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夢の汽車に乗って
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プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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正義のミカタ

子供にとっては正義の味方は勧善懲悪です。


テレビドラマやマンガの中では
世界征服を企む悪者だったり
弱い者を虐める悪人だったりを
ヒーローが小気味よくやっつけます。

ヒーローと悪者の立ち位置を明確にすることで
伝えたい正義はその意味も明確になります。

子供はその正義を通して
悪い事をしたら諫められるとか
弱い人は助けなければならないと学びます。


それでは大人の世界はどうでしょう?


職場における立ち位置や
家族の中での立ち位置とか
友人間でのお互いの立ち位置などなど
社会におけるそれぞれの立ち位置。

これらの中に自分を置いた場合
その立ち位置は必ずしも明確ではありません。

賛成の側とか反対の側とか
むしろ、事と場合によって
立ち位置が変わるなんてことは良くあることです。

しかも
どちらが正しいと言えないことも多かったりします。


そもそも正義という定義からして
大人の世界では曖昧なものです。

立場が変わったり、見方を変えただけでも
それは全く違ったものになってしまうからです。


「盗人にも三分の理」なんて言葉があります。

これは
盗みをするにも相応の理屈はあるということですが
逆に言えば
どんなことにでも理屈は付けられるということです。

それが例え、こじつけの理屈だとしてもです。


自分の信じる正義と相手が信じる正義。

正義は本来は普遍なものであるはずなのに
どうして立場が変わると正義も変わってしまうのでしょう?

どうして正義と正義がぶつかってしまうのでしょう?

ひとつにはそれはきっと
正義と大義を同じ意味として捉えてしまっているからなんでしょう。

そしてもうひとつは
自分の見方だけが正しいと信じてしまっているからなんでしょう。

相手の立場になって物事を見るというのは
出来そうで案外出来なかったりします。

それこそ大人の世界では
自分の立場とか相手との関係性とかが邪魔をしてしまったりしてね。

でももし
相手と意見が違った時に
もっと柔軟な見方が出来ればお互いの関係性も
少しは変えられるのかもしれません。

正義の見方・・・そんな大袈裟なことじゃなかったとしてもね。



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世の中には矛盾した事なんていくらでもある。



教師は生徒に向かって言う。
「社会では協調性が大事だ」
その口で教師は生徒に向かって言う。
「リーダーシップが取れる人間になりなさい」


果たして協調性を優先させて考える人間に
リーダーシップは取れるのだろうか?

リーダーシップを発揮してまとめた事を
果たして協調性と言って良いのだろうか?


「まとまる」事と「まとめる」事は違う。

「納得」と「妥協」も違う。
でも「協調」するにはどちらも必要だ。

それを円滑に進められるかどうかが
リーダーシップにはかかっている。



上司は部下に向かって言う。
「良く考えてから行動しなさい」
その口で上司は部下に言う。
「理論より実践だ。経験に勝るものは無い」

社会においては一度の失敗が致命傷になる事がままある。


一方で「営業はスピードが命だ」と言いながら
他方で「営業は緻密で無ければならない」と言う。

確かに
その場、その場で相反するモノを求められるのが
会社組織というものなんだろう。

それはいつの時代も会社におけるジレンマを生む。

<その場>を判断するのは誰なのか?
そして、その責任は誰が取るのか?


会社においては
誰の目から見ても仕事が出来て
同僚や後輩から慕われ尊敬されている人間が
必ずしも早く出世をする訳ではないという現実が往々にある。



そして家庭。

或る意味では
学校や会社以上の矛盾が存在するが家庭なのかもしれない。

それを、とある作家は<力関係>と名付けた。

矛盾=力関係?

いったい、どういう事だろう?



