Neko

夢の汽車に乗って
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プロフィール

yumenokisya

Author:yumenokisya
現住所 北海道十勝国

 好きな言葉は
『なんとかなるべさ』

 そう、生きてさえいれば
何とかなるもんです。。。
   


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記憶 (改稿)

忘れていたことを
ふと何かの拍子に思い出すことがあります

そのキッカケは
ふと目にした一枚の写真だったり
ラジオから流れてきた歌だったり
テレビの中の何処か懐かしい風景だったり

それは様々だけど

時として
思い出が心の扉をこじ開けて
堰を切ったように突然甦ってくることがあります


忘れていたこと・・・

いや
忘れようとして心の中に封じ込めていたこと?



忘れようとする時
人は必ずそのことを
その人のことを思い出しているのです

だから忘れられない

忘れようとすればするほど
望むと望まざるとに関らず
脳はあらゆる限りに力を総動員して
記憶を鮮明なものにしようとします




評論家Aは言う

「忘れる為に遣う時間は
 いったいどれほど必要なんだろう?」

評論家Bは答えた

「いやいや
 人間なんて案外簡単に忘れてしまえる生き物さ」

評論家Aは反論する

「はたして君はそうかい?
 なら、君の頭の中には
 都合の良い記憶しか残っていない訳だね?
 それで幸せかい?」

評論家Bは少し考えて答えた

「悲しいことをいつまでも覚えていることの方が
 不幸なんじゃないか?」

評論家Aは言う

「確かに悲しかったことや辛かったことを
 いつまでも覚えていることが幸せとは思わないよ。
 でもね、簡単に忘れ去ることも幸せとは思えない。
 美しい思い出ばかりではないけど
 それでも、どんな悲しい思い出も辛い出来事も
 それも含めての今の自分なんだから」

評論家Bは答えた

「それじゃ、
 忘れる為の時間なんて必要ないじゃないか?」




確かにその通りだと思う

無理をして忘れる必要もないし
かと言って
いつまでもそれに縛られていることも
それは良いことだとは思えない

記憶は
時として後悔を過去から今に運び
時として過去を美化していきます

記憶とはそういうものです

そうであるなら

呵責の過去であれ
都合良くオブラートに包まれた過去であれ
生きている今はまだ
過去に真実は求めないでおきましょうか

だって過去の自分を否定したくはないものね






(注)本文は以前書いた文章を
   今般改めて加筆修正したものです


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落ち込んでいる自分に

悩んでいる自分に

疲れている自分に


一人で辛さを堪えている自分に

心に痛手を抱えている自分に

哀しくて泣き出しそうな自分に


歯を喰いしばっている自分に

そして

頑張っている自分に




どんな言葉をかけたら元気になれるかな?

どんな言葉で話したら心に届くかな?




ストレートに   「頑張れよ!」


叱咤するように  「何やってんだよ!」


優しく      「大丈夫だって」


応援団のように  「ファイトッ!」


なだめるように  「負けるなよ」


黙って頷いて   「分かってるよ」


親友のように   「無理すんなよ」


背中を押すように 「それで良いんだよ」






言葉は口に出すことで力になる

言葉ってそういうものだね



心の中の自分に語りかけるのではなく

口に出してみよう!


聴こえなかったら何度でも

足りなかったらもう一度



自分を励ます言葉が見つかったら

口に出して言ってみようよ!





中島みゆきさんの曲「ララバイSINGER」の一節

”どんなにひどい雨の中でも自分の声は聴こえるからね”




そうなんだ!

その通りなんだよね


奇跡の確率

物理的に不可能な事象は別として
人間が出来ることや成すことにおいては
初めから可能性が100%ということはないし
逆に最初から可能性は0%ということもありません。

結果として
「出来た」とか「出来なかった」とかは有ったとしても
確率が何%だから「出来た」とか「出来なかった」というのは
判断が難しいところではあります。


では
何%の確率で起こった事象を奇跡というのでしょうか?

1%?
0.1%?
0.01%?

或いは
0.000001%?


