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夢の汽車に乗って
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yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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良く晴れた日ほどシバレる。

これも冬の「北海道あるある」かも知れません。

不思議なもので
-20度の翌日の最低気温が-12度だったとしても
何だか暖かく感じる・・・とまでは言えないにしても
ホッと一息みたいな気持ちになるのも
これもまた冬の「北海道あるある」でして。

で、また次の朝の-15度がやたら寒く感じます。

北風や西風が強いと尚更です。


そんな冬の日々が続いている我が十勝。

仕事帰りの道すがら
夜目にも空が澄み渡っているのが良く判りました。

その見上げた寒空にはクッキリと丸い月。

「キレイだな。今夜は満月だっけ?」


実際のところ満月は六日です。

でも、それほどキレイに見えた訳ですから
それが満月かどうかなんて
そこは最早、大した意味を持ちません。

自分にとって大切な事は
眼に映ったモノがどう見えたのか?

それだけですよね。


ところで、満月は十五夜とも言います。

十五夜と言えば思い浮かぶのは
「中秋の名月」ですが
十五夜は何も秋だけのものではありません。


満月前後の月の名称では
十三夜とか十六夜という言い方があります。

十三夜月(じゅうさんやづき)は
満月に次いで美しいとされている月で
古くから月見の宴などが行われていました。
これからまさに満ちていく月ですので
縁起の良い月とされます。

十六夜(いざよい)は
月の出が十五夜よりやや遅くなっている事から
月がためらっていると見立てました。
「十六夜」とは“ためらい”の意味を持つそうです。

なんて風情があるんでしょうね。
昔の人の表現力や感性には感服してしまいます。
そして改めて
日本語の持つ言葉の響きや美しさを感じています。


そして満月の前夜の月は
十四日月(じゅうよっかづき)と言われています。
「待宵の月(まつよいのつき)」とも言います。
翌日の満月を楽しみに待つという意味ですが
又、幾望(きぼう)とも言い
満月(望月)の前夜で“幾”は「近い」の意味を持ちます。

音だけで読めば「幾望」は「希望」と同じです。
でも、気持ちでも通じるものがありそうですね。

「望み、願い、期待。
 月に込めた思い。
 一日、二日早いか遅いかにしたって
 まぁ、そこに大した意味は無いかな」

冷たい北風に肩をすぼめながら
見上げた真冬の月はいつにも増してキレイに見えたのでした。

そして、いよいよ迎えた立春。

「春か・・・うん、美しい響きだわ」

確かにね。

でも・・・カウントダウンをするには
まだ少し早いかなぁー。


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大事な事

”歳は取るものでは無くて重ねていくものだ”


いつか、そんな話しも書きました


歳を重ねて得るモノも有れば
歳を重ねて失うモノも有ります


幾つもの歳月を重ねて育むモノもあれば
そうして育んだモノを
一瞬にして失う事だってあります


喜怒哀楽の中で一喜一憂をしながら
それでも又
懲りもせずに人は生を重ねていく


人生はそんな繰り返しなのかも知れません






”人生なんて良い事も悪い事も足して引いたらトントン”


良く、そんな風に言います


時々
宝くじにでも当たったかのように
嬉しい事が掛け算になる時もあるけど
人生って基本的には
足し算と引き算で出来ているのだと思います


最後は足して終わるのか
引かれて終わるのか
それは誰にも分かりません


仮に、最後は引かれて終わったとしても
それまでに足した数が多ければ
少なくとも”余り”が幾つかは残る訳ですから
それは良かった人生だと思えるのでしょう


そんな風に思って生きていきたいものです






重ねたモノ


それは
嬉しかった事
楽しかった事
幸せだった事



重ねたモノ


それは
悲しかった事
辛かった事
悔しかった事



良い想い出も深い後悔も
そのひとつひとつを振り返って
何が良かったのか?
何が悪かったのか?

反省をする事は確かに大事だけど

過ぎた事ばかりを考えるよりも
今、何が手元に残っているのか?
これから何を残せるのか?