妻は夫に向かって訊く。
「今夜は何が食べたい?」

夫は答える。
「何でも良いよ」

妻は言う。
「何でもはないでしょ? 作る身にもなってよ。
 考えるだけでも大変なんだから!」

夫は答える。
「そうだな。じゃあ、すき焼きが良いな」

すぐに妻は首を振る。
「お肉は買ってないから焼き魚で良いでしょ!」


デパートの婦人服売り場で妻は夫に向かって訊く。
「ねぇ、この赤いスカートと青いスカートどっちが良い?」

夫は答える。
「青い方が良いんじゃない? 赤は派手だろ?」

途端に妻は機嫌が悪くなる。
「失礼ね! 私に赤は似合わないって言うの?」


「なら訊くな」と夫は思う。

既に自分で結論を出しているのに妻は夫に訊く。
だがそれは夫に決定権を委ねている訳ではない。
自分の決定を後押しして欲しいだけなのだ。
だから自分の決定と違う裁定が下されると妻は往々にしてキレる。

もう一度言おう。

妻は夫に決定権を委ねている訳ではない。
その事に夫は気付くべきなのだ。


気付くと言えば。

妻は夫に訊く。
「ねぇ、私どう? 何か変わったとこない?」

その質問に対しての逆模範回答例はこれだ。

「ん~ 最近、少し太った?」


例えば
妻は髪型を変えたのを夫に気付いて欲しいとしよう。

で、前述の質問。

「ねぇ、私どう? 何か変わったとこない?」

たったそれだけの言葉で
直に<正解>にたどり着ける夫はいったい何人いるだろう?

だが、安心召され。
模範解答はこうだ。

もちろん、その<何か>に気付けなかったとしても
それはどうでも良い。

ただ、こう言えば良いのだ。

「うん、良いよ。何か若々しくなったね」

正解が髪型だろうがマニキュアだろうが
新しいピアスだろうが新色の口紅だろうが
はたまた通販で買った補正下着の成果だろうが
どれにでも使える万能の答え方だ。


小さい頃は「正直に生きなさい」と教えられた。
だがしかし、結婚期間が長くなるほど
事実を見る目を閉じて
正直さには蓋をする事を覚えなければならない。

そこにある<矛盾>は深く考えてはいけない。
そこは学校でもなければ会社でもないのだから。



覚悟

いくつ選択肢があるかはともかく
その中からひとつを選ぶと言う事は
それは或る意味、覚悟を決めると言う事です


どんな選択をしたとしても
きっと、何かしらの後悔はするのかも知れません

その時は自信を持って選んだとしても
いつか迷いは湧いてくるものです

「本当に正しかったのかな?
 もし、あの時に違った選択をしていたら・・・」

なんてね


そもそも
選択をした根拠自体が
どんなに確信を持っていたにしても
それは単に
自分の思い込みに過ぎないのかも知れないのですから


高い木に登って遠くを見通してみても
先に続く地面の凸凹を確かめてみたとしても
見える範囲や解る事なんてたかが知れています

結局、その先の事なんて解らないのです

解らない事で悩んだって仕方ありません
いくら迷ったところで正解は見つかりません


それなら、どの道を選ぶかは

アミダクジで選ぼうが
棒切れを投げて選ぼうが
誰かとジャンケンをして決めようが
方法なんてどうでも良い事になります


乱暴な言い方かも知れないけど
多分、そんなものなんでしょう


それがどんな方法だったにせよ
行く道を選んだら
後はただ覚悟を決めて進むしかありません

その覚悟が出来るかどうかで
きっと
その先の後悔の数も未来も変わっていくんでしょうね



引力

多分

人に引き立てられるとか
或いは
人に助けてもらえる

そんなのもそのひとつだと思うけど

端的に言えば

人を引き寄せる力
(人を引き付ける魅力)
とでも言おうか
そんな力を持っている人っていますよね


その場合
一気にと言うこともあれば
じわじわと
<気が付いたら>なんてこともあるでしょう


それは持って生まれたモノなのか?
或いは
生きてきた中で身に付けたモノなのか?

