんだんとそんな気になってきたでしょ?(笑)




さぁ、みなさん!

フェチな心を解放して
明るく楽しく生きていこうじゃありませんか!


さぁ、みなさん!

コメントに
大いに自分のフェチ自慢を書き込みましょう!(笑)



えっ?

私のフェチ・・・ですか・・・?


そんな事
書ける訳は無いじゃありませんか

私にもイメージと言うモノが・・・へ(>o<へ☆\(-.-;



「優しさ」

これほど曖昧な言葉は無い



何より
「優しさ」と言うのは
自分が自分自身に対して
そう評価をするものでは無くて
相手が自分に対してする評価なのだから


つまりは受け止める側の「思い」ひとつなのだ


例えば
誰かに対して10個の行動を取ったとしよう


それが同じ行動だったとしても

ある人は10個の内
1個でも優しいと感じなければ
「あいつは冷たい奴だ」と思うかも知れない


逆に
9個の行動は冷たいと思っていても
残りの1個が
その人に取っては替え難い「優しさ」に感じたなら
「あの人は優しい人だ」となるだろう



「優しさ」とは
他人の評価では有るが
第三者の評価では無い

あくまでも自分と関わる人の評価なのだ


そこが
時に話をややこしくしたり
「優しさ」の意味を曖昧なものにする


だから
同じ人を評価しても
ある人は「優しい人」と言うだろうし

違う人にとっては「冷たい奴だ」となるかも知れない

若しくは「優しさ」が
「ただの優柔不断」と映る場合も有るのだ


もっと言えば
好きとも嫌いとも評価の出来ない相手を
「優しい人」「良い人」と言う言い方でお茶を濁す事がある

言う側からすると
これは
とても都合の良い言葉である

ただし
言われた方からすると
時として
これほど残酷な言葉はない



話を元に戻そう


「優しい」「冷たい」「優柔不断」

では
その境目は何処に有るのだろう?


それはやはり
その人に対する好意の度合いだろう

ちょうど、セクハラと同じだ


同じ事をされても

好きな人からされたら「スキンシップ」だが
嫌な相手からされると
それが「セクハラ」となるのと同様に
「優しさ」も又
相手に対する好意の度合いで
「優しい」と「冷たい」
あるいは「優柔不断」に分かれるのだ



ではこれは
努力をすれば何とかなるのであろうか?

残念ながら必ずしもそうでは無い場合も多い


もちろん
日頃の付き合い方や
接する態度は大きくものを言うので
相手に対する努力は不可欠ではあろうが

後はタイミング
これも大きな要素になる

間が悪いと弁解のしようも無い


しかし
一番大きな要因は
やはり相性と言う事になるのでは無いだろうか?

相手を受け入れられるかどうなのか?

それには生理的な部分も多分にはあるだろうが・・・



需要と供給では無いが
相手が望む事を
さりげなく出来る自分でありたいと思う


「優柔不断」だけならまだマシでは有るが
「優しさ」も過ぎれば
「余計なおせっかい」になってしまうのだから



けれど生きている

物事には始まりと終わりがある


始まりがあれば終わりは必ずやって来る

そして
終わりがあるから
また、新しい始まりがある


鶏と卵の話ではないけど
出口の無い禅問答でもないけど

良くも悪くも
楽しくも哀しくも

人生とは
いつも、そう言うモノだ





男と言う動物は安定が苦手な生き物だ

ひとつのゴールにたどり着いたら
休む間もなく
また
新しいスタートラインを探してしまう



男と言う種のDNAがそうさせるのか?

狩猟本能がそれを求めてしまうのか?

それは
男自身、分かってはいない


ただ
常に何か”次の始まり”を探して生きていく



時々
心迷ったように
平坦な穏やかな日常に憧れたりもする


だが
3日目にはもう飽きてしまう


”4日目の朝も
 平坦な穏やかな日を迎えられた事を
 感謝出来る男がいるとしたら
 その男は牙をもがれた飼い犬だ”

そんな言葉で嘯(うそぶ)いてみる




何かがあれば良いんだろう
とりあえず、気持ちを向かわせる何かが

その先の事までは考えていない

その先に何も無くたって
それをムダだとは思わない

また
次の始まりを探せば良いだけの事だ

”人生にムダな事なんて何も無い”