それがきっと大事な事なんだよね

この歳になって改めてそう思っている次第です


自然の摂理

冬になると動物は皮下脂肪を蓄え
毛を冬仕様に替えて保温効果を高くして
寒く厳しい冬を耐え抜きます。

そんな風に
生きる為の適応力を身に付けた<者>だけが
やがて来る次の春を迎える事が出来るのです。

それが自然界の掟
すなわち自然の摂理です。


と、思っていました。


でも・・・

広葉樹はと言うと
幹の皮を厚くする訳でも無く
逆に葉を落とし幹も枝も寒風にさらします。

何故?

葉を残した方が寒さから身を守れるはずなのに。



宗教家はこう言います。

「一年を一生に例えるならば冬は死。
 そして春は再生なのです。
 人が生まれ変わる為に死ぬように
 樹木も又、再生する為に死ぬのです。
 転生こそが神の教えなのです」


植物学者は反論します。

「いや、樹木は葉を落としたとて
 決しては死んでいる訳ではありません。
 夏には葉に送っていた栄養を
 葉を落とす事で幹に蓄えているのです。
 己を自ら厳しい環境に身を置く事で
 更に幹が太くなる事を樹木は知っているのです」


哲学者は呟きました。

「樹木はそこに在るがゆえに樹木なので
 それ以上でもそれ以下でも無い」


小説家はおもむろに言いました。

「裸の王様にしてもドンキ・ホーテに例えても
 樹木は決して喜ばんだろうな。
 何故なら、死ぬも生きるも
 そんな事は樹木は考えてはおらん。
 在るがままなのだ」


画家はこう言いました。

「でも、見てごらんなさい。
 極限までそぎ落としたシンプルな構図。
 これこそが自然の作り出した
 見事な芸術じゃないですか!」


植物学者はやれやれと言った体で
改めて解説を始めた。

「もっと言うなら広葉樹は広い葉によって
 効率良く光を吸収できるが逆に蒸散も多い。
 又、針葉樹の仮導管と違い太い導管を持っています。
 その為、寒い冬には導管液の凍結と融解によって
 導管内に気泡が生じ導管液が送れなくなるので
 これを避ける為に
 ある程度寒い地方に適応した落葉広葉樹は
 秋になると葉を落とし
 水分の消費を抑えて休眠状態で春を待つんですよ」


それらを聞いていた子供が言いました。

「何だかんだと言っても
 動物と違って木は動けないものね。
 その場所で出来る事を考えただけなんだよ、きっと」


植物学者も宗教家も哲学者も
小説家も画家も
みんな唖然として顔を見合わせました。

そして次の瞬間
みんなで大笑いをしました。

子供が訝しげに大人達を見回していると
植物学者は子供に向かって言いました。

「そうだね。
 君の言う事が一番みんな納得出来たみたいだよ」



なるほどね。
私も納得出来たよ。

良く<自然の摂理>って言うけど
自然は難しい理屈を考えている訳では無い。

動物達も樹木やなんかも
ただ、自分の置かれた立場で
出来る事をし続けた結果なんだよね。

なるほど。。。


<a happy new year>

今までは大して気にもせずに使っていましたが
日本語にすると<幸福な新しい年>
とでも言えば良いんでしょうか?


幸福の尺度は人それぞれです

裕福な生活が幸福だと思う人
愛のある生活が幸福だと思う人
好きな仕事が出来るのが幸福だと思う人
やりたい事が出来るのが幸福だと思う人
自由に振る舞えるのが幸福だと思う人

自分の幸福が嬉しい人
他人の幸福が嬉しい人
他人も幸福だと嬉しい人

求めるモノはみんなそれぞれ違うし
得たモノひとつに対する喜び方も
又、それぞれ違います

高級外車を年老いた親に買ってもらっても
別に何とも思わない人もいれば
子供が小さい時にくれた
「ママ、いつもありがとう」
と、書かれた折り紙が宝物と言う人もいるでしょう