何れにしても
最早それらは私にしてみれば
<超能力>とさえ呼びたくなる力です


残念ながら

私にはそんな<超能力>は無いので
人を引き寄せたり
引き付けたりする側の事は解らないけど
引き寄せられたり
引き付けられたりする側の事なら
多分・・・解る、かな


ただ
それを説明するのは難しいんです

理屈や道理では無いのですから

もし

どうしても
そこに言葉を当てはめるなら
それは
<本能の領域で成された交通整理>
だと言うしかありません

例えば
女性に関しても
「美しい」とか「可愛い」と思うのと
「女性としての魅力を感じる」と言うのは
全く別な識別なのです

異性の場合なら
フェロモンとか言う訳の解らない言葉も
何となく納得してしまうけど
同性の場合でも
何をやっても「憎めない奴」とか
どんなグループで集まっても
「必ず話の輪の中心になっている奴」
とかいますね

それってきっと
その人の持っている引き寄せ力に
本能ベースで自ら反応して?
知らないうちに引かれているのかもしれません

引かれると言うのは<魅かれる>と言うことです


いるんですよね

たいして能力もないのに
上司から引き上げられる要領の良い奴とか
別れた彼女にさえ
いつまでも良い人だと思われ続けることのできる奴

いやまぁ~
これは半分以上はやっかみなんですけどね

それに比べたら

さしづめ私なんかは
人の持つ引力に翻弄され続ける男?

とでも言いましょうか


でも、私にだって
もしかしたら、ひょっとしたら、知らないうちに
自分が気付いていないだけで・・・



”さぁ、こっちゃ来い、こっちゃ来い!

 んんん~~~~~(念力発動中)”





  あぁ、虚しぃ・・・(笑)


♪雪の降る町を思いでだけが通り過ぎていく~

♪雪でした あなたの後をなんとなく~

♪粉雪 ねぇ、心まで白く染められたなら~

♪雪 気が付けばいつしか なぜこんな夜に~

♪なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた~

♪あの沫雪のようにあの人の愛も~

等々・・・


「雪」を題材にした歌って数々ありますね。

大概は別れだったり、片思いだったりと
どれも何だか切なかったり、哀しかったりします。

去って行くあの人の足跡が雪で消えていくとか
雪で霞む向こうにあの人の面影を探したりとか
特に別れの場面での雪は
切なさや悲しみを比喩するのに効果抜群です。


降って来る雪を見上げたことは
一度や二度くらいはきっと誰にもあるでしょうね。

ずっと降る雪を見上げていると
何だか空に吸い込まれるような不思議な気持ちになります。


確かに、雪景色はキレイです。
見ている分には・・・ですけどね。


今夜も一日中降り続いた雪をせっせと”かいて”いました。

車3台分ほどの家の駐車場やら
家の周りの舗道とか
一時間ほどもかかったでしょうか。

寒い中でもうっすら汗ばんできていて
それでもやっと終わったと思ったら
無情にも家の前の道路をブルドーザが通って・・・

いや、除雪をしていただくのはホントありがたいんです。

そりゃもう、感謝ですよ。

でなきゃ
明日は車を出せなくなってしまいかねませんしね。

しかし、ブル君が通った後は
家の前に硬くなった雪の壁を残していくんです。

これが重いのなんのって・・・orz

雪国あるあるですが
雪国人には分かって貰えますよね?

ねっ? ねっ?

雪かきが終わったと思ったのに
ブル君が残していった雪の壁を
また除けなきゃならないとなった時の私の腰の絶叫。

聞かせられるものなら聞かせてあげたいくらいです。


それでもまぁ、TVニュースで観た
各地の豪雪や暴風雪の様子を考えたら
20cmやそこらの雪くらいで
こんな文句は言ってられませんね。


もうすぐ二月です。

後一ヶ月、いや二ヶ月もしたら
春の便りも聞えてくるでしょう。

そんな日を待ちわびながら口ずさんでみましょうかね。

♪ずっとずっとそばにいて
 大好きな君を見つめていたい
 Snowflake君のぬくもりは
 冬の贈り物 ほら雪だよ~

なんてね・・・おっと、ちょっと時期は違うかな?


本日も晴天なり

「本日も晴天なり」

「じゃ、何の文句があるんだい?
 晴天? 大いにけっこうじゃないか」


そうね。
それはそうなんですけどね。


こんな言葉はご存知ですよね?