確率を計算するには
おそらくは様々なデータを元に
統計学的な数字を根拠として求めるのでしょう。

それは、
元来が根っからの文系人間である私には知る由もないのですが。


しかし、そこから導かれた数字というのは
単なる計算の結果でしかありません。

あくまで統計学的な確率なのです。

それを奇跡と呼ぶには
あまりに無機質的過ぎます。


例えば、ジャンボ宝くじで1等に当選する確率は
1000万分の1だそうです。

何億とかという当選金額も
私にしたら天文学的な数字ですが
当選確率も
これまた砂浜で一粒だけ色の違う砂を探すような
そんな途方もない確率に思えます。

その意味では
宝くじで1等に当選する確率。
これも確かに奇跡的とはいえるのかもしれませんが
あくまで<奇跡的>であって奇跡というには何かが違います。


では、その<何か>って何でしょう?


『火事場のくそ力』という言葉があります。

人間は時として
本来持っている力以上の能力を発揮することがあります。

為し得る確率が限り無く「0」に近い極限状況の中で
人が起こした行動の結果、その<こと>が成った時
人々は知らずと感動を覚えるものです。

そして、それを<奇跡>と呼びます。


しかし
何の努力も知恵もなくして奇跡は起こりません。

加えていうなら
決して諦めない信念こそが奇跡を起こすのです。

何かへの強い思い、誰かへの強い想い
そしてそれに向かう強い執念。

それが奇跡を生むのです。

それは
どんな計算も入り込む余地も無い程に
人間臭い行動の結果なのです。


奇跡の確率を計算するなどということは
結局は無意味なことなのでしょう。

人間の力は時として計算をも超える物なのですから。


好奇心

「これは何?」

「それは何故?」

「どうしてそうなるの?」


何においても
全ては
興味や疑問を持つところから物事は始まります

それはおそらくは
科学を始め学問の分野においては
ほぼ全てがそうだったのだろうし

のみならず

芸術、スポーツ、食文化
或いは
ごく平たく言えば
趣味レベルの事柄に於いても
多分、そうだったのだと思います


興味や疑問を持つ事

そのキッカケが
単なる野次馬的好奇心にしても
覗き見的興味だったとしても
そんな事は大して問題ではありません


先ずは
興味や疑問を持つ事こそが大事な事で
人間が起こす行動原理や知恵など
全てがそこがスタートだったのだと思います

それは或る意味
人間が
人間として生きる事の原点なのかも知れません


興味を持ち
或いは疑問を持ち
それを探求する事から
人間は様々な分野で進歩を積み重ねてきました


いや

それほど大袈裟な話ではなくても

もっと身近な事

例えば
人と人との関わり方においても
それは同じなんだろうと思います

相手への興味の持ち方で
その後の付き合い方をも左右するかも知れません

相手に興味を持てば
もっと
相手の事を知りたいと思うようになるでしょうし
相手の事が理解出来れば
もっと相手を愛する事が出来ます

それは異性への愛に限った事ではなくて
一般論における
人としてという事も含めてなんですけどね


日常生活においても
何の疑問を持つ事も無く
今そこに在る現状にただ満足をしていれば
或る意味
平穏に過ごしては行けるのでしょうが

しかしそれが
何にも興味を持たない、持てないという事であれば
それはとても味気なくつまらないものです

それは生きる事を否定するようなものです

もちろん

現状を全て否定し
全てを壊し
常に変化を求める事を良しとする訳ではありません

しかし

いつもあらゆるものへの興味を持ってさえいれば
その好奇心は
人生をもっと豊かなものにしてくれるんだと思います


秋ですか?

あんなに暑かった夏

北海道の私の住む街でさえ
けっこう真夏日が続いてました

お盆前までは

ん~

何だか、あの頃は暑さのあまり
私の明晰な頭脳もボーっとしてまして

いやいや、決して痴呆ではありません
住んでいるのは地方ですが

(一応、お約束?)