不自由の中の僅かな自由を幸福と感じる人
自由の中の僅かな不自由を不幸だと感じる人

与える事で幸福を感じる人
与えられる事に幸福を感じる人

権利を当然だと思う人
義務をありがたいと思える人




「ねぇ、幸福って何だと思う?」

「俺にとってかい? それとも君にとって?」

「あっ、今・・・ドキッとした!」

「ん?」

「そうよね。幸福って自分と相手で違うんだね」

「何だい、今更」

「あのね。正直に言うけど
 私、いつも幸福って言うと自分の事ばかり考えていた。
 でもさ。私の幸福ってあなたの幸福なのかな?」

「それを俺に訊く訳?」

「あなただから訊きたいの」

「そりゃね。
 君がいつも笑っていてくれたら
 俺はそれで幸福だけどね」

「えー?
 それじゃ、まるで私はバカみたいじゃない?」

「そんな事はないよ。
 いつも笑っていられるって幸福だからだろ?」

「うん、まぁね」

「なんだい? 不満そうだね?」

「そう言う訳じゃないけど・・・」

「分った。それじゃ、こう言おうかな。
 俺の幸福は君の幸福と同じとは限らないかも知れない」

「うん。それで?」

「でもね。
 君が幸福じゃなきゃ俺は幸福にはなれないと思うんだ。
 つまり、自分一人だけの幸福なんて無いって事さ。
 もちろん、
 世の中には孤独を何より愛する人もいるんだろうけど
 世の中と関わらない事に幸福を探す人もね。
 でも、少なくとも俺はそんなのは嫌だな。
 誰かと一緒に幸福になりたいと思うよ」

「それが私?」

「さぁね~ もしかしたら、今は違う所にいたりして?」

「もう! 意地悪っ!」

「あはは。
 マンガの話なんだけどね。
 映画にもなった『釣りバカ日誌』って知ってる?」

「うん」

「その中でね。
 主人公の浜ちゃんがみち子さんに
 プロポーズをする場面があるんだ。
 何て言ったと思う?」

「えー? 何て?」

「『君を幸福にする自信はありませんが
  僕が幸福になる自信はあります。
  だから結婚してください』ってね」

「何それ? 随分と自分勝手じゃない?」

「そうかな?
 俺はすごい素敵なプロポーズだと思うよ。
 『お前を絶対に幸福にする』なんてさ。
 言うのは簡単だけど
 <絶対>なんて無い訳だろ?
 もしそう言って結婚をして
 幸福の価値観が合わなくて
 いつまでも相手が幸福だと思わなかったら
 俺は大嘘つきになってしまうよ」

「そんな事・・・」

「断言出来る?」

「・・・」

「だろ?
 まぁ、確かに賛否はあるかも知れないけどね。
 でも、俺は浜ちゃんは正直で誠実な人だと思う。
 そう言う人と結婚出来たら幸福だと思わない?」

「うん。まぁ・・・確かに」

「なんだい? 気に入らない?」

「そうじゃないけど・・・
 でも、何かごまかされてる気がする」

「あはは。
 でも、そもそも幸福なんて形が無いものなんだからさ。
 良いんだよ。自分がそれが幸福だと思えればね。
 と、言うより・・・そうだな。
 どうだと幸福と考えるか?
 何が幸福だと思うか?
 そう考えてみたら答えは出るんだよ」




幸福の尺度は人それぞれです

ハードルを高くするのも低くするのも自分です
でも、それはどっちが良いとかと言う話とは違います

それも自分が決めれば良い事なのです


新しい一年が始まります

どんな一年にするのか? したいのか?

さて、私も早速<一人討論会>でも始めてみますか


ともあれ

それぞれの幸福に向かって
亀のように一歩づつゆっくり歩むも良し、
今年の干支の兎のように
ピョーンと大きく飛び跳ねてみるも良しです

自分らしく在る

それも又、幸福ですしね


「今年のし忘れはありませんか?」

と、この時期に書き続けている訳でして
見直して見れば、一番最初が2012年でした。

し忘れ・・・しわす・・・『師走(しわす)』だけに。

と、しょーもないオヤジギャグ的な理由だけで
毎年、この時期に性懲りもなく繰り返し、繰り返し
皆様方に注意喚起をさせていただいているわけです。

時には

「ネタが無いからだべ?」とか
「いい加減飽きたわ」とか
揶揄されながらもですね。

が、しかし!