そんな誰かの言葉を繰り返しながら





ただ
それが男にとって生きていくって事なら
自分の人生のだもの
物事の始まりと終わりくらいは
自分で見届けておきたいと思うのだ





  *YOU TUBEより


 かぐや姫 『けれど生きている』
   詩:山田 つぐと


 〜 一番 省略 〜


たったひとつの 部屋の窓を覆ってしまう
この光は 何処からか 何の為に
その激しさで
僕に夢を描かせ そして裏切るのか
教えて欲しい


ここに僕が いる事を知っているのか
お前にすれば ちっぽけな 何も無い
けれど生きている
人生に始まりと 終わりがあるなら
見届けてみたい 見届けてみたい



最近は・・・

北海道も日増しに寒さが厳しくなってきています

何年北海道に住んでいても
寒さって慣れる事はないんですよね(^-^;


でも、外はいくら寒くても
家の中は
かえって夏より暑かったりするのが
北海道の家の中です

何と言っても
北海道人の冬の楽しみは
スキーとかスケートや雪遊びではなく
(うちだけか?(笑))
家の中をガンガン暑くして
半袖に短パン(?)で
キンキンに冷やしたビールを飲んだり
(私は飲まないけど)
アイスクリームを食べる事です!

そして
汗だくになって鍋をつっつく事です!!!

キッパリ! ( ̄− ̄)v


この暑さ
これはもう猫にとっても天国でしょう(笑)


しばらくダヤンネタをアップしていませんでしたが
ダヤンに何かあったとか
そう言う訳ではなくって
私が仕事から帰宅して見るダヤンは
いつも同じ場所で同じポーズばかり(笑)

ブログネタにならないんですよね〜(^-^;



ori1.jpg

『なんにゃ?』 (=^. .^=)ミャー


ori2.jpg

『むにゃ・・・』 (〃´`)〜o○◯


ori3.jpg

『ふにゃ・・・』 (=__ _=)o。。oO


ori4.jpg

『・・・』 (=∪。∪=)。。。zzzZZ



ほらね

こんな写真ばっかなんですよ〜 (^-^;

緊張感全く無し(笑)


までも、寝てるだけで
私を癒してくれるなんざ
ダヤンだけかもね〜 f(^-^)




言葉

昨日の続きのような話になってしまいますが・・・



メールにしても
ブログにしても
ブログに寄せるコメントにしても
そうなんでしょうが
パソコンとか携帯で打つ文字と言うのは
誰が打っても同じ文字ですよね


たまに、字体を変えている人もいたり
最近は
手書きで書けるブログなんかもあるそうですが




普通は文字をみれば
ある程度は
「これは男文字だ」
とか
「女性っぽい字だね」
とか、判断は出来ます

稀に
「えー! マジ?」
と、言う場合もありますが(笑)



ところが
パソコンや携帯で打った文字と言うのは
手書き文字と違って
文字そのもので
相手を判断するのはかなり難しいです


そこで相手を判断をするとすれば
書いてある文章しかありません



でも、そこには様々な問題も潜在しています



昨日のブログの
コメント返しにもちょっと書きましたが


男が女に成り済ましてメールを書いても分かりません

極悪人がきれいな文章を書くと
まるで善人に見えてしまいます

文章だけ読むと
とても素敵な人に思えたりします
(これは私の事か?(笑))

美人じゃなくっても・・・

あっ、いや・・・そのぉ・・・ f(^-^;




ちなみに私は
私の文章を読んでくれた色々な人から

「イメージが違う」

と、かなりの確率で言われます(笑)



ねぇ?

それってどう言う意味?(笑)
(やっぱり・・・ね?(笑))





面白い調査結果が出ていましたので
ちょっと紹介しましょう


  クリックしてください
      ↓
『男性の3人に1人は、ハートマークで勘違い』



いやでも
そりゃ勘違いしますって(笑)


だって、ハートマークですよ!

普通、どうとも思っていない男に
ハートマークなんか付けないでしょ?
(そう思う私がオジサンなのか???)




以前
会った事も無いメル友の男に恋をした女性が
男の為に金を着服したって事件がありました

その時
ニュースのキャスターが
「会った事も無い男に
 メールのやり取りだけで恋をするなんて考えられない」
と、言っていましたが
今の時代
そう言う事だってままありますよね


経験、有りませんか?




例えば
落ち込んでいる時に
優しい言葉をかけてもらったら
タイプじゃない相手にだって
恋をしちゃう事もあります

気の迷い?
酔っていたから?(笑)

冷静になってから後悔をする事も?(笑)


でも、それは
後になって言える事です


もちろん
そのままゴールインをして
2人が幸せになったのなら
それは本当に何よりな話ですけどね





”言葉”って

言葉を放つ方は
それほど重大には思っていなかったにしても

受け止める側にとっては
それだけ大きなものなんです


ちょっとした言葉に傷ついたりする事もあれば
言葉の優しさに救われる事もあります



言葉を放つ側の責任とまでは
堅く考えなくても良いのでしょうが
書く時は
相手の事を思いながら書きたいものですね






手紙  Part2

パソコンにしろ携帯にしろ
メールとかブログのコメントなどは
何かしら毎日書いていますが
考えたら
手紙って久しく書いていません


いったいいつから?