昔は梅雨なんて縁の無かった北海道ですが
最近は、それらしき天候にもなったり
加えて、昔は
「北海道の家にはエアコンなんぞいらねぇ!」
なんて言ってたのに今じゃ北海道でも必需品

地球温暖化って言うんでしょうかね

北海道が悪い訳じゃないのに
本州から涼しさを当てに避暑に来た観光客が
「北海道がこんなに暑いなんて詐欺やろー!」
と、暴動を起こしたとか起こさなかったとか?

いつからでしょうかね~
北海道がこんなに暑くなったのは?

「昔は・・・だった」とか思うんですが
「じゃ、転換点は?」と言えば正確には言えません

映画『カサブランカ』の
ハンフリー・ボガード風に言うなら
「That's so long ago. I don't remember」

と、いうことでお茶を濁しつつ

ついでにハンフリーボガードになりきって書くなら
私的<一度は言ってみたい台詞NO.1>

「Here's looking at you, kid」

(これを
 「君の瞳に乾杯」と訳した人がすごい!)

まぁ、私なんぞは
一生、口から出すことの無い言葉でしょうけど

ふん、ほっとけ! ぶつぶつ・・・


もとい!

(話を強制的に戻します
 愚痴が長くなりそうなので)

ところがどっこい?

北海道の季節というのはまだまだ案外律儀というか
私に似て生真面目と言うべきなのか?
お盆辺りから気温が下がり始めて
今では確実に秋の気配がただ酔ってきました・・・

ん?

漂って・・・ですね、はいはい

(これもお約束でしょ?)

今年のお盆期間中には20℃前後の日もあったり
最低気温が危うく一桁寸前までなったり
「夏は終わった宣言」をしても良いくらい?

でも、考えたら
立秋って八月八日だったんですよね

暦の上ではとっくに秋モードだった訳です

暦からしたら
「何を今更寝惚けたことを言ってるんだい?」
ってな感じでしょうか?

それからほぼ二週間も経てば
そりゃね
生まれたばかりの仔猫だってジャレ盛りです

ましてや秋なら言わずもなが・・・秋の盛り?


とは言え、まだ八月ですからね

一応
まだ我が家のストーブは点灯しておりません
一応
まだ私はTシャツ&短パンで寝ています

が、しかし
昨夜はタオルケットの上から
念の為に掛けていた薄い夏布団が
朝、起きてもしっかりと私を包んでいました

(私が布団を蹴飛ばさないなんて!
 「布団が吹っ飛んだ」って言えないじゃん)

これが何より秋野祥子・・・

はいはい、ネタがしつこいですね

<秋の証拠>ですよ

やっぱり、今はもう秋ですか?

本当に?

ずえ~ったいに確かだと断言できます?

断言・・・しちゃうんですか?

もう?

後悔しない?

だって、そしたら
秋の次に来るのって・・・・アレですよ?

(まだ言葉には出したくない・・・アレ)


そっかぁ~

やっぱりもう秋だったんだね

(ため息)


あー、だからか?
私が痩せないのは?

天高く・・・天・・・高く・・・
ほにゃらら、こゆ・・・

そっかぁ~

秋のせいだったのか!
なら私が自分に甘いせいじゃなかったんだ!

ねぇ?


あれっ?

誰も話についてきていないのかかな?


<しーーーーん>


秋ですか?

(空きです・・・ってか、その手のダジャレにはもう飽きてます)


そっかぁ~

やっぱり夏はもう終わったんですね

ってことは

私の夏休みも終わっちゃって
また仕事の日々ですか?

再始動、リスタート、いろんな言い方はありますが
どれもピンと来ない私

(単に現実を受け止めたくないだけでしょ?)

へぇ、へぇ

どれどれ、仕事用のエンジンでも掛けて頑張りますか

ん?

あれ?

ねぇ?

仕事用のエンジンの始動スイッチって何処でしたっけ?

(お前ね~ そんなんばっか言ってると
 会社の席が埋まっちゃうぞ!
 席に空きがあるうちにさっさと行って来いや~!)