あくまでも私は皆様の為に身を削って?
注意喚起をさせて頂いているのございますよ。

でもまぁ

良~っく考えてみれば、いや、考えなくとも?
皆様方は皆それぞれ立派な大人の紳士淑女諸氏なれば
私のこのような思いなんぞはまさに釈迦に説法なんでしょう。


反面

「なぁ? 今年も終わりだけど、
 お前は何か遣り残したことはないのかい?」

と、それは私自身への自問自答であると言う意味合いの方が
実は多かったりしていました。


ここ数年、企業なんかでは「PDCAを回す」
と、いうことが盛んに言われています。

つまり

Pは計画のPLAN
Dは実行のDO
Cは評価のCHECK
Aは改善のACTION

これらを繰り返すことで業務を改善していこうということです。

これを個人に置き換えれば
自分自身の行動を見直し、次に何をやるべきかが見えてくる・・・

のかもしれませんが

妄想族の信条は常に
「LIKE A FREE BIRD」ですからねぇ~


確かに、若い頃は今頃になると

「あー、アレやってない! あっ、コレもだ!
 ヤバい、ヤバい! 今年が終わってしまう!」

などと、真面目に悩んでいた時も
あったような、無かったような・・・???


しかし、今となっては悟りの境地とでも言いましょうか?
ちょっとやそっとのことぐらいでは動じなくなりました。

なんせ、私の信条は

「なんとかなるべさ」

つまり

「明日出来ることは明日やれば良い。
 明日で良いことは案外、明後日でも何とかなる」

悟りは人間を強くします。
と、お釈迦様も・・・確か・・・言っていた・・・ような?


人間は年を重ねていくに従って経験も重ねていきます。
経験は雄弁です。

「だって、それで今までやって来れたじゃん!」

ですよねぇ~?


従って、ひとつやふたつの忘れ物を気にするよりは
笑って明日を迎えた方が遥に建設的だし人間的じゃないですか!

ねぇ?

あれっ???

賛同の嵐かと思いきやチラホラ・・・ですか?


オホン!

と、ともあれですよ。


好物や楽しみは後に取って置くタイプの私としては

「今年の忘れ物は来年への手土産だ!」

と、思うことにして
後は心静かに穏やかに新しい年を迎えることとしたいと思います。

ねぇ?

これ、名言だと思いませんか?



さてさて

皆様、今年はどんな一年でしたか?
新しい年はどんな年にしたいですか?


何より笑顔で新しい年を迎えられるのが幸せってやつなんでしょう。

良い幸せをお迎え下さい。

そして、新しい一年が皆様にとっても
より幸多き年となりますよう心よりお祈りを申し上げます。


今年も一年、ありがとうございました。


来週はクリスマスですね

みなさんはどんなクリスマスを過ごしますか?


家族で、友人同士で、恋人と・・・

或いは、一人で?


余談ですが

私も一人で過ごすクリスマスって時代が長かったので
クリスマスを一人で過ごす寂しさは良~っく分ります

一人でケーキを買って食べたって美味しくないしね

と、言うより

一人の時は
ケーキなんか買った事はありませんでしたけど


ともあれ

色々な想いで過ごすクリスマスは
キリスト教徒ではない人達にとっても
やはり特別な夜なのでしょうね

特に
サンタさんからのプレゼントを心待ちにする
子供達にとっては
特別中の特別な日となるのでしょう



そんな特別な夜を前に
ちょっとクリスマスにまつわるネタを拾ってみました

(有名な話でもあるので
 ご存じの方も多いとは思いますが)


みなさんは
「NORAD」ってご存じですか?

「NORAD」とは、
ミサイル攻撃や空襲に備えて空を監視する
アメリカ合衆国とカナダの二カ国連合の軍事組織です

そんな国家防衛機関が驚くべき事に
毎年、クリスマスイブの夜が近づくと
世界中を旅するサンタクロースを追跡すると言う
夢に満ちたサービスを行っています


それは、一本の間違い電話から始まりました

1955年

ある新聞の「サンタ・ホットライン」に
あるお店が

「特別なホットラインでサンタさんとお話が出来る」

と、宣伝をし
広告に間違った電話番号を載せてしまったのだそうです


この間違い電話の先が
「NORAD」の前身である中央防衛空軍基地でした

「サンタクロースは本当にいるの?」

「サンタクロースは今どこにいるの?」

そんな子供達からの間違い電話に答えて
司令官(当時)のハリー・シャウブ大佐が
機転を利かせて

「サンタクロースは北極点から南に向かったらしい」

と、答え

以後、毎年サンタクロースの追跡が行われるようになり
これを1958年に設立された「NORAD」も
引き継いだのだと言う事です


子供達の問いにも

”最新鋭のレーダーを使い
 トナカイ・ルドルフの鼻から放出される熱を感知し
 サンタクロースの居場所を追跡しています”