思い起こしても
記憶の階段を辿っても
記憶に無いくらい・・・


いやいや
まだ記憶が飛んじゃうほど
ボケてはいませんのでご安心を!?


ともかく(笑)

それくらい書いていないって事ですね




用件ならメールでも十分伝わるけど
気持ちを相手に伝えるなら
やはりメールよりは手紙でしょうか?



「想いを綴る」と言います


相手の顔を思い浮かべながら
1文字、1文字書いていく

キーボードで打てば単なる1文字ですが
直筆の場合は
一角、、一角を紙に流す時間

そこに想いが込められていきます




私もそのタイプなのですが
大きな身体に似合わず
小さな文字を書く人っていますよね

もっとも、私の場合は
元来、字が下手なので
大きく書くと上手く書けません

なので、ごまかす為(?)に
段々と書く文字が小さくなっていきました


今では米粒にだって3文字くらいは書けます!?


・・・いや、すいません

それは無理!

あまりに大袈裟でした(汗)



まぁ、私の事はともかく



パソコンで打った文字にしろ
直筆の文字にしろ
読めば同じ1文字です


でも、文字って
その人の人となりだとか
性格、クセが表れていますよね


丸っこい文字

マンガ文字みたいに可愛い文字

原稿用紙のマス目なら
はみ出してしまいそうなくらい
武骨なゴツイ文字

右下がりの文字


文字を見たら、相手が分かります

その文字のクセを見ると
相手の事を思い出し
つい懐かしさもこみ上げてくるものです




来た手紙の文字が昔と変わっていなかったら

「あー、
  こいつ、相変わらず元気でやってるんだなぁ〜」

って、嬉しくなるし

逆に、筆圧が弱くなってでもいたら

「どうしたんだろう?」

と、心配になったりします



そう言えば昔の歌に

”涙で文字が滲んでいたら わかってください”

と、言うのがありましたよね


これなんかは
メールの絵文字や顔文字で
《泣き顔》を入れるのとは
全然伝わり方が違うんじゃないでしょうか


もし
私が昔の彼女から
そんな涙で滲んだ手紙でももらったものなら
何もかも投げ飛ばして
すぐにでも飛んで行くでしょう


そんな気持ちになりません?

本当に?

自信、あります?(笑)




私もこうして
パソコンで文章を書いたりしていますので
パソコンで打つ文字を
否定するつもりは全くありません

メールでだって
ブログでだって
伝わる想いはたくさんあります
(おいおい、矛盾してないか?(笑))

でも
文字を見て相手を気遣うなんて事は
直筆には敵いません


パソコンだとせいぜい

「***・・・」

とあれば
この《・・・》の意味を考えるくらいです

(私もメールの時
  相手に”何か”を感じてもらいたい時は
  言葉の語尾に《・・・》を遣います)


後は、余程相手の性格を知っていない限りは
書いている通りにしか受け止められないでしょう






おりしも年賀状の時期

せめて
相手に対する一言くらいは
気持ちを込めて直筆で書かなくっちゃなぁ〜


なんて思うこの頃です。。。







夢 (3)

寝ている間に見るのも”夢”


将来に思いを描くのも”夢”


有り得ない話が有り得るのも”夢”


絵空事に現を抜かすのも”夢”


憧れるのも”夢”


現実から逃れるのも”夢”


ぼんやりと宙に描くのも”夢”


幻に見るのも”夢”


勇気をくれるのも”夢”


記憶を縛るのも”夢”


苦しめるのも”夢”


諦めきれないのも”夢”


生きる為に必要なのも”夢”


追いかけるのも”夢”






”夢”は希望か?

それともただの空想か?





”らしく”

「男らしくしないな」

「少しは女らしくしたら?」

「子供は子供らしくしなさい」

「大人らしく分別を持ちなさい」

「人間らしく生きるべきだ」




らしく・・・?


誰から見て ”らしく”と言うのか?

誰を見て ”らしく”と言えるのか?




”らしく”と付くと否定的な言われ方になる

少なくとも、《積極的な肯定》では無い



誰の為に”らしく”なきゃいけないと言うのか?