ハイ! ←やっと秋ってなった。いや「シャキ」ってね

(ダメだ、こりゃ・・・orz)


来週はお盆ですね


先祖の精霊を迎え
追善の供養をする期間を”お盆”と呼びます

盆とは文字通り
本来は
霊に対する供物を置く容器を意味するため
いつしか
供物を備え祀られる精霊の呼称となりました


盆の明確な起源は分かっていませんが
一年に二度
初春と初秋の満月の日に
祖先の霊が
子孫のもとを訪れて
交流する行事があったとされ

初春のものが
祖霊の年神として神格を強調されて
正月の祭となり
初秋のものが盂蘭盆と習合して
仏教の行事として
行なわれるようになったと言われています

(盂蘭盆(ウランバナ)の行事とは
 地獄の苦しみをうけている人々を
 この世から供養することの功徳によって
 その苦しみを救いたいという仏教行事)


日本では八世紀頃には
夏に祖先供養を行うという風習が
確立されたと考えられていますが
地方や、仏教の宗派により行事の形態は異なります


盆の入り(十三日)の夕方
家の前で火を焚き
祖先の霊を迎えるのが迎え火

(家の前や仏壇に飾る盆提灯は
 迎え火の代わりとされています)

盆明け(十六日)の夕方に
火を焚いて祖先の霊を帰す
これが送り火で
盆送り、送り盆などとも呼ばれます

(川で霊を送るのが灯篭流しです)


”七夕”もお盆に準ずる言われがあります

そもそも七夕は棚幡とも書き
故人をお迎えするための精霊棚と
その棚に安置する幡を供える日であり
その行為を七日の夕方より勤めたために
棚幡がいつしか
七夕に転じたとも言われています


ちなみに
良くきゅうりやナスを動物に見たてて
盆棚に飾る風習がありますが
これは
キュウリは馬に見たて
お盆のときに
少しでも早く迎えられるように
との願いを表現しています

そして、
ナスは牛を表現していて
お盆が終わって帰る時は
のんびりと帰って欲しいと言う気持ちが
込められているのだそうです

(牛については
 ”帰りは荷物は牛に乗せて楽に帰る”
 と、言う説もあります)