と、説明していたとか

子供達の夢を壊さない為のちょっとした”嘘”でした


そんな心温まる出来事があってから
毎年12月、「NORAD」で働くボランティアが
子供達の電話に答えてきました

今ではウェブサイトに
世界中の人々がサンタクロースの
最新情報を得ようとそこを訪れているのです


更に、このウェブサイト上の世界地図では
ソリに乗ったサンタクロースが今どこにいるのか
また、世界各地への到着推定時間などが表示され
その情報は一晩中更新され提供されているそうです

(残念ながら24日にならないと見れません)


防空の為の最新鋭の設備を備えた国家機関が
このようなサービスをしていると言うのは
何かホッとさせてくれます


もうひとつ
アメリカでの話ですが
ユタ州のソルトレイクシティー市航空局には
「市の空を飛ぶ小型機の最低高度」
を定めた条例があります

この条例は
小型機の最低高度を連邦航空局の規則に基づいて
2000フィート(600m)と定め
続く条項に

「クリスマスイブにトナカイの引く荷物だけは例外とする」

と明文化していて
ソリに乗り空から家々にプレゼントを届ける
サンタクロースへの
配慮として1985年に盛り込まれたと言う事です

しかし、市ではこう言う項目があると
いい加減な条例だと受け止められる恐れがある為
航空局の委員会で
この条文を削除する修正案を可決して
議会に送ったのだそうですが
多くの反対派市民の運動によって
この条例は今でも残っているそうです


一方で

世界中にはクリスマスを祝えない子供達も大勢います

サンタクロースからのプレゼントを待つどころか
今日をどう生きるかで精いっぱいだったり
いや
今、こうしている間にも
死んでいっている子供達も大勢いるでしょう

戦争、内戦、テロ そして、大災害や飢餓

親兄弟を亡くし
そして、自分も傷ついて
明日に希望が持てない子供達も大勢いるのです


それは
今や日本だって他人事ではありません

このコロナ禍にあって
職をなくしてしまったり
大切な家族を失ったり
或いは
毎年のように繰り返される大きな自然災害によって
住む場所を失い、中には家族をも失い
プレゼントを
買ってあげたくても買ってあげられない
買って欲しくても買ってもらえない

そんな親や子供達が沢山いることでしょう


子供達にとって
サンタクロースはまさに夢ですよね?

そんな子供達の夢を
大人が取り上げるなんて事は
本来、絶対有ってはならない事です


いつか、子供達も大人になれば

現実の厳しさに
立ち向かわなければならない時が来ます

そんな時に心の支えになる事の大きなひとつが
幼い頃の夢かも知れません

その夢を子供達に与えてあげる事こそが
大人達がやらなければならない事なのでしょう


上記で紹介した記事はホンの一例ですが

世界中の大人達が
こんな風に子供達の夢の為に
知恵を絞り、時にユーモアで応えられたら
世界は変わっていけるのかも知れません


最後に

「新聞に掲載されたある手紙」と言う記事より

1897年9月
ニューヨークに住む少女
ヴァージニア・オハンロンという少女が
学校でお友達と
「サンタクロースはいるのか、いないのか」について
口論になりました

彼女はもちろん「いる」派でした

でも、家に帰って父親に
「本当にサンタクロースはいるの?」
と質問したところ
なんとその父親は
「新聞に手紙を書いて聞いたみたら?」
と言ったというのです

そしてこの投書を受け取ったサン紙の記者
フランシス・チャーチはその投書への回答として

「この世には、愛や思いやりといった
 目に見えないけれども確かに存在するものがある
 それと同じように
 もし、目に見えない存在だとしても
 サンタクロースだって確かに存在する」

という内容の社説を発表しました

そしてその後
サン紙は、毎年クリスマスが近づくとこの社説を掲載
この話は、その後本にもなりました


サンタクロースを信じる心を育てる事は

善い事をした時も
悪い事をした時も

「いつでも誰かがあなたを見守っている」

という心を育てる事になるのかも知れません

この記事を紹介していた人は
このように結んでいました


子供達の夢

それは私達大人にとっての夢でもあるのです


そんな十二月

十二月も十日が過ぎましたが
この時期は本州や九州、四国なんかでは
まだまだ晩秋と初冬が交差する季節でしょうか?