”放射冷却現象”

良く晴れて風もなく一見穏やかに見える明け方付近は
地表からドンドンドンドンと熱が空気中に放出されて
地上付近がメッチャ冷え込む現象。

ごくごく簡単に述べればこんなところです。


例えば、雲が出ていれば雲が蓋の役割をして
地表から熱が逃げるのを防いでくれます。

が、しかし。
この蓋が無い状態。
つまり、無風で晴天の明け方はドンドンドンドンと
ジャンジャカジャンジャカと
熱が地表から奪われていくのです。


マイナス10度ならまだ可愛い方?

マイナス15度、20度、30度と気温は下がり
一日の最高気温でさえマイナス8度とかって
これは、どこぞの業務用大型冷凍庫の話ではなくって
ごく普通の北海道の出来事なんですね、これが。


一方で
さすがにマイナス20度とか30度は
やり過ぎたかなぁ~なんて
自然がプチ反省をしたところで
頑張って耐えている北国人にくれるご褒美が
”ダイヤモンドダスト”とか”サンピラー現象”

多分・・・ですけどね。


”雨が降って上がらないと虹は見られない理論”

専門用語で言うならそういうことでしょうか。


私も似たような言葉を他に知っていますけどね。

”飴と鞭”(笑)

私の場合は

”甘いと無知”???(笑)


さてさて

そんな北海道も大寒を過ぎて
春まではもう二ヶ月ほどの辛抱となるこの頃です。

寒さにすぼめたバリ堅の肩を労りつつ
雪かきに悲鳴を上げている腰をかばいつつ
もう少し頑張っていきましょう。

そして、春になって
全身に暖かな春の陽を浴びることが出来たら
その時こそ空に向かって大声で言いましょう。

「本日は晴天なり!」


帳尻

我が、十勝国。

例年なら年前に一、二度は降る雪も
今冬は正月が明けても一向に降らずに
何年ぶりかで
雪かきのしない平穏な正月休みを過ごしました。

ところが、そうは甘くないのが、The 北海道?

私の仕事が始まるや否や
まるで頃合いを見計らっていたかのように
まとまった雪がドサッと降りまして。

って、一体何の頃合い何だか・・・

ともあれ

その後も堰を切ったかのように
二度、三度、四度と
あまり間を開けずに雪が降りまして
今や私の肩はバリバリのバリ硬・・・「かた」だけに?

おまけに腰まで崩壊寸前、風前の灯火?


良く、年間に降る雨の量は決まっているなんて言います。

つまり、夏に雨が多いと冬に雪は少ないとか
その逆のパターンもあるんですが
所謂、帳尻合わせって言うんでしょかね。

一つのシーズン
例えば、冬の前半に雪が少ないと
その分、後半にドッと降るとか
まぁ、これも北国では良く有ある話です。


私自身も何度か書いたことがありますが
「人生は山在り、谷在り」
「人生は良いことも悪いことも足して引いてトントン」
「凸凹道も長く歩けば平坦な道になる」
等々・・・
これらもきっと帳尻合わせが有ってのことなんでしょうね。


この帳尻合わせって何なんでしょうか?

単なる偶然の積み重ねなんでしょうか?
それとも、これが自然の摂理ってやつなんでしょうか?