・・・と

「お盆まとめ」的に一応の事柄を連ねてみましたが
そのほとんどは皆さんもとうにご存じの事ばかりでしょうね

とは言え
たまには改めて整理してみるのも良いでしょう

日々、忙しく過ごしていると
頭の中では判っている<つもり>で
案外、曖昧なまま放置をして
何となくお茶を濁しているなんてことも
増えていきますからね



さてさて、それはともかく


絆(きずな)
所縁(ゆかり)
誼(よし)み
繋(つな)がり
巡り合わせ
関わり合い

を以って

供養する
感謝する
鎮める
尊ぶ
敬う
拝む


これらの言葉を総括する言葉があるとすれば
それが”縁”ということになるのでしょう

様々な”縁”が重なり合って
その結果としての今の自分がいます

もちろん
生きている中で周りの色々な人に支えられている
という縁もありますが
連綿と連なるご先祖様のお陰であると
感謝する気持ちも忘れてはいけませんね

そのキッカケがお盆だったりもします

例え、お墓参りに行けなくても
心の中でそっと掌を合わせる

それでも良いのだと思います



普段は離れていることを口実に
参り無精の私ですが
せめて年に一度
この時期くらいは両親の墓に参って
愁傷な気持ちで
一日を過ごしてみようかなと思っています

もちろん
感謝の気持ちも持って行きます

賑やかな娘達の笑顔も連れてね


七夕余話

七月七日は本州方面等
日本の多くの地域で七夕なのでしょうが
北海道の場合は函館方面の一部を除いて
一ヶ月遅れで八月七日が七夕です。

北海道って本州に比べたら古い歴史はないんだけど
何故だか、七夕とかお盆って旧暦なんですよね。



あれは確か
次女が小学二年生くらいの時だったと思います。

こんな話をしたのを思い出しました。



七月七日の夜。
テレビのニュースで七夕の話題をやっていた時
目を輝かせて次女が私に言いました。

娘「今日って七夕なんだよね~?
  ねぇ、短冊書きたい!」

私「いや、七夕は七夕なんだけど
  何て言うかな、今日じゃなくて
  北海道は一ヶ月遅れの八月七日が七夕なんだよ」

娘「どうして?」

私「どうしてって言われてもなぁ~
  そもそもは旧暦と言って
  昔の暦で言うとね・・・
  まぁ、こんなことを言っても未だ分からないよな?」

娘「でも、今日は七夕なんでしょ?」

私「まぁ、そうなんだけど、北海道は違うんだよ」

娘「どうして?」

私「ん~ 習慣が違うんだよ」

娘「習慣って?」

私「習慣って言うのはね
  つまり、昔からのしきたりと言うか・・・」
   (ちょっと苦しい)

娘「そしたら、本州の織姫、彦星と
  北海道の織姫、彦星って別な人なの?」

私「いや、そうじゃないんだけどね」
   (かなり苦しい)

娘「分かった!
  じゃあさ、織姫と彦星はホントは一年に二回逢えるんだ!」

私「いや、そう言う訳でもないんだよ・・・
  ん~何て言うかなぁ・・・」
   (非常に苦しい)



結局は
大人にするような説明しか出来なかった私。
そんな説明が
小学二年生の娘に分かるはずもないのですが。

テレビの話題が他に移ると
娘の質問攻撃も収まり
私はホッと胸を撫で下ろしたのでした(笑)




それにしても
七夕の日が別だからって
織姫と彦星が二回逢えるなんて発想は
大人はしないですよね?

純粋な子供の発想には敵いません。

でも、二回逢えても良いのかな?


そもそもは
親(織姫の父の天帝)の怒りをかって
引き離された二人なのですから
一年に一回よりは
二回逢える方が良いに決まってます。

「だから昔、本州の人と北海道の人が相談をして
 織姫と彦星が一年に二回逢えるように
 場所と日にちを別々にしたんだよ」

って、そんな説明をしても良かったかなぁ~

なんて、後で考えてしまいました。


もちろん、嘘なのですが
「サンタクロースは本当にいるんだよ」
って言うのと同じくらい
許される嘘なんじゃないかな?

そう思いませんか?


そんなことがあった十一、二年前の七夕の夜。



あれから時は流れて
あの頃、あんなに可愛かった次女も
生意気盛りの中学、ぶっきらぼう全開な高校時代を通り過ぎ?
この春からは女子大生となり家を出ました。

行き先が本州だったので
そう何度も行ったり来たりはできません。

なので、GWも帰省しませんでしたので
三月末に家を出て以来、今回の夏休みが初帰省となります。

その帰省日が八月七日なら今回の思い出話に繋がって
出来過ぎなくらいナイスなんでしょうが
実際に帰省をするのは、その翌日の八月八日です。

まぁ、その辺の微妙なズレ感が
或る意味、我が家らしいのかな?(笑)


初めての土地での初めての一人暮らし。
初めて体験したであろう本州の猛暑日&熱帯夜?

経験者として言わせてもらうなら
同じ三十度でも
北海道のそれと本州のそれでは全く別物です。

果たして、やつれて帰って来るのか?
色々な意味で親の有り難みも少しは判ってくれたのか?
或いは、相変わらず生意気なままなのか?


えっ?

「自分の時を思い起こしてみたら?」←天の声

なるほど・・・ん、まぁ~
元気な顔を見せてくれるならそれで良し・・・かな(笑)


私の記憶が確かであるのなら・・・

前回、私は
「北海道人殺すにゃ刃物はいらぬ。
 30℃の三日も続けば良い」
みたいなことを書きました・・・ね?

いくら真夏だからって
北海道=猛暑なんてのは
広辞苑にも六法全書にも載っていないはずです。

なので、当然私の辞書にも載っていない訳です。

そんなはずの北海道ですが
もう何日真夏日が続いているでしょう?