テレビのニュースを観ていても
北海道北部や日本海側では何十cmの積雪があった
なんて映像が映っている一方で
次の場面では紅葉が真っ盛りの映像だったり

世界の中では小さな島国の日本ではありますが
こういうのを見ていると
けっこう日本は広い・・・いや
実際には縦に長いんだって分かりますね


私の住む十勝はと言うと
元々が雪が少なく
その分、底冷えの厳しい土地柄です

先日、サラッと(少しだけ)雪が降りましたが
降った雪の量の割には
その後のシバレで解けきらずにいて
「やっぱ冬なんだ」
「やっぱ北海道なんだよな」
なんて思っています

道路に関しては街中の日陰部分以外は
ほとんど乾燥路面なので
通勤とか仕事とかには影響は無いんですけどね


それでもまだ
最低気温が氷点下でも
未だ一日を通しての真冬日は少ないので
北風とか西風が強くさえなければ
「過ごしやすい」とまで
冬将軍に挑戦状を叩き付けるような真似はしてませんが

はい、素直に
「ありがたや~ありがたや~」
なんてね


例え、何日かにいっぺんでも
プラスの気温で
昼間の天気が良く穏やかなのはありがたいです

昨年の今頃を考えると
「今年は暖かいのかな?」
とも思ってしまいます

でも

ひとたび冬将軍が本気を出せば
そんな甘い考えなどは
簡単に吹き飛んでしまうんですけどね


「あぁ、間違って冬将軍が冬眠してくれたらなぁ~」

これ、私はマジに願っています。
毎年、毎冬

もちろん、それが叶ったことは・・・はい



今年も街にはイルミネーションが灯りました

ここ二~三年はコロナの影響で
みんな自粛、自粛で色々なことを我慢していましたが
ここに来て最近は
街を歩けば歳末の売り出し
そしてクリスマス商戦も最中で人出も増えてきています

「今年は三年ぶりに忘年会だ」
なんて声も聞えてきます

一年のうちでも一番の喧騒が戻って来つつあるようです

しかし

一歩、その喧騒を離れると
ただひたすら真冬に向かっている季節に出会います

否が応でも
冬将軍がご丁寧に念を押すのです

「なんせ冬だからな。
 俺もちゃんと仕事をしなくっちゃな」

いやいや、そこは
そんなに律儀にならなくても良いんですけどね



頬に当たる風の冷たさに
思わずコートの襟を両の手で立てて
白いため息をひとつつく

それで何が変わる訳でもないと言う事は
十分過ぎるくらいに分かってはいるけれど・・・


そんな十二月
今年も残り約半月です


運命論とやら

”運命は変えられる”

そう言う人がいる。


”運命は変えられない”

そう言う人もいる。


いったいどちらが本当なんだろう?

変えられるのか?
変えられないのか?



”運命を避けようと選んだ道で
 人はしばしば運命と出会う”

そう言った人がいる。


人生で幾つも訪れる分岐点。

そこでする選択や
例え、そこで選択をせずに流れに任せたとして
そこから今に至る道程を
もしも運命だと言うのなら
運命とはただの途中経過に過ぎない事になる。


今までに幾つもしてきた選択。

それを運命だとするなら
その結果が判る時はいつだろう?

おそらくは死ぬ時だとなるのだろうが
そうすると
運命という言葉には意味など何も無いという事になる。

何故なら
人間は誰しも最期の瞬間を知らずして死んでいくのだから。


そうだとするなら
運命とは果たして何なんだろう?