そんな事は余計なおせっかいと言うものだ




”らしく”とは

自分が自分の心に刻むものだ

自分を律する心が言わせるものだ




  ”自分らしく生きる事”




それを分かってくれる人が

「あなたらしいね」

と、笑ってくれたら

それはとても嬉しい事です




伝えたい事

「ねぇ・・」

 ケンカの後で女が言った

「ケンカが出来るって事はまだ続けられるって事かなぁ?」



「そうだね・・・」

 男は答えた

「ケンカをするって事は

 まだ相手に伝えたい気持ちや言葉が有るって事だからね」



「じゃあ、ケンカも出来なくなったらもう終わりって事?」



「だと思うよ。

 伝えたい気持ちや言葉が無くなったら
 
 一緒にいる意味も無くなったって事だよ。
 
 言いたい事が有るのに
 
 言うのを諦めてしまうって場合も・・・
 
 多分、同じかもね」



「諦めるって?」



「どうせ、言っても聞いてくれない。

 分かってくれない。

 そう思う事って無い?
 
 なら、ケンカをしてまで
 
 わざわざ嫌な気持ちになりたくないって思うだろ?
 
 そう言う事だよ」



「嫌な事を言う自分が嫌になるって事も有るものね」



「そうだね。

 なら、自分が黙ってしまった方が

 余計な波風を立てなくて済むし

 第一、楽だよ」



「それはおかしいよ!

 だって、好きだから一緒にいたいはずなんじゃないの?

 それだったら、とことん話し合うべきよ!」



「理想はそうなんだけどね。

 でも・・・少しでも話を聞いてくれる人なら

 まだ救いは有ると思うけどさ。

 聞く耳を持たない人だっているじゃない?

 話しても解ってくれないとか

 何でも自分中心にしか考えない人とかさ。

 糠に釘じゃないけど

 虚しくなって諦めてしまう事だってあるよ」



「それも何か悲しいね・・・」



「多分、何十年も経つと

 いくら夫婦だって

 それが良くも悪くも普通になるのかもね」



「そうなのかなぁ〜」







毎日の生活の中では
いつも本音ばかり言ってたら
上手く行くものだって上手くいかないでしょう


時には黙って目を瞑る事も必要です


でも、それだけでも
やはり上手くは行きませんよね


夫婦でも恋人同士だって
たまにはケンカをする事も必要なんでしょう


ケンカをする事で見えてくる
お互いの事って言うのもあります


もっとも、毎日のようにケンカをしてるって言うのは
それは又、別な話なのかも知れません


どちらかの考え方に問題があるとか・・・


或いは
ケンカが趣味とかレクレーションになっているとか!?



まぁ、ケンカを
趣味やレクレーションにはしたくはないけすけどね(笑)



生きる

昨夜、タクパパさんからメールが入りました


高校時代の同級生の突然の訃報でした



『今年の夏も一緒に飲んで
  タバコも止めて、運動して
  仲間内で一番健康に気を付けていたのに
     〜中略〜
  子供3人、心残りだったろうな・・・』





私自身も母親を亡くしていますが
それにも増して
若い人の死は辛いものがあります


義弟、従兄弟、職場の上司、友人と
今までも多くの死に対面をしてきました

みんな30代後半〜50代前半の働き盛り
そして、みんな子供がいました


そんな場面に接する度に
生きる事について考えました

後悔をしない為には
どう生きたら良いのか?

何をすべきなのか?


でも
普段の生活に流されているうちに
いつの間にか
そんな事も忘れてしまいます





普段、生活をしていても
今日がきた事に何も感じていません

それが”普通”の事だからです

明日も”普通”にくるものだと思っています


今日がきたのも
明日がくるのも
それは当たり前の事だと疑いません


でも
それは本当は違うんですよね





”今日”

と、言う日は

私達にとっては

”又きた普通の今日”

かも知れないけれど

昨日亡くなった人にとっては

”どうしても生きたかった明日”

なんです





そう考えると
いい加減に生きる事は出来ません


生きている者の責任としても
生を簡単に諦める事も
してはいけない事なんです


家族の為に生きようと
他人の為に生きようと
自分の為に生きようと
それは
それぞれの生き方なんでしょうから
私もとやかく言うつもりもありませんが

でも
”生きる”事だけは全うしなくてはなりません



生きたくても生きられなかった人の為にも
そして何より自分の為に

”生きる”事に一所懸命になりましょう

いや
ならなくてはならないのです



どんなに辛くても
哀しくても
寂しくても
悔しくても

心残りを残して逝かなければならなかった事

それ以上に辛い事は無いはずです




そんな当たり前な事を
友人の死で改めて思い知らされるなんて
私もつくづく学習能力の無い男なんでしょうね


本当は
”友人の死”と言う
この事自体を書く事も悩みましたが
自分への戒めも含めて今夜は書いてみました





心を込めて
遠い十勝の地より

合掌・・・




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