もし、自然の摂理だとするなら
森羅万象、全てのことに
それが当てはまることになりますし
そうじゃなきゃ説明も納得も出来ません。


大きな自然災害が有っても
大きな禍が有ったとしても
何処かで自然はちゃんと帳尻を合わせてくれる。

そう、思わなきゃ
誰も、長いこと、人間なんてやってられませんよね。


「止まない雨はない」
「明けない夜はない」

そんなささやかな言葉に人間は希望を見出して
そうやって
苦しくても、きつくても生きていくものです。


例え、苦しい時間が有ったとしても
希望を見出して乗り越えた先にきっと未来は有る。

人生はちゃんと帳尻が合うように出来ているんだから。

そう信じることが唯一の希望だったとしても
十分に生きていく糧にはなるはずですよね。



明けましておめでとうございます。

昨年からのコロナ禍も
なかなか収束の気配を見せてはくれませんが
少しでも良い年になるよう願うばかりです。
本年も変わらずによろしくお願いします。



さて、早速ですが今年は丑(牛)年ですね。

牛を使った言葉や慣用句と言えば
「牛歩の歩み」だとか
「鶏口となるも牛後となるなかれ」とかありますね。

又、ノロマなことを例えて「鈍牛」なんて言ったりもします。

干支(十二支)の二番目に挙げられるほど
人々の生活に密着をしていたはずの牛なのに
でも、何だかあまり良い意味では
使われていないような気がします。

私も小さい頃は良く親に
「食べてすぐ横になると牛になるぞ」
なんて言われてましたっけ。


そんな牛ですが本当にノロマなだけなんでしょうか?

ある本によると
牛が何かに驚いて逃げたり、
逆に何かを追いかけたりして本気で走ると、
トップスピードは時速24Kmほどにもなるとか。
時速24Kmというと100メートル走なら15秒ほどです。

少なくとも私よりは早い・・・かな?


まぁ、それはともかく。


私は思うんです。

牛って本当に優しい動物なんだろうなってね。


牛が本気を出せば
牛の角は相手を刺し殺すことも出来ます。
牛が体当たりをしたら大概の相手は吹っ飛んでしまいます。

でも、牛は無闇やたらと自分の能力を誇示しないんです。

それは何故か?

牛は自分の力を良く知っているから。
自分の力がどれだけ危険かと知っているから。

だからこそなんじゃないかってね。

普段は牛の動きが遅いことを小馬鹿にしている輩を
実は牛は悠然と聞き流しているのかもしれません。



牛にまつわる話と言えば
学問の神様、菅原道真の話も有名ですね。

菅原道真を祀る天満宮には
牛の像が置かれているそうです。

なぜ牛なのか、諸説あるようですが。

これは「菅原道真が丑年だった」
「菅原道真が暗殺されそうになったところを飼い牛が救った」
「菅原道真の遺体を牛車で運んでいた時に
 牛が座り込んで動かなくなったので
 そこに埋葬した(その場所が大宰府天満宮)」など
菅原道真と牛にまつわる様々な云われがあります。

また黙々と働く牛の様子は
菅原道真の教えにも通ずるものがあるためか
牛を神の使いとして祀っているのだそうです。

大宰府天満宮や京都の北野天神にはいくつか牛の像がありますが、
そのどの牛も座り込んだ姿をしているそうです。

この座像や臥牛を撫でて祈願をすると病気が治るとか
頭が良くなるとか言われているようです。


又、牛と神様で言えば
仏教が生まれたインドでは牛は神様として大切にされています。
菅原道真の話もそうですが
牛には神に近い尊いイメージがあるようです。



2021年は丑年です。

”神に近い”とされる牛が干支ということならば、
やはり、縁起の良い年になることを期待しますよね。


そうそう!

牛にはこんな慣用句もあるんです。


「牛も千里、馬も千里」

*早くても遅くても、また上手でも下手でも、
 行き着く結果は同じだから慌てるなという例え。


まさに悠然という言葉そのものですが
こんな風に何事にも動ぜずどっしりと構えて
新しい一年を過ごしていきたいものです。



さぁてと

今年も残すところ僅かとなってきました。

「今年はどんな一年だった?」

今年を振り返って自問自答を試みる訳ですが
今年に限ってはやはり

「新型コロナウイルス」

ここを抜きにしては語れませんね。


「新しい生活様式」

そんな言葉も定着してきました。

いや、むしろ
今では良くも悪くも慣れてきた。

慣れてしまった?