人間にとって
それがただの選択や、その結果に過ぎないのだとしたら
運命とは自分へ後付けの言い訳に過ぎない事になる。


「これが運命だったんだ」

そう、だから良くも悪くも仕方が無い・・・なんてね。


それなら、いっそこう思った方が良い。

「なるようにしかならないのが人生さ」


11月22日は『いい夫婦の日』なんだそうです。

「昔はそんな日は無かったよなぁ~?
 じゃ、いったいいつから???」

なんて思ったので調べてみました。



1985年
政府が経済対策会議で11月を「ゆとりの創造月間」として提唱

1988年
・財団法人余暇開発センター〈現(財)日本生産性本部〉が
 夫婦で余暇を楽しむゆとりあるライフスタイルを提案
・11月22日を「いい夫婦の日」と提唱

1998年
「いい夫婦の日」をすすめる会 事務局 設立



へぇ~ 思ったより古くから<存在>していたんですね。
なるほど。



1999年
第1回「パートナー・オブ・ザ・イヤー」選出

2006年
第1回「いい夫婦 川柳コンテスト」選出

2007年
第1回「夫婦に関するアンケート」実施

2009年
「いい夫婦の日」新キャンペーンテーマ
 “いい夫婦の日には「ありがとう」と「愛してる」を
  バラに込めて贈りましょう”を提唱



ま、まぁ~ この辺までは何となく判りますね。

バラなんて高価な花を贈ろうなんてのは
男にとっては余計なお世話な気もしますが。

だってね、世の中の全ての女性が
バラを好きだとは限らないじゃないですか?

ねぇ~?
野菊とかタンポポが好きな女性だっていますよね?

で?



2011年
東日本大震災の影響で
結婚式を中止したカップル3組に結婚式をプレゼント



へぇ~ そんな事もあったんですね。

で?



2013年
11月11日「ジュエリーデー」
11月22日「いい夫婦の日」から
クリスマスとつづく贈り物シーズンに向けて・・・云々



『ジュエリーデー』?
『贈り物シーズン』???

はぁ?
何ですか、それは???????

これは完全にアレでしょ?

<業界>の世論誘導ってやつ!

『バレンタインデー』だけだと思ってたら
いつの間にか『ホワイトデー』が出来て
菓子業界やら宝飾業界が猛然とアピールし出し
それに負けじと出版・本屋業界も乗じて
『サンジョルディの日』が出て来たり
気が付けば毎年10月末には
『ハロウィーン』が日本を乗っ取り・・・

ん?

『ハロウィーン』は何業界?
仮装業界? メイク業界? SFX業界?

あっ、カボチャ業界?

って、そんなのは無いか?

ともあれ!

『いい夫婦の日』なんてのは
花屋業界やら宝飾業界の陰謀でしょ?

夫婦なんてね。
<形>じゃないんですよ。

気持ちです、気持ち!

でしょ?

女性だってね。
宝石なんて名の石ころが付いたリングよりも
オニオンリングが好きだとかね。
花より団子だって女性が・・・ねぇ?



と、ともあれ
問題は何故『いい夫婦の日』が
11月22日に設定されたのか?

ここですね。

語呂が合ったから?

ノンノン!

ポイントは何故『良い夫婦の日』ではなくて
『いい夫婦の日』となっているのか?

これこそがまさに陰謀なんです。

『良い夫婦の日』なら4月22日でも良いですよね?

じゃ、何故11月22日なのか?

それは11月23日が『勤労感謝の日』だからです。


『勤労感謝の日』を紐解くとそもそもは・・・



勤労感謝の日は、「勤労を尊び、生産を祝い
国民互いに感謝しあう」という精神のもと
1948年に制定されています

もともとの起源は戦前の新嘗祭(にいなめさい)であり
稲の収穫を感謝する儀礼であったとされています

呼称はアメリカの感謝祭
 ” Thanksgiving Day”にならったものと言われる



ですが。
世間一般の家庭ではこれを上手いように変えられていますよね?

「今日は勤労感謝の日なんだから
 いつも頑張って働いてくれているお父さんに感謝をしなさい」

とか、子供の頃に言われませんでしたか?

もしくは
今も子供にそう言ってませんか?

そもそも
『勤労感謝の日』にお父さんに感謝なんて意味は無いんです。

これは謝罪会見等で良く遣われる言葉
『遺憾』に<反省>の意味が無いのと同じようなものです。

何となくそれっぽいみたいなね。

が、しかし。

「いつも頑張って働いてくれているお父さんに感謝をしなさい」

その意味は ↓

「お父さんにお金なんか使う必要はないよ。
 感謝してるフリさえしてりゃ頑張って働いてくれるんだから」

似てませんか? ↓

「豚もおだてりゃ木に登る」


良いですか?
「いい夫婦の日」とは言え
贈り物をするのはどっちですか?

例えばクリスマスに手ぶらで帰ったら
思いっきり冷たい視線を浴びるのはどっちですか?