北海道はデッカイドー。

なので、同じ北海道でも地域によって違うでしょうが
私の住む十勝国でも、もう三日、いや四日・・・五日間?

真夏日が続いていて
まだ続きそうな気配の内に8月を迎えました。

が、幸いにも
私・・・まだ生きています。

どうやら、人間の環境適応能力というのは
自分で思うより凄いみたいです。


環境適応能力と言えば・・・

つい最近、火星に大きな氷の層が存在するとか
或いは、もしや水が存在するかもしれない。

なんてニュースがありましたが
その火星が奇しくも地球に大接近なんて話題になっています。

見ました?

ってか、肉眼じゃ近いの遠いのって
なんだか、あまりピンときませんよね。

むしろ、火星に氷が? 水が???

なんて話の方が興味をそそられます。

有機化合物が有って水が有るなら
そこに生物が存在する可能性もグッと広がる訳です。

少なくとも、なんらかの生命体の痕跡とかね。

火星に氷のニュースが出た時やはり話題に上がっていたのが
「火星に氷が有るなら移住した時に利用出来るのではないか?」

言い換えれば
「氷が有るなら移住が出来るのではないか?」
そんな風にも聞えました。

人間の環境適応能力を以てすれば
もしかしたら
何年後かには他の星への移住も可能になっているんでしょうか?


進化と退化は環境への適応の結果である。
そんな文章を読んで記憶があります。

簡単に言えば
猿から類人猿に、そしてやがて人類はヒトに進化をした。
逆に、道具を使う事を覚え、知恵がつき
人類は本来持っていたはずの<能力>を失ってしまった。

まぁ、それを退化と言うのか
進化の結果と言うのかはともかくですが。

ただ、言えるのは
現在の人類が進化の最終形ではないんだろうということです。

或る人に言わせれば
人類の最終形態は精神生命体なんだそうです。

つまり、肉体があるから人はケガもするし病気にもなる。
やがて、肉体が朽ちた時に人は死にます。

進化の最終形態が肉体を持たない精神生命体なら
現在の人類が考える意味での<死>はありません。

精神生命体なら自由に宇宙空間を跳び越えることも可能でしょう。
もしかしたら、時間をも超えることが出来るのかもしれません。

もし、昔、昔のそのまた大昔
進化途中の人類が
その生命体とコンタクトを取れたとしたなら
何らかの知恵、知識などの<影響>を授けられたとしたら
人類はその生命体を<神>と呼んだのかもしれません。

まぁ、それは飛躍のし過ぎかもしれませんが。

ただ、もし宇宙人がいたとして
(私はきっといると信じていますが)
その宇宙人がいわゆる「ヒューマノイド」と呼ばれる人型。
つまり、今の人間の姿をしていると考える方が
無理があるような気がしています。

宇宙には様々な環境が存在しています。

そこに存在をする<人類>はその環境に適した姿をしているはずです。

それは今の人類から見たら魚に見えるかもしれないし
或いは、鳥のようにも見えるかもしれません。
もしかしたら、虫のようにも見えることだってあるかもしれません。

地球にだって
深海の硫酸の吹き出すところにしか生きられない生物もいるのだとか。

そこに生きるものはその環境に適応をしている。
姿も生き方も。

生きる為に適応をしてきたのか?
適応出来たから生き延びて来られたのか?

今の我々レベルの知識で考えることには限界があります。
見た目と進化レベルが一致しないことだってあるでしょう。

もしかしたら
昔の人が想像したようなタコ型の宇宙人が実在していたり
猿の惑星のような星が存在していたりするかもしれません。


少しだけ大きく見えるような気がしている夜空の火星を見ながら
妄想族の夜は更けていきます。

あっ、実際には今夜は雲が多くて
正直、どれが火星なんだか良く判ってはいないのですが
それを見た気になれるのもまた、妄想族の得意技なんですよね。


地球温暖化などと言われて久しいですが
確かに、昨今の日本を見渡してみても
気候区分がワンランクアップしている気がします。

私が昔
学校で習った気候区分だと
北海道は亜寒帯で
本州から九州までが温帯
で、沖縄が亜熱帯だったはずですが
ここ数年来のゲリラ豪雨や台風の集中豪雨などを見ると
熱帯地方のスコールを遥に凌ぐ感じすらします。

ここ連日のニュースでは
本州は猛暑日続きで熱中症患者が続出だそうですね。

熱中症で亡くなる人のニュースも増えているように思います。

日本の夏って、こんなでしたっけ?