そんな感じかもしれませんね。


会社に於いては出張はほぼ無くなり
その分、ZOOMでのリモート会議が増えました。

毎日何人かづつ交替ではありますが
テレワークも何となく定着しつつあります。

忘年会はもちろんですが
人数規模は問わず各種の飲み会もほぼやっていません。


日常生活では
近場の温泉旅行も含めて行っていません。

めっきり外食も減りました。


そんな中ですが
何か良かったこともひとつくらいはあったかな?

考えてみました。

だってね。

コロナで何でも自粛、自粛の毎日でしたから
このままじゃ
何だかコロナに負けっぱなしみたいじゃありませんか?

何かひとつくらいは良かったことも書いておかなきゃね。


で、考えました。


まずは・・・

ん・・・

まずは・・・

うーん・・・

まずは・・・

何か・・・有る?

有ったっけ?


あっ、そうそう!

有った、有った!


ここ一年くらい
出勤時はもちろん仕事をしている時も
休日に近所に買い物に行く時だって
一人で散歩をする時でさえ
ずっとマスクをしていたじゃありませんか?

でね。

或る時、気が付いちゃいました!


多分ですが
ずっとマスクをしていたせいで

鼻毛が伸びていないんですよ!

いや、もちろん全くという訳ではないんですが
いつもに比べて

当社比ってやつ?

外出期はいつもマスクをしていて
外の空気を直接吸っていないせいじゃないかと思うんですが
いつにもまして鼻毛が伸びていないんです。


ねぇ?

気が付いていた人はいません?

「そういや、いつにもまして
 鼻毛を抜いたり切ったりしてないなぁ-」

とかね。


まぁ、もちろん
この一年、何とかコロナに感染しないで助かった。

それが一番大きいと言えば大きいんですけどね。

もっとも
感染をしていても無症状のこともあるらしいので
100%感染しなかったのか?

と問われたら自信を持っては答えられないんですが。


ともあれ
まだまだコロナウイルスは収まりそうもありません。

最近ではコロナウイルスの「変異種」なんて聞きます。

コロナウイルスの脅威はまだまだ続くんでしょう。

ワクチンもそうですが
それ以上に治療薬の開発が待たれます。


「動かないという行動」をして

「新しい生活様式」で

なるべく「静かな生活」を送る


私たちに出来ることは多くはありませんが
昼夜を問わず懸命に闘ってくださっている
医療従事者の方々への感謝を忘れず
決して、コロナに慣れたり油断したりせず
自分が感染しないための努力
そして
他人に感染させない為の努力はしていきましょう。


いつまでも自粛、自粛では限界も有るでしょう。
時には羽目を外したい時もありますね。

しかし
個人、個人の小さな積み重ね
それが新しい年への希望に繋がるかもしれません。


今年も一年間お付き合いをいただきありがとうございました。

お互いに静かに良い年を迎えましょう!

新しい年に希望を持って。


人類全体が抱えているとても大きな問題

社会が抱えている複雑な問題

個人が抱えているささやかな
 でも本人にとってはけっこう深刻な問題



今、問われている問題

今、求められている問題

今、課せられている問題



すぐに答えの出る問題

すぐには答えの出ない問題



答えが1つしかない問題

答えは1つではない問題




問題に
大きいも小さいもないのかも知れない

それでも敢えて言えば

大きな問題を小さくするのも
小さな問題を大きくするのも
それは結局は
個人の意思の問題なんだろう


確かに
個人の力ではどうしようもないことも多い

いや、むしろ
そんな問題の方が多いのかも知れない

だけど、個人と個人が手を繋ぎ合えば
その輪は世界を結ぶことが出来る


例え、大きなことは出来なくても 

ちょっとだけ隣人の言うことに耳を傾けられたら
ちょっとだけ隣人のことを思いやれたら

みんながそう出来れば
変えていけるものも多いはずだよね

乗り越えていけることもあるはずだよね



世の中には様々な問題が有るにしても
抱えている問題は様々だとしても

今が幸せだと感じられるあなたは
きっと幸せ感じ上手なのでしょう


でももし


今が不幸せだと嘆いている人がいたら

「あなたは決して一人ではないんだよ」

と伝えたい


そんな聖なる夜に

Happy Christmas To My Dear




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