例えばバレンタインに500円のチョコを貰ったからって
ホワイトデーに500円のクッキーを返したら
思いっきり冷たい態度で無視されるのはどっちですか?

例えば誕生日に断崖絶壁から飛び込む覚悟で
なけなしの小遣い3ヶ月分を割いてプレゼントをしたのに
「この指輪ってダイヤが付いてないんだね?」
って、一言で済まされ
挙げ句、自分の誕生日には
「今夜は発泡酒じゃ無くてビールだよ」
って、さも恩着せがましく
350ml缶1本を差し出されて
それであいこにされているのはどっちですか?

例えば・・・いや、もう止めておこう。

なんか虚しくなってきた・・・


ともあれ!


もう賢明な皆様なら答えはお解りですよね?

世の中の宝飾業界、お菓子業界、花屋業界etc
あ~んど
家人までもがグルになって
世の中のお父さん族を落としめようとしているんです。

これを陰謀と言わずして何と言うのでしょうか!

その総括が『いい夫婦の日』であり
その日を『勤労感謝の日』の前に置く事で
「いい夫婦の日にプレゼントをくれなきゃ
 明日は感謝してあ~げない」
と、プレッシャーをかけているのです。

哀れなお父さん族は
明日の『勤労感謝の日』に微かな期待を託しながら
軽くなった財布を懐にしまい込み
心で泣いて笑顔を無理矢理作ってプレゼントをしてしまうのです。

あー、日本のお父さんってなんていじらしい。

なんて、健気・・・





あっ、

・・・って、誰かが言ってましたよ。



いよいよ十一月もそろそろ半ばに差し掛かっています


一年をひとつの物語に例えるなら

さしずめ
十一月と言うのは
一年という物語の大団円に向けて
これから事態は急展開を迎える頃・・・

そう、例えば

二時間物のサスペンスドラマだと
海に臨む断崖絶壁で刑事と犯人が最後の対峙をする頃

と、そんなところとなるのでしょうが

北海道人にとっての十一月は
冬への急展開を怖れて
出来るなら変な刺激はせずに
なるべくそっとしておきたい時期でもあります



霜月という名が表すように
この頃から
だんだんと朝晩の冷え込みが厳しくなります

やがて
氷点下の朝も珍しくなくなってくると
路上の乾いた枯れ葉を
シベリア下ろしの北風が押しのけて
風花のベールを身に纏った
冬将軍の軍団が今年もやって来るでしょう

ホント

毎年、毎年、冬将軍ご一行様は律儀なんだよね

決まってこの時期になるとやって来るんだから
誰も頼んじゃいないのにね



春には春の綱引きがあるように
秋には秋の綱引きがあります

秋が勝ったかと思えば
次は冬が負けじと秋を打ち負かします

再び秋が意地を見せて
押し寄せてくる冬を押し戻します

一進一退の攻防を幾度か繰り返して
季節は移ろっていきます

確実に冬へと



毎年のように同じ事を書いている気もしますが

(多分、あなたの気のせいです・・・?)

冬への覚悟を決める頃
いや、冬への覚悟を決めなきゃいけない頃

それが北海道人にとっての十一月でもあります

「冬来りなば春遠からじ」

冬が来なければ春も来ません

冬の厳しさがあるからこそ
春があんなにも愛おしいのです

えっ?

今から来年のことを言うと鬼が笑いますか?

良いじゃないですか

あの厳つい鬼が笑うなんて愉快です



厳しいシバレの中では
寒さに自然と肩を窄めるようになり
歩く足にも無用な力が入ってしまいます

必然と
話すことさえも億劫になったりします

口を開けると
ここぞとばかりに冷たい空気が入り込むしね

そんな中だと
笑い飛ばせはしないかも知れませんが
鬼にあやかって一緒に笑いましょう

そしたら少しは温かくなるでしょう、きっと



冬将軍に対抗出来るのは
案外と鬼なのかも知れません

優しい鬼なら頼めば金棒を振り回して
冬将軍を追っ払ってくれる・・・かも?



まぁ、それはともかく

どうせ開いてしまう冬の扉なら
潔く、思いっきりこっちから明け放ちましょうか

潔く・・・

潔く?


ん~

やっぱり、冬への覚悟を決めるのは
来月になってからにしようかなぁ~

したいなぁ~

そうしたいなぁ~


出来るなら・・・ね



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