そう言えば
最近は北海道のお米が美味しくなったと良く聞きます。

これが温暖化による好影響だとするなら
最早、北海道は亜寒帯ではなく
温帯域に入ったという証なんでしょうか?

後、10年もしたら
日本におけるハビタブルゾーンの境界線が津軽海峡だ。
なんてことになったりして???


カロリーベースでの食糧自給率をみると
日本全体だと40%を切っていますが
北海道だけに限ると食糧自給率は200%です。

それが、さらに我が十勝国だけに限ってみれば
脅威の食糧自給率1100%なんだとか!?

温帯になることで
これからますます北海道の農業は盛んになるでしょう。

しかも、北海道にはたくさんの土地があります。

みなさん!

外国の方に買い占められる前に
北海道の土地を買って移住しちゃいましょう!


北海道にはみなさんの嫌いなゴキちゃんもいません。

(一部、存在説もあるようですが
 少なくとも我が十勝国にはいません)

北海道には元来、毒ヘビさんもいません。

(一部、存在説もあるようですが
 少なくとも我が十勝国では耳にしていません)

北海道には凶暴なウリちゃんもいません。

(その代わり、凶暴さではツキノワグマを凌ぐらしい
 ヒグマさんはいますが・・・)

北海道には畑を荒らしたり人間を襲うようなおサルさんもいません。

(最近ではアライグマさんが野生化しているようですが
 まぁ~可愛いもんじゃありませんか、見た目は・・・)

確かに、北海道でも30℃にはなりますが
何と言っても朝晩は20℃前後です。

夜、寝苦しいなんてことは・・・滅多にありません。

ほらっ!

北海道ってば
なんて住みやすくて良いところなんでしょ!

ねっ?

そう思うでしょ?

あなたはだんだんそう思うようになってきた・・・でしょ?

みなさん!

住みにくくなった本州を諦めて北海道に移住しちゃいましょ!

そうじゃなきゃ北海道は日本から独立しちゃいますよぉ~

ほらっ、だんだん焦ってきたでしょ?

えっ?

全然・・・ですか?

よし、判りました!

北海道は独立します!!!

「北海道国、初代大統領はこの俺様だぁ~~~!」



ジリリ、ジリッ、ジリリリリリリリ・・・



へっ?

な、なんだ?

朝?

もしかして・・・夢???

こんだけ暑けりゃ、こんな突拍子もない夢も見るわなぁ~

それにしても

あ、あ・つ・い・・・

『北海道人殺すにゃ刃物はいらぬ。
 30℃が三日も続けば良い』

確かに・・・


足跡

歩いてきた道は
どんな道も、どんな足跡も
それは全て自分の人生です

その途中の足跡が
例え気に入らなくても
例え後悔でしかなかったとしても
そこだけちぎって捨てる事は出来ないし
何よりそれは
今の自分を否定する事になります



自分が歩いて来た道の中で
望んで付けた足跡
図らずも付いてしまった足跡

覚えているのはどっちが多いでしょう?

本当は付けたかったのに
付けられなかった足跡もあったでしょうね



捨てる事は確かに出来はしないけど
だからと言って
無理をして忘れる事も無いし
無理をして覚えている必要もありません

時間が解決してくれる事もあれば
解決してくれない事だってあります

でもそれは人生の最期の時まで
宿題として持っていたら良いんです

今は前だけ見つめれば良い

囚われ過ぎないのであれば
時々、後ろを振り返ったって良い

立ち止まって空を見上げる日があっても良い

これからどんな足跡を付けて行くにしても
それがあるがままの自分の足跡なら
それで良いんだよね、きっと



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